超自己満足的自己表現 -473ページ目

第58章 桜

 桜の季節がやってきた。中務卿宮家である二条院は、とても桜で有名な邸である。特に寝殿近くに植えてある桜は中務卿宮の祖父が若かりし頃、花見の管弦の宴にてすばらしい龍笛に感動した先々代の帝が、左近の桜の枝を切り褒美として賜ったものを挿し木して立派に育て上げた桜であった。

 この日は一番見頃の良き日を選んで綾乃を招き、花見をすることにした。二人の婚約は公になったので、堂々と綾乃を二条院に呼ぶことが出来た。綾乃は久しぶりの中務卿宮と会えるという事で、とびっきりの唐衣を着て二条院を訪れた。
「綾乃、よく来たね。」
と、中務卿宮はとてもうれしそうな表情で綾乃を迎える。
「宮様、お招き頂きありがとうございます。綾乃はとても今日の日を楽しみにしておりました。」
綾乃は、中務卿宮の前に座り、頭を下げ挨拶をする。
「さあこちらに座って、二人だけでの花見なので、くつろいだらいい。今日を逃すと明日から忙しくて会えないからね・・・。」
綾乃は用意された几帳の前に座る。
「来月ですものね・・・東宮女御様の入内・・・。」
「そうさ、兄上に妃が入内されるからね。いろいろ中務省は春宮坊の人事異動やら、女官の選定、女御のご在所のこととか、今が一番忙しい・・・。また入内の宴やら婚儀の日程・・・。それが終わると妹宮孝子内親王の婚儀が入ってくるし・・・。本当にゆっくり出来るのは今日ぐらいかもしれない・・・。」
中務卿宮は脇息に肘をついて綾乃に優しくいう。
「孝子様のお相手って・・・弾正尹宮様の?」
「そうだよ。元服の際、源の姓を賜わり臣籍となって今は左衛門佐源常隆殿。同じころに初出仕だったし、同じ歳でもあるし意気投合してね。妹宮とは腹違いだけど、義理の兄弟になることだし。とても真面目で誠意のあるいい人ですよ。」
綾乃はそっと中務卿宮の側に座って身を預けると、中務卿宮は綾乃の肩に手をやる。
「本当に綺麗ね・・・宮様。」
「そうだね・・・。綾乃、もう私達は婚約しているのだから、宮様ではなく名前で呼んで欲しいな・・・。」
今日は急用がない限り、邸の者をこの寝殿まで近づけないようにしている。なんとなくいい雰囲気になってきたので、中務卿宮は綾乃を見つめて抱きしめキスをしようと顔を近づけようとしたとき、籐少納言が恥ずかしそうに声をかける。
「あの、宮様。お取込み中申し訳ありませんが・・・。中務省で不手際があった様で、すぐに東宮御所へ参内をと・・・。あと、三条大納言邸より宮様宛に文が・・・。」
二人は恥ずかしそうに離れると、中務卿宮は立ち上がって女房数人を呼び急いで直衣から束帯に着替え、身なりを整える。
「権大輔殿に頼んだはずなのに・・・。何か兄上の気に障ることがあったのかな・・・。」
などとぶつぶついいながら綾乃の前に座わり綾乃に優しく言う。
「すみません、せっかくの休みを頂いて綾乃とゆっくり花見をと思ったのですが、すぐ済まして帰ってきます。綾乃はここでゆっくり桜でも見ていてください。」
「はい、雅和様。お役目のほうが大切ですもの・・・。さ、早く参内を・・・。」
綾乃は立ち上がって中務卿宮に手を振り見送った。綾乃はふと、中務卿宮が座っていたところにおいてある文箱に目が行った。三条大納言といえば、摂関家で皇后の兄に当たる人である。昨年まで綾乃の父右大将と肩を並べ左大将であったが、秋の除目で正三位大納言に昇進した。お邸が三条にある東三条邸なので、三条殿または三条大納言と呼ばれている。姫ばかり三人いて、一の姫雪姫は宮家に嫁ぎ、二の姫は中務卿宮より一つ上の桜姫、三の姫はまだ裳着が済んでいない。東三条邸はもともと東宮が元服するまで過ごした皇后の実家に当たるため、幼い頃からよく中務卿宮は東宮である兄のもとに遊びに行ったことがある。そして世間では綾乃を右近の橘の姫君、三条大納言の二の姫を左近の桜の姫君と呼ぶ公達も少なくない。もちろん秋の除目までの右左両近衛大将の姫君だということと引っ掛けてあるのだけれど、どちらも違った花のような美しい姫君であるという意味もあった。綾乃は中務卿宮の副臥役であり父の右大将は中務卿宮の後見役、三条大納言二の姫は摂関家で中務卿宮の幼馴染として、お妃候補として競われていたと思われていたのは言うまでもない。ただし中務卿宮の意向は、以前中務卿宮の妹宮付の女童として後宮に出仕していた綾乃だったのだけれど・・・。もちろんそのような事を知る由もなかった三条大納言二の姫は摂関家であり幼馴染である自分のほうが中務卿宮妃としてふさわしいと思い込んでいた。その上先月の東三条邸で行われた管弦の宴(本来は三条大納言が勝手に開いた中務卿宮と二の姫の顔合わせの宴だったが・・・。)で二の姫の目の前できっぱりお断りの返事をしてしまったからもう大変。もともとわがままに育てられた姫であったので、中務卿宮でなければ嫌だと言う二の姫に父三条大納言も手を付けられず困り果てていて何日かおきにこうして中務卿宮宛に文を送りつけてくる。やはり中務卿宮は億劫になって返事を引き伸ばしにしている。今回の文もそうであろうと開封もせずに座っていた場所そのままのところに置いておいた。しかし今回の文は違ったようで、文箱から良い香りが漂ってくる。一刻ほど我慢していたが、綾乃はつい気になって文箱を手に取り、開けてしまう。中には品のいい御料紙に桜の花が添えてあった。そして文を読んでしまう。
『満開の桜の花とまだ咲かぬ橘の花あなたはどちらを選ばれるのでしょう もちろん今見頃の桜と決まっていますよね 桜子』
綾乃はムッとした様子でその文をもとの状態に戻し、座り込んだ。
(どうせ私は裳着をしたばかりで月の穢れも来ていないわよ・・・。でも・・・。)
綾乃は怒って立ち上がると一緒に来ていた小宰相を呼んで帰り支度をさせる。
「綾乃様、どうかなさいましたか?」
と、籐少納言が綾乃に声をかけてくる。
「急用を思い出しました。宮様にはそのようにお伝えください。」
綾乃は少し怒った様子で寝殿を退出しようとすると西の門のほうが賑やかになり、中務卿宮が帰ってきたようである。籐少納言は綾乃を引き止め、元いた場所に座らせると、丁度とても困った様子で中務卿宮は寝殿に戻ってきた。そして束帯のままで綾乃の横に座る。
「綾乃、だいぶん待ったでしょ。権大輔殿でも出来ることなのに、どうしてもと仰せで兄上は私をお呼びになったのですよ。兄上にも困ったものです。」
中務卿宮は綾乃のいつもと違う表情に気付き、心配する。
「綾乃どうかした?」
綾乃は三条大納言二の姫からの文が入った文箱をそっと中務卿宮の前に置く。
「そういえば、三条大納言様から文が来ていたね・・・。ん?なんかいつもと感じが違うけど・・・。」
中務卿宮は文箱の紐を解き、ふたを開けると中身に気がついて慌てて再びふたを閉じる。
「二の姫からでしょ。雅和様。」
「そうみたいだね・・・。もしかして・・・見てしまったの?」
「いい香りが文箱からいたしましたので・・・。つい。私はまだ月の穢れも来ていない子供です。」
綾乃は怒って立ち上がると退室しようとする。中務卿宮は綾乃の腕をつかみ引き寄せ抱きしめる。
「どうしてそのような事を言うの?いつこの僕が綾乃のこと子供だって言った?綾乃は綾乃でいい。」
そういうと中務卿宮は今まで見せたことのない表情で涙を流して綾乃を強く抱きしめる。
「あちらの件は一方的なこと、本当に困っている。綾乃が心配すると思って言わなかった。」
「雅和様・・・。お泣きにならないで・・・。」
綾乃は中務卿宮の頬に流れる涙をふき取ると、中務卿宮にキスをする。
「私も雅和様は雅和様のままでいいのです。本当に出会った頃から泣き虫でいらっしゃる。」
「そうだね・・・。」
中務卿宮は籐少納言を呼ぶと、三条大納言二の姫から届いた文箱をそのまま渡す。籐少納言は不思議そうな顔をして受取る。
「籐少納言、これからは私的な三条大納言家からの文は一切取り次がないように邸の者に伝えてくれないか。そしてその文をそのままお返しして。」
「はい畏まりました。」
籐少納言が退室したことを確認して、花見の続きをしようと、中務卿宮は綾乃の手を引き、すのこ縁の端の一番桜が良く見えるところに連れて行く。
「夜桜はもっと綺麗なのですよ。綾乃、今夜は泊まっていく?」
綾乃は顔を赤くして、恥ずかしそうに微笑みながら答える。
「雅和様、来年か再来年以降になればいくらでもこの桜を嫌になるほど見られますわ。それまでお預けです。夜桜もこの綾乃も・・・。」
中務卿宮も顔を赤らめて綾乃に言う。

「そうだね。ちょっと調子に乗りすぎたみたいだ。さあ座って。」
二人は寄り添い、ずっと長い間二条院で一番美しい桜を眺め続ける。
「中宮の母上にも春が訪れたよ。」
「え?」
「中務省と中宮職で報告が止まっていて公にはなっていないのだけれど、やっと母上が懐妊されたのですよ。今までいくら経っても御出来にならなかったから・・・。」
「そうですね・・・中宮様にもやっと春が来たのですね・・・。」
「そうだね。僕達も早く本当の春が来るといいね・・・。」

《作者からの一言》

普通なら婚約したからといってもこうしてお互いの邸を行き来することなんてないでしょうね^^;でも中務卿宮はどうしても綾乃に綺麗な桜を見せたくて(もしくはこれを口実に綾乃と会いたかった?)綾乃を呼んだわけです^^;もちろん親しい間柄とはいえ、綾乃は宮家に訪問するので衣装は十二単です^^直衣を着ている中務卿宮は正四位上なのですが、親王であり、勅許により着用が許されています^^もちろん烏帽子を冠に替え参内することも可能です。本当なら東宮御所に参内の際は束帯に着替えずに烏帽子と冠を交換しただけで参内可能なのでしょうけれど・・・。

 本当に三条大納言の二の姫桜子姫はしつこいですね^^;あまりしつこいと中務卿宮に嫌われますよ^^;もちろん嫌っていますけど^^;

