第38章 若宮の成長
もうすぐ皇后と中宮に御子が生まれるということで、皇后は左大臣家、中宮は内大臣家へ里帰りをした。もちろん皇后は久しぶりに東宮である若宮に出会えるというので、大変楽しみにしている。若宮は数え三歳となりしっかりとした言葉で、皇后をお迎えになる。皇后も大きくなった若宮を抱きしめ、大変可愛がった。
「母上、父上は?一緒じゃないの?」
「そうね、お父上様はご公務がお忙しいのでこちらにはお越しになられないのよ。雅孝、お父上様に母からお文を書きましょう。そうすればきっとお越しいただけますよ。もうすぐ弟君か妹君が生まれるのですからもう少しお兄様らしくなりましょうね。」
「はい!母上。雅孝も父上に何か書いてみたい!」
「そうね、いいことですわ、きっとお父上様もお喜びになられますわ。萩、若宮に御料紙と筆を・・・。」
「大丈夫ですか?」
「いいのよ、殴り書きでも若宮が書きたいといっているのだから・・・。」
文机に御料紙を置き、皇后は若宮の手に筆を持たせて書き方を教えると、若宮は袖や顔に墨をつけながらもすらすらと何かを書き出した。
「父上なの。」
御料紙には確かに人の絵が描いてある。まだ字が書けないので、絵で表現したようだ。
「雅孝は絵が上手なのね。母はこちらに文字を書きましょう。」
といって絵の隙間に内容を書き出した。
『常康様 若宮があなたに会いたい一心で初めて書いたあなたの顔です。出来るだけお暇を見つけて若宮に会いに来てやって頂けないでしょうか。帝というお立場上簡単に出歩くことは出来ないと思いますが、よろしく申し上げます。 綾子』
そのように書くと、庭に咲いている桜の花の枝にくくりつけて、萩に渡した。
「萩、必ず直接帝にお渡しするのですよ。若宮からの大事な文ですから。」
萩は早速内裏に向けて車に乗り出て行くと、今度は若宮が何か言いたそうな顔をしている。
「雅孝、どうかされたのですか?」
「母上、雅孝も字を書きたい。そして父上に母上みたいに文を書きたい。」
「そうね・・・大丈夫かしら・・・まだ早いかしらねえ飛鳥・・・。」
すると若宮の乳母飛鳥が皇后に申し上げる。
「いえとんでもございません。私の長男はもう三つで字を書くことが出来ましたので、やる気のある若宮様ならきっと上達されますわ。若宮様は本当に何もかも飲み込みがよく、先が大変楽しみなお子様ですわ。私と長男の隆哉で若君様に字をお教えいたしますので、ご安心くださいませ。」
飛鳥の家系は代々大学寮で博士の大江家であるので、若宮より五歳年上の隆哉は三歳で字をすらすら書き、漢学やいろいろな文学を八歳で習得しているたいそうな天才児で、いつも勉強の傍ら、若宮の子守役も務めている。少し運動には疎い点はあったが、若宮はたいそう気に入って隆哉の言うことはよく聞き、一緒に本を読んだりしている。字を読めるからか、若宮の字の上達はさすがに早く、ひと月ですらすらと字が書けるようになった。
皇后が里帰りしてひと月の間、毎日のように若宮は帝に催促の手紙をお書きになる。帝も始めはミミズのはったような字が日に日に上達していくのを見て、大変喜んで、暇を見つけては若宮に文の返事をされる。毎日届く文を、関白や左大臣にうれしそうに見せるのが日課になっているので、関白は帝に左大臣邸に一泊していらしたらどうかとお勧めした。そして好き日を選んで若宮に文を出した。
『雅孝へ 父は明後日、雅孝のいる東三条邸に訪問いたしますので、楽しみにしていなさい。そして一泊できるのでゆっくり遊んだりいたしましょう。 父』
という文を政人に託して若宮の返事を待つと、早速とてもうれしそうな文字で返事が返ってくる。一方雅孝は、紙に帝と遊びたいことや話したい事を楽しそうに書き綴って皇后に見せた。
「まあ、雅孝。このようなことができる時間があるのかしら・・・。よほどお父上様が来るのが楽しみなのですね。母も楽しみですわ。さあ習字のお時間ですわ。隆哉が待っておりますよ。」
若宮は隆哉が待っている若宮の部屋に書き綴った紙を握り締めて走って帰っていった。若宮は昂った気持ちを抑えきれず、部屋に入るなり隆哉にしかられてしまった。
「若宮、廊下は走るものではありません。いいですか、明後日父上様がおいでなのでしょう。それまでに少しでも文章を書けるように練習しましょう。」
「はあい・・・隆哉。」
若宮は渋々文机の前に座り、学問の本を見ながら文章を写し書きしていった。乳母の飛鳥は若宮の姿を見てなんと素直でいい若宮なのかと微笑んだ。
ついに帝が東三条邸に訪問する日がやってきた。家中帝を受け入れる準備のため大忙しのようで、隆哉も裏の手伝いに回っていた。若宮は皇后の部屋にきて落ち着きない様子で皇后に甘えていた。皇后も若宮のかわいらしい表情に顔を和らげ、若宮の頭を撫でる。
「雅孝、ほら母のお腹を触ってごらんなさい。お腹の御子もお父上様ご訪問を心待ちにしているのですよ。」
若宮は皇后のお腹に手と耳を近づけると、お腹の中の子の心臓の音と、時折動く感覚があり、さらに皇后のお腹を撫でて言う。
「僕が兄上だよ。弟かな、妹かな・・・弟なら一緒に遊んであげるよ。妹なら物語を毎晩読んであげる。早く生まれないかな・・・。早く会いたいな・・・。」
「まあ、雅孝・・・あまり急かすといけませんよ。でももう少ししたら会えますからね。あと他のお家にもあなたの妹か弟が生まれるのよ。一気に二人のお兄様よ。また生まれたら会いに行きましょうね。」
「うん。雅孝はきっといい兄上になるよ。」
すると表で騒がしくなり、気がつくと帝が立っていた。
「父上!」
そういうと若宮は帝に走って飛びついた。
「雅孝、久しぶりだね。本当に大きくなられた。つい綾子と雅孝がゆっくり話していたのでそっと入ってきてしまったよ。さあ、何して遊ぼうか。」
すると若宮は先日書き記した紙を取り出して帝に見せると、その中から選りすぐって遊びだした。皇后は帝の久しぶりに清々しい表情を見て、微笑んだ。
《作者からの一言》
天才肌の東宮雅孝親王。大好きな父や母の気を引きたいがために一生懸命努力している健気な若宮です。
帝の行幸は大変なことです。受け入れる側も大変だと思います。この東三条邸は内裏からそう遠くはありませんので、行き来はそう大変ではないでしょうが、お付の者達総動員になると思うのでその方が大変です^^;
第37章 三人目の入内
春がそこまでやってきた立春の前ある日、予定よりもだいぶん早くに右大臣家の四の姫入内の儀式が行われた。やはり右大臣が時期を早めた様で表向きは出産のため里帰りされるお二人の妃様との顔合わせのためとなっていた。もちろん裏向きは急いで入内させて思惑通りに皇子を懐妊していただくという右大臣の考えからである。もちろんこの三人目の入内で、他の大納言殿や右近大将殿たちは自分の娘達もと考え、この春以降続々と尚侍やら更衣として後に三人ほど入内される。近年稀に見ない利発で姿かたちの良い帝であるのでこれほどの入内があって当たり前そしてこれほどの数は異例ではないということで、有力公達の入内争いはとりあえず収まったが、もともと綾姫以外は妃にしないと断言していた帝は、まあ和姫は良いとして他の姫君たちの入内を渋っており右大臣家の冬姫以降は形だけの妃として扱うよう心に決めていた。そしてこの右大臣家冬姫の入内により、和姫は女御を改め中宮に就いた。冬姫は宣耀殿を賜り、宣耀殿女御として扱われることになった。
常寧殿に帝と御簾を挟んで皇后と中宮が座り、その下に女御が座った。
「綾子、和子、こちらが今度女御になられた右大臣家の四の姫冬子姫だよ。」
「まあ、なんてかわいらしい姫君ですこと。常康様、そういえば以前こちらの女房に大変お世話になりましたわね。私の女房の桔梗と共に・・・。」
帝は右近少将時代、綾姫と密通するために四の姫の女房桜を使ったことがあったことを思い出す。
「そういえばその様な事がありましたね。当時綾子に会うのに必死で藁をもつかも気持ちで妹と思っていた四の姫の女房を勝手に使ってしまっていたね。冬姫、あの時はすまなかったね・・・。あなたの女房を巻き込んでしまって・・・。」
すると女御は驚いた様子で言う。
「騒動の件は知っておりましたが、その様な事があったことなんて知りませんでした。」
中宮は何があったのかわからなかったようで、帝に伺う。
「何がありましたの?帝の少将時代に?」
帝は照れた様子で中宮に言う。
「もともと内大臣殿はそのような世間話を話すようなお人じゃないし、あなたは内大臣殿の箱入り娘でいらしたので、私と綾子の一騒動はご存じなかったようですね。また改めて和子にお話しますよ。」
「和子様いろいろありましたのよ。駆け落ち寸前までね・・・。」
「まあ帝も綾子様も・・・。でもきっと物語のような素敵な恋だったのでしょうね。」
「それはどうかわからなけれど、とりあえず今日からこの女御があなた方の仲間入りされるので、よろしく頼みますよ。そして綾子や和子が里帰りの間あと三人ほど後宮に入られる。」
「まあ和子様お聞きになった?」
「ええ綾子様。なんて心の広い帝なのでしょう。感心いたしますわ。」
お二人の嫌味な言葉に帝はあわてて常寧殿を出て行った。もちろん帝の状況をわかった上での言葉なので、皇后も中宮も帝の行動に和やかに笑っている。それを見て女御はいろいろお聞きになる。そのお聞きになる内容が姿形のわりになんとも子供らしい内容であることにお二人は驚かれる。
「皇后様、中宮様、その大きなお腹?・・・。」
「もうすぐ生まれるのですよ、帝の御子が・・・。私は二人目ですが、和子様は初めての御子様ですもの。二人で内親王ならかわいらしくて良いわねと楽しみにしておりますのよ。冬子様も時がくればわかりますわ。」
