むかしむかし 第18章 尚侍の出仕
出仕当日の朝を迎えた。姫はつわりのためか、あまり元気はないが、何とか十二単に着替えて右大臣家からの迎えの車が来るのを待った。
「姫様、帯はゆるめに着付けさせていただきましたので。あまり無理はなさらぬように。」
「ありがとう、萩。」
すると皇后が入ってきて、挨拶する。
「まあ、やはりお綺麗ですわね。東宮が一目惚れさえたのもうなずけますわ。やはり気分がすぐれないのね・・・。私もそうでしたわ・・・。あと二月ほどしたらずいぶん楽になりますわ。今日はまず帝にお目通りして、東宮御所にお入りになられます。いいですか、帝の前では大変でしょうが、出来るだけ笑顔で・・・。たぶん東宮も同席されていると思いますので。」
「はい、がんばります。」
「そうそう。帝は大変あなたに会われるのを楽しみになさっておられるのですよ。東宮がとても愛しみになられている姫ですもの。きっと入内されても東宮の寵愛を一身に受けられるのでしょう。私もそうでしたわ・・・。いろいろな高貴な姫君が、入内されましたが、いまだに私だけを側においてくださるのですもの。」
「あの・・・やはりいろいろな姫様が入内されるのでしょうか・・・。」
「そうね多分・・・。今のところ内大臣家の四の姫様、大納言家の一の姫様、中務卿宮家の姫様。このお三方は必ず名乗り出てこられるでしょう。でもね、関白様には適齢の姫がいらっしゃらないのだから、あなたが筆頭のご身分なのです。それも第一子をご懐妊なのですから、堂々となさっていいのですよ。特に皇子なら申し分ありません。ご安心なさって。私がついておりますもの。私はあなたの味方よ。当然東宮もあなたを大切になさるでしょ。」
姫は扇を顔に当てて、考え事をするうちに、迎えの車がやってきた。姫と静宮が車に乗り込むと、皇后の車を先頭に内裏に向けて出発した。やはり車は揺れるのか、姫は気分悪そうに、母宮に寄りかかって、我慢をする。やはり右大臣家の姫が出仕ということで、相当な量の行列である。内裏に着くと、まず清涼殿の帝の御前に挨拶に行く。帝の横には東宮と皇后が御簾の中に座って待っている。母宮が、まず帝に挨拶をする。
「帝、お久しゅうございます。もう何年振りでしょうか・・・。」
「そうだね、私がまだ東宮の頃か・・・。叔母上、いや静宮はお元気でしたか?」
「ええ何とか・・・降嫁した後いろいろございましたが・・・・。」
「さてそちらがあなたの姫で?」
「はい。このたびありがたいことに尚侍の官位をいただきました、綾子と申します。さあ、姫。」
すると姫は、扇で顔を隠しながら、何とか笑顔で挨拶をする。帝はたいそうお気に召して、お喜びになられる。
「静宮、あなたに似てとてもお美しい姫君ですね。これならほかの姫とも引けをとらない。なんというか・・・。」
するとこそっと帝が言い直す。
「右大臣に似ておられず、よかったですね。」
静宮は顔を赤らめて、
「まあ、何ということを・・・。うちの殿にも良いところぐらいはありますわ。」
「そうですね・・・。でもすばらしい姫で安心しました。さて、綾子姫、今日よりあなたは尚侍として東宮の身の回りのことをしていただきます。といっても事務的なことですが・・・。東宮はとても性格の良い子ですので、きっとあなたをかわいがってくれますよ。宮中では何かと気苦労が多いでしょうが、がんばってお勤めしなさい。いいですね。」
姫は会釈をすると、東宮が話しかける。
「体調が思わしくないと聞きましたが、いかがですか?今日はお疲れでしょうから、御所の一室でお休みになってください。何かありましたらお呼びいたしますので。」
「はい・・・。ありがとうございます。感謝いたします。御前失礼いたします。」
そういうと、姫は母宮と共に、東宮御所に入られた。賜った部屋は御所内でも日当たりが良く、とても空気の流れの良い一室で、一女官が賜るような部屋ではなかった。用意された調度も、女房も皆きちんとされていて、東宮の性格が現れていた。間もなくして一人の女房が姫の前に現れた。
「はじめまして。私は尚侍様の身の回りの世話をいたします近江と申します。」
近江といえば、東宮の乳母の子として、ずっとお仕えしてきた女房である。
「まあ、あの宇治の姫君様と対面できるなんて光栄ですわ・・・・。東宮様よりお聞きした時よりずっとあこがれていたのです。思ったとおりのお方ですわ。遅れましたが、私は東宮様の乳母子で、東宮様が幼少の頃よりお仕えしてまいりました。」
すると母宮がいう。
「まあかわいらしい女房だこと。東宮様の乳母子なら大丈夫ですわ。ねえ姫。頼みますよ近江。東宮様よりいろいろお聞きになっているかもしれませんが・・・・。」
「はい内々的に伺っておりますし、尚侍様近くの者達はみんな口の堅いものばかりを東宮様が厳選の上厳選されてお決めになった者ばかりです。もちろん御所のものすべて内部のことは口外無用と仰せつかっておりますので、尚侍様のことは決して外部には漏れません!」
「そうそれなら安心しました。ねえ姫。そうそう、姫、せっかく東宮様がゆっくりなさいと仰せなのだから、早く横になって・・・。」
尚侍は唐衣を脱ぎ、小袿になると、横になった。よろしければどうぞと、近江は蜜柑などを差し上げた。すると、東宮が御所に戻ってきたらしく、外が騒がしい。
「まあ、東宮様。今尚侍さまはお休みに・・・。」
「近江、わかっているよ。ちょっと顔がみたくなったから・・・。」
東宮は寝所に寝ている尚侍を見ると、静宮に話しかけた。
「この部屋、気に入っていただきましたか?本来ならここは東宮妃用の部屋なのですが、ここが一番景色も日当たりも良いので、無理を言ってこちらにご用意しました。調度も良いものを、使い勝手の良いものを、女房も教育のいきわたったものをご用意させていただきました。」
「ほんとに身分から言って申し分けないくらいの物を賜りまして大変感謝しておりますわ。きっと姫も元気に健やかにお過ごしになるでしょう。東宮様も連日のことでお疲れのようですから、ごゆっくりと・・・。いつでも姫に会えるようになったのですから・・・。」
「そうですね・・・。早く姫の元気いっぱいの笑顔を見たい・・・。それだけが私の願いです。」
そういうと東宮は会釈をして、自分の部屋へ帰っていった。本当に東宮の用意した女房達は教育がいきわたっており、噂話や影口など一言も言わない女房達で、安心して過ごす事が出来そうである。萩も何とか東宮の用意した女房と溶け込むことが出来たようで、近江とも仲良く出来たようだ。
「近江さん。本当に東宮様は性格がとてもよい方ですのね・・・。尚侍様も安心してお仕え出来ますわ。」
「ほんと。東宮様は私達のような女房にもよく気を使っていただくし、真面目できっちりとした方なので、私達も安心してお仕え出来るのですよ。萩さんも宇治の姫君様のようなお美しくて東宮の寵愛を一身に受けられている姫君にお仕えされているなんで・・・うらやましいわ。」
二人はとても気が合ったようで、仲良くしている姿を見て、東宮は微笑まれる。
(近江と萩が敵対したらどうしようと思ったけれど、これなら安心だな・・・。これで近江から姫の詳しい体調やらを聞けるし・・・。)
次の日から一応形式上の書き物などを少しずつ尚侍はこなし、毎晩のように東宮は尚侍の寝所に来て姫と歓談するのが日課となった。尚侍もだんだんつわりも治まり、元気になっていった。
《作者からの一言》
やっと始まった新婚生活(?)でもまだ正式じゃないのが残念です^^;まだ愛人の域です^^;毎晩のように尚侍の寝所に来るということで事情を知らない人たちには大変寵愛を受けているように見えるのでしょう。計画通りってことですか?