第57章 中務卿宮の悩み

 庚申待ちの宴のあと、中務卿宮は様々な殿上人から宴のお誘いがかかるようになった。中務省の仕事にも慣れ、権大輔が補佐についているもののほぼ自分で対処できるようになっていた。
「さあ、今日はこれでおしまいっと。権大輔殿、他にはありませんよね・・・。」
「はいこれですべてでございます。これからどちらへ?」
「本日は三条大納言邸のほうに・・・。管弦の宴に呼ばれまして・・・。明日は東宮御所にて宿直ですので、よろしくお願いします。」
「ほう、ここの所三日に一度はどこかの邸に呼ばれていますね・・・。お体をお崩しにならないように・・・。」
「そうですね・・・酒はあまり得意ではないので・・・。行っても楽しくはないのです。ただお断りしてもどうしてもと言われるので・・・。」
そういうと気が向かない様子で中務省を退出していった。中務卿宮は二条院に戻り着替えを済ますと、三条にある三条大納言邸に向かうと、途中宿直に向かう右大将の車とすれ違う。
(今日、右近様は宿直で来られないのか・・・。残念だな・・・。)
中務卿宮は残念そうな顔をして、大事な龍笛を取り出して手入れをした。
 三条大納言邸に到着すると、様々な車が車宿りに止まっている。到着すると、わざわざ三条大納言が車寄せまで中務卿宮を迎えに来て、宴の会場に案内した。
「中務卿宮様、本日は良くおいで頂きました。どうしてもと無理を言って申し訳ありません。」
「いえ、さすが立派なお邸ですね。庭の手入れも大変行き渡っていますね。花の時期になるとさぞかし美しいのでしょうね。」
「いえいえ、二条院の左近の桜から挿し木された桜に比べると我が家の桜など・・・。それよりも当家二の姫が、宮様とぜひお手合わせしたいと同席しております。桜のように美しい音色を奏でる姫でして・・・。さ、桜姫。」
三条大納言家の二の姫桜姫は中務卿宮よりも一つ年上で、琴が大変上手な姫、そして才色兼備とも言われている姫である。中務卿宮は大事に龍笛を取り出すと、桜姫の琴に合わせて龍笛を吹いた。宴に招待された公達たちは二人の奏でる調に感動し、調が終わると大納言は大変喜び中務卿宮に言う。
「さすがは宮様。さらに腕を上げられましたな。桜姫との相性もよろしいようで、すばらしい調でございました。」
「いえ、私はまだまだ・・・右大将殿のご指導のおかげで・・・。」
「そういえば右大将殿の一族は管弦で有名なお家柄・・。」
「ええ、右大将殿の姫も相当琴がうまいのです。大納言様の二の姫様もなかなかの腕前ですが・・・。」
中務卿宮は照れ笑いをすると、龍笛を袋に入れ大事そうに懐に直す。すると大納言は中務卿宮の前に座ると頭を下げて言う。
「実は今日の宴は宮様と当家の桜姫を引き合わせるための宴、どうか、桜姫も宮様をたいそう気に入っております。ぜひ、お妃候補に加えていただけないでしょうか・・・。」
中務卿宮は真っ赤な顔をして断りを入れる。
「せっかくの縁談話なのですが、私にはもう許婚がおりますので・・・申し訳ありません!」
「いえ、まだ正式には発表をされてはいないのでしょう。ぜひ・・・。」
中務卿宮は縁談をきっぱり断ると一礼をし、即大納言邸を退出して、二条院に戻った。早々の帰宅に、家の者達は驚く。
「まぁ宮様、どうかされましたか?今日は三条大納言様の邸で管弦の宴と聞いておりましたが・・・。」
「早々退出させていただいたのです。私と二の姫の顔合わせの宴だったのですから・・・。お願いがある、籐少納言。今来ている誘いを全部お断りしてくれないかな・・・。多分すべてこのような宴だと思う・・・。」
「そうでしょうね・・・おかしいと思いましたのよずっと・・・。今までご招待を受けたお邸には年頃の姫様がいるところばかりで・・・。宮様は綾乃様一途であられますし・・・。分かりました。それとなくお断りの文を急いで出しておきますわ。」
「ありがとう。籐少納言。早く正式に父上から婚約をお許ししていただかなければ・・・。明日は宿直だから頼んだよ・・・。さあ、今日は疲れた。寝所の用意を・・・。」
ひと月前の兵部卿宮のことといい、今回の縁談の宴といい、ますます悩みの絶えない中務卿宮はこのような時こそ綾乃が側にいてくれたらと思うのでした。
 次の日内裏に参内すると、昨日の宴の件が内裏中に広がっており、今まで下心ありの宴を催していた殿上人達が、中務卿宮に詰め寄る。
「中務卿宮様、どういうことなのでしょう・・・。昨日の件を噂で聞いた当家の姫は寝込んでしまいましたよ。」
「まだ権中納言殿は良いではないか!うちの二の姫は目の前でお断りされたのですよ!今朝も起きてこず食事ものどを通らないと・・・。」
「うちの姫は恋煩いで・・・。」
「うちの姫は一緒になれるのなら尼になると・・・。」
「うちはせっかく楽しみにしていた姫が、宮さまが参加しないと聞き、泣き崩れて・・・。」
中務卿宮は勢いに負けて、何も話すことが出来ないまま、殿上の間の片隅に座り込んでいる。それでもなお、たくさんの殿上人が詰め寄ってくるので、見るに見かねた右大将が助け舟を出す。
「皆様方、そのように宮様をお責めになられても・・・・。大変お困りのご様子・・・。例えたくさんのお申し入れがあったと致しましても、数は限られます。まして帝のお許しがないと・・・。宮様の意向を無視して勝手にこのような事をされるからこうなってしまうのですよ。自業自得というものです。さ、宮様、帝がお呼びですよ。」
中務卿宮は立ち上がって詰め寄ってきた殿上人を掻き分けて帝の御前に参内した。御前に座るとため息を一つついて、帝に申し上げる。
「何か御用ですか?」
「雅和、お前が願い出たのではないか?」
「そ、そうでしたね・・・。」
「殿上の間の声がこちらまで良く聞こえたよ・・・。昨日の件は私の耳のも入ってきた。庚申待ちの宴のあと当たりから、続々と中務卿宮妃の申し入れがあるのは確か。あと二月後に東宮妃入内があるので、中務卿宮妃内定の件は先延ばしにしていたのだが、もう一刻を争うことになってしまったようだ・・・。多分今日の願い出はこれであろう・・・。」
「はい・・・。このままだと色々綾乃の耳にも入ってくるので、かわいそうなのです。父上、今すぐにでも宣旨を戴けないでしょうか・・・。」
「分かりました。・・・参議、右大将殿をこちらへ・・・。」
少し経つと、右大将が参内する。
「お呼びでしょうか・・・。」
「うむ。あなたには大変待たせたことです。あなたの姫君と中務卿宮との正式な婚約を許可します。婚儀については未定ですが、右大将殿、中務卿宮よろしいですか?。参議、関白殿にそのように伝えなさい。」
「御意。」
この日の午後、中務省を通して中務卿宮妃内定の宣旨が下った。もちろんそのことは帝の命婦によって綾乃に伝えられ、都中に広がった。この発表に嘆き悲しんだ姫君はたくさんいたという。


《作者からの一言》

モテモテですなあ^^;羨ましい^^;どうして東宮には縁談が少なくて、この中務卿宮には多いのだろうか?やはり家柄の問題???東宮妃になろうとするには相当の家柄、財力、地位がないといけないと思います^^;それらに自信がない人たちがこうして中務卿宮にアタックしてくるのでしょうか???(もちろん東三条摂関家の三条大納言二の姫はもちろん別ですよ^^;こちらの家は希望すれば東宮妃にでも帝の女御にでもなれる家柄です^^;)

第56章 庚申の宴

 庚申の日には庚申待ちが宮中や貴族の邸で行われた。これは、道教の伝説に基づくもので、人間の頭と腹と足には三尸(さんし)の虫(彭侯子・彭常子・命児子)がいて、いつもその人の悪事を監視しているという。三尸の虫は上尸・中尸・下尸の三種類で、上尸の虫は道士の姿、中尸の虫は獣の姿、下尸の虫は牛の頭に人の足の姿をしている。大きさはどれも二寸とされ、人間が生れ落ちるときから体内にいるとされる。庚申に眠ると体から抜け出し、天帝にその人間の罪悪を告げ、その人間の命を縮めるとされることから、庚申の夜は眠らずにすごすようになった。一人では夜を過ごすことは難しいことから、人を集め会場を決めて庚申待ちが行われ一晩中寝ないで過ごすのである。
 この日は中務卿宮が出仕して初めての庚申待ちの宴の日である。豊楽院に公達が集まって一晩中管弦の宴を行う予定になっている。もちろん中務卿宮も得意の龍笛を持参して参加した。
「右大将殿、私は初めてこのような場所でこの龍笛を披露するのですが・・・自信がありません・・・。」
「何を言われますか。このひと月の間、この私と対等に合わす事が出来たのですから大丈夫です。」
右大将の源家は雅楽が堪能で有名な源博雅を祖とする一家で特に右大将は琵琶が得意である。この日のために中務卿宮は龍笛を、右大将は琵琶を二人であわせて練習をしていた。この日は帝や皇后、中宮も臨席して、管弦の宴を楽しんだ。
「帝、次は中務卿宮と右大将様の合わせですわ。楽しみですわ。ねえ和子様。」
「久しぶりに雅和の龍笛を聞ける。雅和は稀に見る腕の持ち主だ。そういえば、和子のお父上も得意でいらしたね。」
「はい、生前父は雅和が小さい頃より龍笛を仕込んでおりました。あの龍笛は父の遺品なのです。」
中宮は緊張しながら二人の演奏を聴く。宴の参加者も皆、聴き入って誰もしゃべる者はいなかった。演奏が終了後、会場中大きな歓声が起こり、帝より杯を賜った。
「うむ。中務卿宮、さらに腕を磨かれた。右大将もさすがである。」
二人は頭を下げて、その場を下がった。公達の演奏が終わると、雅楽寮の者達が代わる代わる演奏を続ける。その間公達たちは飲んだり話したりと和気あいあいと宴を楽しんでいる。すると右大将の横に例の兵部卿宮が座り話しかけてくる。
「あなたの若い頃によく似ておられる・・・中務卿宮様は・・・。管弦に秀でておられ、あの時もこのような庚申待ちの夜・・・。今でもついこの間のように・・・ねえ右大将殿。」
そういうとさらに右大将の側詰め寄ってくる。
「もうあなたとは関わりたくはありません。」
「ではなぜ今まで独身のままでおられるのでしょう・・・。お子様も姫一人・・・。」
「あなたと一緒にしないでください。私の場合は、姫の母君が忘れられないから結婚に踏み切れないだけです。あなたとの関係もあの時一度きりです!」
 これは二十年程前、まだ右大将が右衛門佐だった頃のお話。あの時も同じように庚申待ちの宴に参加していた右衛門佐は初めて参加した管弦の宴で初めて琵琶を披露して先代の帝にたいそう褒められた。そして酒宴が始まり、慣れない酒の匂いに酔ってしまったのか、宴を抜け出し、朝堂院の応天門に座って月を眺めていた。そこへ兵部卿宮が現れた。
「あなたは先程見事な琵琶を弾かれた右衛門佐。あの時は本当にすばらしいと思いましたよ。」
「兵部卿宮様、お褒め頂きありがとうございます。」
「ちょっと話がしたい、兵部省の私の部屋へどうかな?」
位が高い方でもあり、帝の末の弟宮であったので、断ることも出来ず右衛門佐は兵部卿宮に連れられて兵部卿宮の部屋に入った。部屋に入ると兵部卿宮は鍵を閉め、右衛門佐に詰め寄る。
「前々からあなたの事を想っていたのですよ。とても可愛らしい人だ・・・。今夜この私と一晩・・・。」
「え?」
兵部卿宮は右衛門佐を押し倒し、口をふさぐ。
「右衛門佐、声を出しても誰も来ませんよ。私の言いなりになっている方が身のためです。さあ諦めなさい。私のものになりなさい。」
右衛門佐は逃げようとしたが逃げられず、ある一線を越えてしまった。それ以来何度も誘われたが、きっぱり断るようになり、兵部卿宮も他にいい人を見つけたのか、ある日を境に声をかけられることがなくなった。ちなみに帝が臣籍の頃で、出仕間もない時も同じようなことが起こったが、未遂に終わっていた。未だその男色家であるようで、度々出仕したての者が狙われている。もちろん今は中務卿宮が狙われているのは言うまでもない。
 案の定まだ酒に慣れていない中務卿宮は会場を抜け出して、豊楽門に腰掛けて愛用の龍笛を吹きながら物思いにふけていた。
(綾乃は今日何をしているのかな・・・。今からこのまま大内裏を抜けて五条邸に行ってみようかな・・・。)
中務卿宮は綾乃の事を思い出すと幸せそうな顔で微笑んだ。
「愛しい人でもおられるのでしょうか?中務卿宮。」
中務卿宮は愛用の龍笛を懐にしまうと、声のするほうを振り返る。
「兵部卿宮。許婚の姫のことを想っていたのです。このように同じ月を見ているのかと・・・。」
「許婚がおられると?初耳です・・・。」
「まだ正式には発表されていないのですが、とても可憐で愛しい姫なのです。」
すると後ろから兵部卿宮は中務卿宮に抱きついた。
「愛しい中務卿宮。こんなに愛しいのにあなたは他の姫を想われている。とても心苦しい・・・。」
すると兵部卿宮は無理やり中務卿宮にキスをする。
(綾乃ともまだキスしてないのに!!)
中務卿宮は力いっぱい兵部卿宮を叩き、離そうとした。
「中務卿宮様!」
兵部卿宮はその声に驚くと中務卿宮を離した。その隙に中務卿宮は逃げ出し、声のするほうに走った。
「中務卿宮様、危ないところでした・・・。私が目を話した隙に・・・。申し訳ありません・・・。さ、帰りましょう。五条邸までお連れします。」
「右大将殿・・・。」
中務卿宮は涙を一杯に溜めて、右大将の後ろに隠れた。
「恐れ多くも帝の二の宮にまで手を出されるとは・・・。兵部卿宮様このことは帝に報告させていただきます。では失礼します!」
そういうと中務卿宮を連れて五条邸に帰っていった。