女御はもうひとつ理解できない様子でお二人の大きなお腹をじっと見つめる。もちろんこの女御はお妃教育に関するものすべては完璧なのですが、ただひとつ懐妊に関することはまったく初心でいるのを、お二人はなんとなくわかった。お二人は女御が下がった後に女御の話をする。
「もしかして冬子様って・・・御子は神様が運んで来られると思っておいでなのかしら?物語のように仲良く床を一緒にするだけで出来ると思っておいでなのかしらね・・・。」
「なんとなくそう思いますわ。今夜どうなさるつもりかしら・・・。あのような子供子供されておられるのですから・・・。ちょっと興味がありますわね綾子様。」
そういうとお二人は楽しそうに笑った。もちろんお二人が察知したように女御は結婚とはどういうことなのかまったくわかっていないのは明らかなのです。
婚儀の夜が訪れ、帝の宣耀殿お渡りがある。新調された直衣を着込み宣耀殿に向かう。女御も真新しい小袖を着て帝のお渡りを待つ。女房達はそわそわして緊張感が宣耀殿中に広がっていた。女御は乳母に心得をいわれていた。
「冬姫様、よろしいですね。帝に気に入っていただけるよう、帝の行為を拒否されずすべて受け入れなさいますようお気をつけください。今までお父上様が、冬姫様のためにご教育されてきたことを無駄になさらないように・・・。」
「芳野・・・帝の行為って?」
「ま、おとぼけに・・・今日帝と結婚されるのですよ・・・。まあ、間もなくおいでですわ。」
というと女御の寝所から下がっていく。すると帝が宣耀殿に入ってきたようで、さらに慌しくなり騒がしくなる。
「ご苦労、下がってよい。」
橘以外の女房が下がり帝は寝所の前に行く。
「橘、いつもの時刻に起こしてくれ。」
「承知しました。」
橘が帝の直衣一式を脱がせ側にたたみ終わると、下がっていく。下がったのを確認して、帝は女御の寝所に入っていった。女御は深々と頭を下げて形どおりの挨拶をする。
「冬姫は今日いろいろあってたいそうお疲れでしょう。さあ顔を上げていいよ。」
女御は顔を上げて帝を見つめ、帝は女御を引き寄せると女御は何が何だかわからない様子でじっと不思議そうな顔で帝を見つめる。帝は少し気になったが、女御の唇にキスをすると、女御は驚いた様子で帝を離す。
「どうしたのですか?冬姫。」
「だってお兄様、いえ・・・帝。口をふさがれると苦しいのですもの・・・。」
帝は少々あきれた様子で、微笑む。
(なるほど、綾子が言っていた事ってこういうことか・・・。いくら礼儀作法などは完璧でも、こういうことはまったく知らないとは・・・まあその方が。都合がいい。)
「冬姫、私はもうあなたの兄上ではないのですよ。まったく血の繋がりはないし・・・。」
「でもずっと親王となられる前は私のお兄様でしたもの。裳着の前からずっと遊んでいただいていたもの。」
「そうですね・・・。あなたにとって私は最近まで兄上でしたものね。よく元服前に貝合わせや碁をして遊びましたね。さ、今夜は眠くなるまで何をしましょうか。橘に何か持ってこさせましょう。」
女御はうなずくと、帝は上に単を羽織り、寝所を出ると橘を呼び出した。
「橘、皇后のところに皇太后から頂いた珍しい絵巻物があったであろう。それを持って来てくれないだろうか。」
橘は不思議そうな顔をして弘徽殿に向かい皇后の許しを得ると、絵巻物全十巻を持って宣耀殿の帝の元へ届けた。帝は橘から受取ると寝所に持ち込んで女御と一緒に夜が更けるまで読み明かすと、いつのまにか女御は眠っていた。精神的に幼い女御の顔を見ながら帝は眠りについた。三日三晩かけて絵巻物全十巻を読み終える。
次の日、帝は皇后に借りていた絵巻物十巻を返しにいき、婚儀の話をすると、皇后はわかっていたかのように微笑んだ。
「あのような物知らずの姫がいるとは知らなかったよ・・・。本当に助かった。」
「まあそのような姫も稀にいますわ。きっと右大臣様のお妃教育が徹底されすぎたのでしょうね。次はそうは行かないと思いますよ。覚悟なさいませ。」
「綾子は本当にはっきり物を言われる・・・。次は尚侍と更衣なので別に夜の御召やお渡りは無くていいのだよ。また何か借りに来るかもしれないけれど、いいかな。」
「ご遠慮なく。和子様にもそう言っておきますわ。」
「助かるよ。」
そういうと借りていた絵巻物を返して清涼殿に戻っていった。
清涼殿に戻ると、右大臣が機嫌悪そうな顔で待ち構えていた。帝は嫌な予感がし、とりあえず昼御座の座ると他の者を遠ざけた。
「何か御用でしょうか右大臣殿・・・。」
すると御簾近くまで近づき申し上げる。
「女御付の女房芳野に聞きました。この三夜一度も姫に手をつけられてないとのこと・・・。それどころか、絵巻物を一晩中見ておられるなどと・・・。そこまでこの私を蔑にされるおつもりでしょうか?」
「別に蔑にしたわけではない。あまりにも幼すぎる姫に手をつけるなど・・・。今日も雛遊びをしようと約束したところです。とてもかわいらしい姫君だ・・・。」
「帝が女御と雛遊びとは・・・。」
「麗景殿が持っているたいそう立派でかわいらしい雛があるのです。麗景殿はそれを宣耀殿にお譲りしようといっています。また弘徽殿にもさまざまな読みきれないほどの物語やとても綺麗な貝合わせもあります。何か?」
「いずれはと考えてよろしいのでしょうか?」
「まあそれはあなた次第という事でしょうか。もういいですか、これくらいで・・・。」
右大臣は苛ついた状態で御前を後にした。もちろん邸に戻ると邸の者に当り散らしていたことは言うまでもない。
《作者からの一言》
ほんとに世間知らずの姫、右大臣家四の姫冬子。もう立派なお年頃なのに・・・。そのおかげで関係を持たなくて済んだ帝・・・。それどころか妹のように可愛らしいと思っているのです。本当に子守り状態^^;でもこれが悲劇を生むのですが・・・。
第36章 右大臣の嫉み
年が明け、帝にとって初めての新年が慌しく過ぎていった。七日の青馬節会が行われ、帝にとても姿のよい青馬の駿馬を献上し御覧になる。帝はとても喜んで、宴を臣下に賜る。弾正尹宮はだいぶん都の生活に慣れてきたようで、他の公達とも楽しく話をするようになる。
特に関白殿の嫡男である中納言とは仲がよく、毎日のように殿上の間で話をしているくらいだ。すると二人が話していると自然に公達が集まりだし和やかな雰囲気となっていた。
「本当に弾正尹宮様は以前の噂とはまったく違ったお方になりましたね。」
「そうですよ。私など、父上にいろいろ言われましたが、とんでもない。」
「昨年末に再婚されて落ち着かれたのでしょう。さぞかし麗しい姫君と聞いております。」
弾正尹宮は少し照れた様子で公達たちの話を聞いている。そこへ右大臣が話に入り込んでくる。右大臣は弾正尹宮の北の方が誰であるか知っているので、弾正尹宮に嫌味を言いに来たのだ。
「どのような姫かは言いませんが、所詮使い古しの姫ではありませんか・・・。親王とあろうお方がそのような姫と再婚など・・・。」
弾正尹宮は少しむくれた様子で、やんわりと言い返す。
「どなたが前のご主人かは言いませんが、いやいやご結婚されてやっと離縁できたというかわいそうな姫君です。もともと私と妻は相思相愛の間柄でした。私の大事な初恋の姫君です。たとえ使い古しといわれましょうとも、お互いの気持ちが通じ合えばそのようなことは関係ありません。そして今までの長い間御懐妊は一度だけと聞きましたが、今うちの妻は懐妊いたしております。愛があれば過去のことなど・・・・。」
右大臣以外の公達は弾正尹宮と北の方の相思相愛ぶりを羨ましく思ったようで、さらに和やかな雰囲気となった。条件付の離縁であったが、祐子姫を一応大切に扱っていた右大臣は嫉ましく思った。それでも出世欲のために手放した祐子姫のことが忘れられず、ますます弾正尹宮のことを疎んじ何かギャフンと言わすいい案はないかと考える右大臣なのだが、親王という立場を考えると何も出来ずにいた。とりあえず今は自分の四の姫の入内の件が先であると感じそちらを何とかうまくいかせ、帝に気に入っていただけるように姫に更なるお妃教育をさせようと意気込んでいた。
《作者からの一言》
「再会」の続編というか番外編です^^よく考えてみると、祐子姫はこの時代でいう超高齢出産になります。この二人には若君が生まれるのです。もちろん甥っ子の帝に瓜二つな・・・。だって、宮は帝の父君と同腹の弟、祐子姫は帝の母と双子の姉妹で瓜二つなのですから、帝に煮た若君が出来てもおかしくはありません^^;またこの若君はお子ちゃま編ででてきます^^
第35章 再会
右大臣の四の姫の入内内定と日程が決まり、無事離縁した右大臣の北の方は実家である関白邸に戻った。ちょうど皇太后も関白の一人息子である中納言に降嫁した内親王に会いに来ていた。
「幸子、今年の豊明節会は盛大に行われるらしいわ。帝にとって初めての大新嘗祭の後だし、特に帝のお二人の妃様が安定期に入られ、お久しぶりに出席されるというから、あなたもいらっしゃいと帝も仰せよ。祐子もいらっしゃいね。」
「お姉さま・・・。いいのかしら私そのような身分のものが宮中に上がっては・・・。」
「何を言うの。あなたは関白である兄上の妹姫よ。以前は右大臣の北の方だったけれど、皇太后である私の妹。帝も是非と仰せです。決して右大臣と顔を合わさないようにするとも・・・。一緒に行きましょう。もう明後日ですのよ。衣装などは私がすべて用意いたしましたので安心して。楽しみね。」
祐子姫は少し遠慮がちで返事をする。