幸せになって欲しいものです^^;
むかしむかし 第17章 歌会にて
親王立太子の儀礼も滞りなく終了し、年が明けた。御年19の東宮は、新年を迎え、様々な行事に出席するようになり、初めてのことが多く戸惑ったが、何とかこなしていた。以前少将のころはなんとも思わなかったことも東宮ということで気苦労も増えたのである。
ある日、皇后からの文が届けられた。
『三日後に関白家の一条白鷺邸で歌会をしますからあなたも出席なさいね。この歌会はあなたの妹宮幸子(ゆきこ)が弥生に降嫁する前の思い出にと私が主催します。』
幸子内親王は東宮よりも三つ年下の同腹の妹に当たる内親王で、弥生三日に関白の嫡男である参議殿に降嫁されることになっていて、その前の思い出作りに同年代の貴族の姫君を呼んで歌会をいたしましょうと言うのは表向きの話で、本当は東宮のお妃候補選定のひとつとして開催されるようである。それを知らないのは東宮と、御招待された宇治の姫君のみ。この歌会を考え出したのは、もちろん関白殿で、いろいろな殿上人が東宮妃候補にと根回ししてきたので、公平にという事(本当は公平ではないが、形だけは公平)で、このような縁談の歌会を開催するように決めて、皇后主催と言う形での歌会になった。同時期に宇治の姫君こと右大臣家の綾姫にも右大臣を通じて皇后から届けられた。姫はとても困惑したが、皇后から招かれたということでしょうがなく出席を了解した。
歌会当日、様々な姫君が競うように関白邸に集まった。色とりどりの十二単を身にまとい、きれいに化粧をしている。その中には浮かない様子の綾姫も案内された場所に座っている。やはり姫君たちは家柄順に席順が決められており、まず上座から、右大臣家の綾子姫、内大臣家の四の姫冬子姫、中務卿宮家の和子姫、大納言家の響子姫、右近大将家の庸子姫など総勢十名近くの姫君が順番に座っている。やはり家柄からいっても、綾姫はいいようで、皇后たちがいる御簾の近くに座っている。
「皆様、間もなく皇后様をはじめ東宮様、内親王様が参られます。」
と、皇后つきの女官がいうと寝殿内は静まりかえった。
歌会が始まると、お題が出されそれにしたがって即興で歌を作り、発表する。様々な姫君たちは東宮に気に入られようと一生懸命歌を詠んだ。綾姫はほかの姫とは違って、やはり浮かない様子で歌を考えているのを見て、東宮は心配しながらじっと綾姫を見つめた。
「まあかわいらしい姫君たちだこと・・・。微笑ましいわねえ・・・ねえ東宮。」
「ええまあ・・・。」
「お兄様、皆様お歌がうまいですわね。さすが家柄の良い方達ばかり。私、圧倒してしまうわ。」
「そうだね。」
すると皇后は、東宮の耳元で囁く様に言った。
「あの方ね。東宮の宇治の姫君って方は。まあなんとかわいらしい気品のある方でしょう。一番趣味の良い唐衣をお召しで・・・。」
「ええ。あれは私が選んで差し上げたものです。」
「あの姫なら姑としてうまくやっていけそうだわ。」
「まあお母様ったら。お兄様がお困りよ。ねえお兄様。」
顔を真っ赤にさせながらまだ綾姫をじっと見ている。
(体調でも良くないのかな。ずっと浮かない顔をして一向に歌を書かないなんて・・・。)
何とかできた歌もいつもの文に書いてあるような歌の出来ではない。
歌会が終わり、続々と姫たちは満足そうに帰っていく中、綾姫はいまだ座って浮かない顔をしている。一緒についてきた萩も心配そうに声を掛ける。
「姫様。どうなさったのですか。あんなにお得意な歌を・・・。」
ひとつため息をつくと、御簾の中から声が聞こえた。
「綾姫、今日はどうなさったのですか。あれほど得意な歌を期待していたのに。御簾の中からひやひやしてしまいました。」
東宮はそういうと、御簾から出てきて綾姫の前に座る。綾姫はフッと我に返り、顔を上げる。萩は東宮に一礼をすると後ろに下がった。
「その唐衣、似合っていて良かった。気に入ってくれた?」
「え?どうしてここに常康様がいるの?」
萩はあせって言う。
「姫、東宮様ですよ!」
「いいよ萩、姫にはちゃんと説明してないのだからびっくりするのは当たり前だ。」
「え、どうして?」
「ちゃんと御簾の中から見ていましたよ。浮かない顔してどうしたのですか?まあ今回の歌会はなんか仕組まれているような気がするのだけどな・・・。どう見たっていろいろな姫君との顔合わせにしか思えなかったよ・・・。まああとでゆっくり話してあげるから、さあ元気を出して。久しぶりにあなたの笑顔を見たい。」
すると姫は急に顔を青ざめると、気を失った。
「萩、どこか部屋を貸していただけるか聞いてきてくれないか、あと薬師も!早く!」
「はい!」
萩は急いで聞きに走った。東宮は唐衣の帯を緩め、姫の顔をなでる。少し経つと、皇后が急いで寝殿に入ってくると、東宮に言う。
「東宮!早く私の部屋に移して!大事な姫様でしょ。早く!薬師はもうすぐ来ます!私から右大臣家に姫御倒れと知らせておきますからついてあげて!良いわね!」
「母上、はい!」
そういうと、姫を抱き上げ、皇后のいる部屋に運んだ。そして寝所に寝かすと、女房が持ってきたぬれた布を額に乗せた。
「萩、姫はいつからおかしかった?今日もずっと調子悪そうだった。」
「はい、年が明けてから気分がすぐれないと・・・よく臥せっておいででした。」
「それを知っていたらこのような歌会など・・・。」
急いで薬師が入ってくると、脈をはかったり、額を触ったりしたあと、萩にこっそりと何かを聞くと、御簾の外に出てきて微笑んで東宮に申し上げた。
「おめでとうございます。ご懐妊の兆候とお見受けいたしました。御予定は、秋口でしょうか・・・。今の時期は何かと不安定な時期ですので、ご安静に・・・。」
そういうと薬師は、深々と頭を下げると帰っていった。
「まあ!何ということでしょう!お相手はどの殿方でしょう。まあ一人ではできないものですし、ねえ東宮。」
東宮は、信じられない様子で、顔を扇で隠す。
「東宮になられてすぐにこの喜ばしい知らせ・・・。帝も私が入内すぐに懐妊した時は東宮みたいに大変驚かれていましたわ。この私に孫ができるのね。確かに東宮のお子でしょうね。」
「一度きりでしたけど・・・・何というか・・・・。」
「一度であっても出来る時は出来るのよ!でもまだ入内させていない姫が懐妊だなんて・・・・。帝と関白のお兄様に相談しないと・・・。とりあえず、この姫はこの私がお預かりしてよろしい?私は当分里帰りしているし・・・まあおめでたいことには違いないわ。」
すると女房が入ってくる。
「申し上げます。右大臣家の北の方様が右大臣様の名代で来られましたが・・・。」
「すぐにお連れして・・・。」
女房は頭を下げると、姫の母を連れてきた。
「まあ、静宮様!お久しぶりでございますわ。」
「まあ、皇后様・・・私の姫綾子が倒れたと聞き、飛んでまいりましたの。お久しゅうございます。何年ぶりかしら?」
「東宮、この静宮様は帝よりも年下であられますが、帝の叔母上様ですのよ。右大臣家に降嫁されたと聞きましたが、三の姫様のご生母でしたの?私が入内間もない頃よく御相談にのって頂きましたのよ。ところで、綾子姫様なのですけれど・・・。」
静宮様は不安そうな顔を半分扇で隠し、皇后の言葉を伺った。
「あのですわね、大変喜ばしい反面、少し難儀な問題がありますのよ。」
「皇后様、包み隠さずはっきりと。皇后様と私の仲ではありませんか・・・。」
「実はですね、ここにあられる東宮の御子をご懐妊されたようですの。元々東宮と姫は恋仲であられたので問題はないのですけれど、まだ姫は入内されていない状態。水面下では入内の話が進んでいたのですけれど、これでは入内をどうにかして急がせなければならないかもしれません。」
「あら、東宮様って・・・4年前宇治でであった若君様?お懐かしいございます。」
すると東宮は会釈をすると、少し照れながら姫が気になっているのか、そちらの方ばかり振り向かれる。
「うちの姫は一度入内の宣旨を受けておりますので、いつでも入内できるように出来ておりますが、何とかごまかさないといけない部分が出てきますわね。」
皇后と静宮様は日が暮れるまでごそごそと相談をしている。東宮は、姫の手をとりずっと看病をしていた。すると内裏から関白が帰ってきたようで、表が騒がしい様子だった。その騒がしさが、この皇后のいる部屋まで近づいてきた。
「皇后、何ですかしんみりして、おかしいですよこの雰囲気は。東宮様もまだ御所にお帰りにならないと大騒ぎでしたが・・・。」
「兄様!どうにか右大臣の三の姫を早く入内できないかしら!すぐにでもよ!」
関白は困り果てた表情で、答える。
「尚侍などなら早く宮中に入ることは出来ようが、東宮妃となると・・・最低半年、いや!3ヶ月はかかるかもしれませんよ。何を馬鹿なこと!」
すると皇后は扇を鳴らして言う。
「そうよ!とりあえず東宮の尚侍として宮中にお入れして、頃合を見て東宮女御として入内よ!さすがはお兄様!そのように根回ししてくださらないかしら。帝には私からも文を書いて知らせておきます。」
関白は不思議そうな顔をして言う。
「どうしてそんなに急がれるのですか?」
「そう言っていられない事態になってしまったの。実は姫君は東宮の御子をご懐妊されたのです。」
「え?ご懐妊ですと?そんな馬鹿な・・・いつ?もしかして・・・。」
「お兄様心当たりがおありですのね・・・。」
「ちょうど立太子の宣旨を受けられた日に右大臣家に東宮は行かれてお泊りに・・・。」
「そ、それですわ!」
「まさか東宮がそのような・・・。」
「東宮もれっきとした殿方ですよ。いくら堅物で真面目といわれる方であっても、ついということが!」
「本当に懐妊されているのですね。わかりました何とかしてみます。この件に関しては内密に事を運びますので、いいですね東宮。」
すると東宮は返事をしてまた黙り込む。3人は夜が更けるまで、話し合い、段取りを話し合った。決して右大臣にはいわないように、静宮にも釘をさす。そうでないとこの計画が漏れてしまうというのは確実であるからです。とりあえず、皇后が里帰りを終え、後宮に帰る時に綾姫も一緒に後宮に入り、尚侍の宣旨が下るまで待ち、ある程度日が経つと今度は東宮の御子をご懐妊として報告し、生まれた後に東宮妃になるという計画を立てた。これでうまくいくかはやってみないとわからないのだが、皇后はこの件について帝に文を書くと、すぐに返事が返ってくる。内容はそのようにせよとのご命令である。明日前触れもなく、勅使を右大臣家に出し、急遽尚侍に決まったからすぐに御所に入ると命を下し、明後日ごろに姫と静宮を連れて皇后が御所に行くという内容が、こと細かく帝の文に書かれていた。いずれにせよ内密にと言うのは一緒であった。