《作者からの一言》

ついに手を出してしまった兵部卿宮・・・。もちろんこれで終わってよかったですね^^;しかし、右大将の初めての×××は兵部卿宮ってことです^^;綾乃の母である皇后綾子ではありませんでした^^;こういう手のことは書くのが苦手です^^;男同士の×××など^^;

ところであの後中務卿宮は綾乃のいる五条邸まで行ったのですが、ただ行っただけです^^;行って右大将と管弦を合わせたり、しただけですよ^^;決して綾乃といちゃついたりなどしていません^^;まだ婚約は正式には帝に許されていませんから^^;もちろんキスなどしていません^^;でも初キスが男と・・・^^;きっと綾乃には言えない秘密でしょうね^^;アセアセ

第55章 新中務卿宮の初出仕

 今日から中務卿宮は初出仕となる。綾乃と共に朝餉を済ますと、束帯に着替える。
「綾乃、どう?着慣れてないからちょっと苦しいかな・・・。」
綾乃は微笑んで顔を赤らめて宮を見つめた。
「宮様、右大将様がお迎えに・・・。」
「うん、わかった。綾乃、行ってくるよ。」
綾乃は車まで宮を送ると、右大将が綾乃に言う。
「綾乃、帰りに迎えに来るから、今日はこちらでゆっくりなさい。さ、中務卿宮行きましょうか。」
「はい。じゃあ、綾乃行ってくるね。」
綾乃は中務卿宮に手を振って見送った。
「宮、今日は帝の御前にて初出仕のご報告の後、各中務省管轄の役所に挨拶回りをして頂きます。いいですか、特に中務省は帝の補佐や、詔勅の宣下や叙位など、朝廷に関する重要な職務の全般を担っています。また、この官庁は朝廷の事務一般を扱うために職掌が広く、輔、丞、録の四等官のほかに、帝に近侍する侍従、宮中の警備、雑役及び行幸の際の警護役たる内舎人、詔勅や宣命及び位記を作成する大内記等、大蔵省や内蔵寮等の出納役たる大監物等、駅鈴や伝符の出納役たる大主鈴等並びに大典鑰等が中務省直属となります。あと、中宮職 、大舎人寮 、図書寮 、内蔵寮 、縫殿寮、陰陽寮 、内匠寮も中務省の管轄となります。とても色々大変なところの長官となられますので、たくさん学ばなければならないことは多いと思いますが、次官がお手伝いしていただけると思うので、少しずつ仕事に慣れるようにお願いします。」
「大変なのですね・・・中務は・・・亡きお爺様はすごいお人なのですね・・・。」
「そうですね。とても気さくで信頼も厚い方であったと聞いております。」
車の中で右大将の話を聞き、宮は大変緊張した様子で、大内裏に向かう。内裏に入ると様々な公達や役人達がたくさんおり。宮は大変驚いた。内裏に入っても今まで気付かなかった人の多さにも驚く。そしてきょろきょろと辺りを見回す。それを見た右大将は微笑んだ。帝に初出仕の挨拶を終えた後、中務省に行こうとしたとき、声をかけられた。
「右大将殿、本日は見慣れない可愛い人をお連れですね。」
「あ、これはこれは兵部卿宮様・・・。こちらは本日より初出仕あそばした、新中務卿宮様。」
「ほう・・・ということは帝の二の宮様であられますか・・・。なんとかわいらしい・・・。」
そういうと一礼をして兵部卿宮は立ち去って行った。
「兵部卿宮?」
「恐れ多くも先代の帝の一番末の弟宮様であられるのですが・・・。少し変わったところがおありでして・・・。宮様に申し上げてよいものであろうか・・・。男色家の方であられるのですよ。お気をつけください。実は私も・・・いえいえこの話はなかったことに・・・。」
「男色家?」
「あれですよ、あれ・・・。男の方が好きなのですよ。」
右大将は焦った様子で顔を赤くして答えた。
(男色家ねえ・・・。)
 中務省に着くと、やはり八省の中で一番忙しい省のようで、中では色々な役人達が走り回っている。宮は圧倒されて、声を失っていた。
「さ、今日から宮様が勤められる中務省ですよ。さて、誰か権大輔源光安殿は居らぬか?」
すると奥から権大輔がやってきた。
「これはこれは・・・右大将様。」
「権大輔殿、中務卿宮様をお連れしたのだが・・・。」
権大輔は頭を下げて二人を中務卿宮用の部屋に通した。中務卿宮は緊張のためか、固まっている。
「これは新中務卿宮様。私は権大輔源光安と申します。何かわからない事があればこの私に何なりとお申し付けくださいますようお願い申し上げます。」
「はい、こちらこそ・・・。」
小さな言葉で答える中務卿宮に右大将はちょっと心配した眼差し見つめていう。
「本来でしたら、元中務卿宮であられた亡き先の右大臣殿がこちらに来られるべきでしたが・・・。私も余りこちらの事に関して詳しい内容は知りませんので、長い間空席であった中務卿の代わりを取り仕切っていらした権大輔殿に、この宮様をお任せしようと思っております。よろしいですか?権大輔殿。」
「は、お任せください。亡き右大臣様が中務卿であられたときこの私に良くしていただきましたので、恩を返すつもりで、宮様をご指導し立派な中務卿宮様になられますよう、努力いたします。」
「お願いしますよ。いくら私が後見人とはいえ、私も近衛府の仕事がありますので、いつも一緒にいるわけにはいきません。宮様、この権大輔は私の遠縁に当たりますので、ご安心を・・・。またこちらに迎えに上がりますので、お勤めがんばってください。では私は右近衛府にいますので、何かあればそちらに・・・。」
そういうと右大将は退出していった。とても緊張している宮は、権大輔の言葉が耳に入っていない様子いる。そこへ内裏より使いの者がやってくる。
「中務卿宮様はこちらにおられますか?帝が参内せよとの仰せですが・・・。」
「はいわかりました。権大輔殿、後はよろしくお願いします。」
中務卿宮はうれしそうに中務省を出て内裏に向かう。すると途中で兵部卿宮とすれ違い、声をかけられる。
「おやおや可愛らしい小さな中務卿宮様。どちらへ?」
「父上いえ帝のところへ。」
「それはそれは・・・あなたと私は同じ宮家、また私の邸に遊びにおいでください。」
「また後ほど・・・。では失礼します。」
兵部卿宮は不思議な笑みで元気いっぱい走って内裏に入っていく中務卿宮を見つめた。
(なんと元気で可愛らしい・・・若き日の右大将殿や帝のよう・・・。気に入りました。)
兵部卿宮と右大将や帝の昔の不思議な仲は後ほど・・・。さて、清涼殿に着いた中務卿宮は帝の御前に参内する。そして帝は中務卿宮を御簾の中に導き、話をする。
「雅和、どうかな初出仕は?何か困ったことでもあったのかな・・・。」
「いえ、色々指導してくれる権大輔殿はとても良い方で・・・何とかやっていけそうに思います。でもお爺様があんなに大変な役職を難なくこなされていたなんて・・・。」
「あの中務は忙しい分、人も多い。全部一手に引き受けなくてもいいのだよ。そのために権大輔殿がおられる。徐々に慣れればいいのだから・・・。他に何か聞きたいことはないか?」
「あの・・・仕事の件ではないのですが・・・男色家って何ですか?」
帝はその言葉に驚き言葉を失ったが、困った顔で悩んでいる様子の中務卿宮を見て、中務卿宮を近くに呼び耳元で囁いた。
「男色家というのはですね、普通男なら女性を好むのですが、反対に男が男を好む人の事を言うのですよ・・・。でもそのようなことどこから?」
「あの・・・中務に行く前に兵部卿宮に会ったのですが、その後右大将殿にあの方は男色家だから気をつけなさいと・・・。」
「そうか・・・ありえる話ですね・・・。兵部卿宮は、根は良い方なのですがあちらの方がね・・・。ですから今でも独身で・・・色々被害があるのは確かです・・・。」
帝は赤い顔をして中務卿宮に答える。まだ不思議そうな顔をしている中務卿宮に、帝はそれ以上の事は言わなかった。
「あと一つ・・・父上、いえ帝にお許しを頂きたいことがあります。あの・・・綾乃との婚儀のお許しをいただきたいと思いまして・・・。」
「うむ・・・。許してあげたいのは山々だが、まだ雅和は元服したばかり。綾乃もまだ十三。まだ焦る必要はないのではないかと思う。あと二、三年してからでも遅くはないと思うのだが・・・。婚約ということでなら正式に発表してもよろしいが、婚儀となるとまだあなたは無理というもの。分かってくれるね、雅和。」
「はい・・・。御前失礼致します・・・。」
中務卿宮はうなだれた様子で、退出する。そして中務省に戻るとまた部屋に入るなり、憂鬱な表情で、座り込む。
「あ、中務卿宮様。今お帰りになられましたか。早速なのですが、これらに目を通していただきたいのですが・・・。まずこれは陰陽寮からの文、これは中宮職、これは春宮坊、等すべて報告書となっております。あとひと月後に行われます庚申の日について・・・。」
そういうと権大輔は中務卿宮の前にどさっと報告書や文をのせる。
「結構ありますね・・・。」
「今日はまだ序の口ですよ。今回の庚申の日は管弦の宴などどうかと思っております。また、庚申の月の宴もそろそろ準備しないと・・・。」
「まだ五ヶ月も先なのに・・・。庚申待ちの宴に関してはあなたに一任します。まだ良く分からないので・・・。」
中務卿宮は報告書を一つずつ丁寧に読み、わからない事を一つずつ権大輔に聞く。権大輔は分かりやすいように丁寧に説明をしていった。やっと読み終わったあと、右大将が迎えに来た。
「もう終わられましたか?宮様。権大輔殿、中務卿宮様のご様子はいかがでしたか?」
「右大将様。宮様は飲み込みが早く、本当に先が楽しみなお方です。さすが、臣籍の頃から優秀であられた帝の二の宮様であり、亡き元中務卿宮様のお孫様。この分でしたら私の出る幕はなくなってしまうのでしょうね。さ、宮様、退出されても結構ですよ。」
中務卿宮は権大輔に挨拶をすると、中務省を退出して二条院に戻ってきた。中務卿宮は大変疲れた様子で、直衣に着替えると、夕餉を食べる暇なく脇息にもたれかかって、眠ってしまった。綾乃は中務卿宮に単をかぶせると、別れの挨拶が出来ぬまま、二条院を右大将と共に去っていった。夜が更け、乳母が起こしに来る。
「宮様、このような場所ではお風邪を召しますわ。さ、寝所へ・・・。」
「ん?綾乃は?」
中務卿宮はきょろきょろした様子で部屋中を見渡した。部屋には綾乃の香の香りが残っていたが、姿はなかった。
「綾乃様は右大将様と一緒に五条邸にお戻りあそばしましたわ。宮様が眠ってしまわれたのでとても残念そうな顔をされて・・・。さ、寝所へ。」
「そう・・・綾乃に悪い事をしてしまったね。明日文でも贈っておく・・・さあ、明日からは一人で参内しなきゃね・・・。おやすみ・・・。」
そういうと、寝所に潜り込み、中務卿宮は朝までぐっすりと眠った。


《作者からの一言》

やはり出ました^^;男色家!とても可愛らしい顔をした中務卿宮を狙っています^^;きゃ~~~~~~!どうする?

