品川橋を渡ったあたりから東海道の雰囲気を現代に残そうと意識した建物や案内板が増えてきて、歩くモチベーションも高まる

【城南信用金庫】
品川橋の渡ってすぐそばにある城南信用金庫 品川支点

一見するとお土産屋か観光案内所のようにしか見えない

16. 三岳


【品川宿 問屋場跡】
宿場を利用する大名や幕府の公務旅行者の為に次の宿場へ荷物を届けたり、書状や品物を次の宿場へ送る継飛脚と言う公務の飛脚業務をしていた役所


【三岳】

室町時代末期には毎月2の日と5の日に市が立っていたところから二日五日市村と称した


南品川2丁目周辺エリアは近くに三竹稲荷神社があったことから江戸時代には「三岳」と呼ばれていたとの記載


【品川宿 石積護岸】
今は埋め立てられてほとんど面影がないが、かつての東海道は海に面していたことをつたえる、石積の護岸

【城南小学校】
東海道の景観に溶け込むように建てられている小学校

17. 青物横丁


【京急 青物横丁駅】
江戸時代に、農民が野菜を持ち寄って市場を開いていたことから「青物横丁」とよばれた

今で言うところの大規模な野菜直売所だろうか?


【千躰荒神堂 (海雲寺)】


荒神様は竈の神と呼ばれる火と水をお守りする神様
台所にお祀りすると衣食住に不自由しないらしい

いかにも青物横丁らしい神様である

海雲寺は曹洞宗のお寺であるが、荒神様はもともとは日本の民間信仰の神様らしい

【平蔵地蔵】
鈴ヶ森刑場の番人であった正直ものの平蔵が不遇の死をとげたことを悼んで建てられたもの

京急線の青物横丁にあったものが、鉄道建設により海雲寺に移転した

この周辺に旧東海道の面影が色濃く残っているのは、こういった遺物や伝承を残そうとする人々の努力のお陰であることがよくわかる

18. 品川寺



【品川寺】


しながわでらではなく、ほんせんじと読む

806-810年(大同年間)に弘法大師空海を開山とし創建された

品川の名前の由来となった品川区最古のお寺


19. 山内豊信の墓


【山内豊信(容堂)の墓立札】

驚いたことに、京急線 鮫洲駅近くに司馬遼太郎の小説などにも登場する幕末の土佐藩主の山内豊信(容堂)の墓があった



【山内豊信(容堂)の墓】

幕末の四賢侯で自ら鯨海酔候と称するほど酒が好きな人だった

明治維新後は東京に住み、土佐(高知県)から遥か彼方のこの地に埋葬されることを望んだらしい

20.  浜川砲台

【浜川砲台】

開国を迫るペリーを迎え撃つために土佐藩が造った砲台

実物のない他藩の丸太で作った偽物の砲台が多い中で実物の大砲八門を揃えた砲台は江戸っ子の評判も上々だったらしい

このあたりに土佐藩の鮫洲抱屋敷があったためか、坂本龍馬像 をはじめとして土佐藩の遺構が多いようだ


21. 坂本龍馬像


【坂本龍馬像】

立会川駅に佐久間象山塾で大砲操練を学んだ20才の坂本龍馬は浜川砲台にいた

22. 鈴ヶ森刑場跡



鈴ヶ森刑場跡の手前にある橋

刑場に送られる罪人とされた人をここで見送ったことから涙橋とよばれた


【鈴ヶ森刑場遺跡】
旧東海道が第一京浜とぶつかったところで、異様な雰囲気に包まれた鈴ヶ森刑場遺跡が姿を現す

現在も井戸や、火炙用の鉄柱や磔用の木柱を立てた礎石などが残されている


【鈴ヶ森遺跡】

1651年(慶安4年)から1871年(明治4年)の220年の間に10万人から20万人が処刑されたとされている

旧東海道品川宿近辺では最もショッキングな場所だ


【品川水族館】

鈴ヶ森刑場のすぐ隣にしながわ水族館の入り口にあるイルカのモニュメント

23. 磐井神社


【磐井神社】

式内社と呼ばれる古い格式をもつ神社


貞観元年(859)この神社を武蔵国の八幡社の総社に定めたといわれる


別名、鈴森八幡宮とも呼ばれ、鈴ケ森という地名はこの神社に納められた転がすと鈴の音がする鈴石からきているといわれる



【磐井の井】

心の清い人には清水、邪悪なひとには塩水となると言われている磐井の井と呼ばれる井戸

磐井神社の外、第一京浜(国道15号線)沿いにある

24. 三原通り


【三原通り】

京急線平和島あたりで第一京浜から三原通りへ入る

大森スポーツセンター前に「旧東海道」と書かれた石碑が立つ

それによるとここから900メートル余りは旧東海道の当時の道幅が残されているとの記載がある

南原、中原、北原の三方をまとめ、三原通りと呼ばれる


【海難供養塔】
大森海岸に流れ着いた死者を供養するために建てられた石塔
  
【燈籠台石 東海道常夜燈】

江戸後期に東海道を旅する人々のために目印としてたてられた常夜燈

大森を中心に近郷、川崎、東京などの富士講の人々が東海道沿いに建てたもの

国道15号線の建設に伴い、旧東海道コースを外れた大田区図書館前に移設されている

【貴船神社】

【梅屋敷公園】


もともとは蒲田周辺の農民が生活苦から梅干しを作る為に植えた梅の花が川崎大師や江ノ島を訪れる人々の間で有名になった


そこに目を付けた江戸時代に和中散と言う薬の売薬所を営んでいた山本久三郎が、文政年間に梅を始めとする多くの木を植え、茶屋を開いたことが起源とされる



【明治天皇行幸所蒲田梅屋敷】
  

明治天皇がたいそう梅屋敷を気に入られ5度も通ったという記録がある


1873年3月6日の観梅の際、小梅一株を自らお手植えになり、この梅は「仙粧梅」と称された。



【弾正橋】

蒲田駅近くの弾正橋

後北条氏に仕えて、六郷一帯を支配した行方弾正直請に由来


【第1日目終了地点  とんかつ檍 京急蒲田店】


そろそろ日も暮れ始めて「蒲田」についた頃、朝から何も食べていないことに気づいた

何か街道飯に相応しいものはないだろうか?

「蒲田発祥」といえば、今や全国に名を轟かす「とんかつ檍」だろう

この分厚い上ロースかつ定食がたったの¥1,500

まさに現代版の「街道飯」

さっそく店に飛び込み、柔らかくて、ジューシー、サクサクの三拍子がそろったとんかつをいただく

日本橋を出発して約8時間の間に消費されたカロリーでカサカサになっていた身体に、とんかつの肉の脂が一気に駆け巡った


【2024/4/8 1日の記録】


日本橋〜蒲田
直線距離  15km
実際に歩いた距離  28km
開始時間  9:50
終了時間  17:42