朝方、姫は目を覚ました。東宮は一睡もせず姫の看病をしていたようで、少し疲れた様子で、ずっと横に座っていた。東宮は姫の目覚めに気がつくと静宮と皇后を呼んだ。すると、お二人とも、うれしそうな顔で御簾の中に入ってきた。姫はまだ気分がすぐれないようで、起き上がるのもやっとであったが、東宮に支えられて起き上がった。とりあえず東宮は姫に白湯を飲まし落ち着かせると、静宮が話し出した。
「綾姫、いいかしら。」
「お母様・・・私はどうしてここに?常康様?」
「綾姫、あなたはご懐妊されているのよ。誰がお相手か心当たりはありますわね?その件で皇后様よりお話があります。」
皇后は姫の側によると、手をとってお話になる。
「お相手が東宮と聞いてとても喜ばしいのですが、まだ姫様は入内どころか宣旨も下っておられません。一時宣旨があったとしても、先代の東宮の妃としてでしたからこの懐妊の事は一時伏せておかないと、東宮を始めあなたのお父様など様々な方の信用問題にかかわります。そこで、とりあえず本日東宮は御所に帰られますが、その後に御所の一室を賜り尚侍として宮中に上がっていただきます。そして頃合を見て、東宮の寵愛を受けて御懐妊として発表し、お子様がお誕生になられたら妃になられるよう、帝もご承諾の上のことになっております。良いですか、これはあなたのためでもあります。」
すると姫は東宮の顔を見上る。
「常康様。どうして常康様が東宮になられるの?常康様は内大臣家の・・・。」
「いろいろあってね・・・私は親王だったのです。また落ち着いたらゆっくりと話すよ。今はゆっくり安静に・・・その・・・お腹の僕と姫の子を大切にはぐくんで欲しい。何か食べたいものとかある?萩に持ってこさせるから。参内の準備も静宮様にお任せしたし、姫はゆっくり休むといい。ここの関白家は僕が元服までお世話になったお邸だし、関白殿もとてもお優しい方だから、安心して明日の参内までゆっくりしていたら良いよ。僕はこれから御所に帰らないと皆が心配しているし、姫をお迎えする準備も指示しないといけないから・・・。」
そういうと、東宮は姫を横にすると、御所に戻る準備をし、夜が明けると帰っていった。姫は自分のお腹に手をあてて涙ぐむ。うれしいのか、それとも不安でしょうがないかは定かではないが、姫は萩に看病されながら関白邸にお世話になった。朝早くいきなり勅使がやってきた右大臣家では、案の定大騒ぎで、明日の参内に向けて準備を急いだ。北の方の女房やら、姫君の女房やらがあっち行ったりこっち行ったりと、一日中ばたばたしている。御所に戻った東宮も、帝からの命で尚侍の出仕を形式上知らされ、尚侍用の部屋を片付けさせる。そして尚侍付きの女官や女房の選定やら、こちらもばたばたしている。夕方近くになって、帝がお越しになる。
「父上、お呼びくださればこちらから・・・。」
「いいのだよ。明日の急な尚侍の出仕で呼んでも来ないだろうと思ってね・・・。どうかな、準備は?」
「万端とはいえませんが、なんとか・・・。」
「ところで・・・。」
そういうと、帝は扇を鳴らし、東宮と二人きりにさせた。
「ところで昨日皇后から伺いましたよ。あなたらしくない・・・びっくりしてしまいました。しかし喜ばしいこと・・・。」
「はあ・・・。」
「ほんとにあなたの御子でいいのですね。」
「はい、もちろん。一度きりでしたが・・・。」
「まああの右大臣のことだからほかの公達を通わすということはないであろうし。早く孫の顔を見たい。楽しみにしているよ。姫のお体をちゃんとお守りするのですよ。」
「はい。静宮様もご一緒と聞きましたので大丈夫だと・・・。」
「おお、叔母上もご一緒なら大丈夫だ。私も叔母上に会えるのを楽しみにしているよ。」
そういうと帝は、内裏に戻っていかれた。
東宮は緊張で寝ることが出来ず、朝を迎えた。
《作者からの一言》
現代でいう出来ちゃった結婚へまっしぐら・・・いいのでしょうか?既成事実ってやつですね^^;この時代はこういうのはあったかもしれませんが、入内前の姫が・・・ってのはないでしょうね^^;ホントにつわりは辛いです^^;
それよりも尚侍として参内に3日というのは異例です^^;というより不可能でしょうね^^;最低でも数ヶ月かかるのではないでしょうか?どうつじつまを合わせろって言うのか?生まれたら出来ちゃったがばれるのにね^^;
むかしむかし 第16章 しばしの別れ
親王が車に乗って東三条邸あたりにつくと、関白の指示通り、従者に声をかける。
「政人、晃を呼んできてくれないか。疲れているのか、気分が悪い。」
「は!」
そういうと先導している晃を呼んでくる。
「宮様、お呼びでしょうか・・・。」
「晃、なんだか車に酔ってしまったようだ・・・どこか休めるところはないかな。」
「そうですね・・・この辺ではやはり右大臣邸が良いかと。今から聞いてきます。少々お待ちを!」
「うん頼むよ。」
すると馬を走らせて右大臣邸の門前までやってくる。
「頼もう!右大臣様にお伺いをいたしたい。」
すると門衛が言う。
「どちらの家のものか。」
「われは恐れ多くも今上帝の二の宮常康親王様の従者。親王様が途中車の中で体調を崩されたのだ。こちらで少し休ませていただきたいと思い伺いました。そうお伝え願いたい。」
「は!少々お待ちを!!」
と言うと慌てふためいて、聴きに入る。少しすると、慌てて帰ってくる。
「すぐにおいでくださいませとの右大臣様の直々のお許しが・・・。どうぞお入りください!」
「助かった、そう親王様にお伝えする。」
と言うと馬を走らせ、車の側まで来ると政人に伝える。
「ただいまより右大臣家にお世話になる。早く宮様をお連れせよ!」
「わかった。」
と言うと車の横で親王に申し上げる。
「右大臣邸に今から参ります。」
「わかった。晃あとは頼むよ。」
「は!」
すると晃は先導し始めた。右大臣家につくと、邸内は大騒ぎになっていた。車を寝殿に着けると、親王は扇で顔を隠しながら車から降り、出迎えた右大臣に挨拶をする。右大臣は客間に案内をした。そして親王を上座に座らせ、話し出す。
「本日はお疲れのところ、よくいらっしゃいました。」
「いえ、関白様の心遣いのおかげと言うか・・・。右大臣様には本当に気を使わせて申し訳ありませんでした。今日しかこちらに伺えないと思い・・・。」
「本当に・・・関白殿はあなたのお気持ちを良く御存知であられる。偶然を装ってこちらに来られた方が、この立太子の前の親王様には都合がいいですから。」
「姫はこの私がこのような立場になったと言うことを知っているのでしょうか・・・。あれから半月何度か文を交わしましたが・・・。」
少し考えて右大臣は親王に言った。
「私の口からいっていませんが・・・・。先日も少将様はいつ嵯峨野からお帰りかと何度も聞いてきたことがありましたが・・・。」
「じゃあ知らないと思った方がいいのかもしれませんね・・・。今日を逃すともういつ会えるかもわかりません。関白様はできるだけ早く姫を入内できるように働きかけるとおっしゃっていただきました。」
「それはそれは・・・。」
「早くても夏までは会えないでしょう。明日からは鳥羽のおじい様縁の別邸にお世話になりますし・・・護衛が付くのでそう簡単に抜け出すことは・・・・。別邸の方にはうちの政人に体調不良のため今晩こちらにお世話になると先程文を持たせました。なんというか・・・、その・・・姫と今晩ゆっくりと、話できる時間をいただけますか?」
「どうぞどうぞ。このまま姫と契っていただいてもいいぐらいです。」
親王は真っ赤な顔をして、下を向くと
「それでは当分会えない姫がかわいそうで・・・姫ならきっときちんとした結婚を望むと思うのです・・・。」
と言うと右大臣は扇で口を押さえて笑う。
「ホントに親王は相変わらず真面目でおられる。親王になられて少しは大人になられたと思ったのですが・・・。先日もあのような機会があってもただ添い臥しただけと伺っております。私ならそのまま無理やりでも契っていたでしょうに・・・。まあいいでしょう。お好きになさいませ。あの姫を親王に差し上げたのも同然ですので。」
相変わらず笑いをこらえている右大臣を見て、親王はさらに真っ赤になる。それを見てさらに笑い出す右大臣である。
日が傾きだすと、右大臣は親王に姫の対の屋の行きましょうと誘った。親王は少し照れ笑いをしながら、右大臣の後ろをついて姫の対の屋に向かう。姫の対の屋では急なお客様がおいでというので、部屋を片付けたり、姫を着替えさせたりとバタバタしていた。
「ねえ萩。どなたがおいでになるの?この衣装だって新調したばかりの物ばかりで・・・。」
「姫が大変驚かれる方だと大臣様から聞きましたわ。うふふふ。」
「萩は知っているのね!そういえばさっき寝殿が騒がしいといって出て行ったもの・・・。」
萩は右大臣から聞いているのか、親王になられたことも、立太子されることも、姫はいずれ入内されることも知っているが、姫には内密と言われているので、黙っている。それだけ萩は姫の反応が楽しみでしょうがないのだ。すると桔梗が走ってきた。
「姫様!今そこに大臣様が来られましたわ!お客様はなんと!宇治の君様ですわ!」
「え!そのような文は・・・。そういえばそろそろ嵯峨野からお帰りになられると思っていたわ。きっとそのまま来られたのかしら・・・。」
といって姫は真っ赤な顔をして自分の身なりを整えだした。
少し経ち、外が騒がしくなると、親王が入ってくる。すると親王は額を押さえながら顔をしかめている。右大臣つきの女房は、冷たい水でぬらされた布を急いで持ってくると親王に手渡した。それを額に押しあてて案内されたところに座った。
「常康様。どうかなさいましたの?」
すると親王は恥ずかしそうに照れ笑いをする。
「常康殿は先程つまずかれて柱に額をぶつけられたのだよ。」
「右大臣殿・・・皆に見られてしまって恥ずかしい限りです。」
姫は一息ついて右大臣に言う。
「だから先程たいそう騒がしかったのですね。お父様、私が常康様のお手当てを・・・。」
右大臣は扇を鳴らすと、
「そうだな!姫が手当てをするといい。あとで塗り薬を届ける。」
というと、一同を下がらせて自らも部屋を出て行った。姫は御簾からそっと出てくると、親王の側に寄ってきて、額を見る。
「まあ・・大きなこぶが・・・。おかわいそうに・・・痛い?」
「いえ、姫の顔を見たらふっと痛みは去っていきました。心配しないでください。」
「でも・・・。」
親王は微笑んで、姫を抱きしめる。