まぁこれはいいとして、さあ、中務での仕事始めです。出仕などしたことのない宮のとって大変な仕事内容だと思います^^;もともと大変な役所なので、八省の中でも一番位が高く設定されています。適任の宮がいないときは空席の時があるそうです^^;ちゃんと仕事をこなすことができるのか?


第54章 二の宮元服

 「聞いたか?二の宮様の加冠役。」
「聞いた聞いた。あの従三位右近大将源朝臣将直様だと。ということはこれといった後見人のおられない中宮様と二の宮様の後見人をされるってことだな。御親戚でもないのになぜだろう。」
「知らないのかい?右近大将様の姫が副臥役をされるらしいぞ。だからではないか?」
「ということは、二の宮様の妃になるのかね。なるほど、それで加冠役を・・・。」
このような噂が二の宮の元服式が近づくにつれ都中に広がった。もちろん正式には二の宮の綾乃の婚約は発表されてはいない。二の宮は中宮の実家である二条院に入り、元服の準備を整えている。
「明日は二の宮の元服ですね。早いものであなたが生まれて十五年。小さく生まれながらもこのように立派に成長された。きっと亡くなった息子も二の宮の立派な姿を見たかったであろうに・・・。」
「曾おじい様。これからはこちらで暮らすことになりますが、よろしくお願いします。」
「何を言うのでしょう。あなたはここ十年以上も空席であった我が宮家が代々就いている中務卿に就かれる。そして後見の方も源将直殿が快く受けていただいた上に、妃も迎えられる。爺はこの上なくうれしいのですよ。これも帝と中宮和姫のおかげ。」
二の宮の曽祖父宮はうれし泣きをする。
 次の日二の宮は挨拶のため後宮を訪れ、皇后や中宮に挨拶をする。母宮の中宮は最後の童姿をじっくりと眺めて喜び涙する。
「二の宮、あなたは元服のお式が終わると中務卿宮として帝や東宮をお助けしなければなりません。帝の二の宮であられますが、今までと違って出仕したからには甘えは許されません。また他の殿上人達を始め、中務省の者とも仲良く力をあわせて・・・。あなたの亡きお爺様は中務卿宮として先代の帝を立て、信頼も厚く大変立派な方でした。今度はあなたが亡きお爺様の遺志を継ぎ、立派な公達になられますよう母は影ながらお祈りしていますよ。」
二の宮は中宮に頭を下げると、式の行われる紫宸殿へ向かった。紫宸殿には続々と儀礼参加のために公達たちが集まり、今か今かと始まるのを待つ。高御座に帝と皇后が座ると、皆は頭を下げる。二の宮は束帯を着て現れると、いままでの角髪を下ろし、冠下の髻を結い、加冠役の右近大将が二の宮に冠をつけて二の宮は中務卿宮雅和親王として正式に元服した。
 すべての儀礼や宴が終わり、新中務卿宮は新居となる二条院に入る。
「二の宮、元服おめでとうございます。今日からあなたがこの邸の主です。もう爺は身を引き、縁の寺へ・・・。」
「曾お爺様、このままずっとこちらにおられるのではないのですか?」
「いえ、私は亡き息子の代わりのこの邸を守って来たのですから・・・。さあ、今日は色々お疲れでしょう。籐少納言、宮様を寝所へ・・・。」
乳母が、新しい寝所を案内する。元服にあわせて調度やすべての物が新調され、真新しい匂いがする。やはり今までの対の屋とは違い、寝殿の寝所は広い。二の宮は着慣れない束帯を脱ぎ、小袖姿になった。
「宮様、本日は副臥役が寝所を共にされますので・・・。ごゆっくりお過ごしを・・・。朝いつもの時間に起こしに参りますわ。では、御前失礼致します。」
そういうと籐少納言は寝所を下がっていった。二の宮は御帳台に入ると、中には小袖姿の姫君がいた。
「宮様、元服おめでとうございます。今夜添い臥し役をさせていただくことになりました。右近大将の娘綾乃と申します。」
綾乃は深々と頭を下げ挨拶をする。二の宮と綾乃は久しぶりの対面となる。
「久しぶりだね。綾乃。少し見ない間に大人っぽくなったね。」
「宮様、私は裳着が終わりましたもの。宮様も元服を終えられ、素敵になられましたわ。」
「そうだ、去年の夏に初めて私が綾乃に差し上げた文のちゃんとした返事、もうもらえるのでしょ。」
綾乃は微笑んで、返事をする。
『今はもう花、花が咲いてとてもいい香りがしてくるでしょう。』

と綾乃はすらすらと歌を詠む。
「あの頃はまだ裳着前で宮様の気持ちにはお答えできませんでしたが、こうして宮様も綾乃も大人になったのです。」

二の宮はとても喜んだ様子で綾乃に向かって言う。
「じゃ、綾乃は僕のところにきてくれるの?」
「はい。綾乃でよければ・・・。」
二人は向かい合って照れながら楽しそうに色々一晩中話していた。


《作者からの一言》

二の宮の元服です。親王はどこで元服するのか不明なので、一応内裏でさせていただきました^^;どのような儀式さえわかりませんので、こんなものかと想像しながら・・・。

副臥役の綾乃・・・。親王の元服の際には副臥役という姫君が寝所に入るらしいです^^;そのまま・・・って事もあるらしいのですが・・・。本当にこの二人は何もなかったのかしら????

第53章 東宮の求婚

 綾乃が後宮を去る日がやってきた。綾乃は朝から各所に右大将とともに挨拶に行った。麗景殿では中宮と二の宮が待っていた。
「まあ、もうそのような日が来てしまいましたのね。綾乃のかわいらしい笑顔が見ることが出来ないなんてね・・・。ねえ二の宮。」
「そうだね。寂しくなるね。綾乃、文を書いてもいいかな・・・。」
「もちろん。二の宮様なら大歓迎です。楽しみに待っています。ではまだまわらないといけないところがあるので、これで・・・。」
二の宮は悲しそうな顔で綾乃を見つめた。中宮は去っていく綾乃を見とどけると、二の宮に言う。
「雅和、あなたと綾乃の件は内定しているのですよ。元服さえ終われば、正式な婚約が出来るのですから。」
「そうですね・・・。」
一方弘徽殿に挨拶に来た綾乃は皇后をはじめ内親王たちに挨拶をする。皇后は綾乃を大変可愛がっていたので、後宮から去ることにとても悲しい顔をして対応をする。内親王たちも、綾乃の手を取り涙する。
「さあ綾乃、もういいだろう・・・。」
「はい、父様・・・。」
右大将と綾乃が退出しようとすると、前から東宮がやってきた。右大将は端により深々と頭を下げて東宮が通り過ぎるのを待った。
「綾乃、無礼ですよ、さ、こちらへ退きなさい。」
綾乃は右大将に言われたとおり、端に寄り座って頭を下げる。すると、東宮は綾乃の前で止まり、声をかける。
「間に合ってよかった・・・。綾乃、これを・・・。」
東宮は桔梗の花を綾乃に渡すと、微笑んで、もと来た方に戻っていった。桔梗の花には文がつけてあった。綾乃は帰りの車の中で、東宮に頂いた文を開き内容を確かめる。
『他の花になるそうだけど、春の花になってみるのもいかがでしょうか  東宮雅孝』
(他の人の所へ嫁ぐそうだけど、春宮の妃になってはどうですか?)
綾乃は東宮の歌を見て顔が赤くなった。その様子を見た右大将は綾乃に聞く。
「綾乃、何が書かれていたのでしょう。わざわざ直接東宮から文をいただくなんてね・・・。普通なら女童とか、殿上童を使うのでしょうが、よっぽどお急ぎであったらしい・・・。」
綾乃は右大将に文を見せる。
「父様・・・東宮様に求婚されちゃった・・・。どうしたらいいの?」
「きっと綾乃をからかっておられるのであろう・・・。弟宮様のほうが先に妃を迎えるものだから・・・。帝も東宮が何を言われてもお許しにはならないと思うから、そのままにしていいよ。変に返事したら求婚を受けてしまったことになるからね・・・。いいかい。父様に任せなさい。」
このあとピタッと東宮からの文は届かず、やはりいたずらか何かであろうと安心したが、、裳着を終えた途端また東宮からの文が毎日のように送られてくる。このことが都中に広まり、綾乃が東宮妃になるのではないかという噂が流れ始めた。右大将も、参内すると様々な人たちに声をかけられ、困り果てる。
「これはこれは右大将殿・・・。あなたの姫君は幸せものですなあ・・・。副臥し役であった当家の姫を差し置いて・・・。」
「内大臣様・・・うちの姫は他に嫁ぐところが内定しておりますので・・・。東宮に入内など・・・。」
「またまた・・・。右大将殿は帝の信頼も厚く、どこに行くにもいつも側に・・・。従六位から始められたあなたがここまで上ってこられたのですから・・・。入内宣旨があるのも時間の問題ですなあ・・・。」
「いえいえ・・・そのようなことは・・・。」
(あるわけないだろ・・・異父兄妹なのだから・・・。帝も承知されているし・・・。ふう・・・帝にご相談してこの状況を何とかしていただかなければ・・・二の宮様がお可愛そうだ。)
右大将は早速帝に参内願いを出し、許可が出るのを殿上の間で待つ。待っている間も様々な殿上人が、綾乃の事を聞きに来る。
(ああ!うっとうしい!)
と右大将が苛立ちの表情をすると侍従が現れる。
「右近衛大将源朝臣将直様、帝がお待ちです。」
右大将は立ち上がって、帝の御前に上がる。
「もう来る頃だと思いましたよ右大将殿・・・。東宮のことで大変なことになってしまったね。そこではちょっと話せないので中へ入りなさい・・・。」
帝は側にいるものを遠ざけると、右大将を御簾の中にいれて話し出す。
「以前東宮にはあなたの姫に対する気持ちを告白されたことがありましたが、決して承知はしないと答えたつもりでした・・・。しかし、諦められなかったようですね。東宮は皇后に似て思ったら行動に移す性質なので、少し心配です。いずれ東宮を呼んで話さなければならないと思うのです。二の宮も今回のことで大変心を痛めたようで、いつこの私が綾乃を東宮妃として入内の宣旨をするとかと焦っているようなのですよ。今朝も朝早くからこちらに来て、早く元服をさせてくれないかと言うものでね。来年春から繰り上げて年明けにでもと考えている。そろそろ二の宮と綾乃の件に関して、公式に発表しないといけないな。よろしいかな。」
「御意に・・・。」
帝は、橘と晃を呼ぶ。
「橘、常寧殿で内密な話がしたい。用意を頼む。また皇后もそちらへ。橘晃、東宮御所へいって東宮を常寧殿へ参内せよと伝えなさい。右大将殿も来て頂きたい。」
帝は右大将とともに後宮の常寧殿へ向かう。途中橘晃が血相を変えて走ってくる。
「申し上げます!東宮が御所にいらっしゃいません。今春宮坊のものを使いお探し申し上げておりますが・・・。東宮侍従の藤原隆哉もおらず、東宮の馬が一頭消えておりました。」
「しまった!右近殿、今すぐあなたの邸へ。そういえばあなたの母君は、二の宮との件反対だったね・・・。」
「はい、東宮妃のほうがふさわしいと・・・。今回の文の件も大変喜んでおり・・・。」
「あなたの母君もこちらへお連れしなさい。そうだ場所は東宮御所に変更だ。さあ急いで!晃も頼んだよ。」
右大将と参議は馬を借りて五条にある右大将邸へ向かった。
 その頃右大将邸では、綾乃は部屋で物語を読みながら過ごしている。すると綾乃の祖母が入ってくる。
「綾乃、お客様ですよ。小宰相、綾乃を着替えさせなさい。その格好では失礼ですよ。」
「誰?二の宮様?」
「まあ。もうこちらに・・・。」
祖母の後ろには立派な直衣を着た男が立っていた。
「いくら待っても返事が来ないので、我慢できずに御所を抜けて来てしまいました。綾乃・・・。」
綾乃は声のするほうを向く。
「東宮様・・・。」
いつの間にか綾乃の祖母は下がっていて、綾乃と東宮そして小宰相のみとなっていた。
「恐れながら、姫様は東宮様の弟宮二の宮様の許婚であられます。このような事をされますと・・・。」
「小宰相は退いてなさい!二の宮はまだ元服もしていない半人前。いくら許婚だとしても、まだ正式には宣旨を受けていないのだから、この私の妃に迎えても・・・。」
小宰相はがんとして綾乃の側を離れず、泣きながら東宮に申し上げる。
「おやめください!綾乃姫様は恐れ多くも東宮様の妹君・・・・あ・・・。」
「小宰相、今なんていった?この私の妹・・・・?」
この一言と同時に右大将が綾乃の部屋に入ってきた。そして右大将は小宰相に言った。
「小宰相・・・。」
「大将様、申し訳ありません・・・姫様のためについ・・・。」
「父様、綾乃って誰の子なの?」

