戸塚宿❶のブログで澤邊本陣跡まで歩いたので、ここからはその先の戸塚宿の様子を書いていきます
【海蔵院】
北側の高台に続く石段の先にお寺が見えてきました
紫陽花が綺麗に咲いていたので入ってみました
寺院の中にはカフェもあり、小さなお坊さんの人形が、かざられています
今まで見てきた東海道沿いの荒っぽい寺社と比べると女性的でオシャレな感じです
約650年の歴史をもつ臨済宗(禅宗)円覚寺派のお寺です
【八坂神社】
元亀三年(1572年)に通称「お天皇さま」として親しまれている牛頭天王社を勧請したのが始まりとされています
牛頭天王は神仏習合の神様なので、明治維新の神仏分離令で八坂社に改名され、その後昭和7年に現在の八坂神社になりました
毎年7月4日に「お札まき」と呼ばれる女装した男性の踊り手十数人が厄除けの御札をまき、それを家の戸口や神棚に貼るというお祭りが江戸時代から続いているそうです
「ありがたい御札、さずかったものは 病をよける コロリもにげる」と風流歌に歌われました
江戸時代中期に江戸や大坂で盛んに行われていましたが今はここ戸塚だけになってしまいました
牛頭天王にまつわる神社は興味深い話が多いですね
東海道歩きのキーワードになりそうな予感がします
【八坂神社 明治天皇東幸史蹟】
明治天皇の東幸の際にお立ち寄りになられたようで史蹟があります
横に由来と書かれた立て看板がありますが、神社やお札まきの説明でした
【かまくらみち道標】
八坂神社のわきの交差点付近にあった「かまくらみち」の道標
神社の案内板によれば神社脇の東海道と鎌倉道の交差するところに高札所があったとのことです
八坂神社から少しすすむとさらに長い石段が見えてきました
これを登ったところが富塚八幡宮です
【富塚八幡宮】
延久4年(1072年)源頼義、頼家が前九年の役平定のために奥州へ向かう途中に応神天皇と富属彦名の御神託を受け、戦功を立てることができました
そのことに感謝して社殿を建て両祭神をお祀りしたそうです
社殿の後方は御祭神の富属彦名(相模国造二世孫)のものとされる前方後円墳になっています
戸塚の地名はこれを富塚と称したことに始まるとされています
全国の戸塚生、富塚姓の守護神だそうです
戸塚さんか富塚さんにあったら聞いてみたいですね
【戸塚宿 上方見附】
もうすっかりお馴染みの上方見附はローソンの前にありました
昔の写真と同じように石で囲んで松を植えていますので、今まで見てきたものより豪華ですね
上の高低差をしめす図の通り、旧東海道の戸塚宿は2つの山に挟まれた盆地のようになっています
江戸方面から来ると権太坂を登って焼餅坂、信濃坂をくだり戸塚宿の平らな低地を歩き、再び大坂を登って遊行寺坂を下って藤沢宿へ到着、といった感じです
大坂はかつては一番坂(110m)、二番坂(54m)の2つの坂だったそうですが、今は一つのなだらかな坂に慣らされています
江戸時代には「佐野の馬、戸塚の坂で二度ころび」という川柳に詠まれるほどキツイ坂だったようです
【第六天神神社】
また変わった名前の神社が現れました
もともと仏教の第六天魔王(他化自在天)を祀っていましたが、明治維新の神仏分離令によって日本の神政6代の神様に変えられてしまったようですね
6番目というと大した事なさそうですが、下から数えるので6段階の欲界の中では一番位の高い神様です
他の人が作り出したものを自由に奪い取って楽しむ力を持ち、お釈迦様の修行も邪魔をした仏教においては悪魔の様な存在です
でも、日本ではなぜか人気があったようですね
織田信長も自分の事を「第六天魔王」と名乗っていたそうですし、第六天神社も関東地方を中心に沢山あったそうです
【庚申塚】
大坂を登っていくと庚申塚があります
坂を整地する時に集められたものでしょうか
【大坂松並木】
大坂では松並木の間から富士山が眺められたそうです
坂は昭和7年(1932年)改修され、頂上を削って下に10mほど土盛りしてなだらかになったそうです
【浮世絵】
昔はこんな感じらしいですけど…
【大坂からの眺め】
今はこんな感じ
富士山はみえませんね…
【原宿一里塚跡】
11番目の一里塚跡です
松の木が植えられていたそうですが明治9年(1876年)にとりはらわれました
日本橋から11X3.9=42.9kmの地点です
【浅間神社】
お馴染みの浅間神社です