「お会いしたかった・・・。今までいろいろと忙しかったものですから、文もあまり出せないですみませんでした。」
「いいの、わかっています。」
すると姫は萩を呼んであるものを持ってこさせた。
「今日はゆっくりしていただけるの?大事な束帯を汚したりしわにしてはいけないと思って・・・。」
というと、萩が持ってきたものを広げた。
「狩衣一式ですか?」
「ええ。これに着替えていただけると、綾はうれしいです。」
姫は頬を赤く染めて恥ずかしそうに親王に狩衣を渡した。
「これは姫様が初めて縫われたのですよ。一生懸命一針一針・・・。」
「そう姫が・・・初めて縫われたのですか?ありがとう。早速着替えます。」
すると早速萩に着付けの手伝いをしてもらいながら、着替えた。なんとぴったりに仕上がっており、親王は感動し、親王は姫の手を取り、
「姫改めてありがとう。あ、姫の手、傷だらけ・・・・。」
姫は恥ずかしそうに手を引っ込めた。
「お母様に教えていただいて縫ったのよ・・・。いっぱい針で刺してしまって・・・。でも常康様の喜ぶ顔が見たくって。」
親王は一生懸命針で怪我をしながらこの狩衣を縫う姫の姿を思うと、とてもいとおしく思った。
「初めてにしては大変お上手ですよ。大切にします。また作っていただけますか?」
姫はうなずくと、恥ずかしそうに扇で顔を隠した。右大臣の女房が塗り薬を持ってくると、萩が受け取り姫に渡し、姫は親王の額に塗った。親王は姫の手のひらを、自分の頬にあてにっこりと笑う。つられたように姫も微笑み返す。いつの間にか部屋に二人きりとなっていた。いろいろ世間話をしているうちに、夜が更けていった。
「姫、本当に明日からは当分こうして会える機会はなくなります。しかし必ず暇を見つけて文も出します。必ずあなたをお迎えにあがります。それまでは右大臣様の言われるとおりにしてください。そうすればきっと・・・。実はこれから簡単に行動できる立場じゃなくなるのです。こうして出歩くことも。」
「え・・・?」
親王は自分の立場を言うべきか少し考えながら、大きく深呼吸をすると、姫を引き寄せ、抱きしめた。そして姫の頬に手をあてる。
「常康様、いつ・・・いつまで待てばいいの?」
「そうですね・・・以前再会した祭の頃かもしれません。」
すると姫はほろほろと泣き出した。親王は驚いて、姫の涙をぬぐうが、ぬぐってもぬぐってもあふれ出てくる涙に、ある決心をする。親王は姫を抱き上げ寝所に運び姫を座らせると自分も座って話し続ける。
「私もこれから会えないことに寂しいのです。」
「綾はこの半月、ずっと寂しいのを我慢していました。半月でも胸がつぶれそうなほど、寂しくておかしくなりそうなの・・・。なのに今度はもっともっと会えないなんて・・・。綾は耐えられません。」
「そうですね・・・。姫、決して私は心変わりなどいたしません。姫なしでは生きていけません。わかってください。」
そういうと親王は姫を横にし、キスをする。
「今日は・・・いいですか?」
姫は軽くうなずき親王を受け入れた。
夜が明ける前に親王は目を覚まし、火照った姫の顔を見つめながら、自分の心の整理をしていた。今までの身分であれば、このまま一緒に連れて行こうと思うが、そういう訳にもいかない。姫も目を覚まし、うつむいたままでじっとしていた。親王は立ち上がると、自分が束帯の中に着ていた衣を姫に掛ける。
「姫、本来の結婚のようにあと二日あなたに通うことはできませんが、この衣を私だと思って、大切にしてください。姫はもう私の妻同然です。」
姫は黙っていたが、親王の衣を抱きしめて、涙を流した。親王は夜が明ける前にここを立とうと、束帯に着替え、姫にもらった狩衣をたたみしっかりと抱き、姫の対の屋を出て行く。
「晃、今から帰るよ。準備はできている?」
「はい。こちらの方に車を寄せましょう。」
「頼むよ。あと鳥羽の別邸についたら、文を姫と右大臣殿に届けて欲しい。」
今朝は良く冷えると思ったら初雪が降り出した。車が来るまで、親王は空を見上げ、雪がちらちらと降るさまを見て、物思いにふける。晃が用意した車に乗ると、親王は姫が縫ってくれた狩衣を顔に当てて昨晩の出来事を思い出した。
(姫は納得していただけたのであろうか・・・・。きちんと今の現状を姫に言えばよかったのかな・・・。)
そう思うと昨日のことは姫にとっても自分のとっても良かったものなのかとさらに物思いにふける親王であった。
一方姫は女房が起こしに来るまで、放心状態で脇息にもたれかかっていた。そこに萩が親王からの文を差し出した。
『今こうして文を書きつつ、昨日のことはあなたのとってよかったのかと悩んでいます。もっとあなたを苦しませてしまうのではないでしょうか。本当に申し訳なく、心苦しい時をすごしています。』
すると姫は返事の文を書き出した。
『何を言っておられるの?あなたに捨てられるのではないかとすごく不安だった私を助けていただいたのはあなたではないかしら?あなたの想いを感じることができた私はとても幸せです。』
そう書くと、返事を待っていた晃に渡すように萩に渡した。この返事を見た親王は、安堵して、姫のために何か送ろうと晃に手配をさせた。
《作者からの一言》
ついに二人は結ばれました^^しかしですね・・・正式に結婚できなかったんですもの・・・。かわいそうかも?とりあえず常康は自分の愛用の単を綾姫に送り、自分と思って待っていて欲しいと言ったのです。もちろん、その衣には彼の香の香りがたっぷりとついているのです^^;
気が昂って躓いて柱に頭を打つほど姫に会うのがうれしかったのでしょうか???それとも疲れてる?いろいろな場面は想像にお任せします^^;
むかしむかし 第15章 廃太子と立太子宣旨
太極殿ではついに常仁親王の廃太子と、常康親王の立太子の宣旨が下る日がやってきた。いつもの武官の束帯を着ているが、今日は立太子の儀礼なので、文官の束帯で出席する。
殿上人が皆集まると、親王は上座に座り、帝の代理として宣旨を読み上げる関白が中央に立ち、宣旨を読み上げる。
『一の宮常仁親王を廃太子とし、院の称号を与えると同時に二の宮常康親王を東宮とする。師走吉日同大極殿にて立太子の儀礼を行う。以上』
と関白が読み上げ、親王に一礼をすると、一同は関白にお辞儀をし、次は親王にお辞儀をする。親王が退席するまでの間、一同は頭を下げたままで待っている。
帝の居る清涼殿に向かう途中、関白が話かける。このお方は皇后や内大臣北の方の兄上にあられる方で、親王の伯父上に当たる。元服前の昔からこの関白を父のように慕っていたので、以前からお互い親子のように仲良くお付き合いをされていた。
「今日はとても緊張した御様子で、こちらも緊張してしまいましたよ。一の宮も二の宮も私の甥子ですからね。立太子の儀礼までは鳥羽の私の別邸をお使いください。元々先の関白から譲り受けた邸ですので、ご遠慮なく。わが関白家は妹皇后の御実家であり、親王の御実家のようなものですから。」
「伯父上、お言葉に甘えさせていただくことにします。もう内大臣家とは一線を引かれた方が良いと父上も仰せでしたし、ちょうどどこかに移らないとと思っていました。しかし内大臣様は私の後見人であられ、蔑にできない。亡きおじい様の別邸に移るのであれば問題はないと思いますし・・・。」
「ところで、例の宇治の姫をどうなされるおつもりでしょうか・・・。もうあなたの立場ではそこらの公達のようにそう簡単には結婚できなくなるのです。これからはいろいろな姫君も入内されよう。」
「私もそれを考えていたのです。ちょうど伯父上には適齢な姫君がいらっしゃらない。ですので、この件に関しては伯父上に相談してもよろしいですか?真っ先に宇治の姫君を入内させたいとは思っているのですが・・・。」
「まあ姫の父君については少し気に障るところがありますが、かわいい甥子のためです。何とかいたしましょう。」
親王は少し不安そうな顔をしたが、関白の協力的な言葉に少し安心した。
清涼殿では、帝のほかに皇后も親王の来るのを心待ちにしていた。皇后は一度だけお見舞いと称して嵯峨野の別荘にいらしたきりの対面となる。関白と親王が帝の御前に参り、先程の宣旨について御報告申し上げる。そして、関白は立太子の儀礼まで鳥羽の別邸に親王を預かると報告すると、帝や皇后はたいそう喜ばれて了解された。関白は親王立太子のために、立派に教育された女房や雑司達、そして道具一式を皇后の実家として提供すると報告し、皇后も自分つきの女官を数人移動することを帝に提案した。帝も帝付の女官数人を東宮御所に配置すると仰せられ、何とか形は整った。内大臣は関白家に負けないように残りの衣装やら、お道具、足りない物一式を用意すると帝に申し上げた。
「あの・・・今までこの私に仕えてくれた晃は・・・。近江は女房としてつれて来ることは出来ますが・・・・。」
と親王が言うと内大臣は答える。
「近江は女房として今教育させているが、晃は連れてはいけません。新たに侍従やらが代わりに就くことになります。」
「わかっています。しかしずっと一緒に居たのです・・・。見合う位を与えてやって欲しいのです。元々晃の実家は先の近江守。今はその父上も病でなくなっており、母君、晃と近江のみとなっていますが・・・・。」
「すぐに位をやるわけにはいかないが、いずれ頃合を見て・・・。」
と帝が言った。とりあえず儀礼までは体調を整えよと仰せで、皇后と共に清涼殿から退出された。退出されたのを確認して、関白が親王に耳打ちして微笑む。
「そうそう、鳥羽に入られたらもう出歩くことなどできませんよ。いいのですか?宇治の・・・。」
親王は少し顔を赤らめる。
(そうだ、これからは護衛が付くし、参内以外は簡単に出られないのだ。それどころか御所に入ったらなおさら・・・。今日のうちに会っておかないと・・・。)
そう思うと同時に関白が言う。
「私が何かしら理由をつけて、宇治の・・・父殿に言っておきますよ。そうですねえ・・・」
さらにこっそり耳打ちする。
(宇治の姫君の邸近くで具合が悪くなったと言えばいいのです。晃と言うものにもそう伝えています。そうすれば誰も疑わずに・・・)
(なるほど・・・)
するとさっさと関白は殿上の間に行って右大臣にこのことを報告する。すると右大臣はいやににやけた様子で、さっさと用事を切り上げ、
(東宮になられる親王がうちに、うちの姫に参られる・・・・・。粗相の無い様にしないと・・・ムフフフフ)
などと考えながらまるで飛ぶように帰っていった。
《作者から一言》
やっと東宮立太子宣旨が・・・。もうこれで自由には動けない身分ですね^^;世渡り上手な二の宮なので何とか東宮としてやっていけそうかな???