と、綾乃は右大将のもとに走ってしがみつき言う。
「とりあえず、この件に関して帝からご報告がある。東宮様も帝がお呼びです。母上も、来ていただきたいと・・・。さ、もうそろそろ車の用意が整うと思うので・・・。」
皆が東宮御所に到着し、帝の待つ一室に集まった。すると帝は関係者以外を遠ざける。そして帝は右大将にこの件に関して言わせる。
「恐れ多くも、帝の口からではとても失礼な内容ゆえ、この私がこの件に関して言わせていただきます。よろしいですか、東宮様。」
東宮は首を縦に振り、右大将の話に耳を傾ける。
「綾乃の父は私ですが、母は・・・母は皇后綾子様なのです。私は始め皇后様とは知らず、密通してしまい、皇后様と知ってからも気持ちが抑えられず私の子を身籠られたのです。そして生まれるまでの間、宇治の別邸でお預かりし、生まれた綾乃を私が引き取った。もちろんこのことは知られてはいけないことであったので、母は亡くなってしまった事にして、ここまで育てたのです。帝はこのことに関して薄々知っておられ、ある条件を呑むことで、密通の事実をお許しいただきました。この件に関しては帝、皇后様、私の秘密にしておこうと思っておりましたが、今回東宮様が綾乃を見初めてしまったことで、帝と相談した上綾乃の出生について話すこととなりました。」
すると御簾の中から皇后が出てきて右大将の母君の前に座る。
「将直様の母上様、ご無沙汰しておりました。綾乃のことお任せさせてばかりで申し訳なく思っております。」
そういうと皇后は深々と母君に頭を下げる。
「皇后様、そのようなことはやめてください。本当に皇后様はあの月姫様?確かにお顔は・・・。綾乃、確かにあなたの母様ですよ。」
「皇后様が母様?だから出仕していた時まるで母様のように接してくれていたのですか?」
皇后は綾乃を抱きしめて言う。
「綾乃、このような母でも許していただけますか?このような立場ではなかったら、あなたの父様と一緒に暮らせたのですがそれも出来ず、帝の思し召しであなたと二年間同じ後宮内で生活が出来ました。」
綾乃は首を縦に振り、母と会えた喜びで涙した。すると東宮が立ち上がり、部屋を出て行こうとした。
「東宮!」
「母上、私はそのようなこと認めません。」
東宮は部屋を出て自分の寝所に潜り込んだ。皇后は東宮を追いかけていった。
「雅孝・・・許してください。この母を・・・。」
「母上がそのような方だと思いませんでした。私が小さい頃より父上と母上はこの上ないほど仲が良く母上は私の理想でした。それが右大将殿と密通していたなど・・・。父上も父上だ。」
「あの時、私は精神的に病んでいたのです。あなたや孝子を側におくことが出来ず、帝も公務が忙しいために夜のお渡りもなかったのです。寂しさのあまりこのような大罪を・・・。しかし私はあの方のおかげで救われました。雅孝・・・。」
「母上、考えさせてください。急にいろいろありすぎて・・・。そっとして置いてください。」
皇后は東宮の部屋をそっと出て行くと、もとの部屋に戻っていった。そして少し経つと、東宮が現れ、言った。
「わかりました。綾乃のことは諦めます。ただし義理の妹として扱ってもいいでしょうか?父上。綾乃は二の宮の許婚ですからね。」
「東宮、それなら構わないよ。あなたの義理の妹としてなら・・・。」
「ありがとうございます父上。さあ私もそろそろ二の宮の許婚に負けないような美しい姫を選ばないといけませんね。まずは内大臣の結姫を・・・。」
東宮はいつもの笑顔に戻り、部屋に戻って行った。もちろんこのあと、綾乃には一切東宮からの恋文は届かず、内大臣家の姫の入内宣旨があったために、綾乃の入内の噂は都中からなくなってしまったのです。


《作者からの一言》

東宮の初恋は終わりましたまぁいろいろあったことに理解したのは確かですが、相当ショックでしょうね^^;理想の夫婦像であった帝と皇后の間にこのようなことがあったのですから^^;普通理解は出来ないでしょう^^;私ならグレます^^;もちろんこのことは二の宮は知りません^^;この先ずっと・・・。

第52章 二の宮の初恋

 二年の月日が経ち、綾乃は後宮に馴染み楽しい毎日を過ごしていた。綾乃は女童には珍しく、桐壺を賜った。後宮の女官達は綾乃の特別待遇に色々噂をしたが、綾乃は気にせず有意義な毎日を送っている。この日は内親王たちの呼び出しがなく、とても気持ちのいい風が流れてきていたので、すのこ縁に座って孝子内親王に借りた物語を読んでいた。
「綾乃!」
二の宮が、綾乃の姿を見るなり、綾乃のほうに走ってきた。そして息を切らしながら、手に持ったものを綾乃に渡した。
「二の宮様、これは?」
「橘の花だよ。綾乃が好きって言っていたから、父上に頼んで今年初めての右近の橘の花を頂いたのです。」
二の宮は顔を真っ赤にして綾乃に橘の花を渡すと、さっと立ち去って行った。すると橘の枝には文が付けられていた。一緒にいた小宰相はそれに気付き綾乃に言った。
「まあ、二の宮様ったら・・・。ちゃんと姫様の一番お好きな花をご存知でしたのね。それもあの右近の橘の花をわざわざ・・・。」
綾乃は恥ずかしそうについている文を読んだ。
『今年一番の花をあなたに差し上げます。あなたのようにとても可愛く、素敵な香りがするのですから・・・。 雅和』
(これって・・・)
綾乃は小宰相に文を見せると、小宰相は興奮して言う。
「まあ!二の宮様ったら、姫の事をお好きなのですわ。返事はどうなされますか?」
「これってやはり恋文なの?綾乃はまだ・・・。返事しなきゃいけない?どう返事すればいい?」
小宰相は首を縦に振ると、部屋から御料紙と筆を持ってきて返事を勧める。綾乃は何かすらすらと書き始めると、小宰相に梨壺の二の宮のところに持って行かせる。それを受取った二の宮は大変喜んで返事を確かめた。
『まだつぼみです。もう少ししたら花が咲きよい香りがするのでしょうね。 綾乃』
(もうちょっと待っていてください。二の宮様と綾乃が大人になったらよい返事をしますよ。)
というような内容であったので、二の宮は残念そうな顔をして考え込む。すると何かを思いついたのか、立ち上がって母宮である麗景殿の中宮のところへ出向いた。
「母上、もう僕は十四です。早く元服できませんか。」
中宮は急な二の宮の発言に驚いた。
「雅和、何を急に言うのですか?来年の春と決まっているでしょう。まあ落ち着いて・・・。どうかしたのですか?」
「好きな姫がいて、まだ元服してない子供だからと・・・。」
「まあどちらの姫かしら?綾乃姫かしら?」
二の宮は赤い顔をして下を向いたのを見て、中宮はため息をつく。
「あなたにまだ言うべき事ではないのでしょうけれど・・・。帝にお聞きしないとねえ・・・。母の口からはいえないのですよ。」
「母上!」
「ですから、勝手に母が言えることではないのです。」
二の宮は麗景殿を飛び出すと、清涼殿に向かった。そしてこっそりと清涼殿に忍び込むと、何か話し声が聞こえた。
(何だ、先客かあ・・・ちょっとここで待っておこう。)
そう思うと清涼殿の帝の寝所に隠れた。帝の話している相手は東宮のようで、人を遠ざけてなにやら話しているようであった。二の宮はそっと耳を傾け、話の内容を聞く。
「東宮、話とは?」
「父上、ぜひお聞き頂きたいことがありまして、こうして参内したのですが。」
「人を遠ざけた上の話だから何か大事なことなのだろうね。」
「先日父上はこの私にもうそろそろ東宮妃を考えてはどうかと仰せでしたが、私も十七です。色々考えては見たのですが、ずっと想っていた姫がいるのです。」
(なあんだ兄上の縁談の話ね・・・・。)
「ほう、東宮にそのような姫がいるとは初耳だね。それはどちらの姫かな?元服の折副臥し役の内大臣の結子姫ですか?それとも他に・・・。」
すると東宮は間をおいて話す。
「まだ裳着を済ましてはいない姫なのですが、とてもかわいらしい姫なのですよ。利発で明るくて、そう、橘の花のような・・・。小さくて可憐な可愛い姫なのです。その姫の裳着が済みしだいすぐにでも・・・・。」
(兄上の好きな人って・・・・。もしかして・・・。)
「東宮、もしかしてそれは・・・・右大将殿の?」
「はい、綾乃を・・・・。」
すると二の宮は隠れている帝の寝所を飛び出し、叫ぶ。
「だめ!兄上!綾乃だけはだめ!」
帝と東宮は不意に出てきた二の宮に驚き言葉を失った。
「綾乃は僕がずっと好きだった姫だもん。母上も、綾乃ならいいですよって言ってくれたもん。たまにしか綾乃に会わない兄上に綾乃のどこがわかるの?」
帝はため息をついて、話し始める。
「東宮、あなたの願いを聞いてやりたいのだが、いろいろあって承知できないのですよ。もともとあの姫は東宮のためではなく、二の宮のために後宮に出仕させたのです。表面上は内親王たちの遊び相手としてだけれども・・・。」
「どうして雅和なら良くて東宮の私がだめなのですか?納得がいきません。」
帝はため息をついて、話し出す。
「東宮にはいずれ話さないといけないですね。本当に東宮は弘徽殿に似て、思った事をすぐ口にされ、頑固だね・・・。二の宮はどうしてこちらに来たのですか?前触れもなく。」
「父上に大事な話があったのですが、兄上の前では話しません。だって恋敵だから。また話します。」
そういうと二の宮は清涼殿を出て行った。そして麗景殿の中宮のもとにやって来る。
「父上様はご承知になられましたか?雅和。」
「言ってないもん。」
中宮は困り果てた様子で二の宮に言う。
「雅和、言ってもいいものだかわからないのですが、秋になれば綾乃は後宮を去るのですよ。すぐに裳着をされるって聞いたのだけど・・・。雅和の妹宮孝子様の裳着も終わられ、同じ歳の弾正尹宮様の親王様に嫁がれるのも決まっているし・・・。ずっと後宮に綾乃を引き止めておく必要はないのですよ。雅和も年が明けたら、大おじい様のいる二条院に移ることにもなっているのですから・・・。」
「知っているよ。この僕が元服したら母上のご実家が代々受け継いでいる中務卿宮になるのでしょ。父上もそれを望んでいるって・・・。」
「わかっているのでしたら、東宮の兄上様のようにしっかりお勉強をなさらないといけないわね。来年の春には中務卿宮として父上様や東宮様を助けていかなければならないのですよ。」
二の宮はふくれた顔をして麗景殿を出て行った。そして桐壺の綾乃のところへ行った。綾乃は二の宮にもらった橘の花を、顔を赤らめて眺めている。そこへ綾乃のもとに見たことのある女童が文を持って訪れ、綾乃に渡すと立ち去って行った。そしてうれしそうに文箱を開けると、文を読み始める。二の宮はそっとすのこ縁に座っている綾乃の横に座ると一言言う。
「その文は東宮からですか?」
「え?二の宮様。」
「いつも綾乃が兄上を見るときの顔と同じだから・・・。」
二の宮はふくれた顔をして三角座りをしている自分の膝に顔をうずめる。すると綾乃は笑った。
「何か勘違いされていませんか?二の宮様。よく御覧になって。」
そういうと、綾乃は二の宮に文を見せる。
「これは?」
「皇后様からよ。皇后様は歌がお上手だから添削してもらっているのよ。だって綾乃は宮家に嫁ぐのだもの。父様が、宮家に嫁いだら色々な宮家の方々との付き合いが多くなるからって。綾乃は歌が一番苦手だから、皇后様にお願いして教えていただいているのよ。」
「宮家に?」
「そう。そう父様が言っていたの。だからおうちに帰って裳着が済んだら、お妃教育をするの。この後宮に来たのもその一環だってこの前聞いたのよ。二の宮様?」
二の宮は立ち上がって梨壺に戻った。すると梨壺には中宮がやってきていた。
「母上?」
中宮は微笑んで声をかける。
「雅和、気になってこちらに来たのですけれど、どこに行っていたのですか?」
「桐壺です。綾乃が宮家に嫁ぐって聞いたのですがどちらの宮家なのですか?」
中宮は困った顔をしていう。