当日、祐子姫は皇太后と一緒に参内し、豊明殿の一室に通される。皇太后は席をはずし、祐子姫は一人その部屋にいると、後ろで人の気配がする。祐子姫が振り向くと、扉のところにある男が立っていた。祐子姫はあわてて扇で顔を隠すと、几帳の陰に隠れた。
「申し訳ありません、部屋を間違いました・・・。橘晃殿、こちらではないようだが・・・。」
「いえ弾正尹宮様、帝がこちらにご案内せよとのご命令です。」
(弾正尹宮さま・・・。弾正尹宮様といえば先の帥の宮・・・。)
祐子姫は驚いて扇を落とす。
「しかし、帝がこの私に会わせたい人がいると・・・。」
すると弾正尹宮の後ろで声がする。
「叔父上、とにかくお入りください。」
「帝・・・。」
帝と弾正尹宮はその部屋に入ると、祐子姫のいる几帳の前に案内する。
「叔父上、先日会っていただきたい人がいると申しましたが、こちらにいらっしゃる方です。叔母上、例の人物をお連れいたしました。私は邪魔なのでこれで・・・他のものが五節の舞を楽しんでいる間、ここは誰も来ないよういたしておりますので、ゆっくりお話ください。さあ晃行こうか・・・。」
帝は橘晃とともに五節の舞の開かれる会場に向かった。残された二人は少しの間沈黙していたが、祐子姫が言い出した。
「弾正尹宮いえ、常盤様?もう二十年以上前のことですので私などお忘れでしょう。もう私はあの時よりも歳を取って恥ずかしくて常盤様に合わす顔などありません。」
「祐子姫、何をおっしゃいますか、私もあの時より同じように歳を取りました。しかし几帳の奥から感じる麗しさは当時と変わっておりません。」
そういうと、弾正尹宮は几帳をどかすと祐子姫を抱きしめる。
「やはり思ったとおりのお人だ。ずっと元服し出仕し始めた頃より想っていた祐子姫に間違いはない。当時と変わりませんよ・・・祐子姫。」
「いえ、常盤様との結婚をお父様に反対され、無理やり当時の近衛大将様と結婚していろいろあった私が当時のままなど・・・ありえません。」
「そのようなことはありませんよ。あのままの純真な姫そのものです。右大臣殿と離縁されたそうですが、よろしければ二十年越しの求婚を受けていただけますか?」
「このような私でよろしければ、お受けいたします。」
その言葉をきいて弾正尹宮は祐子姫を再び強く抱きしめた。二人は今までの長い期間を取り戻すかのようにゆっくりと二人きりで話などをして過ごした。
「祐子姫、このまま私の邸へ来ていただいてよろしいですか?何もない殺風景な邸ですが、あなたのような麗しい華がいらっしゃるだけで邸は華やいでくるでしょう。」
「常盤様、もう浮名を流されるようなことはないのですか?」
「こうして祐子姫が私の側にいていただけるのなら、そのようなことをする必要などありません。安心して私の邸にいらっしゃってください。」
「しかしお世話になっているお兄様にもこのことを・・・。」
すると五節の舞いが終わり帝より宴を賜ったようで、表がざわついている。二人は離れて座った。ちょうど橘晃がやってきて、間もなく帝と関白がお越しだと言う。それを聞いて、祐子姫は几帳の後ろに座りなおし、帝と関白が来るのを待った。
「弾正尹宮さま、帝のお越しでございます。」
二人は深々と頭を下げると、帝と関白が入ってきた。そして上座に座ると、話し出した。
「叔父上、叔母上、懐かしい話などゆっくりされましたか?」
すると、弾正尹宮は関白に言った。
「関白殿、妹姫であるこの祐子姫をこの私にいただけないでしょうか。今日にでも・・・。」
「そうだね、一応出戻りの妹だが、祐子がいいのであれば好きにすればいい。祐子姫、あなたはいいのですね、この方で・・・。」
「はいお兄様。また反対されることがあっても私はこの常盤様ではないと嫌です。」
「わかった。弾正尹宮殿、この妹のことよろしくお願いしますよ。一生幸せにしてやってください。決して離縁や浮気など許しません。わかりましたね。祐子姫、この私からのお祝いとして、お道具一式新調させていただくよ。出戻りとはいえ、今日からあなた方は新婚生活に入られることだし、すぐには用意できないが。」
お二人は関白に感謝の気持ちを述べて、一緒に弾正尹宮の邸に戻って行った。
「伯父上、あれでよかったのでしょうか?」
「よかったのでしょう。あのように幸せそうな祐子姫の笑顔、初めて見ました。祐子姫には本当に遠回りのことをさせてしまった。もう弾正尹宮も浮名を流すことはないでしょう。それよりも、帝。右大臣の四の姫の入内のことが問題です。」
「そういえばその様な事があったね。忘れていたよ。ひと騒動ありそうだけど、何とかなると思うよ。何とかね・・・。」
そういうと帝は苦笑して清涼殿に戻っていった。もちろん関白の心配事が耐えないことに違いはないのですが・・・。
もちろんお二人が末永くお幸せに過ごされたことは言うまでもありません。
《作者からの一言》
やっとのことで結ばれた二人・・・。本当に遠回り・・・。幸せになってください。
ところですっかり四の姫の入内を忘れてしまっていた帝。呆れてしまいます。関白の心配事が耐えない理由がわかります^^;
第34章 取引
帝は久しぶりに内裏を出て、山科の父宮である院のもとにご機嫌伺いに向かった。これは表向きであり、本当は山科にある人と会うためである。到着するとある女房が、客間に案内する。するとそこには院を始め、皇太后、関白太政大臣、そして右大臣の北の方が待っていた。すると院は女房たちを客間から遠ざけると、本題に入るようにいう。
「父上、先日文を書いたように、弾正尹宮の今までの行いの原因がわかったのです。」
「うむ、それは先日の文で詳しくわかった。これ以上浮名を流されるのも嫌なものだ。しかしどうして右大臣の北の方をお呼びしているのかがわからない。」
「私は叔母上に詳しくお聞きしたいことがありまして、お呼びしたのです。」
すると帝は右大臣の北の方の近くによってお聞きになる。
「叔母上は私の育ての親。以前この私に言われた事がありましたね。初恋の君はいる、本当はその方と結婚したかったと・・・。」
北の方はいうのを渋っている様子であったが、仕方がなく帝に申し上げる。
「そういえば、私が殿を受け入れないことでもめた事がありその折にちょうど邸に帰られていた五歳の頃の帝についもらしたことがありましたね・・・。もちろん初めての懐妊は仕方なく殿の御子を懐妊したのですが、懐妊中はとても生きている心地がせず、このまま生まれてこなければいいのにと何度思ったことか・・・。その気持ちのせいで若君を死産してしまったのかもしれません。その時はほっとしたのですが、我に返ると気性の激しい殿にどのように説明をすればいいのかと悩んだ末、ちょうど帝が生まれ私の子として引き取ったのです。この私にたいそうかわいらしい若君が生まれたということで殿はお喜びになられましたが、やはり所詮若君。次は姫をとしつこく言われました。もちろん出世のために姫を産めといわれ、それ以来殿を拒むようになったのです。もちろん初恋の君のことが忘れることが出来ずに・・・。もちろん初恋の君が誰であるかは知っていましたから、初恋の君が私の妹と結婚したと聞いたときは、泣いて暮らしました。日に日に初恋の君の似てこられる若君をお育てするのが生きがいでした。もちろん若君が私の子ではないのを殿に知られるのが嫌で、お兄様のお邸で預かっていただいたのは言うまでもありません。若君が元服した姿を見て、まさしくあの時の初恋の君によく似ていらっしゃったのには驚きました。」
すると関白は北の方に言う。
「妹姫が見合いの宴で見合い相手以外の方を気に入られたのは知っていました。しかし、もうその時点で相手が決まっていたのです・・・。もちろん父上は先が見えている親王よりも摂関家筋の右大臣を勧めるのは当然のこと。それがあの弾正尹宮がお相手だったとは。」
北の方は一息ついて続けて申し上げる。
「もちろんあの宴で気に入っただけではありません。あの方は私が裳着を済ましてからずっとこの私にいろいろ歌や贈り物をしていただいた方。それはもう熱心な方で、この方ならいいかと思いあの宴でどのような方か確認した上でお父様にお願いしようと思っていたのです。その日のうちのお父様にお願いしたのですが、ひどい剣幕で怒られてさっさとうちの殿との縁談を・・・。それは結婚の夜もその後もずっと人知れず泣き崩れておりましたが・・・。殿も感づかれた様子で、すぐにこの私を自分の邸に住まわせたのです。とりあえず一人懐妊するまで我慢しようと思っていました・・・。嫌いな方と一緒に過ごす夜ほど苦痛なものはありません。ですから懐妊を知ったときはこのまま自害してしまおうかと思いました。」
一同はため息をついて、北の方の泣き崩れていく姿を見ると、帝が言う。
「叔母上はまだその方を思っておいでか?私には切り札があります。もし想っておいでならその切り札を切りましょう。そうしないといつまで経ってもあの方は浮名を流し続けになる。そしてうちの妃達の身が危うくなります。あの方はずっとあなたを求めておられるのです。しかし右大臣の北の方なので手の届かないと思っておられます。先日わざわざ身重の麗景殿のために都では珍しい薬を用意していただいたのです。そのおかげで麗景殿は何とか持ち直しました。本当はお優しい方なのでしょう。私はあの方に恩返しをしたい・・・お救いしたいと思っております。叔母上・・・。」
北の方は黙り込んでしまったが、皇太后が寄り添って北の方をなだめると意を決したように帝に申し上げる。
「もちろん今でも想っております。しかし・・・うちの殿が・・・・。」
「ですから聞いて下さい。叔母上、私には切り札があると申し上げたはずです。」
関白は帝にあきれた様子で申し上げる。