出世のためなら何でもするという右大臣・・・。たなぼた(?)的な展開ですね^^;娘がこのまま入内してくれれば、必ずといっていいほど寵愛を受けて、もちろん皇子も生まれるのでしょうね^^;そううまくは行くのでしょうか??お子様編が楽しみですよ^^まだまだ先先^^;
どのように立太子宣旨を発表するのか不明なので、ご了承ください^^;
むかしむかし 第14章 東宮の御静養
朝早くに出立予定なので、夜が明けきらない時間に参内した少将は、出立準備走り回った。昨日に親王宣旨が下ったからか、いつものように軽々しく声を掛けてくる公達はいなくなった。
昨日帝より、東宮の行列の責任者を任じられ、昨日は打ち合わせのため、各役所を走り回っていたためか、内大臣邸に戻ったのは日が変わってからのことであった。家に帰ったら帰ったで、自分の準備をしなければならない。内大臣の北の方の別荘といっても、半月居なければならないので、相当な準備が要る。しかしながら、晃が機転を利かせて、前もって女房達に指示をしていたので、確認のみで済んだ。足りないものは随時内大臣家から届けてもらうことになっているので、最小限の荷物で済んだようである。
ほとんどといってもいいほど、寝てないのだが、今日は特別な役割ということで、気を引き締めて動き回っているのだ。至る所で、少将は何かしら「右近少将の宮」と呼ばれるのに嫌気が差したが、そのようなことは言っていられないので、てきぱきと指示を飛ばした。そろそろ出立の刻となると、少将は東宮御所の寝殿まで網代を寄せると、東宮と女御を迎えにいった。
「東宮、そろそろ出立の刻ですが、御用意のほうは・・・。」
すると女御が代わりに言う。
「準備はできておりますわ。」
東宮は少将の肩を借り、ゆっくりと網代に乗り込もうとすると、ある女官が言う。
「まあ網代に東宮をお乗せするの?びろう毛の車とかの車じゃなくって?せめて唐車で・・・」
女御はその女官に、
「失礼ですよ!これは東宮の思し召しなのです、あなたは黙っていなさい!」
というと東宮が言う。
「春子姫、そう怒らなくても、あの女官が言うのも無理はないよ。しかしこの私には東宮の車はもったいない。」
と、少し微笑みながら女御に言った。
少将は東宮と女御が乗り込んだのを確認すると、一同に合図をする。
「出立!」
内裏を出ると、少将は用意された騎馬に乗り込み、東宮の車の真横に付き、警護をしながら一同の指揮に当たった。
気分が悪いといわれると少将は列をとめ、少し休憩を取り、良くなられたと同時に動き出すという繰り返しで、ようやく嵯峨野の別荘についたのは夜になってからになった。少将は最小限の者以外を共に内裏に戻り、帝に到着の知らせを報告するとすぐに馬に乗って嵯峨野の別荘に帰ってきた。
「女御様、今戻りました。」
「ご苦労でしたね。右近少将様。あなたは昨日も遅くまで今日のことで走り回っていらっしゃったのだから、お疲れでしょう・・・先にお休みになって・・・。」
「御前失礼します。」
というと、少将のために用意された対の屋につくとふと輝いている月に見とれてしまう。この嵯峨野の別荘は別荘といっても結構広く、御邸と間違うくらい大きな庭と建物が建っている。そこの東の対の屋を少将は頂いた。東は春の間と言われており、梅や桜と言った春の草木が植えられているのだが、初冬の今は多分東宮の居る西の対の屋、秋の間といわれる庭の方がもみじなどの草木が美しい。前回来た時は、祭の事故の時。その時この対の屋は葉桜がとてもまぶしく、初夏の心地よい風が心と体を癒したものだった。今はなんと言うか寂しい庭であるが、月の美しさに心を奪われ、庭の寂しさなど気にしなかった。
『あなたと私の場所は違うのだけれども、きっと同じ月を見ていらっしゃるのでしょう。こんなにきれいな月をいつかあなたと見たいものです 右近少将常康』
東宮の静養についてきているにもかかわらず、ついこのような歌をススキにくくりつけ、晃を呼びつけ、宇治の姫君に渡すように頼んだ。すると一時がたつと返事の文が返ってくる。
『場所は違うとあなたは言うけれど、心の中では一緒のはずよ。だから同じ月を一緒に見ているのと同じことなのに・・・ 綾子』
と言うような歌が書かれた文をもみじにつけて送ってきた。このもみじは、先日の客間近くに植えてあるもみじである。と言うことは、先日のことは覚えていますか?忘れないでくださいねと言う意味もあるのだと、少将は感じ、ついつい顔を赤らめるのです。
東宮がここに来られてから、御所の重々しい空気に触れていないためか、以前のように日に日に弱っていかれることはない様で、痛みはあるものの、楽しそうに女御とお話になっている。体を起こす時間も以前と比べて長いようで、庭を眺めながら、女御や少将と共に、話す機会も増えているようである。食欲も出てきたようだが、確実に体を病が蝕んでいるのには違いなかった。時折顔をしかめて痛みに耐えられている様子が見受けられるが、以前に増して、女御とは仲睦まじく、楽しそうに静養されていた。少将はこのお二人にお子様がおられればもっと楽しく幸せに違いないと思うようになるが、無理に違いないと思ったのである。
しかしこの時、女御は東宮の姫宮を懐妊されていた事など、お気づきにならず、廃太子の宣旨が下る前日まで、三人で楽しくお過ごしになったのです。
《作者からの一言》
以前と比べて、仲良くなった双子の兄弟・・・。でも着実に兄宮の時間は少なくなっています。
少将はやはり一人きりになると綾姫の事を思い出してしまう・・・。人間臭い?
将来生まれてくる姫は結構山あり谷ありの人生かもしれません^^;それはまた後ほど・・・。
むかしむかし 第13章 東宮と東宮女御
参内すると、慌しい様子でいろいろな役人が動き回っている。右近少将(まだ少将の身分なので)は右近衛府に立ち寄って上司である大将と面会する。
「今まで長い間私のわがままで仕事を疎かにいたしました。まことに申し訳なく・・・。」
「うむ、例の噂はこの私も度肝を抜かれたが、少将殿の潔い行動には感心いたしました。まああなただからこそあのような事になったのかもしれません。真面目な方ほど、急に予想もできない行動をすることもありえることで。あの頃の想い人はまだ宣旨が下っていなかったからこれで済んだのかもしれません・・・。そうそう噂なのだが東宮妃入内を白紙にされたらしい・・・・。これで何事もなく通えることができますな・・・。」
「え、白紙に?」
「ご存じなかったのか?それはそれは・・・・。」
すると左近少将が入ってくる。
「右近殿、こちらにいたのですか。主上がお呼びのようですよ。早く行かれないと・・・。」
少将は大将に頭を下げると急いで、内裏の主上の御前に急いだ。しつこく左近少将がついてくる。そして昨晩の事をしつこく聞いてくる。
「左近殿、申し訳ないのですが、あなたの妹姫とは何もなかったのです。これでよろしいでしょう!」
「おい!そんな言い方はないだろう!義理の兄弟になるかもしれないのに!」
少将はプイッとして左近少将を引き離す。
「あなたは今、許されてないのでしょう。ではここで。」
「あとでゆっくり教えろよ!右近!」
困り果てた様子で帝の御前に上がった。
「すっかり疲れは取れましたか?右大臣家で昨夜はお世話になったようで・・・。」
「主上までこの私をおからかいに・・・・。」
帝はくすっと笑っていたが、一変して険しい表情で少将にいう。
「東宮の件だが・・・護衛としてあなたがお供してくれないか・・・。廃太子と立太子の宣旨を下す予定の半月後まで東宮のそばでいてやって欲しいのだ。つらいだろうが、そのほうが常仁親王もゆっくり療養できるというもの・・・。」
「主上、今日私も申し上げようと思っていたのです。私もできる限りのことをして差し上げたいのです。」
「それは良かった。以前常康に対する東宮の悪い行いがあったので、きっとうらんでおると思ったのだが・・・・。あと、そなたの位の件だが、立太子までそのままにしておく。直系の親王でありながらこのような位の例はあまりないのだがそなたに見合う位が埋まってしまっていてね・・・・。」
「いえ、少将のほうが兄いえ東宮の護衛としてお世話できるというもの・・・。感謝しております。ところで今日はなぜ大極殿辺りがいつになく騒がしいのでしょうか。」
すると内大臣が帝の代わりに言う。
「それはあなたの親王の宣旨を皆に報告するためだよ。内大臣家の嫡男が東宮に上がるわけにはいかん。まず正式に親王宣旨を下さないといけないのだ。あなたは出席しなくて良いので、その間東宮御所に行かれて東宮様の看病に当たられたらいかがか。」
「はい・・・。」
そういうと、少将は東宮御所の東宮の寝所に向かった。やはり日に日に弱っているようで、少将が部屋に入っても眠っている。
(明日の移動は東宮の負担にならないだろうか・・・。休み休みの移動のほうが良いかもな・・・。)
東宮のそばにいる薬師を呼び、容態を聞く。やはり思わしくないようで、どのような薬を処方してもよくならない。手のほどこしようがないという。やはりもう助からないのか。すると女官が声をかける。
「あの・・・少将様。東宮様がお目覚めに・・・。少将様を呼んでいらっしゃいますけど。」
「わかった。」
再び寝所に入ると、東宮は座っていて少将の顔を見ると、しっとりと微笑まれる。
「父上に聞いたよ。僕の代わりに東宮になってくれるのだってね・・・。明日も一緒に・・・。」
「護衛として半月ほどでございますが、ご一緒に・・・。」
「そうだよね。半月たつと、僕は廃太子宣旨を受けて、もう護衛など要らない身分となるのだし・・・・。君は立太子の宣旨を受けてここに入ることにね・・・。今日は調子がいいのだ。やはり廃太子願いを承諾していただけたからかな・・・・。今までの振る舞いはやはり東宮という堅苦しさからというか・・・・。元々君と違ってじっとしていることに耐えられない性質であった。」