「先ほど帝にお許しを得たので言いますけれど、それはあなた、雅和ですよ。中務卿宮家に嫁いでいただくのよ。良かったわね雅和。」
「うん!そうだね母上。」
二の宮は一気に気分が晴れ、大変喜んだのです。


《作者からの一言》

二の宮雅和親王の初恋の話です。雅和は綾乃に出会ったその日に一目ぼれしてしまって、この二年という月日の間に恋焦がれて見守って来たのです。綾乃はもともと東宮が初恋であったのだけれども、ただの憧れであったと気付き、その上父右大将に宮家との婚約の事を聞き、初恋はなくなってしまったのです。もちろん綾乃は二の宮に嫁ぐ事を知っているので、二の宮を慕っているのです。(本当に好きなのかは疑問ですが・・・・。)でも東宮は初恋の相手である綾乃を諦められないようですね^^;

第51章 綾乃の新生活

 綾乃は内親王たちが住んでいる登華殿の一室を賜り、そちらで新しい生活を始める。綾乃の乳母小宰相と、数人の女房を右大将邸から連れてきた。決して広い部屋ではないが、小さな姫と数人の女房達が住むにはちょうどよい大きさだった。昼間は楽しそうに振舞ってはいても、やはり子供なのか、夜になるとおうちが恋しくなり泣くので小宰相が姫を慰めながら、毎晩のように寝かしつける。するとある日、摂津が綾乃のもとにやってきた。
「小宰相、綾乃様は眠られましたか?」
「いえ、なかなか寝付かれず、まだ・・・。」
「それなら、弘徽殿にいらっしゃい。毎晩綾乃様がお泣きになられると聞いて皇后様がお呼びですよ。さあ、いらして。小宰相は寝ていていいわよ、毎晩寝不足でしょ。」
綾乃は摂津と共に弘徽殿の皇后のもとにやってきた。すると皇后は綾乃を迎え入れて前に座らせる。
「まあ、綾乃。毎晩泣いていると聞きましたよ。やはりおうちが恋しいのかしら?」
綾乃は首を横に振ると、下を向く。
「綾乃、嘘はいけませんよ。ちゃんと顔に書いてあります。今日はこちらに帝のお渡りがないので、こちらにいらっしゃい。私も今寝るところだから。」
皇后は寝所に綾乃を招きいれると、一緒に横になっていろいろ話す。
「綾乃、お邸にお人形を置いて来たの。小宰相は宮中にこのような物は持って行ってはいけませんと言うのよ。とても大切な人形なの。私の父様と母様に似た人形なの。あれがあれば寂しくないよ。」
「まあ、じゃあ明日お父様に言って持って来てもらいましょうね。お母様の顔見たことあるの?」
「ううん。人形の一つは父様に似ているの。姫の人形は宇治のおばあ様が母様に似ているって言うのよ。だから私ずっとこの人形を大切にしているのよ。皇后様って暖かい。まるで母様みたい・・・。」
そういうといつの間にか綾乃は眠っていた。
(そうよ、私があなたの母様なのよ・・・・。)
と思うと皇后は綾乃を見つめながら一緒に眠った。
 綾乃が目覚めると、もう昼になっていた。
「まあ、綾乃。今起きたのですか?」
と皇后は声をかける。綾乃は驚いて皇后の寝所から飛び出す。
「綾乃がとても気持ちよさそうに眠っているので、そのままにさせたのですよ。お腹がすいているのでしょう。もう遅いのですけれど、食事を用意させますね。」
皇后は摂津に指示をして綾乃に食事を用意させた。皇后は綾乃の前に座り、微笑みながら食事をする綾乃を見つめる。
「綾乃、今日はこちらに東宮が遊びに来るのですよ。内親王の女童として、きちんと応対しなさいね。」
「東宮様?」
「ええ、度々こちらにも遊びに来るのですよ。大きな東宮御所に一人いるのですからしょうがないですけれど・・・。」
綾乃は食事を食べ終わると、皇后と摂津に礼を言って自分の部屋に戻ると、綾乃の父が待っていた。
「父様。」
「今までどちらに行っていたのですか?朝早く皇后様より連絡があって、綾乃が寂しがっているので人形をこちらに持ってきて欲しいといわれたので、持って来たら綾乃はいない。」
右大将は綾乃に人形を渡す。
「昨日ね、皇后様のところにお泊りしたのよ。とてもお優しくて、一緒に寝たの。まるでお母様と一緒にいるようだったの。」
「そう・・・皇后様のところに・・・。あまり夜分にお邪魔してはいけないよ。ご迷惑だろうから。」
綾乃は寂しそうな顔をした。右大将は寂しそうにしている綾乃を見て本当の事を話しそうになった。綾乃の本当の母を知っている小宰相は困った表情で右大将を見た。
「綾乃、父様は今から仕事だから行くよ。いい子でいるのですよ。」
そういうと、右大将は後宮を去っていった。綾乃は渡された人形を厨子に並べて着替える。
そして登華殿内の内親王たちの部屋に行くと参議が綾乃に言う。
「まあ綾乃様、昨日は皇后様のところにお泊りになられたのですね。もう孝子内親王さまは弘徽殿に行かれましたわよ。」
「常子内親王さまは行かれないのですか?」
「ええ、今お昼寝のお時間ですので。さ、早く弘徽殿へ・・・。」
参議は常子内親王の乳母で、参議橘晃の妻であり長年皇后に仕えている萩なのです。一度参議橘晃と結婚したため、後宮から出たが、常子内親王の乳母として選ばれ、再び皇后近くでお仕えしている。もちろんこの参議も綾乃の母が皇后であることは知っているのです。
綾乃は急いで弘徽殿に行くと、もう東宮は来ており皇后や孝子内親王と共に歓談をしていた。
「おや、母上この子が右大将殿の綾乃姫ですか?」
「ええ、かわいらしい女童でしょ。綾乃、東宮ですよ。ご挨拶は?」
綾乃は東宮の前に座ると、深々と頭を下げながら挨拶をすると、東宮は微笑んで綾乃に話しかける。
「本当にかわいらしい姫ですね。やはりふとしたところが右大将殿に似ていますね。孝子、いい遊び相手が出来てよかったね。綾乃姫は孝子にいじめられたりはしていないのかい?」
「まあお兄様ったら、孝子はそのようなことしていませんわ。妹のように思っていますのに・・・。」
「それなら良かった。また御所の方にも遊びにおいでよ。いいでしょ母上。」
「まあ東宮。右大将様からお預かりした大事な姫様なのですよ。裳着はまだとはいえ、良家の姫君ですのに・・・。」
皇后は微笑みながら東宮にいう。綾乃は顔を赤くして、東宮を見つめる。
(東宮様ってなんて素敵な方なのかしら・・・。帝と皇后様によく似ておられて・・・。雅和様とはちょっと違う・・・。雅和様は中宮様によく似ておられるけど・・・。)
綾乃は利発で爽やかな感じのする東宮に好感を持った。その日からというもの綾乃は東宮が弘徽殿に遊びにくるのを楽しみにするようになった。東宮も綾乃をなにかしら気に掛け、大切に扱っていた。


《作者からの一言》

皇后の乳母子萩は帝の乳母子で側近の参議橘晃と結婚して再び五の姫宮常子内親王の乳母として後宮に戻ってきました。もちろん萩の子も一緒に後宮についてきています。しかし出ては来ませんけど・・・。常康&綾子編でまだ小さかった雅孝東宮、雅和親王、孝子内親王、綾乃はもう結構大きくなりました。

 綾乃の初恋の相手は東宮雅孝親王であり、東宮雅孝親王もこれが初恋であり綾乃を想い、とても大切にしています。もちろん二人は異父兄妹である事は知りません。この恋が叶うことはありませんけどね^^;

第50章 女童

 時が過ぎ、帝在位十五周年の祝いが盛大に行われた。その祝いと並行して、東宮雅孝親王の元服式が行われ、今まで過ごした関白太政大臣(前左大臣)家を出て東宮御所に移った。帝は先代と違って、実力重視で官位を与え、都は大変栄えた。その反面栄華を極めた摂関家は以前に比べ、権力は衰退気味となった。帝の子供達は東宮を筆頭に三男三女で弘徽殿皇后綾子の御子が東宮雅孝親王、四の姫宮孝子内親王、五の姫宮常子(ときこ)内親王、六の宮雅哉親王の四人。麗景殿中宮和子が二の宮雅和親王、生まれてすぐ亡くなった三の姫宮雅子内親王の二人である。
 ある日、帝は右大将(前頭中将)を御前に呼び出す。
「帝、何か御用でしょうか?」
「右近殿、あなたの姫はいくつになられましたか?」
右大将は不思議そうな顔をして答えた。
「うちの姫でございますか?十歳になりました。」
「色々あなたの姫の噂は都中に広がっていますね。とてもかわいらしい上に、教養もきちんとされていると・・・。」
「私の母が躾や教養については厳しくしているからでしょうか・・・。何か?」
「お願いがあるのですよ。今私の内親王たちの相手をしてくれる女童を探しているのだけれど、なかなかいい姫がいなくてね。大人ばかりの後宮に住まわせている内親王たちがかわいそうでならない。ぜひ、あなたの姫を女童として後宮に出仕していただけないだろうか・・・。」
「考えさせていただいてよろしいでしょうか?私の子は姫だけですので・・・。」
「わかった、いい返事を待っていますよ。」
「御前失礼致します。」
右大将は深々と頭を下げると、下がっていった。
 大将が邸に帰ると、寝殿のすのこ縁に座り込んで考え事をする。すると大将の母君が声をかける。
「将直殿、そのようなところにいると風邪を引きますよ。さあ中に入って束帯を着替えなさい。何かあったのですか?あなたがこのようなところに座って考え事をするなど・・・。」
「母上、ご心配ありがとうございます。ちょっといろいろありまして・・・・。」
大将は着替えを済ますと、脇息にもたれかかる。すると母君はいつものように大将に言う。
「いつになったら縁談を受けてくれるのかしら?綾乃のためにも母君は必要よ。月姫が生きていてくれれば問題はないのだけれど・・・。」
「母上、またそれですか?」
以前、綾乃の母が戻るべきところに戻った後、大将は綾乃の母は急な病で亡くなってしまったといって母君と綾乃姫に伝えた。いまだに母君と綾乃は大将の言葉を信じている。すると綾乃姫が大将の所へやってきた。
「お父様、今日綾乃ね、おばあさまにお裁縫を教えていただいたのよ。見て、今日は人形のお衣装を作ったの。」
「おや、その人形どうしたのですか?」
「宇治のおばあ様のところにあったの。これは綾乃のお母様が使っていたお部屋においてあったって。お母様が綾乃のために作ってくれたのじゃないかなって宇治のおばあ様が言っていたの。見て、これお父様にそっくりよ。これは・・・もしかして綾乃のお母様?」
大将は綾乃から人形を見せてもらうと確かに姫の人形は綾乃姫の母君に似ていた。
(いつ、これを作られたのだろう・・・。本当にあの頃の私と綾子姫に似ている・・・。)
「そうかもしれないね。大事にするのだよ、綾乃。」
「うん!」
そういうと、乳母に連れられて綾乃姫は部屋に戻って行った。
「綾乃は母君に似ているのかしらね・・・。本当に器用で、何をさせても上達が早いわ。先日のお歌も見たでしょ。あなたに宛てた・・・。ますますあなたと母君によく似てきて・・・。」
「母上、実は今日、帝の御前で、帝に頼まれごとをされたのです。」
「まあ!帝から直接?」
大将は少し考えて母君に言った。
「綾乃を帝の内親王様方の遊び相手として出仕させたいと仰せで・・・。綾乃一人で後宮に入れるなんて・・・・。」
「何を言っているのです!今すぐ良い返事を帝にしなさい!」
「しかし綾乃がなんというか・・・。」
大将は立ち上がって綾乃姫の部屋に向かった。そして綾乃を膝の上に乗せると、優しく問いかける。
「綾乃、いいかい?お前は後宮の御年十二歳と六歳の内親王様のもとへ行って、一緒にお勉強したり、遊んだりしたいかい?もしよいのならば、あす帝にご報告しないといけないのだよ。どうする綾乃。」
綾乃は少し考えて、返事をする。
「はい!綾乃ね、内親王様とお友達になってお勉強したり遊んだりしたいわ。きっと楽しいでしょうね。綾乃にはお姉さまも妹もいないからお二人になってもらえるのかな。」
「そうかもしれないね。当分父と会えないかもしれないけどいいかな・・・・。」
「それは嫌だけど、でも行ってみる。嫌なら帰ってきていいでしょ。」
「そうだね。いいよ。」
大将の母君は慌てて言い出す。
「じゃあ、例のお衣装を出して綾乃に合うように手直ししないといけないわね。」
「母上、頼みますね。きっと綾乃に似合うと思いますよ。」
「例のお衣装?」
綾乃は不思議そうな顔をして大将の顔を覗き込む。

