前回は東海道を日本橋から歩いて品川駅まで歩いたところまでをかいたが、今回はその続きを品川宿の入り口の新八ツ山橋から書いてみる



しながわ10.  品川宿  新八ツ山橋


【新八ツ山橋】



品川駅西口から10分程南へ坂道を登っていくと品川宿の始まり、「八ツ山橋」へとでる


橋の名前はかつて海に面していた頃にこの辺りに八つの岬があったことに由来する


映画「ゴジラ」の中ではゴジラ上陸場所として描かれている


【JR東海道線】

橋の下には小高い丘を掘り下げて敷かれたJR東日本の京浜東北線や東海道線などが通過する


明治5年に架けられてから四代目で現在の橋は昭和60年に架替えららたそうだが手摺りが低く、過去にここから飛び降りた人がいたのも頷ける


【八ツ山橋 親柱】

橋を渡った所に二代目の橋の親柱が残されていた


【地下道出入口】



この当たりからは町並みも今まで歩いてきた道とは異なり旧東海道を意識したものに変わってきた


【北品川本通り商店街入り口】




京急線の北品川駅の踏み切りを越えて、北品川本通り商店街へと入っていく




当時の東海道と同じ道幅が残されているので、東海道を歩いている実感が湧く


11.  品川浦  船だまり


住宅街の中、突如として屋形船や釣り船の船溜まりが顔をだす

この付近に海苔屋さんを数軒見かけたが、かつては海苔の産地だった名残りのようだ

古い家並みも残っていて落ち着いた雰囲気だ

この運河の先をたどると天王洲アイルにでる

【クジラのオブジェ】

品川浦のすぐとなりの公園にあるクジラのオブジェ

江戸時代に体長16メートルの鯨を地元の漁師か捕獲し、11代将軍、徳川家斉が上覧されるほどの騒ぎとなった

【利田神社】


鯨の頭の骨を埋めて供養した鯨塚が近くの利田神社にある

【溜屋横丁】
品川浦から旧東海道ルートへ戻ると、家の壁に埋め込まれた奇妙な石柱をみつけた

上部の看板をみると、この辺りは「溜屋横丁」と呼ばれ「鳥海橋」と呼ばれる橋が架かっていたとの記載がある

この奇妙な石柱は元は橋の一部であったと思われる


12. 品川本陣跡


【品川宿本陣跡】
江戸時代に参勤交代の大名や公家などが宿泊した施設のあった本陣跡

1872年(明治5年)宿駅制度廃止後は警視庁病院などに利用された

東海道五十三次の第1番目の宿駅として発達し、現在は「聖蹟公園」となっている

【井戸】
当時の様子を伝えるものとして公園内には井戸跡や石燈籠などが復元されていた

【ご聖蹟】

明治天皇が京都から江戸に向かった際の行在所(宿舎)となったことから記念碑が置かれている


聖蹟公園の名前の由来になっている


13. 品川神社

【品川神社】

1187年(文治3年)源頼朝が天比理乃咩命をお迎えして海上交通安全、祈願成就を祈られたのを創始としている

室町時代には太田道灌が素戔嗚尊をお祭りし、徳川家康が関ケ原の戦いの出陣に際して戦勝を祈願された

【御神水】

一粒萬倍の御神水

お金や印鑑にこの御神水をかけると一万倍になる…らしい

【品川富士とカエル】

富士山信仰の浅間神社が併設されていて、岩を積み上げた「品川富士」と呼ばれる小高い丘がある

石段には5合目のどと記載された道標があり、ミニチュアの富士山になっている

登山口には無事カエルということでカエルの像がおかれている

【品川富士山頂】

頂上まで昇ると思ったよりも高く、石段も急で結構怖い

東海道を行き交う旅人の、今でいうところのテーマパークのアトラクション的な役割もあったのであろう

14. 東海寺


【東海寺】
徳川家光が禅僧、沢庵を迎えて開いた寺でたくあん漬けか考案された地

【梵鐘】

梵鐘は文化財となっているが…

【目黒川沿いの🌸】


東海寺の横を流れる目黒川に沿って桜が咲いていた

15. 荏原神社


【荏原神社】

709年(和銅2年)創建の古い神社

宝治元年に八坂神社より牛頭天王を勧請されたことから天王祭が現在も行われている

【明治天皇の内待所奉安所の史跡】



明治維新で東京に遷都された際に3300人を引き連れて東海道を行幸した明治天皇の内待所奉安所の史跡が残っている



荏原神社をでてすぐのところ、目黒川を挟んで北品川宿と南品川宿の境界に品川橋が架かっている

境橋ともよばれている

一見すると石橋風だが、新しく作られた鋼橋だ

此処から先が南品川宿となるので、きりが良いのでここで一旦ブログを終了する