「きっとすぐに廃太子の宣旨を下さらなかったのは、帝の気持ちだと思いますよ。何かの失態ですぐに廃太子になるのとは違いますし・・・。今まで病ということをふされていたことですし、東宮にとっての吉日に宣旨を下されるそうですので、きっと少しでも幸せに余生を過ごしていただきたいという親心なのでしょうね。」
「そうだな・・・僕としては今すぐにでも廃太子したいのだけれども。廃太子になる以上ここにいる女官の中でも元服前からいてくれる者だけ連れて行くことにしたよ。良いことに私には女御はいても、子がいなくて良かった・・・。女御も出家して私の元に最後までいてくれるといってくれた。女御が私のことをそこまで思ってくれていたなんて・・・。気づかなかった・・・。だから私は寂しくはないのだよ。」
すると几帳の後ろですすり泣く声が聞こえた。そういえば女御は内大臣家の長女で、正室の子ではなかったが、側室は旧宮家出身の方なのでこうして東宮が元服の副臥し役よりそのまま入内されて女御としてずっと東宮の側におられた。東宮よりは七つも年上、内大臣家で元服したときには入れ替わりで入内されたお方なので、面識もなかった。
「そこにおられるのは姉上でございますね。」
「少将様、今まで姉弟として育ってきました。あなたはずっと先の関白家でのお育ちで、面識はなかったのですが、出仕されるようになり、こちらによく宿直にいらっしゃったでしょ。」
「ええ、春宮坊の大夫も一時期兼ねておりましたし、帝から直々に警護を・・・。」
「ずっと弟としてお慕いしていましたのよ。今回の件も、本当はお父様が実家のほうに帰ってくるようにといわれたのですけれど、東宮をお慕いしていましたし、このまま内大臣家でお世話になっていても・・・そこで私は東宮についていくことに決めましたの。出家して、東宮の看病をし、少しでも長く御幸せにお過ごしできるように仏に拝もうと・・・。」
「それなら姉上に東宮のことをお任せして安心ですね。」
「ええ・・・。」
「このことで、女御と私は本当の夫婦になれたと思うよ。今までお飾りとしてしか思っていなかった私は恥ずかしいよ。いろいろ感謝しないとね。」
というと、女御に支えられながら薬湯を飲むと、横になった。
「明日、頼むよ・・・。嵯峨野の別荘は亡き先関白であるおじい様の縁の別荘だし、内大臣の北の方である叔母上が譲り受けたものだから。あそこの冬は雪、春は桜・・・とてもお庭がきれいだそうだね・・・。楽しみだよ。」
「はい、東宮の様子を見ながらゆっくりお連れします。」
「ありがとう感謝するよ。そばには女御の春姫がいるしね・・・。」
薬が効いてきたのか、東宮は再び眠りについた。
「この薬湯がないと痛みで眠れないのです・・・。痛くないようにお振る舞いなのですが、多分相当いたいのですわ・・・。ひとりになられると痛みでうなっておられるので・・・。年が越せるかどうか・・・・きっと私が少しでも長く・・・・。」
といって女御はホロホロと泣く。本当にこの女御は東宮を想われているのだと少将は感じた。
少将は宇治の姫君もそのような姫であるといいなと思った。最期まで看取ろうとお考えの女御を羨ましく思うのである。
《作者から一言》
東宮には元服時から奥さんがいたのです^^;副臥し役は皇族の坊ちゃんが元服の時に一緒に夜を過ごす姫君。そのままお嫁さんになることがあるらしいのです^^;もちろん、東宮の初めての人はこの女御ということです^^;ちなみに少将は元服当時親王ではなかったので、副臥し役はおりません^^;東宮御所でこうしている間に、少将は親王宣旨されて、無事親王となりました。もちろん公達たちは驚いたのは言うまでもありませんが・・・。
むかしむかし 第12章 再会
午後からは殿上の間で大政官のみの審議が急遽行われることとなった。審議の前に右大臣は息子の左近少将を連れて少将の元にやってきた。左近少将は同僚の三の姫のすぐ上の兄にあたる人で、親友というほどではなかったのだが、一緒に宿直もしたことがある。左近少将は先ほどの殿上の間での出来事をまったく知らない様子で、声をかけてくる。
「久しぶりだな右近殿。妹姫との一件は、本当に驚いたよ。ところで、右大臣である父上からの伝言で、あの日のことは許すから今日帰りにうちに寄ってほしいと・・・。何か急な審議が入ったらしいので、あとから戻って話がしたいと・・・・。変だね父上はあれほど右近殿を嫌がっていたのになあ・・・。まあいい、これから帰るのだろ。同じ牛車に乗るといい。」
「ありがとう・・・・。でも・・・。」
「遠慮などするなよな。せっかくあの父上が一緒に酒でも飲もうといっているのだから。」
「ああわかった・・・。」
右大臣家につくと、左近少将が客間に案内した。案内されるまま、少将は座って長々と左近少将の話を聞いている。帰郷といろいろな出来事で疲れがたまっているせいか、少しぼおっとしてくる。この客間から姫のいる対の屋までどれくらいあるのだろうか。
右大臣邸は内大臣邸と同じように結構広い。東三条邸は庭がきれいなことで有名で、庭の手入れが行き渡っている。特に今の季節、庭に植えられたもみじが色づき、それを眺めながら、くだらない左近少将の話を聞きながら適当に返事をしていた。声高らかに笑う左近少将をうっとうしく思えるほど、疲れきっていた。次々と出てくる豪華な料理を眺めながらもため息も出てくる。お腹はすいているはずなのに、なぜか食欲がわかない。いつになったら右大臣が帰ってくるのか。きっと今日の審議は東宮の廃太子と、少将の立太子の件でもめているのかも知れない。東宮の今後の処遇も、気になり、自然と少将は上の空になる。
一方、姫の対の屋では、本日のお妃教育の予定を終え、くつろいでいるところにいろいろな女房の話が姫の耳に入ってきた。
「客間に左近様のお客様がいらっしゃっているらしいわよ。まあ珍しいこと。」
「急にですって。同僚の方って聞いたけど?」
「どのような方かしら?左近様のお友達なのでしょ。」
「どの女房も誰か教えてくれなのよねえ・・・左近様の女房ってケチで嫌よねえ・・・誰かそっと見てきてくれないかしら?」
「ねえ聞いて!私後姿なら見たわよ!とても素敵な方でしたわ・・・・。すらっとして気品に満ちていて・・・本当に左近様のお客様?って感じかしら。でも束帯が武官束帯なのよねえ・・・。きっと束帯の色からして左近様と同じくらいの近衛府の方か、衛門府の方かしら・・・。もう私ったら素敵過ぎてその場で気絶しそうだったわ。」
姫は女房達の言葉に気にもしなかったが、騒がしかったので、コホンと咳をすると女房達は静まった。すると桔梗が姫に申し上げた。
「姫様、このようなことを申し上げてもいいものかわからないのですけれど、姉の桜から文がありまして・・・。あの・・・今朝早くあの少将様が早馬で吉野からご帰郷に・・・。」
姫は顔色を変えながらも冷静に振舞おうとしたのか、「そう」といって物語などを読みはじめた。
(宇治の君は帰られたのね・・・お許しでも出たのかしら・・・でも私は・・・。)
と思うと一筋の涙が流れる。同じ敷地内に宇治の君がいるなど知る由もない。
日がかげりだした頃、やっと右大臣が帰ってきて客間に入る。そして左近少将を下がらせ、二人きりになられ話し始めた。
「遅くなってしまいました。申し訳ありません。結構審議が長引きまして・・・。」
「はあ・・・。」
「誰も反対したものなどはなかったのですが、東宮の処遇がなかなか決まらず、結局先の関白縁の嵯峨野の別荘に身を置かれることとなりました。そしてあなたの立太子の日程もひと月後と・・・。」
「兄上はいつごろ御所を出られる。」
「陰陽寮に占わせましたところ、明後日の朝が一番早いとのことで、帝も了解されました。」
少将はため息をついて言う。
「そう・・・。いつまで少将として出仕できるのだろうか・・・。できれば兄上について嵯峨野までお見送りしたいのだが・・・。」
「とりあえず、明日急遽親王宣旨が下ります。正式な立太子宣旨は半月後となりますので、それまでは少将としてのご身分でいいと思われます。」
「そうですか・・・。」
右大臣は少将に酒を勧めると、少し口をつけ、疲れと酔いからか、いつの間にか脇息にもたれかかって眠ってしまった。右大臣は少将の従者橘晃を呼び、内大臣宛に文を書いた。
『親王様は疲れからかこちらで眠ってしまわれたので、今晩はこちらでお預かりいたしますので、ご安心ください。』
「これを内大臣殿にお渡しするように・・・。お前も帰っていいよ。明日の朝早く迎えに来ればよい。決してお前が心配しているようなことはないから。」
「はい。かしこまりました。」
というと晃は右大臣家を出ようとすると、萩に声をかけられる。
「あなたは右近少将様の・・・・。」
驚いた様子で晃は振り返り、一礼をすると立ち去った。
(もしかして・・・客間のお客様は・・・・)
萩は急いで姫の対の屋に戻った。そして姫の耳元に屋敷内で晃に出会ったことを告げた。
「そう・・・ただの文のお使いかもしれないのだから、軽々しく言いふらさないように・・・。」
「でも姫様・・・。」
冷静そうに振舞う姫を見て、萩は立ち上がって姫に申し上げる。
「姫さま!これでよろしいのですか?もう少将様とお会いできないかもしれませんのよ!私この目で見てまいります。」
「萩!お父様に怒られてしまうわ!」
「姫様のためですもの!私が勝手にしたことですので姫様は怒られませんわ!」
というと萩はさっさと客間のほうに向かっていった。
客間では慌しく後片付けをしていた。中をそっとのぞくと、客人は脇息にもたれかかって眠っている。萩はほかの女房に紛れ込むと、上着を掛け直すふりをしてそっと顔をのぞいた。
(この顔は・・・やはり少将様。衣の匂いからして間違いないわ!)