「綾乃の母上が綾乃のために縫ってくれたお衣装なのですよ。」
「綾乃のお母様が、綾乃のために?それ着たい!」
「まあ、綾乃ったら。とても大きいかもしれないのでおばあ様がきちんと着られるようにしてあげるのを待ってなさいね。」
綾乃姫はとてもうれしそうな表情をして、乳母と寝所に入って眠りについた。
 右大将の姫君の女童殿上が決まり、帝の御前に挨拶をする日がやってきた。朝早くから綾乃姫はわくわくしながら、母君が作った晴れの衣装に袖を通した。すると姫の乳母が言った。
「まあぴったりですこと。姫様、とてもお似合いですよ。」
「ありがとう。あ、父様。」
すると束帯を着た右大将が姫の部屋に入ってきた。
「準備は整いましたか?ほう、見違えてしまったな・・・。よく似合っていますよ。これなら帝の御前に出してもおかしくはない。さあ、行くよ。」
「はい!」
そういうと右近大将と綾乃姫は車に乗り込んで内裏へ向かう。車の中では姫がとても緊張した様子で右大将に問いかける。
「ねえ父様、帝ってどんな方?内親王様方は?内親王様のお母様は良い方かしら。綾乃、皆様に気に入っていただけるかしら。」
「皆様は良い方ばかりですよ。帝はお優しいし、内親王様方もとても礼儀正しくて、内親王様の母君弘徽殿の皇后様はとてもお綺麗でやさしい方です・・・とても・・・。綾乃、礼儀正しくお勤めするのですよ。」
「はい!綾乃、父様が恥ずかしくないようにきちんとお勤めするわ。乳母の小宰相も一緒だし。」
「よい心がけです。何かあったらいつでも戻ってきなさいね。」
綾乃姫はうれしそうに扇を開いたり閉じたりして遊んでいる姿を見て、右近大将は微笑んだ。
 内裏に着くと、早速帝の御前に通される。綾乃姫は右大将に促されながら、帝の御前に座る。
「さ、綾乃、帝ですよ。ご挨拶しなさい。」
「はい。父様。」
すると綾乃姫は深々と頭を下げたあと、帝に挨拶をする。
「はじめまして。本日より女童として出仕することになりました、右近衛大将の娘源綾乃と申します。よろしくお願いします。」
すると帝はうれしそうに話し出す。
「よく来てくれましたね。噂どおりきちんとご挨拶できる姫君だ。おやその衣は私があなたの誕生を祝って差し上げた反物で作った衣装だね。」
「はい!お母様が私の小さいときに縫ってくれたのです。」
「そう、あなたの母君が?とてもお似合いですよ。橘、この姫を連れて後涼殿で遊んでいてくれないかな。ちょっと右近殿と話があるから。綾乃姫、この橘と一緒に遊んでおいで。」
綾乃姫は橘に連れられて、御前を下がっていった。下がったのを確認して帝は話し続ける。
「本当に可愛い姫ですね。先が楽しみだ。さて、右近殿、あの姫のことなのですが、あることが内定しています。私の二の宮雅和親王を知っているね。」
「はい中宮様の御年十二歳の若宮様ですか?」
「そうだ。昨年中宮の父、先右大臣殿が亡くなり、雅和の後見人が今いない。ぜひあなたに雅和の後見人になっていただきたい。」
「後見人ですか?」
「そう、三年後の雅和親王元服の時、あの姫を副臥役として、後々には雅和を代々中宮の実家である中務卿宮家を継がし、雅和の妃として迎えたいのだ。よろしく頼んだよ。」
右大将は深々と頭を下げて帝の言葉を賜る。帝と色々話していると橘が急いで御前にやってくる。
「申し上げます!綾乃様が・・・綾乃様が・・・。」
「橘、綾乃姫がどうした?」
「ちょっと目を放した隙にどこかへいかれました!右近様申し訳ありません!」
「御前失礼します!初めてのこのように広い内裏、どこかへ迷ってしまったのかも知れません。私が探してまいります。橘殿は屋内を!」
そういう右大将は立ち上がって内裏の庭に下りて探し始めた。
 「あら、どこからか泣き声が聞こえるわね・・・。」
そういうと皇后は立ち上がって弘徽殿の庭に降りると、声がするほうへ歩き出す。
「弘徽殿様!そのままではいけませんわ!私が行きます!」
と女房が急いで皇后のあとを追いかけ皇后の頭に衣をかぶせる。
「参議、私だけでいいわ。複数でいくときっと泣いている子は驚いてしまうわ。」
皇后は参議を残し、声の主を探す。するとあの満開の桜の下で小さな姫が泣いていた。皇后はその姫に近付き、声をかける。
「どうかしたの?どちらの女童かしら。」
綾乃姫は皇后の方を見るとさらに泣き出した。
「父様を探していたら迷子になってしまったの。私今日初めてここに来たから・・・。」
「そう、じゃ、私が一緒に探して差し上げましょう。」
「うん!」
そういうと皇后は姫の手を引き、弘徽殿に戻ろうとしたとき、声が聞こえた。
「綾乃!綾乃はどこにいる!」
「あ、父様!」
綾乃姫は声のするほうを向き、叫んだ。皇后もその声の方を向く。
(綾乃?綾乃なの?)
向いた先には右大将が立っていた。右大将は皇后の姿に気がつき、膝をつき頭を下げる。皇后はかぶっているものをはずすと、綾乃姫を右大将のもとに返し、微笑んだ。
(将直様・・・。)
と心の中でつぶやくと、皇后は弘徽殿に戻っていった。
「ねえ、父様。あの方はだあれ?」
「あの方は弘徽殿の皇后様ですよ。あなたのお仕えする内親王様達の母上様です。」
(そして綾乃の母様ですよ・・・。)
「そう。とてもお優しそうな方ね。」
「そうだよ。とても優しい方だよ。さあ、清涼殿に戻ろう。」
大将は綾乃姫の手を引いて清涼殿に戻っていった。
 弘徽殿では、皇后を筆頭に皇后のお子様達、中宮、そして雅和親王が歓談していた。相変わらず皇后と中宮は仲が良く、昨年の中宮の父宮が亡くなれてからはさらに親密になっていた。父宮がおられず、お邸は中宮の祖父宮が住んでいるだけで雅和親王は帝より後宮に一室を賜って元服までの間母宮と共に過ごしている。もちろん東宮御所に出入りしては東宮と一緒に漢学や帝王学を学んだり、東宮お得意の馬術を一緒にしたりしている。
「弘徽殿様、帝のお越しでございます。」
帝の先導の女官が言うと、女房達は帝を向かえる準備をし、他の者達も帝をやってくるのを待つ。
「ちょうど皆がお揃いでよかった。今日からこちらに仲間入りする女童を紹介しようと思ってね。さ、綾乃入りなさい。」
するときちんと身なりを整えた姫が乳母と共に入ってくる。そして皆の前に座ると、深々と頭を下げた。
「綾子、前々から言っておいたよね。この女童は内親王たちのお相手にと出仕させたのだよ。さあ、綾乃。」
「皆様始めまして、本日よりこちらに出仕してまいりました。右近衛大将源将直の娘、源綾乃と申します。よろしくお願い申し上げます。こっちは私の乳母の小宰相です。」
小宰相は頭を下げると皇后が言った。
「まあ、可愛いこと。この姫なら私の内親王のお相手にぴったりですわ。孝子、常子、仲良くしなさいね。」
すると綾乃は皇后に言った。
「皇后様、先程はこちらにお庭にて迷子の私を助けてくださりありがとうございました。父も大変感謝しておりました。」
「よろしくてよ。とてもかわいらしい泣き声が聞こえたものだから気になってついこちらを抜け出してしまったのですもの。何事もなくてよかったですわね。孝子、常子登香殿に戻って綾乃と一緒に遊んできなさい。参議、さ、姫宮たちを・・・。」
参議は姫宮たちと、綾乃を連れて登華殿へいった。そのあとをついて雅和親王も走って行った。
「まあ雅和も綾乃姫を気に入ったようですね。綾子様。」
「ええ、微笑ましいこと・・・。」
「そうだね、右大将殿も気にしていたからね。和子、あの姫なのだけど雅和の妃にどうかと思っているのですよ。あの中務卿宮家を再興しないといけません。代々和子の実家が中務卿宮を名乗ってきたからね。雅和しか再興できないと思うのですよ。今の状態では後見人がいないので再興が難しいが、右大将殿が後見人を引き受けてくれてね。元服の折も、あの姫を副臥役、そして成長された暁には妃として・・・。和子、いいかな・・・。」
中宮はうれしさのあまりほろほろと泣き出した。
「ありがたいことです。帝が私の実家の再興を思っていただいているなど・・・。昨年父が亡くなり、雅和の行く末を悩んでいたのですけれど・・・。これで安心ですわ。あとは雅和が綾乃姫を気に入ってくれるかでしょうね。大変感謝しております。」
中宮は帝の深々と頭を下げてお礼を言う。そして麗景殿に戻っていった。
「綾子、今晩話があります。いいですか。またこちらに参ります。」
そういうと、帝は清涼殿に戻っていく。皇后は胸騒ぎがしてたまらなかった。
 夜になると、帝がやってくる。
「綾子、今日はちょっと花見をしようと思っていたのです。橘や晃に色々用意させているから、おいで・・・。そちらで色々話したいことがある。」
そういうと、皇后の手を取り庭に降りると、例の桜の木に向かった。そこには敷物がしいてあり几帳も立てかけてあった。そして様々な料理や菓子が置いてあり、ちょっとした宴の様であった。
「さあ座りなさい。晃、例の者をこちらへ。」
皇后が座り、帝が座ると、暗がりより人がやってくる。そして膝をつくと頭を下げる。
「帝、お呼びでしょうか?」
「右近殿、話があってね。まあ座りなさい。」
「しかしこちらには皇后様が・・・。」
「気にしなくていい。二人に話があるのだから・・・。」
いつの間にか帝の側についていた参議橘晃は下がっており、三人だけになっていた。
「ずっと十年来いつ話そうか迷っていたのだが、後宮に綾乃姫が入られたことで今日あなた方に話すことにした。本当はこのまま死ぬまで胸の中にしまっておこうと思ったのだけれども・・・。」
すると一息ついて再び話し始める。
「綾子、あの綾乃姫はあなたの縁の姫でしょう・・・。ずっとあなた方の関係は知っていた。ちょうどこの頃かな・・・。綾子の笑顔がなくなったのは・・・。そして同時に右近殿が毎日のように宿直をして、私が右近殿とすれ違うたびに綾子の香の匂いがした。初めは気のせいだと思ったよ。しかし長谷寺から帰ってきた右近殿を見て確信したのです。そしてそのあと、急に綾子の里下がり・・・。文を書いても返事は来ず、何度も宇治に出向こうかと思った。でもできなかった。綾子と右近殿の関係を受け入れたくなかったらね。この気持ちをぶつけられず綾子に似ている藤壺を入内させたりしても見たが、気が晴れるわけもなく・・・。本当にあの頃の私はおかしくなりそうだったよ。綾乃姫が生まれた聞いてやっと綾子が帰ってきてくれるだろうと・・・。だから普通なら贈ることはしないお祝いをしたのですよ。綾子の姫だから・・・。」
すると皇后は大将と共にお詫びを申し上げる。
「常康様、ご存知でしたのね・・・。私なんてお詫びしたらいいのか・・・・。」
「帝、どのような罰でも受けます!この私の処罰を!」
すると帝はため息をついていった。
「あなた方はわかっていない。私は右近殿に感謝しているのですよ。きっと綾子の性格だったら後宮に戻ることはなかっただろうが、右近殿のおかげでこうして綾子は後宮に戻り、あのあとも私の一男一女産んでくれた。そしていつもどおりの笑顔に戻った。このようになったのは私にも少し原因があったからね。さあ、心に詰まっていたものが取れてすっきりしたよ。これで貸しが出来たね。」
まだ大将と皇后は頭を下げたままにしていた。
「右近殿、雅和と綾乃姫の件、頼みましたよ。さあ二人とも頭を上げて。せっかく花見の宴を用意させたのだから。今夜はゆっくりと・・・。」
三人はゆっくり花見の宴を楽しんだ。そしてさらに三人の絆が深まった。