室町時代の永禄年間(1558 〜1570年)に富士山信仰をもとに村内安全を祈念して勧請されたといわれています
細い木の鳥居の手作り感がいいですね
【浅間神社】
神社内のスダジイというと椎の木の一種がありますが、ものすごい太さです
樹齢600年以上と言われてますから神社が建てられる前からあったのでしょう
周りは住宅街なので残念ながら富士山はみえません
【大運寺】
綺麗なお寺を見かけましたが、時間が遅かったので参拝できませんでした
徳川家の菩提寺の芝増上寺の末寺ということで三つ葉葵の寺紋が見えます
【崎陽軒】
突然目の前に姿を現した宮殿はなんと…
横浜シューマイ弁当の崎陽軒です
こんなところでイタリアンレストランに独自の進化を遂げていました
お馴染みの崎陽軒のシューマイ弁当の売店もあります
【天王山不動尊】
【諏訪神社】
諏訪神社の御祭神は健御名方命(たけみなかたのみこと)ですがそれ以前はミシャグチ神という蛇神だったと言われています
そのためか、このあたりでは蛇の伝説があります
【鉄砲宿】
「おはん」は自分が、余りに大きくなって飼い主が持て余しているのを察知して逃げ出し、戸塚にある池に住みつきました
「おはん」は食物に困り池に写った人の影をたべて生きのびていました
困った村人たちが考えて、「おはん 」と呼びかけて森家の人達が迎えに来たよう思わせて誘き出し、鉄砲で撃ち殺しました
その後この地域が「影取」と呼ばれ、鉄砲打ちの小屋を「鉄砲宿」と呼ばれるようになったといわれています
森家は実在の藤沢宿きっての旧家です
【旧東海道松並木跡】
かつては東海道らしい松並木を保っていました
残念ながら、1960年(昭和35年)松喰い虫の被害により大半が枯れてしまったそうです
【並木茶屋】
松並木の名前にちなんだレストランもあります
ピーナッツ油のもやし炒めが有名で藤沢のソウルフードだそうです
現在の地名でいうと、この辺りはもう横浜市戸塚区を越えて藤沢市に入っています
鉄砲宿のあたりまでが戸塚区です
【遊行寺坂】
箱根駅伝の復路の屈指の難所「遊行寺坂」にきました
下りなので楽ちんです
【遊行寺坂 一里塚】
遊行寺坂の一里塚跡です
日本橋から12里目(46.8km)になります
現在の遊行寺坂は切通のように道路を掘り下げて道路を通しているので、当時はこの崖の上に一里塚がありました
【小栗判官墓所】
遊行寺につくとまずめにはいるのが小栗判官墓所入り口です
浄瑠璃で名高い小栗判官・照手姫ゆかりのお寺だそうです
【大いちょう】
樹齢600年といわれる大木で、藤沢市の天然記念物で、遊行寺のシンボル的な存在です
【遊行寺 本堂】
正式名称 : 藤澤山 無量光院 清浄光寺(とうたくさん むりょうこういん しょうじょうこうじ)
遊行四代呑海上人の開山以来、遊行上人が住まわれるお寺として「遊行寺(ゆぎょうじ)」の名で親しまれています
【境内】
夕日に染まった境内は大変美しいです
この先から…あれが見えます!
【富士山の眺め】
ここまで来てようやく、夕焼けに染まった富士山が見えました
神々しい姿を見ると古代から信仰の対象だったことがよくわかりますね
【地蔵堂】
日数を限って願掛けすると願いがかなうという地蔵菩薩像があり、日限地蔵と呼ばれていいます
享保8年(1723年)に地蔵菩薩像を建立し東海道を歩く人々でにぎわいましたが、その後関東大震災で倒壊し、平成26年(2014年)に再建されました
内部は複雑な構造で木目の美しい地蔵堂です
【総門】
暗くなりましたので4日目はここから藤沢駅に出て帰宅することにします
遊行寺坂から入りましたので、総門から藤沢駅方面へ抜けます
ここから眺めると立派な門構えで時代劇の舞台のようです
【藤沢宿交流館】
もう、閉まっていました
【遊行寺橋】
大名行列か渡ったと言われ当時は東海道が境川を渡る所にあったそうですが、現在は遊行寺の総門前にあります
【江ノ島道標】
ここから江ノ島方面へ向かう旅人も多かったようです
【藤沢橋】
遊行寺橋に平行してかかる橋
【藤沢駅】
ようやく、権太坂を登ったところから焼餅坂、信濃坂をくだり戸塚宿の平らな低地を歩き、再び大坂を登って遊行寺坂を下って本日のゴール藤沢駅へと辿り着きました
戸塚宿は遺構やそれにまつわる逸話や伝説も多く大変興味深いルートでした
この先も小田原、箱根とさらに情報量が増えていきそうな場所なので楽しみですね