「そこのあなた!客人を寝所まで運ぶのを手伝って!」
と、ほかの女房に声を掛けられ、一瞬ビクッとしたが、何とか女三人で寝所まで運び、束帯を脱がせて横にさせた。そして衣をかぶせると、寝所を後にし、姫の元へ急いだ。萩は姫に近づき、耳元で報告する。
「ほかの女房に知らせると何ですので・・・・。お客人なのですけれど・・・やはり少将様でしたわ。右大臣様のお客様として参られたようで、不思議ですこと・・・。どうされます?」
「そう・・・宇治の君・・・わ、私には関係ないこと・・・・。」
「姫様!ほんとによろしいですの?」
姫は我慢できなくなったのか、萩の胸元で泣き出した。
「会いたい!最後に一度でいいから宇治の君に抱きしめられたい!未だにあの日のぬくもりや感覚が忘れられないの。あの方は心から暖かい方なの・・・。華奢であられるのだけれど、そう思えないような包容力があって・・・・。やはりあの方じゃなきゃ・・・。」
「姫様・・・。わかりましたわ・・・みなが寝静まった頃に忍び込みましょう。」
「ありがとう萩・・・。」
夜が更けると、そっと対の屋を抜け出した姫と萩は、ゆっくりゆっくり客間に向かう。そして周りを伺いながら部屋の中に忍び込んだ。姫は一息ついて、寝所のほうにゆっくり進んでいった。
(これで宇治の君じゃなかったら・・・・)
寝所に入るとそっと几帳の影から覗き込んだ。宇治の君と思われる客人は相当熟睡しているのか、姫がすぐ近くにいるのに気づかない様子だった。
一方右大臣の寝所には女房がそっとやってくる。
「殿、お休みでございますか?」
「うむ、いい何だ?」
「あの・・・・三の姫様が客間に・・・・。」
「わかった。そのままにおくといい。そのほうがこちらには好都合だから。」
「でも・・・あの一件のことがありますので・・・。」
「私は知らないふりをしておくから、お前達もそっとして置くように・・・いいな。」
「はい、かしこまりました。」
右大臣はにやけて思う。
(思ったとおりの展開になったぞ・・・。萩が客間に入っていったのを見てきっと姫の耳にはいるだろうと思っておった・・・。これで親王が姫と契って頂けたら、こちらも本望だ。今日の審議で入内が白紙になったからな・・・。これで安心だ・・・。)
そう思うと右大臣は眠りについた。
客間では姫がそっと寝ている少将を覗き込み確認すると、横に座って少将を眺める。
「あの・・・姫様・・・・。」
「萩、外で誰かが来ないか見ていて頂戴。誰か来たら知らせてね。」
「はい・・・。」
萩が出て行くのを確認すると、姫は少将の右手をそっと手にとって姫の頬にあてた。
(ここには夢にまで見た宇治の君がいらっしゃる。なのに・・・。)
そう思うと一筋の涙が、少将の額に落ちる。
「うう・・・。」
姫ははっとして少将の手を放し後ろを向いた。少将は目を覚まし起き上がると、薄暗いことに気づきいう。
「今何時かな・・・つい寝入ってしまった。あの・・・女房殿、私の従者を呼んでいただけないでしょうか・・・。家の者が心配しているかもしれないので・・・。あの・・・」
(そうだったわ!私桔梗の衣を借りてきちゃったんだった!!!どうしよう。)
と姫は困った様子で、そっと少将のほうに顔を向ける。薄暗い上にまだ寝起きで意識が朦朧としているのか、姫であることなど気がついていない様子で、また横になられる。
「あ、あの・・・少将様・・・私・・・。」
少将はふっと気がつき急に起き上がる。
「その声は姫?!綾姫ですか?!」
綾姫は恥ずかしそうにうなずくと、少将は、小袖姿の自分に気づき、すぐに単をまとった。そのあわてように姫はクスクスと微笑んだ。つられて少将も微笑んだ。
「そこじゃ寒いでしょ。こちらに・・・・。」
と、少将は恥ずかしそうに姫を誘う。
「はい!」
そういうと姫は少将の胸元に飛び込んできた。少将は姫を抱きしめると長い沈黙が・・・。じっと見つめる姫に少将は頬を赤らめる。
「私の顔に何かついていますか?きっと長い間吉野にいて、村の者と交流していたから鄙びてしまったかな・・・。それとも・・・。」
綾姫は微笑んで言う。
「夢にまで見た宇治の君がここにいらっしゃるのですもの・・・。次はもうないかもしれないので、今のうちに・・・。」
すると少将は急に真剣な顔つきになっていう。
「姫・・・明日から当分会えないかもしれません。明後日は兄・・・いえ東宮の静養に半月ほどお供しようと思いますので・・・。しかし、きっとあなたのことをお迎えに上がります。どのような形であっても、きっとあなたを私の妻に・・・・。それまで待っていただけますか?」
「はい!」
姫の返事を聞いて満面の笑みで微笑むと、姫にキスをした。姫は真っ赤になって、少将の胸にうずくまった。姫は少将の張り裂けそうな鼓動を聞いて、さらにうずくまる。
「ひ、姫。もう遅いし・・・その・・・。もう寝ないと・・・一緒に・・・どうかな。決して何も・・・その・・・」
少将は照れながら姫を離すと、小袖になって横になった。姫は少将のまじめでかわいらしい態度に微笑み袿を脱いで一緒に横になった。少将は姫の額にかかる前髪を手でかきあげ、その手を頬に当てると、再び姫にキスをした。姫は少将の小袖の胸元を、ぐっと握った。姫はこのまま少将を受け入れるつもりでいたが、今はそれ以上のことはないようなので、少将にうで枕をされながら姫は眠りについた。少将は姫の髪をなでながらじっと見つめている。
(きっと姫を妻にして幸せにするから・・・。今まで悲しませた分きっと・・・。)
そして自分も眠りについた。夜が明けそうな頃、萩が姫を起こしにくる。
「姫様、早くお部屋にお戻りにならないと・・・他の者に見つかってしまいますわ・・・。起きていらっしゃいますの?」
すると姫は目を覚まし、まだ眠っている少将の頬にキスをすると、袿を着てさらっと文を書き残してそっと部屋を出て行った。
『私達の春の訪れは遅いのだけれども、きっと来ますよ、暖かい春が。それまで私は厳しい冬でも耐え忍んで待っています。』
部屋に帰った姫は、何事もなかったように寝所で眠りについた。少将は、姫がいないことに気がつくと、枕元においてある姫からの文を朝日が差し込むところで、読み始める。とても短い文だけれど、少将にとっては大変大切な文となった。すると女房が、格子を上げにやってきたようで、大事な文を胸元にしまって、小袖のみの格好だったので、急いで単を羽織ると、脇息にもたれかかって、考え事をしていた。どんどん女房達は角だらいやら何やらを持ってきて朝の身の回りの世話をしてくれる。髪を結い直す者、朝餉を用意する者たちでばたばたしている。朝餉を済ますと、今度は代わる代わる束帯を着付けてくれる。なんと言う女房の多さか。圧倒されていると、右大臣が客間にやってきた。
「昨晩はたいそうお疲れの様子でしたね。よく眠れましたかな。」
「ついつい寝入ってしまいました・・・。お恥ずかしい限りで・・・。朝餉までご馳走になりありがとうございました。」
すると右大臣は扇を広げ、ニヤニヤしながら少将の耳元でこっそり話す。
「もううちの婿同然の方ですからね・・・これくらいは・・・。」
「へ?」
「いえいえなんでもありませんよ・・・(あの状況で何もないとしたら相当な馬鹿か生真面目なのか)」
ちょうどそこに内大臣家から迎えの網代が来たようで、車宿あたりが騒がしくなる。そして晃が客間の前の庭までやってきて右大臣に礼を言う。
「うちの主人が大変お世話になりました。内大臣様もたいそう心配されておりましたが、右大臣家のお泊りということで安心されており、文を預かってまいりました。」
というと、右大臣付の家来に文を渡し、右大臣が受け取った。
『そなたの思惑は見え透いておるわ!どうせ親王と三の姫を既成事実に持ち込もうというつもりだろ!まあ親王はまじめな方だからそのようなことはなさらないと思うがな。三の姫の入内が白紙になり、親王がうちの嫡男でなくなった以上、うちの四の姫もそのうち入内させてやるから覚えておけよ。今回は多めに見ていてやるが、親王の後見人は私であるから、勝手な真似はなさらぬように。最後に昨晩親王を泊めていただいたことだけはありがたく思うことにしよう』
(いつまでたっても嫌味なじじいめ。見ておれよ。やはりこの親王はまじめで人柄の良いかただ。やはり内大臣の息子ではなかったな・・・。)
右大臣のころころ変わる表情を見て、晃はだいたい書かれている内容がわかったようだが、そういうところに疎いのか、少将は気づいていない様子だった。そろそろ出仕の時間が近づいているので、少将は丁寧に感謝の挨拶をすると、内大臣家網代に乗り込み、参内した。
一方姫の対の屋では、萩がほかの女房達を遠ざけて、昨晩のことを聞きに来る。
「姫昨晩はさぞかし楽しい夜だったでしょうね・・・あのその・・・少将様とは・・・・?」
姫は真っ赤な顔をして言う。
「乳母子の萩だからこそ言うのよ。いい?何もなかったのよね・・・でもちゃんと私のことを求婚してくださったの・・・。お優しい言葉で・・・。そんな真面目で優しいところがすきなの・・・。」
「普通ああ言う状況でしたら・・・てっきり・・・。」
「まあ、あの方はそのような方ではないのよ。きっと私のことを想って正式に決まるまではと思っていらっしゃるのだわ。」
そんなことを知ってか知らずか、ニコニコしながら出仕前に右大臣は姫の元にやってくる。
「昨晩は・・・さぞかし楽しい夜であったろうな姫・・・。満月の美しい夜であったのできっとどなたかのところでゆっくりと・・・。」
すると姫はカアッとなって右大臣に言う。
「お父様!もしかして・・・・。」
「昨日は急な客人で言っていなかったのだが、お前の春の入内が白紙になった。理由は言えないが、とにかく白紙になったことだし、昨晩はもちろん・・・・・。」
すると萩が大臣の耳元で申し上げる。
「それが・・・何も・・・。」
右大臣はよっぽど驚かれたのか、腰を抜かしたまま動けなくなった。
「あの状況で何もなかったと!!!せっかくの機会を作ってやったのに!」
「お父様!あの方はそのようなお人ではありませんわ!でもちゃんと正式に求婚をいただきました・・・。」
「そうか!それがあればまだマシかもしれん。お、そうだ今日はそれどころではなかったのだ。今日は大事な宣旨が大極殿で・・・。右大臣のこのわしが遅れるようであれば、また内大臣に先を越されてしまうわい!」
そういうとさっさと参内する。
(お父様があんなに嫌われていた少将様なのになんだか変ね・・・)
と不思議そうに思った姫だったが、昨晩こっそり眠る前、少将からいただいた扇を大切に胸元にしまいこみ、昨晩の思い出の品として、大事にすることにしたのです。
《作者からの一言》
なんで?せっかく右大臣がお膳立てした夜にもかかわらず、何もないとは・・・。やはり少将は相当馬鹿です。姫も覚悟の上で少将に飛び込んだのにね^^;まぁすごく疲れきっていたというのもあるのでしょうが・・・。この時代の男としてはだめな男かも?
むかしむかし 第11章 東宮のご様子
東宮御所に着いた一行は、寝込んでおられる東宮の元に集まった。重病ながらも意識ははっきりされているようで、気がつき起きようとするが、帝がお止めになる。東宮がひとつため息をつくと、少将に向かっていう。
「罰が当たったのだろうか。病気などひとつもしたことがなかったこの私がこのようになるなど。少将のことは、皇后から聞いた。今まで実の兄弟、それも同時に生まれたにもかかわらず、憎しんでいたとは・・・。天罰が下ったのだろうな。よく考えてみたら、昔から母上が少将をたいそうかわいがっていたこと、先の関白邸の者のあの態度、弟宮であったからこそう・・・。むきになって少将の大事にしているものをからかい半分でよく取り上げたこともあるし。ふふふ・・・今思うと私は馬鹿なことばかりしていたなあ・・・。例の件も少将が決して私の前で見せない表情で想い人からの文を読んでいたから、嫉妬していたのかもしれない。私の立場では、あまり好きな人を妃にすることもできないし、出会いもない。こうして横になり考えていると、いつもお前のことを羨ましいと思っていたのかも・・・。」
そしてさらに一息ついて話し出す。
「もうそんなに長く生きられないと思うよ。日に日に弱ってきているのが自分でもわかってきた・・・。こうしてお前が弟だとわかった以上、これからのことはお前に任そうと思う。父上、この私を廃太子にしてください。そのほうが帝やいろいろな方の立場上、良いと思います。どこか静かなところで余生を過ごし、ひっそりとこの世を去りたいのです。」
「うむ、わかった。本当にそれでいいのであろうな。」
と帝は東宮に言う。すると東宮は静かにうなずき、眠りについた。少将は東宮の心変わりやふくよかで煌びやかであった東宮と一変した身に相当重病であると感じた。
《作者からの一言》
結局東宮は少将の事を嫉妬していたのです。そりゃそうでしょう。どこに行くにもいろいろな人が後からついてきたりしてプライベートもない東宮よりも、自由に動き回ることが出来る少将の方がいいに決まっている。恋もそうだと思います。東宮が恋をしても、帝のお許しがない限りだめですもの・・・。出会いだってあるわけない^^;そういうところが少将の方が身分以上に優れていたのかしら?この章は本当に短いです。これからだんだん動き出すのかな???