「帝、また無茶苦茶な事を申されますな・・・。切り札とは例の四の姫のことですかな?」
「もちろん、右大臣ならきっと自分の利益になることを優先するでしょう。これがだめなら大宰府まで駆け落ちしてもらうことになりますが?」
関白は帝の意見を聞き大笑いをする。
「さすが帝、頭の回転が速いですな。右大臣の北の方と宮が恋仲になったと知れば、あの右大臣のことですから左遷だというでしょうね。切り札を切っても切らなくても一緒にさせるおつもりとは・・・・。この私も影ながら賛同いたしましょう。」
院や皇太后も帝の考えに賛同し、早速行動に起こそうと山科の院邸を出て右大臣邸に帝は向かった。突然の帝の訪問に血相を変えて内裏から戻ってきた右大臣は客間で待っている帝に深々と頭を下げると待たせたことのお詫びを申し上げる。帝はじっと右大臣を見つめると一息ついて右大臣に言う。
「お願いがあります。決して右大臣殿には悪くない話だと思いますが、訳を聞かずに承諾していただきたい。」
右大臣は不思議そうな顔をして、続きを伺う。
「叔母上いえ、北の方と離縁していただきたい。その代わり・・・・。」
「その代わりとは?」
「以前からあなたが進めたがっておられた四の姫の入内を認めます。離縁をお断りされるのでしたら、もう一切あなたの姫どころか、孫の姫にまで入内をお受け致さない状況になると思われよ。」
「しかし・・・なぜ・・・。」
「訳を聞かないで欲しいと申したはずです。まあ後になればわかることでしょうから、ここでは聞かずに今すぐ離縁をするという内容の文を北の方にお書きなさい。私もここであなたに約束した内容の文をあなたの四の姫にお送りします。そして今からでも四の姫と会いましょう。悪くはない取引ではありませんか?出世のためなら何でもなさるあなたですから。」
右大臣は深々と頭を下げ、女房に紙と筆を持ってこさせると北の方宛に離縁についての文を書いていく。帝はその内容の文を受取り確かめると、五位蔵人藤原政人に預けて山科にいる北の方に届けるようにいった。次は五位蔵人橘晃から帝用の御料紙と筆を受取り、入内承諾の内容の文を右大臣家四の姫宛に書き、橘晃が受け取ると右大臣に渡した。右大臣は内容を確かめると、女房に姫のもとに届けるように言う。
「正式な御料紙を使ったので、信じていただけるでしょうね。」
すると遠くで小さな子供の声が聞こえた。
「あれは?」
「二の姫養女の結姫でございます。もうしっかりと歩き、庭を走り回っております。」
「そう兄上の・・・会わせて頂けますか?」
右大臣は女房を呼ぶと、結姫を連れてこさせる。帝は結姫を抱き上げると、膝の上にのせ可愛がられる。結姫も帝を大変気に入った様子で、顔を触ったり、耳を引っ張ったりして右大臣をはらはらさせる。ますます亡き兄宮に似てきたようで、気品のあるかわいらしい顔をしているのを見て、帝は兄宮を思い出される。帝はいろいろ結姫と話すと姫を右大臣に返す。
「さて、四の姫に会って帰ります。これであなたとの取引も終わりです。このことは内密に。」
「いえいえ、こちらに四の姫とその母を呼びますので、少々お待ちを・・・。」
そういうと、右大臣は女房を呼ぶと四の姫を呼んでこさせる。帝は浮かない様子で脇息にもたれかかると、じっと考え事をしている。表がざわつき、まず四の姫の母君が現れ、うれしそうに挨拶をすると四の姫を帝の御前に出し紹介をする。四の姫は帝より4つ年下の十六歳。大して美しい姫とは言えないが、入内に向けて相当教育されたらしく、礼儀作法は一級品である。少し右大臣に似て時折のわがままでつんけんとした態度は気に入らないところがあるが、入内するのには申し分ない身分と礼儀は整っている。この入内が明日審議にかけられてもすぐに入内内定が決まるのであろうと帝は思う。
「これで左大臣、右大臣、内大臣の三人の姫君が妃になるのだからもう入内に関する争いは収まってくれるでしょうね、右大臣殿。弘徽殿も麗景殿もまるで姉妹や友達のように仲良くやっておられるので、四の姫君も、先に入られた姫君を立てて仲良くしていただきたい。またあなたが入内される頃は、弘徽殿も麗景殿も出産のために里帰りされていると思いますが、戻られたら私の言ったことを守って過ごされるように頼みますよ。ではこれで、内裏のものが心配しますので帰ります。右大臣殿、先程言った件よろしく頼みますよ。」
右大臣は深々と頭を下げると、立ち上がって車までお見送りをする。帝は車に乗り込むと、橘晃は騎馬に乗り、帝の列を先導する。ちょうど藤原政人も合流し、帝に文の件を申し上げると帝はうなずく。
《作者からの一言》
取引成立です。その代わり妹として育った四の姫を入内するはめになりましたね^^;まぁこの姫が曲者です^^;
第33章 秋の除目の後
あれから弾正尹宮の行動はおとなしく、東宮は忘れかけていた。帝はこのひと月の間いろいろお考えだったようで、秋の除目について大臣達との審議中に譲位をしたいといわれ、一同は大慌てで譲位を止めようとする。しかし意志は固いようで、お気持ちは変わらなかった。
「私が帝になって六年になろうとしている。東宮も立太子して二年が経とうとしているし、毎日のようにこうして私の側について公務を学ばれている。もうそろそろ私もゆっくりしたい。院や皇太后の御体の事も心配であり、東宮には若宮もいる。そして春には御子たちが生まれる。しっかりとした東宮であるからもう心配はないだろう。もう皇后とも話し合った上のことである。いいですか。」
「父上、私は未熟です。」
「いや、お前はしっかりしているし、周りにはしっかりとした大臣たちがいる。そして跡を継ぐ若宮もいる。しっかりとしてきたではないか。ちゃんとしっかり歩くようになったし。わかってくれよ、東宮。」
東宮は深々と頭を下げると、一同も深々と頭を下げる。
そして譲位後の除目について話し合う。帝はすべてを東宮が決めるようにと仰せで、東宮が何を聞かれてもうなずくだけであった。一通り決まると、次は即位式について審議が始まった。その日のうちの譲位の話は都中に知れ渡り、突然の譲位に都の者達は驚いた。
良き日を選んで紫宸殿にて譲位と即位の儀礼が執り行われた。急な譲位のために秋の除目は遅れていたが、即位の儀礼とともに秋の除目が言い渡された。もちろん代が変わったので、ほとんどの者が移動となった。関白殿はそのまま関白太政大臣、右大臣は左大臣、内大臣は右大臣、中務卿宮は内大臣、左大臣は春宮傳を兼任、主だった方々で変わっていないのは弾正台尹宮だけ。そして橘晃や藤原政人は五位蔵人兼侍従に昇進、綾姫は皇后、和姫は女御、若宮は東宮となった。
後宮も慌しく、綾姫は弘徽殿へ、和姫は麗景殿へ東宮御所から移った。女房達や女官達が今までよりもさらに増え、橘を始め、摂津や播磨はあっちに行ったりこっちに行ったりと大忙しであった。一通り落ち着くと、帝は弘徽殿や麗景殿に顔を見せに行く。まずは皇后のいる弘徽殿へ行くと、皇后は脇息にもたれかかって、物語を読んでいた。帝に気がつくとその物語をしまいこみ、頭を下げた。
「綾姫、少しは落ち着かれましたか?いろいろ儀礼でお疲れでしょう。」
皇后は微笑んで帝に申し上げた。
「先程、典薬寮の女医が来ましたのよ。少しつわりがありますが、若宮のときに比べると大分楽ですわ。今度は内親王かしら。摂津が、やはり男の子と女の子では少し違うっていうから。女医は順調といっておりました。でも・・・。」
皇后は少し不安そうな顔でそれ以上は言わなくなった。代わりに摂津が帝に申し上げた。
「麗景殿の女御様の体調がすぐれず、臥せっておいでなのです。最近いろいろあったので、何事もなければいいのでしょうが・・・。つわりもひどく、何もお食べにならないようですし・・・・。もうそろそろ近くを女医が通ると思いますわ。どこかのお部屋に通しましょうか?」
「頼むよ。気になる。」
ちょうど女医が戻るようで、空いている常寧殿に女医を待たせ、帝はそちらに向かう。常寧殿に着くと、女医は深々とお辞儀をして帝が席に着くのを待つ。
「弘徽殿と麗景殿の妃達の経過を聞きたい。包み隠さず申されよ。」
女医は深々と頭を下げたまま申し上げる。
「弘徽殿の皇后様、それはもう順調であられます。つわりもそれほど強くなく、やはりお二人目であられますのでご心配の必要はありません。しかし出来るだけご無理をなさらぬようお願い申し上げます。問題は麗景殿の女御様なのですが、つわりもひどく、たいそうお弱りの様子で・・・。脈を取りましたところ、流産の兆候が見られます。まだ決まったわけではありませんが、絶対安静にされますようお願い申し上げます。また出来るだけ何かを口になさいませんと、母子ともども危険な状況となります。以上でございます。」
「うむ、そなたには麗景殿の側にいて最悪な結果にならないよう最善を尽くして欲しいのだが・・・。そして度々弘徽殿のほうにも診察を・・・その間常寧殿を典薬寮の女医の方々でお使いなさい。よろしいか?あと清涼殿の方に典薬寮の頭を呼ぶように、いいですか。」
「はい、畏まりました。」
女医は深々とお辞儀をすると急いで典薬寮に戻っていった。帝は清涼殿に戻ると、内大臣を始め、後宮に関するすべての職の長官を集めた。
「私的な用事ですまないと思う。典薬寮頭、詳しく皆の者に伝えよ。」
典薬寮頭は麗景殿女御の流産の兆しの詳しい内容を丁寧に説明していく。そしてこれからどのように最悪の結果にならないようすべきか説明し、帝の指示を仰ぐ。皆はたいそう驚きざわついて、帝が話し出すのを待つ。