《作者からの一言》

お子様編の始まりです。10歳のかわいらしい姫へと成長した綾乃が主人公です。

しかしながら帝である常康の心の広さ^^;人がよすぎます^^;普通なら皇后と右大将は罰せられるはずなのに・・・・。右大将はこれを機会にいろいろ帝に借りを作ってしまい、帝には頭が上がりません。(もちろん帝が相手なので上がらないのは確かですが・・・。)どうなることやら^^;

第49章 いざ後宮へ~桜の木下で~

 後宮に戻る日程が決まり、命婦がやって来て皇后に帝からの書状を渡す。そこには正式な文面のため、堅苦しい内容が書かれていた。後宮までの道中のこと、警護の者のことなどがこと細かく書かれていた。警護責任者の名前には兄である左近中将、頭中将の名前が記されていた。皇后は命婦に礼を言う。
「命婦殿、遠路はるばるご苦労様でした。帝にはよろしくとお伝えください。」
命婦はほっとした様子で皇后に申し上げた。
「受取って頂け、大変安堵いたしました。帝には皇后様にこの書状を直接受け取られるまでは帰ってこないようにと申されまして・・・。」
皇后は命婦の言葉に笑っているのを見て、命婦は安心して都に戻っていった。
 後宮に戻る日、その日のうちに後宮に入るということで、朝早く出立する予定となっていた。皇后は母宮がこの日のために新調してくれた十二単を着て、髪も綺麗に洗髪し、何もかもが最高の状態で、出立の時間を待った。すると左近中将が現れ、皇后の御簾の前に座って出立の挨拶をする。
「もう準備は整われましたか。車や警護の者も皆整いました。」
「はい、いつでも・・・。お兄様、道中よろしくお願いします。」
そういうと、萩が御簾を上げ皇后が御簾の外に出て、皇后の母宮に挨拶をする。一年ぶりに妹である皇后を見た左近中将は、今まで以上に華麗になった皇后を見て顔を赤くしてしまう。
(これがあの妹姫であろうか・・・。静養に入られる前も当代一といわれるほど大変美しい姫であったが、この一年で一段と品が出て美しい姫に・・・。妹姫でなく未婚の姫であったならば、必ず私はいや都中の公達がこの姫に求婚するだろう・・・。)
と思った。
「お兄様。」
と、皇后が声をかけると左近中将ははっと気がついて立ち上がり皇后の手を取って車まで案内した。警護のものは皆深々と皇后が車に乗り込むまで頭を下げて待っているが、頭中将は軽く頭を下げただけで、何もかも最高の状態で着飾った皇后をそっと見つめた。
(やはりあの方はこのような私にはつり合わない人なのだ・・・。)
そう自分に言い聞かせて、皇后との関係をきっぱり諦めて忘れようとした。
 皇后が車に乗り込むと、左近中将と頭中将は馬に乗り出立の合図をする。道中唐車の御簾越しに見える頭中将を見て、皇后は今までの事を思い出す。そして時折、頭中将は皇后の体調を気遣いながら現在地などの報告のため、声をかけてくる。
「皇后様、間もなく鳥羽を通過します。都までもうすぐです。ご気分はいかがでしょうか・・・。」
「お気遣いありがとうございます。別に悪くはございません。」
「そうですか。何かございましたら声をおかけください。このあと都に入り東三条邸に一時入ります。休憩後に輦車に乗り換えていただき、内裏、そして後宮へ入ります。よろしいでしょうか。」
「はい心得ております。この先のことよろしくお願いします。」
「はい。」
そういうと頭中将は頭を下げ、先導をしている左近中将のところへ走っていった。
 東三条邸につくと、左大臣がそわそわしながら待っていた。一旦皇后は車を降り左大臣と共に寝殿に向かう。寝殿に入ると、左大臣が皇后を上座に座らせて、うれしそうに話し出した。
「無事にご帰郷されて父はうれしい。長い間のご静養でこの先綾姫はどうなるかと思ったのですよ。帝もあなたのご帰郷をたいそう喜ばれて、このようにあなたのためにたくさんの護衛までお付けになられたのです。また長い間見ないうちに、さらに美しくになられるとは!きっと帝も驚かれるであろう。」
皇后は手をついて深々と頭を下げる。
「お父様、この一年間私のわがままでたいそう心配し、心を痛められたことでしょう。なんとお詫びを申し上げたらいいのか・・・。」
左大臣は今まで聞いたことのない皇后の言葉に驚いた。
「皇后はこの一年でたいそう成長されたようですね。私はこれであなたを安心して後宮にお返しすることが出来る。誤る必要はないのですよ。もう夕餉に時間になりますので、召し上がってからでもいいでしょう。護衛の者達にも何か出させるようにしましょう。」
そういうと左大臣は女房に夕餉の支度をさせ、護衛の者達にも夕餉を振舞った。寝殿では、御簾の中に皇后が入り、御簾の外には左大臣と左近中将、そして頭中将が座って一緒に夕餉を食べた。道中あった色々な事を左近中将が面白おかしく話したりして時間を過ごした。
「さあ、もうこんな時間だ・・・。」
そういうと頭中将は立ち上がり、皇后に向かって頭を下げると、車宿りの方に走っていった。左近中将は皇后に向かって言う。
「私はここまでなのですよ。ここから内裏までは彼が先導することになっています。そのまま宿直に入られるのでね・・・。本当に彼は真面目で仕事熱心な人でね。特に今年に入って姫が生まれてからさらに輪をかけて熱心に仕事をされるから、帝の覚えも良い。そしてとても周りに気配りをするから公達中にも評判は良いのです。これからの出世は間違いないでしょう。彼を見習わないといけませんね。この摂関家の流れをくむ家柄の私が・・・・。さあ、そろそろ参りましょうか・・・。」
そういうと、車まで先導して、輦車に皇后を乗せる。頭中将先導のもと、皇后を乗せた輦車は内裏目指して動き出した。そして無事皇后は後宮に到着する。弘徽殿に入ると、懐かしい顔ぶれが皇后を迎えた。摂津を始め、たくさんの女房達が、元気になって帰ってきた皇后に涙し、喜んだ。
「摂津、長い間心配をかけましたね。そして皆さんも・・・。私はこうして皆さんに会えた事をうれしく思います。」
「まあ皇后様、摂津はずっと帝のお側で皇后様のお帰りをお待ち申し上げておりました。。以前に増して麗しくなられて・・・。本当に静養されて正解でございました。今から帝にご報告してまいりますわ。」
「摂津。ちょっと時間をいただけないかしら・・・。ちょっと庭の桜を見に行きたいの・・・。」
「まあお一人で!それは・・・。」
「大丈夫。ある御方と約束しているのよ。」
そういうと、皇后は十二単を脱ぎ小袿になると、庭に降りて満開の桜の木に向かった。
一方清涼殿では、頭中将が帝の御前に座り報告をする。
「ただいま無事、皇后様お戻りになられました。」
「ご苦労であった。あなたには色々感謝する。」
そういうと帝は立ち上がって御簾から出ると、すのこ縁から庭に飛び降りて走り出した。
「帝!どちらに!私も参ります!」
帝は頭中将のほうを振り返って言った。
「頭中将、ついてこなくていいよ。約束があるのだよ。弘徽殿近くの一番綺麗な満開の桜の下で。」
その約束相手が誰であることに頭中将は気づいた。そして帝が清涼殿を抜け出された事を見て見ない振りをした。
(きっとお相手はあの方だから・・・・。心配はないだろう・・・。)
と、頭中将は思いそのまま清涼殿を後にした。
 帝が約束の満開の桜の木近くに着くと、もう皇后は帝が来るのを待っていた。皇后は満開の桜を見上げ、風が吹くたび散っていく花びらをうれしそうに眺めていた。その姿を見た帝は、一瞬見とれてしまった。そして次の瞬間帝は叫んだ。
「綾子!」
その声に皇后は振り返り微笑むと、帝は皇后の元に走っていき、皇后を抱きしめ嬉しさのあまり皇后にキスをした。そして帝は皇后の顔をじっと見つめると再び抱きしめた。
「綾子・・・約束通り戻ってきてくれたのですね。」
「はい。もうこれからこのようなことは致しません。常康様、許していただけますか?」
「許すも何も、帰ってきてくれただけで嬉しいよ・・・。綾子が側にいてくれたら何もいらない。」
「まあそれなら、雅孝も孝子も雅和様も和子様も要らないのですか?」
帝は少し苦笑して言った。
「やはり、そういうところ綾子だね・・・。いらないわけではないよ。」
「わかっていますわ。ちょっとからかってみたくなっただけです。」
「相変わらず綾子は意地悪だね。まあそういうところが好きなのだけど・・・。綾子、ずいぶん見ないうちにとても綺麗になったね・・・一瞬見間違えてしまったよ。そうだ、今年の夏は貴船に行こう。そして秋は嵯峨野、冬は・・・。まあいいとして二人でゆっくり過ごす時間を作ろう。」
皇后は微笑んで帝に言う。
「これからはずっと出来るだけ二人でいっしょに・・・・。」
「うん、そうだね。」
すると二人は内裏一綺麗な満開の桜の木の下で長い長い約束のキスを交わした。

《作者からの一言》

これでひとまず常康&綾子編は終わりです。次はお子様編です^^本当に桜というキーワードがよく出てきますね^^;次もそうですが・・・。今現在80章ほど書いているのですが、こう読み返してみると、同じようなパターンが多いのに気がつきます。

お子様編序章である50章はまだ常康&綾子&将直が10年後の設定で出てきます。お子様編では1章毎の長さが結構あります。まだ書き続けているので何章まで続くかわかりませんが、お付き合いください。