むかしむかし 10章 少将の秘密
急いで戻ってきたせいか、着ていた狩衣は乱れ顔は薄汚れていた、寝殿に向かう途中顔を拭き狩衣を整え烏帽子をかぶりなおして寝殿の扉の前に立った。
「少将様、ただいま到着になられました。」
「うむ、近江。寝殿に誰も近づけるな頼んだぞ。」
「かしこまりました。大臣様」
少将はすのこ縁に正座をし、今までのお詫びを内大臣に申し上げた。すると北の方が声をかける。
「常康、いいのですよ、中に入りなさい。」
中に入ると内大臣、北の方のほかにもう一人いた。
「常康殿、お久しぶりですね。あの件はとても驚きましたのよ。まじめで堅物と知られているあなたが。まあ・・・残念な結果になりましたが・・・・。あの件で帝はたいそう心配されています。ですからこうして後宮からこちらに来ることが出来たのですから。こちらにいらっしゃい。」
もう一人の方とは、皇后であった。常康は大臣の横に座り、深々と頭を下げる。
「皇后様がおいでになられているのにこのような姿で申し訳ありません。今すぐにでも着替えを・・・。」
「いいのですよ、今日はあなたに大事なことをお伝えに参りましたのよ。まぁ田舎に半年ほどいらして随分鄙びてしまわれて・・・。そしてずいぶんお窶れに・・・。あの時そのまま育てていればこのような事はさせなかったものを・・・・。」
「え?」
すると内大臣が続けて言った。
「今までこの私も気づかなかったのだが、昨晩皇后様と北の方に聞いて驚いてしまったよ。はじめは冗談かと思ったのだけれども、亡き先の関白殿の遺言を拝見して真実だと・・・。この事は帝もご承知でおられる。」
少将は何がなんだかわからない様子で座っている。すると大臣は遺言状を少将に見せた。
『一の宮と二の宮の行く末が気がかりで死んでも死に切れない。今でも帝をだましているということが胸に刺さり、常康を親王としてお育てすればよかったと悔やんでいる。常康はきっとこの先自分の身分について気づく時が来ると思う。その時はすべてを打ち明けてこのような行いをしてしまったお詫びを伝えて欲しい。』
亡き関白の遺言を内大臣に返し一息つくと少将は言う。
「どういうことですか?この私が・・・親王ということですか?」
すると皇后が一息ついて言った。
「実はあなたと東宮は双子の兄弟なのです。生まれて直ぐ、体の弱かったあなたを、妹に託したのですけれど、それがいけなかったのです。そのせいであなたと東宮が憎みあうことになるなんて・・・。親王として育っていれば・・・ごめんなさい・・・・。」
「でもどうして今頃・・・。」
「打ち明けなければならないことが起こってしまったのです。先日東宮が病に倒れたのです。侍医にみせたのですが、不治の病とのこと・・・。この事は帝や一部の者しか知らないこと・・・。帝には東宮のほかに親王がいらっしゃらないのはお分かりでしょ。東宮にもまだお子がおられないし・・・。あなたしかいないのです。あなたが唯一の親王なのです。」
「でも・・・」
「今すぐ参内して、帝に会ってほしいのです。帝もあなたを待っています。」
少将はすぐに束帯に着替えると、内大臣や皇后とともに参内し、帝の御前へ参上した。するとすでにほかの殿上人などが集まっており、何が行われるのか、不思議そうにざわついている。帝付の女官たちが、少将を帝の御前に案内した。
「右近少将様参内されました。」
その言葉に殿上人はさらにざわついた。
(吉野に謹慎していた少将が・・・・)
(いまさら殿上人を集めて何をするというのだ・・・)
すると内大臣が言葉を発する。
「黙りなさい、これから主上より重大な言葉を賜る。帝・・・右近少将が、殿上いたしました。」
「うむ。ここでみなに言っておかなければならない。今まで内密にしていたのだが、東宮の病が思わしくなく、いつ身罷ってしまうかわからない状態である。私には今まで親王が東宮だけと思っていたのだが、理由があり、この内大臣の嫡男として育てられたのだ。少将、いや常康親王、こちらに来なさい。」
緊張した眼差しで、少将は殿上人の前に座る。
「本日より、この常康親王を親王として扱うよう!もし、東宮に何かあった際には、この常康親王を立太子させる。わかったか。この親王の後見人は、当分この内大臣とする。」
殿上人はみな少将に向かって深々と頭を下げる。少将はやはりまだ状況を飲み込めていないようで、キョトンとしていた。
「右近少将、吉野から戻られてすぐにこのようなことになったことは、そなたもさぞかし驚かれたことであろう。帝であるこの私も信じられなかったのだが、このような事態では疑ってもいられない。見ればわかるように、出仕して来た頃に比べるとこの私の若い頃に似てきているではないか・・・。皇后というよりもこの私に・・・。間違いない。この私の子である。皇后、よく打ち明けてくれた。」
「いえ・・・そのまま親王としてお育ちになっていれば、吉野に篭られる様な事はなかったでしょうに・・・・。この私が悪いのです・・・。この子のことなど考えてなかったのかもしれません。いつ身罷るかわからないような親王を生んでしまった罪悪感から、逃げてしまっていたのかもしれません・・・。」
「まあよい、このようにまじめで立派な公達として育ったのだから。まあ例のことはこの私でも驚いたのだけれども・・・。恋は人を変えるというが・・・まさしくその通り・・・右大臣殿。」
右大臣は焦りながら答える。
「今このような場所でする話題ではありません。もう終わったことですので・・・。」
帝は改めて右大臣に言う。
「そなたの三の姫入内の件だが、東宮がこのようになってしまったから、延期とする。この親王に関しても口外無用。さて、右近少将、今から東宮のところへ見舞いに行こう。他の者はこれで・・・。」
殿上人達は再びざわめきだした。驚くもの、今までよく思っていなかった者が自分の娘を・・・と思うもの。さまざまな言葉が飛び交う。
飲まず食わず夜通し馬で京まで帰ってきた少将の疲れは緊張も合わさって最高潮に達しており、少しふらつきながらも、帝の後についていった。
《作者からの一言》
ついに少将と東宮の秘密が???普通ならこのようなことはありえないでしょうね^^;いくらなんでも・・・。帝には兄弟がいなかったの???いますよ実は・・・。でもいろいろあって忘れられる(たい)存在なのです。この話は後ほど・・・。そりゃ今まで少将と思っていた若者が実は親王で、突然継承順位に入るってのを聞いたらびっくりするでしょうね^^;
むかしむかし 第9章 吉野にて
そのまま少将は吉野の縁の寺に謹慎に入った。姫を忘れようと、毎日写経三昧の生活。
内大臣の北の方からの文によると、その日のうちに噂が流れ、内大臣はお倒れになり、床に伏しておられるという。今のところ、帝の少将に対するお言葉はないが、これ以上噂が広まると謹慎ではすまない、出仕停止どころか、罷免もありえる。
一方姫は右大臣家の一室に閉じ込められ、身動きできないという。北の方が、姉上の皇后に文を出し、何とかお許しを獲ようと働きかけているようなのですが、まだなんともいえないようで、このような文が届いた。
『まだ例の姫は正式に入内の宣旨が下ったわけではないので、最悪な事は起こらないと思うのですが、東宮が異常なまでに立腹され、ある事ないこと帝に言っておられる確かです。皇后も例の姫とあなたの仲を許されてはどうかと、帝や東宮に申し上げられているようですが、あなたの名前を出す度に東宮はお暴れになられるそうです。姫との仲の件では問題はあまりない様に思われますけれど、一番問題なのは、東宮との言い争いにあるようです・・・。私もあなたのためにできる限りの事はして差し上げるつもりです。でないと姉上に申し訳なく・・・・。決して思い余って出家や自害などなさらぬよう。』
という文を読んで少将は、まだ都には戻れないと悟る。
夏が過ぎ、吉野の山が真っ赤に染まる頃、宇治の姫君の入内宣旨が下ったという噂が吉野にまで届いた。もう手の届かない存在となってしまったと、少将は嘆き悲しんだ。
今のところ都では例の騒ぎは収まり、結局少将にはお咎めがなかった。再三内大臣から都に帰郷するようにと文をもらったが、断り続け、物思いにふけている。吉野の山を毎日のように散策し、村の者とも仲良くなった。村の子供たちを呼び寄せては、いろいろな遊びをして気を紛らわせた。しかし宇治の姫君のことを忘れようとしても夢に出てくるほど、忘れられず、自分に苛立ちを覚える。
「若君!申し上げます!」
「なに?晃。」
「北の方から急ぎの文が・・・。」
少将は文を受け取ると、庭先で座って読み出す。
『今すぐ帰郷なさいませ!あなたに大事な話があります。馬を用意させましたので、急ぎ内大臣家へお帰りください。』
少将は立ち上がって、橘晃に言う。
「母上がせっかく馬まで用意して頂いたのだから、帰らなければならないな・・・。住職に挨拶してくるから、帰郷準備を・・・・。」
少将は住職に長い間お世話になったお礼と、贈り物をして、晃と共に馬を走らせた。
吉野から京までは結構な距離がある。途中何度も馬を換え、飲まず食わずで、やっとのことで、内大臣家へ着いたのは翌日の早朝であった。
久しぶりの都は相変わらずの賑わい様である。急ぎの馬が内大臣家の前についたことで、その場にいた都人が驚いて、集まって様子を伺う。
「開門!内大臣家ご嫡男右近少将様のご帰宅である!早くここをあけよ!!」
と橘晃が門衛に言う。門衛は急いで表門を開け、急いで車止めまでたどり着くと、騒ぎで出てきた女房たちが少将を出迎えた。
「少将様、お久しぶりでございます。さ、大臣様と北の方様が夜も寝ずにお待ちです。」
「近江、この格好では・・・・。」
「急ぎ寝殿へお連れするよう申し付けられています。」
「わかった。」
息を切らしながら少将は寝殿に向かう。
《作者の一言》
田舎に籠もれば済む問題ではないのですが、何とか東宮の気を静めようと吉野に籠もる。吉野から京まで結構距離があります。車でも何時間かかることか・・・。見当もつきません^^;謹慎を付き合わされた橘晃も大変だな・・・。本当なら元近江守の僕ちゃんなのですけど、母親が少将の乳母だということで、身分相当の官位を頂いていながら少将の従者としてついています。もの好き?将来は結構出世しますけどね^^;