「とりあえず、典薬寮の女医数人を麗景殿に近い常寧殿に控えさせ、交代で麗景殿女御の世話をして欲しい。あとの者達は出来るだけ最善を尽くせるよう協力して動いていただきたい。わざわざ私的な内容で集まっていただき感謝している。ありがとう。下がっていい。」
内大臣以外の者達は続々と下がっていったが、内大臣は青い顔をして座り込んでいる。
「内大臣殿、まだ流産とは決まったわけではないから、安心してください。あなたにとって初孫です。こちらといたしましては最善を尽くします。」
「ありがたいお言葉に大変感謝しております。和子はもともとあまり体が強くないのです。和子の母も和子が小さい時に同じような症状でお腹の子と共に亡くなりましたし・・・。典薬寮頭の話を聞いていますと、私の妻とまったく同じ・・・。私からも出来る限りのことはいたします。御前失礼いたします。」
そういうと内大臣は内裏から邸に戻っていった。
常寧殿では女医や下働きの者達が麗景殿女御看護のための準備で大忙しをしていた。いろいろな女官達も出来る限りのお手伝いをしている。麗景殿女御のための薬を調合するもの、せいのつく料理を食べやすく工夫し調理するもの、いろいろな唐渡りの書物を読んで、調べる者など、この常寧殿だけは四六時中いつでも何かあったときに対応できるように動き回っている。2~3人の女医のほかにも見習いの女医も数人待機して、代わる代わる麗景殿女御を見守っている。そして毎朝、帝の侍医が御簾越しに女医の診察をした脈や症状を見て状況を判断し、帝に報告する。今のところ良くも悪くもなく、何とか維持しているが、なにぶん何も口にされないことから、日に日に弱ってこられている。見るに見かねた帝はほぼ毎日時間を見つけては麗景殿女御の所に足を運んでいる。帝が麗景殿に入ると、女医たちや女房達が下がっていき、二人きりになった。
「和姫、いかがですか?何か口にしないと・・・このままではお腹の子にもよくないよ・・・。」
「帝・・・。」
「何か食べたいものがあれば言ってごらん。葛湯でも作らせよう、それとも蜜柑がいいかな・・・。この私が食べさせてあげるから。」
「なんて恐れ多い・・・。帝に食べさせていただくなど・・・。」
帝は女房にいろいろ食べられそうなものを用意させ、麗景殿女御を起こし帝の体にもたれさせると、少しずつ与える。女御も一生懸命物を口に入れようとするが、むせてしまってなかなかのどを通らなかった。帝は葛湯を口に含み、女御に口移しで与えると何とか飲み込むことが出来た。何度か繰り返し、用意した葛湯を飲みきると女御をそっと横にさせた。
女御は帝が献身的に世話をしてくれることにうれしさのあまり涙ぐんだ。
「私にとって和姫は大事な方だ。何かあれば父宮の内大臣に申し分けない。早く和姫の麗しい笑顔を見せておくれ。小さい頃の約束どおり出来るだけ側にいてあげるから安心して。さあ公務が残っているから戻るよ。」
そういうと、播磨や女医達に後を頼んで清涼殿に戻っていった。途中弘徽殿に寄ると皇后は麗景殿女御の様子を聞いたので、帝は包み隠さず皇后に話した。皇后はどうすれば女御が元気になるか考える。帝は悩んだ様子で弘徽殿を後にした。
夜になると麗景殿は人が少なくなり、女医見習いと数人の女官だけとなっていた。相変わらず麗景殿女御は臥せっていて、薄暗い寝所の中で、息を荒げ朦朧としている。特に夜になると女御は落ち着いて横になりたいのか、女医を始めいろいろな人を寄せ付けないようにしていた。すると裏の戸が開く音がしてその音で女御は目を覚ます。女御は女医か何かであろうと再び目を閉じると、御簾のすぐそこに女官達や女医とは違う気配を感じるが体が言うことをきかないので動けなかった。
「帝・・・・?」
声をかけてみても返事はなかった。元気な体であったら、香や気配で誰か判断できるが、それは出来ず、薄暗い明かりでなんとなく帝のような姿が映るのみであった。女御は帝と思ったのか、そのまま眠ってしまった。帝らしきものは御簾の外から手を伸ばし、紙に包まれたものをおいて静かに部屋を出て行った。部屋の側に控えていたものも、あまり帝とは会っていないためか、姿かたちを見ただけで帝と思い込んで忍び込んだものをそのままにしていた。その様な事が何日もあり、ついに昼間麗景殿にお見舞いに来ていた帝にある女医が帝に申し上げた。
「帝、毎晩女御様のところにいらっしゃっているようですが・・・・。」
すると帝は驚いた様子で言う。
「私は一度も夜には女御のもとには行っていない。夜はゆっくり休ませたいと思ってね。」
「じゃあこれは誰が・・・。」
そういうと紙に包まれたものを帝にお見せする。帝は見たことのないものなので女医に聞いた。
「これは何?見たことはないが・・・。」
「これは人参でございます。唐渡りの薬として重用されており、なかなか都でも手には入りません。ちょうど探しておりまして、こんなにたくさん・・・。これで女御様のお薬が作れます。」
「人参か・・・でもこのようなものを手に入れられる者って誰だろう・・・。どちらであれば手に入れられる。」
女医は少し考えていう。
「大宰府あたりでしたら、大陸にも近いですし・・・・そちらでしたら手に入るかもしれません。」
「大宰府・・・もしかして・・・ありがとう下がっていい。」
帝は女御の御簾に入ると、女御の額にかいている汗をぬぐってやると、女御は気がつき毎晩のお礼を言う。女御は夜に訪れる人物を帝と思っているようで、帝は複雑な気持ちになった。毎晩訪れる人物は見当がついている。姿かたちが似ていて珍しい薬を持ってこられる人物・・・。一人しかいない。いつものように女御に食事を与えると、すぐに清涼殿に戻り、弾正台尹宮を呼び出す。弾正尹宮は素知らぬ顔で帝の御前に座った。帝は橘晃に紙に包まれたものを宮に渡させる。そして橘晃以外の者達を遠ざけるという。
「それは叔父上が持って来られた物ですか?典薬寮の者に聞くと都でもなかなか手に入らない代物という。今回されたことはどういう理由からか・・・・。」
宮は黙ったままで深々と頭を下げたままにしているのに痺れを切らしたのか、帝は御簾から出てきて宮の前に座り続けて言い出す。
「この私に直接渡すのならまだしも、なぜ夜中にわざわざ麗景殿に忍び込んでこのようなことをされるのか。これは私に対する挑戦と取ってよろしいのでしょうか、叔父上。」
すると宮は頭を上げて帝に申し上げる。
「そのように取っていただいても構いません。しかしこの私でも弱っている華に手を出すほど落ちぶれておりません。ただこれは大宰府にて同じようなことがあり、大宰府にいた大陸から来ていた医師がこれがいいと処方していたもの。残念ながら効果が出る前に必要はなくなってしまいましたが・・・・。しかし何かの役に立つであろうと、大宰府の医師からもらったものです。」
「それならそうと私か典薬寮頭にでも渡せばいいものを・・・。わざわざあのようなことをされなくても。あなたの立場が悪くなるだけですよ。」
「ただ帝はこの私を信用していらっしゃらない。もちろん今までの行為がそうさせたのでしょうが・・・。あのような麗しい華が苦しんでおられるのを黙ってみているわけにはいけません。」
「とりあえず今回のことは多目に見ましょう、ただし弘徽殿や麗景殿も私の大事な華達だ。これ以上波風をお立てになるようでしたら、黙っておりませんので、心得ておいてください。しかしあなたはそのような方なのでしょうか。父上は昔そうではなかったと仰せでしたが・・・。」
「私は昔から浮名を流すような性質ではありませんよ。話は長くなりますが・・・。」
そういうと昔の話をしだした。
今から二十数年前、帝の父である院が東宮であった頃、宮は元服を終え宮内省卿として出仕していた。ちょうどその頃、兄宮である東宮が妃を迎えるということで、表向きはただの管弦の宴だが、裏向きはその妃候補で当時右大臣一の姫と東宮との顔合わせの宴に東宮と共に宮も出席していた。もちろん一の姫と双子の二の姫のお見合いも兼ねていた。お見合いの相手は数人いたが、宮は含まれていないことは知らずに、憧れの二の姫を一目見ようと必死になっていた。御簾越しに見える姫たちの姿は当代一といわれるだけあり麗しく、二人の楽しそうな話し声が聞こえてきた。後日東宮は一の姫との顔合わせで大変気に入り、入内を勧める様に右大臣に伝えた。宮は右大臣に二の姫を頂きたいと言ったが申し訳ないが決まってしまったと断られた。それどころか、姫たちよりも三歳年下の腹違いの三の姫がたいそう宮を気に入ってしまい、宮ではないと嫌だと言うので結婚してくれないかといわれる。しかし、まだ裳着したての姫とは結婚できないと何度も断ったが、三年後にしょうがなく結婚した。結婚をしたらしたで、三の姫はとてもやきもち焼きで、少し通ってくるのが遅いだけで癇癪を起こしたりするので通うのが億劫になり、三の姫のあてつけにあちらこちらに愛人を作ったり様々な浮名を流したりしていた。そしてちょうど東宮御所が火災で焼けてしまって仮の御所としていた邸で東宮妃を見てしまい初恋の姫である二の姫に瓜二つである東宮妃に恋をしてしまい東宮が参内で帰りが遅い時に東宮妃の部屋に忍び込んで東宮妃をものにしようとして見つかってしまったのである。そのことによって大宰府に左遷された宮は三の姫と共に大宰府に行き、寄りを戻して仲良くされていたが、子宝に恵まれず、昨年やっと懐妊したと思ったらつわりがひどく何も食べられなくなり衰弱し、運悪く母子共に命を落としたのである。
「私はずっと初恋の姫が忘れられずに浮名を流していたのかもしれませんね。帝の二つの華も当時の初恋の姫に感じが似ておられる。月見の宴の際に弘徽殿で見た二つの華は当時の思い出がよみがえるような風景でした。また恋をしそうになりましたよ。」
