10日ぶりの東海道歩きの第2日目は前回の終着地点、とんかつ青木 京急蒲田店からスタート!

1. 第2日目 スタート (京急蒲田)


【とんかつ檍 京急蒲田店】
ここから京急線を越えて海側の第1京浜(国道15号線)へと向かう

【夫婦橋】
第一京浜にでて、京急線を挟んで弾正橋と平行して呑川にかかる夫婦橋を越える


2. 六郷神社


【六郷神社】
第一京浜を六郷橋に向かって歩いていくと、左手にこのあたりでは大きな六郷神社が見えてくる


【社殿】

天喜5年(1057)、源頼義、源頼家父子が、この地の大杉の梢高くに源氏の白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡宮に武運長久を祈願した


 前九年の役で勝利したため、凱旋後に石清水八幡宮の分霊を勧請し八幡宮を創建したとされる


【手水石】
源頼朝が奥州藤原氏討伐の際にも先祖にならって白旗をたて勝利を祈願した

この手水石は頼朝が奉献したものとされる


【旧六郷橋 親柱】
六郷橋は徳川家康の命により多摩川に架橋された

その際の竣工式や渡初式が行われたため、六郷神社と徳川家は縁が深く神紋として八幡宮の巴紋と三つ葉葵が用いられている

家康により1600年(慶長5年)に架けられた橋は1688年(貞享5年)の洪水で流失した

その後は1874年(明治7年)まで橋は架けられずに渡し船となった

その後の洪水により何度も流失と架橋を繰り返し、ここにあるのは1913年(大正2年)に作られたものだ


【神橋】
頼朝に社殿の造営を命じられた梶原景時


2. 六郷橋


【六郷橋親柱】
六郷橋を渡る手前にも別の1925年(大正14年に)に完成した橋の親柱と橋門が残されていた


【京急線】

六郷橋と平行して走る京急線の鉄橋は多摩川土手すれすれにかかっている

下から列車が通り過ぎるところを見上げると大迫力シーンか見られる


【止め天神】
正式名称は北野神社

8代将軍、徳川吉宗が馬の暴走のため落馬しかけたのを止めたことから止め天神と呼ばれる

落ちなかったことから受験や選挙にご利益があるとされる

【明治天皇六郷渡御碑】


明治天皇の東幸の際は六郷橋はなく、舟を23隻ならべて橋野ように並べた




【六郷橋の看板】


3.  川崎宿


【新宿】
川崎宿は1623年(元和9年 )に他の東海道の宿より遅れて開設された為、新宿と呼ばれていた

川崎宿は新宿(しんじゅく)、砂子(いさご)、久根崎(くねざき)、小土呂(ことろ)の4つの村から構成されていた

【田中本陣後】

川崎宿に3つあった本陣のうちの一つ

最も古く、最も東にあって江戸に近いことから「下の本陣」とも呼ばれた


4. いさご通り


【川崎市役所】



新しくできたばかりの川崎市役所本庁舎


【いさご通り】


川崎市役所を左手に見ながら「いさご通り」へと入っていく


【小土呂橋 親柱】

かつて新川堀という用水があり、橋がかけられていた

その時の親柱が道路脇に残されている


【焼肉 つるや】

ドラマ「孤独のグルメ」でも紹介された焼き肉店


5.  芭蕉の碑


【芭蕉の碑】

元禄7年(1694年)5月11日、江戸深川の芭蕉庵を後にして、故郷の伊賀上野へとむかった

芭蕉の弟子たちが別れを惜しんでこのあたりまで見送りに来てお互いに句を詠みあった

その時の芭蕉の詠んだ句が石碑に刻まれている

         「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」

この年の10月に芭蕉は大阪で亡くなり、この時が本当に最後の別れとなってしまった

【八丁畷】
京急線「八丁畷駅」の踏み切りを渡る

【無縁塚】
八丁畷周辺は江戸時代から多くの人骨が発見されている

川崎宿では江戸時代のころの記録で震災、大火、洪水、飢饉、疫病などで多くの人が命を落としていて、そのたびに身元不明遺体を川崎宿のはずれの松や欅の並木の下に埋葬していたのではないかとされている