「そういえば、育ての母である右大臣の北の方は右大臣ではなく、他に好きな方がおられたと聞いたが、もしかしたらあなたのことかもしれませんね。宴で見かけた殿方を気に入ったが、見合い相手に入っていなかったので反対されたと・・・。同じ年でたいそう凛々しい方であったと・・・。右大臣と北の方は十二も年が離れているしね。」
「それならいいのですがもう昔のこと、いまさらそのようなことを聞かれてもどうにも出来ません。初恋の姫が苦しむだけでしょう。では私はこれで・・・。」
そういうと弾正尹宮は下がっていった。
弾正尹宮や献身的な看病をした帝のおかげか、麗景殿女御は少しずつであるが体力を回復し、顔色もよくなってきたようで自分でものを食べることが出来るようになってきた。しかしまだ予断は許されず、安定期に入るまでは絶対安静の指示を受けた。もちろんいつ何があってもいいように常寧殿は典薬寮の仮の詰め所のままにしておいた。
《作者からの一言》
宮の真実発覚です^^;なあんだそういうことと突っ込みたくなりますが、していることはずいぶん悪いです^^;
麗景殿女御のひどいつわり・・・かわいそうです。今でこそ点滴があるので、食べられなくても生きていけますが、当時は絶対命を失う人が多かったに違いありません。このひどいつわり、他にも理由があります。それは後ほど・・・。
女医についてですが、本当にこのような身分の人がこの時代にいたかは確かではありません。韓国や中国の後宮は男子禁制のため、女医という制度がありました。日本にもある時代にはあったそうです。官位表にも女医博士と言うのがあります。正七位下という相当低い位の方です。多分日本でも後宮の高い身分の方向けに作られた制度なのでしょうね^^;
第32章 月見の宴で
葉月十五日中秋の観月会が清涼殿にて帝主催で行われる。月見の宴が催され、殿上人に無礼講として酒などが振舞われる。そして後宮でも、皇后主催の宴が催されている。ちょうど、東宮のお二人の妃がご懐妊の兆候がありというので、一人一人順番にお祝いの言葉をおかけになる。もちろん先の帥の宮こと弾正尹宮も出席している。弾正尹宮ただひとり離れたところで、照れながら殿上人たちからの挨拶に対応している東宮を見つめて苦笑される。そして近くにいるある侍従に近寄り、何か話している。
「東宮女御様たちですか?それは大変麗しい姫君たちと聞いております。東宮女御綾子様は摂関家の流れをくむ東三条家右大臣様の三の姫様。そして東宮女御和子様は帝の覚えのよろしい中務卿宮様の姫様であられます。綾子様は東宮の若宮様の御生母であられますので、何度か帝の御前にいらっしゃった折にお見かけはいたしておりますが、噂どおりの麗しい姫君でしたよ。それが何か?」
「いや、最近こちらに戻ってきたのでよくわからないもので・・・ありがとう。」
もちろんこの侍従はこの宮がいろいろ噂されていた人物とは知らない上に帝の弟宮ということで、聞かれるまま返事をした。
(そうか麗しい姫君たちと・・・一度この目で見てみたい)
弾正尹宮そう思うと、立ち上がって宴の会場を離れる。それに気がついた東宮は、側に控えていた晃と政人を呼び、そっと弾正尹宮をつけさせる。そして東宮は先程の侍従を呼ぶ。
「さっき、弾正尹宮と何か話していたようだけど、何を話していたのですか?」
「それが・・・東宮女御様方のことをお聞きになられました。どのような姫君かと・・・。」
「わかった。今から皇后のもとにご機嫌伺いに行こうと思う。このような宴中に申し訳ないが、左近中将をこちらへ・・・。」
侍従は東宮の命を受けると、左近中将が急いで東宮のもとにやってきたと同時に政人が東宮に報告する。
「弾正尹宮さま後宮の方に向かわれました。今、晃がつけております・・・。」
東宮はうなずくと、左近中将と共に後宮の皇后の所へ向かう。帝も東宮の異様な慌しさに気づいたようで、少しの共の者を連れ清涼殿を出て後宮に向かい、東宮と合流した。
「何かあったのか、東宮。」
「弾正尹宮が動きました。今日は宴のために各所警備が疎かになりがちなので、晃と政人を控えさせていたのが正解でした。何事も起こらなければいいのですが・・・・。」
「うむ、適切な行動をされた、さすが東宮・・・。左近中将殿は東宮女御の兄であるから丁度よい。何かあったときに役に立つ。左近殿、何か言うまで影で控えて欲しい。」
左近中将は会釈をすると、皇后の部屋の近くに控えて帝の指示を待つ。東宮は近くの茂みに人影を感じると、そっと庭に降りてその人影に近づいた。そこには晃がいたのだが、晃がある方向に指をさすと、そちらにはやはり弾正台尹宮が立っており、皇后の部屋の様子を伺っていた。皇后の部屋はいろいろな几帳で皇后を始め、後宮の女御様方更衣様方、東宮女御様たちが見えないようにしてあったが時折強い風が入ると几帳がめくれ、一番下にいる東宮女御達の姿が少し見える。お二人とも気づかれていない様子で、歓談している。弾正尹宮が一歩踏み出そうとすると、宮の後ろから声が聞こえる。
「叔父上、ここで何をされているのでしょう。ここはあなたのような方はいてはならないところですが・・・・。」
弾正尹宮は振り返って苦笑する。
「今晩は季節柄珍しいとても麗しい華を二つも拝見させていただきました・・・。本当に東宮は羨ましい・・・あのような華をお持ちとは・・・。」
「私の華に手を出されては困ります。もちろん帝の華にも・・・。わかっておられますね・・・次はあられないとお心得ください。私は以前三年程近衛少将をしておりましたので、腕には自信があります。近くには左近中将殿も控えております・・・。」
「今日のところはこれで引き下がっておくよ・・・。」
そういうと、弾正尹宮は後宮をあとにする。東宮は立ち去ったのを確認するため、晃に後をつかせ、待っていた帝と合流し、左近中将を月見の宴に帰した。東宮の不安そうな表情を悟ったのか、帝は複雑な様子で皇后たちのいる部屋に入っていく。突然お二人が入ってきたので皇后を始め一同は驚いた様子で、会釈される。
「月見の宴を邪魔して悪かったね。こちらの宴はどのようなものかと気になって供もつけずに来てしまいました。気にせずどうぞお続けなさい。」
そういうと、部屋の隅のほうで東宮とともになにやら真剣な表情で話をしだした。その様子を見て皇后は何かあったからこちらにお二人が来たのだと悟られた。すると東宮は立ち上がって、庭の方に出ると戻ってきた晃となにやら話して戻ってくるとまた帝と話し出した。帝は少し表情を緩めると、皇后の側にお座りになった。そして皇后の耳元で何かをお話になる。皇后は驚いた様子で、東宮と東宮妃、女御達の方を見つめていう。
「綾子様、和子様、もうお疲れでしょうからお開きにいたしましょう。大事なお体に触りますわ。東宮、さあお二人と一緒にお帰りなさい。」
東宮は会釈をすると、二人の女房達に指示をして準備をさせる。東宮のお二方は皇后にお礼の挨拶をすると、東宮とともに東宮御所に戻っていった。
東宮御所に着くと、東宮はお二人を横に座らせて改めて中秋の名月を見る。
「宴ではこのように綺麗な月は見ることが出来なかったよ。やはりお二人が側にいてくれるからかな・・・。始めから三人で宴にも出ずに眺めておけばよかったよ・・・。」
というと東宮はお二人の肩を寄せてゆっくりと月見をしていると、慌てて橘がやってくる。
「まあ!東宮様このようなところではお二方のお体が冷えてしまいますわ!摂津殿、播磨殿!早くお二人をお部屋にお連れして。」
摂津は綾子姫を、播磨は和子姫を連れて部屋に戻っていく。
「東宮様、お二人のお体には東宮様のお子たちがおいでですよ!何かあったらどうなさるおつもりでしょう?それでなくても懐妊の兆候が出たばかりで不安定な時期ですのに・・・。御召もお控えに・・・。」
「ごめん、橘。今日いろいろあってね・・・つい綾姫と和姫を放したくなくなってしまった。」
「まああれほど和姫様のことお飾りだと言われておられたのに?」
「そういえばそうだね・・・。情が出てきたのかな・・・。綾姫に怒られそうだよ。でも綾姫も和姫も喧嘩ひとつせずにまるで姉妹や友達のように仲良くされているし・・・。それとなんだけど、橘は知っているのだよね、父上の弟宮のこと・・・。」
「はい・・・存じ上げております。何か?」
「今日、母上主催の宴でね、弾正尹宮が綾姫と和姫の姿を見てしまったのだ。いろいろあるお方だし、綾姫と和姫に興味を持たれた感じがする。あのお方のことだからどのような手を使って忍び込まれるかもしれないから、摂津や播磨に徹底させるように頼んだよ。特に内通者などはもってのほか。帝の使いだと来られてもこの私を通して欲しい。一応晃や政人には気をつけるように言っているが、晃にはここのところ休みをやってないからなあ・・・。私には公務があるから一緒には居てやれないし・・・。綾姫の女房達は心得たものばかりだから言いのだけれど、問題は和姫の女房達。とりあえず頼んだよ。」
「はい心得ました。」
(父上も警備を増やすとの仰せだから・・・でも・・・)
《作者からの一言》
ついに動き出した弾正尹宮・・・。なんでここまでする必要があるのか?東宮の気苦労が増える一方ですね^^;東宮の乳母で東宮御所女官長の橘はやはり東宮の和姫に対する心変わりをわかっていた様子・・・。しっかりした女官長の橘がいるおかげで、東宮御所は平穏無事なのでしょうね^^;摂津や播磨ももともと皇后付で、橘と同僚。しっかりした方々に見守られています。ちなみにこの三人は40前後のおばさん達です。お子様世代にもまだ登場してくるのです^^;ところで綾姫の女房萩はどこに行ったやら?
第31章 女御の願い
五節のひとつである七夕の日、東宮御所でも七夕の祭りをすることになっており、御所内の女性達は一人一人短冊に願いを込めて書いている。裁縫、歌、書道上達を願うもの、恋愛を願うもの、そしてこの中にも必死で願い事を考えておられる方がいた。それは和姫である。今日は綾姫が和姫を部屋に「一緒にお菓子でもつまみながら書きましょう」と呼んだので、和姫は綾姫の部屋で願い事を考えることになった。
「和子様は何をお願いになるの?」
和姫は綾姫の言葉に頬を赤らめて言う。
「もちろん・・・その・・・・。」
綾姫は和姫が言いたいことがわかったようで、微笑んでそれ以上は聞かなかった。
「私も和子様と同じことを考えていますの。若宮にもそろそろご兄弟が必要ですわ。お互い叶うといいですね。」
と綾姫が言うと、和姫はうなずいて短冊に歌で願いを書き出した。それを見て綾姫も歌を短冊にすらすらと書いた。そこへ公務を終えて戻ってきた東宮が、二人の様子を見て
「そういえば今日は七夕でしたね。清涼殿の女官達も皆そわそわしていたよ。綾姫に和姫は何を願ったのですか?」
綾姫と和姫は書いた短冊を隠してしまったので、東宮は苦笑した。
「あなた方は何をお隠しか?この私にお教えいただけないとは。ずるいですよ、お二人とも・・・。仲良く内緒にされるなど・・・。」
すると二人はむくれた様子で同時に短冊を東宮に見せた。東宮は同じような内容で驚き、扇で顔を隠して苦笑した。
「お二人共ですか?いろいろとがんばらないといけませんね・・・。」
というと、綾姫はいった。
「和子様を先に叶えさせてあげたらどうかしら?私には雅孝がおります。私は構いませんわ。」
「綾子様・・・もう!東宮様がお困りに・・・・。」
「いいのですよ、これくらいいわないと常康様は動きませんから!」
東宮は笑いを堪え切れない様子で、扇を顔に当てて大笑いする。
「それなら今晩和姫を呼びましょうか?」
「綾は構いませんわ。今まで綾が常康様を独り占めにしていたのですから、和姫様にお貸しします!」
東宮は綾姫のことばに驚いた様子で答える。
「私は物ではありませんよ、綾姫・・・・。貸すだの借りるだの・・・。」
和姫は扇で顔を隠して苦笑しながら黙っていた。
和姫の御召は月に数回程度であったが、この月に至っては三日に一回という御召があった。東宮はお二人が喧嘩をなさらないようにと、綾姫もほぼ毎日の御召を三日に一回の御召にした。その甲斐あってか、お二人ともほぼ同時に御懐妊されたのです。
《作者からの一言》
普通恋敵の二人・・・こんな会話をするでしょうか??本当に心の広い綾姫ですね^^;この心の広い綾姫のおかげで和姫は心を開き、だんだん東宮が寵愛する女御となりました。
余談ですが、和子姫は内親王ではありません。正式には和子女王です。父親である中務卿宮は訳あって親王宣旨を受けておらず、呼び方は「親王」ではなく、「王」なのです。ですから和子姫は内親王ではなく女王となっています。本来なら、父親の中務卿宮は曽祖父が帝であったので、そろそろ「源氏」を賜るはずだったのですが、祖父の代からなかなか代々優秀な中務卿宮家系のため、元服後中務卿宮としてそのままにしていました。異例の三代続く中務卿宮一家というのでしょうか?そのような設定となっていますが、子供はこの和子女王一人なので、この代で終わってしまうのです。
第30章 帥の宮の帰郷と過去の罪
春の除目によって大宰府に赴任されていた帝の弟宮である帥の宮が大宰府より戻ってきた。あることが理由で十五年の長きにわたり、大宰府に赴任されていた。東宮兄宮の亡き院が病気になられた際も、この宮が東宮として内々で候補に上がられたのだが、あることが理由によって、候補からはずされ今の東宮に内定をした経緯がある。東宮は五歳の時に一度会った事がある。しかし覚えているわけがない。
御年三十五歳。帝と五歳年下、同腹で姿かたちは帝や東宮に似ておられるが、やはり大宰府に長年赴任されていたためか、なんとなく鄙びた感じのある宮である。帥の宮の北の方は現関白の妹姫である。皇后とは同腹ではないが、皇后より三歳年下の姫である。お子様に恵まれていない。
帥の宮は戻られてすぐに、帝の御前に挨拶に伺った。帝の御前には東宮を始め関白も同席された。もともとこの除目は皇太后であられる帝と帥の宮の母宮の願いで決められてことであり、ちょうど弾正尹宮が昨年末亡くなってしまった事も重なったので、ちょうどよいとして帰郷を勧めた。
「この度は大宰府より都にお呼びいただきありがとうございます。兄いえ帝もご機嫌も麗しく、安堵しております。」
「うむ、良く無事で帰ってこられた。この度は母上の願いで決まったこと。ちょうど弾正台の督が空いたのでそれをあてただけ。決してあのことについては許したわけではない。わかっておるな。」
「はい心得ております。」
「しかしそなたの性格はよく知っている。信頼は出来ん。まあいい、がんばって精進しなさい。さて、もうご存知のように一昨年、私の二の宮が立太子した。覚えておられるか、常康を。いろいろあって現内大臣の子として育ったが、今は東宮として生活している。まだ親王としての生活が浅いので、何かあればよろしく頼んだよ。」
帥の宮は頭を下げ退出しようとすると、関白は帥の宮に伺った。
「私の妹由子姫は元気でおりますか?」
帥の宮は振り返って関白に言った。
「あれは昨年流行病で亡くなりました。子宝にも恵まれず、かわいそうなことをいたしました。では。」
関白は残念そうな顔をして、帥の宮の後姿を見つめた。
「そうか由子姫はお亡くなりになられたか、きっとあの帥の宮の件でいろいろあったからであろうな・・・。かわいそうなことを・・・。」
と帝は関白に言う。東宮はあのことが何かが知らないので、話の筋がわからなかった。
「父上、帥の宮のこととは何なのでしょうか?」
帝は扇を鳴らして、周りのものを遠ざけると、東宮に御簾の中に入るように促し、小さな声でお話になる。
十五年前、東宮が五歳の頃、ちょうど東宮御所が火災に遭い、当時東宮妃の実家が仮住まいとなっていた。もちろんここは亡き関白の邸宅であり、東宮妃のご家族も一緒にお住まいなので、警備やらなにやらごたごたしていたのは言うまでもない。一時、常康は仮の東宮御所にいたが、慌しさにしょうがなく大将邸(現内大臣)に戻っていた。当時お妃は一人であったので、もともと東宮妃のいた部屋に東宮はお住まいになった。そして隣の対の屋は東宮妃の妹姫の由子姫の部屋で姫のお相手である宮内卿宮(帥の宮)はそちらに通っておられた。もちろん東宮妃は妹姫とも仲良くされていたので、何度も偶然宮内卿宮は当代一の姫君言われる東宮妃の姿を見ることがあった。そして一方的な恋心を抱いた。ある日、東宮が急な参内で帰りが夜遅くなった時に事件が起きた。丁度東宮が部屋に近づいたこと、東宮妃の悲鳴が聞こえた。あわてて東宮が部屋に入ると、宮内卿は寝所に寝ているはずの東宮妃を押し倒していた。驚いた東宮は、宮内卿を引き離し投げ飛ばした。
「弟宮とはいえ、このような行為は許されるべきではない!このことは父上に報告する。いいな!」
宮内卿は悪びれた素振りを見せず、部屋を出て行った。東宮妃は東宮の胸に飛び込んで、泣きながらたいそう震えた。
「何事もなかったか?怪我は?」
東宮妃は擦り傷と、押さえたれた時のできた両手首のあざがあったがそれ以外は何もない様子であった。それ以来、東宮妃は東宮から離れようとせず、東宮もそれ以来東宮妃をお放しにならないようになった。もともと宮内卿は浮いた噂がたくさんあり、既婚女性との浮名も多々あることから、父宮である帝がたいそう立腹して大宰府に赴任させた経緯がある。もちろんこのような場所には御所が置けないということで、特別に後宮に部屋を賜って御所が完成するまでそちらでお過ごしになった。
そのような十五年前の事実を知って、東宮は驚いた。そして帝は続けて言われる。
「決して東宮御所に近づけるのではありません。性格というものはすぐに直るものではなく、東宮のもとには当代きっての麗しさの東宮女御たちがいる。目に留まってしまえば、同じことが起こりえるかもしれない。私の後宮にも気をつけないといけない。本当に皇太后は経緯をよくご存知ではないから、息子可愛さに帰郷をせがまれたのだ。」
というとため息をつれて退出なされる。東宮は、関白と共に後宮にいる皇后のもとに伺う。するとそこには東宮女御たちがお邪魔していた。
「まあ東宮、いいところにいらっしゃったわ。ちょうどお二人と珍しい絵巻物を見ていたのよ。」
東宮は部屋に入ると、東宮女御たちの間に座り。関白は少し離れたところに座る。
「まあお兄様、気になさらずにこちらへ・・・。」
「いえ、お邪魔のようですから手短に報告を・・・。」
そういうと、皇后の近くによって小さな言葉で話した。
「例の帥の宮、本日帰郷になられました。そして由子のことなのですが・・・。」
「由子姫がどうしたの?」
「昨年亡くなったようです。きっと心労もかさなってのことでしょう。残念ですが・・・あの時大宰府行きを止めておけばよかったものを・・・。」
「そうですわね・・・帝は何と?」
「お気をつけくださいとのこと、では私はこれで・・・。」
「お兄様、ありがとうございます。」
関白はそういうと皇后の部屋を退出されていった。東宮は関白の声を気にしながら、東宮妃と女御のお相手をした。本当に妃のお二人は楽しそうに皇后の絵巻物を見てお話をした。皇后はお二人が仲良くされているのをうれしく思ったようで、微笑まれる。
「本当にかわいらしい姫君たちだこと。このような姫君たちでさぞかし東宮も毎日が楽しいでしょう。」
「母上、またそのような・・・。」
と東宮は照れながら申し上げる。