6. 熊野神社


【熊野神社】


【スクランブル交差点の巨大横断歩道】


熊野神社前に広がる巨大なスクランブル交差点は一見の価値あり

歩行者信号が青の間は、この横断歩道上の全てが一時的な歩行者天国と化す

【市場一里塚】


慶長9年(1604年)徳川家康は街道を整備し、江戸日本橋から一里(約4km)ごとに5間四方(約9㎡)の塚を築いた


塚には榎を植え、旅人の里程の目安とした


本橋から5番目の一里塚だ


7. 鶴見川



【庚申堂】


【鶴見川橋】


【鶴見橋関門跡】

安政6年(1859年)6月、横浜開港とともに、神奈川奉行は外国人に危害を加えることを防ぐために、横浜への主要道路筋に関所や番所を設けた

万延元年(1860年)4月に「鶴見橋関門」が設けられた


橋際に薬7メートル道幅を残して左右を黒渋をぬった杉材の柱をたてていた


その後1862年「生麦事件」が発生したため、東海道の川崎宿〜保土ヶ谷宿間に全部で20箇所の関門が設けられた


これらの関門は明治4年(1871年)に全て廃止された


8. 鶴見神社


【寺尾稲荷道】

寺尾稲荷社(現馬場稲荷社)への道標(複製)

現在は鶴見神社境内にある


【鶴見神社】

鶴見神社の創建は、推古天皇の時代(7世紀初め)と伝えられる


古くは杉山大明神と称された。1920年(大正9年)に、社名を鶴見神社と改めた


昭和三37年、境内より弥生式後期から古墳時代の土師器を中心として鎌倉期に及ぶ多数の祭祀遺物が発見された


推古朝以前よりこの地で祭祀が行われていたと推測される、横浜、川崎で最古の神社だ



【溶岩と狛犬】

鶴見神社の鳥居をくぐると明らかに富士山信仰を想像させる溶岩にのった狛犬が目を引く
 
この展開はいつもの…

【浅間神社】

予想どおり、品川神社の社殿の裏手に回ると富士塚が姿を現す

この辺まで東海道を歩いてくると、このぐらいの展開が読めるようになるから不思議だ


【山頂の牡丹】


【浅間神社】

山頂には小さいながらも社がある

木花開邪媛命を祀る

もとは現在のJR線路上にあった山(古墳)を鉄道開設に伴い移設した


9.  国道駅



【さぼてん茶屋跡】

東海道の名物茶屋の碑

【JR鶴見線 国道駅】
昭和5年(1930年)依頼ほとんど改築されていない、当時の面影をそのまま残している

今も現役で1日1500人程度が乗車する不思議な無人駅だ


【銃弾の跡】

戦時中の爪痕を残す弾痕がそこかしこにある


10.  生麦事件


【生麦事件現場】

キリンビール工場前にの生麦事件碑があるが、実際の現場はもう少し川崎寄りにあり、「生麦事件発生場所」の看板がたっている

住宅街にあり、うっかりしていると見過ごしてしまう


【生麦事件碑】


11.  キリンビール工場



【キリンビール横浜工場ビアホール】

生麦といえば生麦事件か、キリンビールの工場かといわれるほど有名なキリン横浜工場

【ビアホール】

とりあえずは…ピール

天井が高く店内も広々して気持ちが良い

工場内には広い庭園があり散歩も楽しめる

12.  遍照院



【遍照院】

踏み切りを越えるとそこはお寺だった

まるで京急線が三途の川のように見える不思議なお寺


13.  トマトケチャップ発祥の地



【トマトケチャップ発祥の地】

今や世界的に有名なトマトケチャップの発祥の地は日本だったのか!

アメリカ人が見たら怒るぞ

日本で最初に広めた地…というのが真実のようだ

【船溜まり】


14.  東神奈川駅(ゴール)



【東神奈川駅】

日もくれてきたので第2日目の東海道歩きは東神奈川駅までとすることにした

本日の記録




京急蒲田〜東神奈川
本日歩いた距離 19.11km
直線距離  13km
本日歩いた時間  6時間