「それよりも帥の宮のことは知っていますね。お気をつけて・・・。このように麗しい姫君たちですもの・・・。まあ摂津も橘も播磨もお二人たちについていることですし・・・。」
東宮は苦笑しながら会釈をすると、お二人と一緒に絵巻物を眺めた。
《作者からの一言》
問題がある帥の宮の登場です^^;もちろんこのような行動には理由があるのですが、相当帝は帥の宮を毛嫌いしています。何だか一騒動の予感です^^;
この頃になると帥の宮は別に大宰府にいく必要はなく、都にいてもいいのです。この宮に関しては先帝に相当お叱りを受けたので無理やり飛ばされたのです。
むかしむかし 第29章 節会
清清しい春が過ぎ、青々と茂る草花が眩しい頃、東宮は関白を呼んで話しをする。関白は春宮傅を兼任しており、いろいろ漢学やら政治に関しての指導の傍ら、相談にものっている。
「伯父上、お願いがあるのです。まもなく端午の節会があります。今年は若宮が初節句ですので、私も参加したく思いまして・・・・。」
「何をですか?もしや・・・。」
「競射馬術の催しです。久しぶりに出てみたいと思いまして・・・。」
「何と・・・・そのような・・・・いくら当代一の腕をお持ちとはいえ、東宮の身分で・・・。」
「わかっています。少将であった三年間は毎年帝にお褒めを頂きました。今年は若宮のお祝いも兼ねておりますので、ぜひ。もちろん驚かせたいので帝には内密に・・・。」
関白は少し考えて、答えを出す。
「わかりました。近衛府の大将殿や四衛府の督に根回ししておきましょう・・・ホントに私は東宮に弱いですな。」
そういうとどのように潜り込もうか、二人で話し込む。すると、関白は晃を呼んでさっと書いた文を渡すと耳打ちする。晃はどこかに出かけていき一時すると、政人と晃で馬を一頭連れてきた。
「この馬は・・・もしかして・・・。」
「そうです、東宮が少将の頃より可愛がられていた駿馬でございます。祭りの時も、節会の時も御使用になられました馬でございます。今まで関白家が譲り受け、大事に世話をしてまいりました。どうぞこちらをお使いください。」
以前は葦毛のせいか、黒がかった灰色をしていたが、今は色が変わり白に近い灰色になっていて姿かたちもよく、足は速く飛ぶように走り、大変利口な駿馬である。以前の祭りの際、この駿馬から落馬したきり、この駿馬には乗っていなかった。東宮は庭に下り、その駿馬の駆け寄ると、撫でて背に乗る。さすがに利口な馬なのか、東宮が乗っても無駄な動きはせずに、指示を待っている。指示を与えると今度はきちんと手綱の指示通りに動き出した。やはり乗っていても気持ちがいいようで、颯爽と庭を走り回られる。女房達は始め心配そうに眺めていたが、東宮の手綱捌きに皆感嘆する。関白もこれなら大丈夫だと確信し、東宮の希望をお受けすることにした。早速その日のうちに、大将や督に根回しをすると皆驚かれたが、当代一の腕を久しぶりに拝見したいと、了解された。もちろん当日までは帝などには内緒のことである。
当日帝を始めたくさんの殿上人や宮家の者達が武徳殿に端午の節会のために集まった。その中には若宮も初節句ということで、参加している。久しぶりに参内した若宮を帝はたいそう喜ばれた様子で、膝の上に座らせて、節会の催しが始まるのを待った。その隙に東宮は抜け出し、昔少将の頃に着ていた武官の束帯に着替えて、準備をする。そしてこっそり参加者に紛れようとしたが、東宮女御綾子の兄上の左近中将やら、昔の同僚達に見つかってしまう。
「東宮様、なぜこのような格好で・・・。」
と左近中将たちが言う。すると東宮は微笑んでいう。
「別にいいではないか?若宮の初節句であるし、久しぶりに出たくなってしまったものだから。正々堂々とお願いしますよ。」
「東宮様の腕にはかないません。少将であられた時は毎年帝にお褒め頂くほどであられたのですから・・・私達と対等には・・・。」
東宮は微笑まれて、葦毛の騎馬に乗ると順番が来るのを待つ。
最後東宮の順番が回ってくると、帝に向かって会釈し、技を披露する。帝たちはたいそう驚かれて、
「あれは東宮ではないか・・・なぜあのような・・・・。」
といい、東宮の技をご覧になり腕がまったく落ちていないことに感嘆される。後宮の方々や、東宮女御たちも突然の東宮の参加に驚かれたが、昔と変わらない姿に東宮女御たちは喜んだ。
「おお、今年は何とよい趣向か。皆の者も腕を上げられたが、東宮、そなたの腕にはやはり感動を覚える。今年の催しはとても満足に値する。褒美として皆の者に節会の宴を与える。ゆっくり楽しむがよい。」
そういうと、帝は催しを退出される。東宮も騎馬を降り晃に渡すと、若宮たちと共に、東宮御所に戻って行って今度は若宮のための私的な宴を御所で行った。
この宴は、東宮主催で、帝や後宮の方々、そして関白家、右大臣家、中務卿宮家など、親族の方々だけの身内の宴である。東宮は、催しの束帯のまま帰ってきたので、着替えようとしたが、帝や皇后など皆そのままのほうが面白くてよいと、着替えずに宴を始めることとなった。若宮はもう伝い歩きが出来るようで、乳母に両手を引かれて少しずつ歩いてこられる。ますます可愛くなられ、東宮も若宮を呼び寄せてみるが若宮は人見知りが始まったのか、乳母の後ろに隠れて出てこなかった。東宮女御綾子は若宮を抱き上げて、東宮の前に連れて行き、東宮が手を差しのべおいでというと、少し考えながら東宮のもとに手を伸ばした。
「やっと父上様とわかられましたのね。本当にお久しぶりですもの・・・。」
と東宮女御綾子がいうと、東宮は若宮を抱き上げると頭を撫でて頬と頬を合わせる。若宮はたいそう喜んで笑った。
「本当に久しぶりで父上の顔を忘れたか雅孝?」
そういうと、宴が行われる寝殿に連れて行く。
寝殿に着くと、もう招待を受けた方々がもう揃っていたので、着席後に東宮は皆に挨拶して、宴会が始まる。宴会が中盤になると、ほんのり酔われた帝が提案をする。
「常長、お前の得意な馬術をもう一度見せておくれ、今日の催しはとてもよかった。」
「まあ、帝、そのようなことを・・・少し酔われたようですわ・・・東宮も少しお酒が入られていますし・・・。ねえ東宮。」
「いえ、構いませんよ。そんなに酔っておりません。」
東宮は晃を呼んで先程の駿馬を連れてこさせると、寝殿前の広い庭に下りて駿馬に乗られる。そして先程の技を披露すると、招待されたものたちは大喝采で、帝もたいそうご機嫌がよく東宮をお褒めになった。東宮は若宮の乳母を呼び若宮を受取ると、自分の前に座らせ、馬に乗せる。
「雅孝、親王であろうと馬術は出来ないといけないよ。また大きくなったら教えてあげよう。」
そういうと馬を歩かせ庭を一周すると、若宮は大変喜んだ様子で、馬を降りようとしなかった。すると関白が東宮に申し上げる。
「その馬は関白家が譲り受けたものですが、それなら若宮様に初節句のお祝いとして献上いたしましょう。とてもおとなしく利口な駿馬ですのできっと成長された若宮様にぴったりだと思います。」
「ありがとうございます伯父上、きっと若宮ももう少し大きくなられた時に乗りこなすことでしょう。」
そういうと、東宮と若宮は馬を降り、席につく。若宮は少し疲れた様子で乳母に抱きつき、すぐに眠ってしまった。乳母は若宮を抱き退出していった。宴はたいそう盛り上がり、お開きになる。
東宮が部屋に戻る途中、東宮女御和子は東宮を呼び止めると、空いたお部屋に入っていただいて他のものを遠ざけて申し上げる。
「東宮様、お願いがあります。きっとわかってはいただけないと思って申し上げます。」
「何ですか?このようなところに呼んでまでの話でしょうから、きっと他の者に聞かれてはいけないこと?言ってごらんなさい、出来る限りのことは前向きに考えてあげるから。」
女御は顔を赤らめ一息ついて東宮に申し上げる。
「きっと東宮様は形だけ妻であるの私の願いなどは聞いていただけないと思っておりますが、どうしても欲しいものがございます。それは・・・。」
「どうしたのですか?言ってごらんなさい。寂しい思いをいつもさせていますから、何か猫でも用意させましょうか?鳥でも何でもいいですよ。」
女御はよこに首を振って申し上げる。
「いつもかわいらしい若宮を見て、思いますの・・・その・・・私にも一人でよろしいから東宮様のお子を賜れないでしょうか?内親王でも構いません。願いいれては頂けない事と承知しておりますが・・・。」
東宮は少し驚いた様子で顔を赤くして少し考えていう。
「前向きには考えておきます。こういうことは・・・頃合を見て・・・。」
顔を赤くして、東宮と女御は部屋を出てきたので、女房達は少し変に思ったが、あとは何事もなかった様子で、東宮の部屋に入られていくのでなんでもなかったのだと思ってそのままにされる。東宮の部屋にはすでに東宮女御綾子と若宮が待っており二人で遊ばれているのを見て、東宮は二人中にお入りになると、女御和子も呼んで若宮と一緒に遊ばせになった。東宮女御綾子も今まであまり近くに呼んでも来なかった女御和子の若宮と遊ぶ姿を見て、驚いた反面自分のことを敵対されてないのだと思い安心される。
「綾子様、とても羨ましいですわ。私も若宮のようなかわいらしい御子がいればいいのですが・・・。」
「いずれよき日が来ればきっと和子様にも授かりますわ。」
「綾子様・・・。このような私にも御子が出来るでしょうか?」
女御に微笑まれて、縦にうなずき返事をする。和やかな二人を見て東宮は安心する。
《作者からの一言》
本来この時代の端午の節句は男の子の節句ではありませんでした。武士の世の中になってかららしいです。健康を願う節句となっています。だから若宮の初節句という表現はおかしいのです^^;
綾子も和子も本当は行き違いというだけで、仲が悪かったわけではないのです^^;これから二人は友人のように、姉妹のように仲良くなるのです。