東海道を歩き始めて3日目は前回終了地点の東神奈川駅からスタートした

3日目といっても毎日続けて歩いている訳ではなく暇な時に歩くという、お気楽スタイルだ

1.  第3日目 スタート 東神奈川駅  13:26


【東神奈川駅】

13:26 午後からのスタートとなった

JRから京急線の東神奈川駅方面へでて、さらに15号線を目指す

【田中酒店】

15号線にでると、酒屋の看板には「神奈川宿四ツ角」の文字が

これがこの辺りの地名だったのかは不明

【滝の川】

この川を渡る手前(東京側)に神奈川本陣、渡った横浜側に青木本陣が置かれていた

現在も神奈川と青木町はこの辺りの地名として残っている

【本陣跡の説明】

本陣とは大名や公家などが宿泊したり、休息するための幕府公認の宿

滝ノ橋のすぐ脇には高札場があった

高札場は幕府の法度や掟を庶民に徹底させるための重要な施設


【青木本陣】

滝ノ橋を渡ったところにある青木本陣

青木の地名は近くの「洲崎大神」にある「檍(あおき)」の木に由来すると伝えられている

【青木通り】

栄町の交差点の手前で15号線に別れを告げ、旧東海道の青木通りへ入る

東海道らしい見慣れた道幅だ

【洲崎大神】

この鳥居の手前に旧東海道が走り、その手前は海になっていて神奈川湊の船着き場があった

横浜開港時には神奈川宿との船渡し場となっていた



【二の鳥居】

洲崎大神の最初の鳥居をくぐり階段を登ったところ

【溶岩と狛犬】

品川神社でもみかけた組み合わせ

【社殿】

1191年(建久2年)源頼朝が安房国(千葉県)の安房神社の御分霊を祀ったことに始まると伝えられる

質素な中に神秘的な雰囲気を持つ社殿

【社殿 横】

横から見ると屋根が異常に厚い

【宮前商店街】

商店街と言う幕が架かるがそれらしいお店はあまりない

【神奈川駅】

京急神奈川駅の横を通り京急線とJRを越えて、今まで歩いてきた2つの線路の東側から西側へとでる

【東横フラワー緑道と高島山トンネル】

東急みなとみらい線の開通により、東横線が地下化されその線路跡が緑道として整備されている

トンネルは地下か前に列車が通っていたものを整備したもの

東白楽駅まで繋がっているようだが遠いので途中で引き返した


【大綱金刀比羅神社】

江戸時代には神社前の街道両脇に一里塚がおかれ日本橋から7つ目のものだった

一里=3.9キロなので28km−0.7kmで27.3kmということか…

【飯塚社 絵図】

平安時代末期の創建でもとは「飯綱社」と言われ今の境内後方の山頂にあった

源の頼朝が海をわたって安房国へ逃れる際に現れた大権現様を祀ったとされる

神社前の袖ケ浦から出港する船は必ずここで護摩を納めた

【現在の境内】

1911年(明治44年)に裏山の崩壊に伴い「飯綱社」は崩壊

その後、金刀比羅社を合祀して現在の地に移された


大天狗の伝説があり、境内の脇には天狗の彫り物が置かれる


【神奈川の台  袖ケ浦】

「神奈川の台」とよばれた現在の台町は道路海側に2階建ての茶屋が立ち並ぶ景勝地だった

十辺舎一九の東海道中膝栗毛にもその様子が描かれている

【現在の台町】

軽い登りで少し高台にあるが、海があった痕跡や、当時の賑わいは全く感じられない

建物の陰でみえないが眼下には海ではなく横浜駅とみなとみらい21の景色が広がっている…はずだ

【文久3 年 田中屋】

1863年(文久3年)創業の料亭「田中屋」

坂本龍馬の妻「おりょう」が明治7年から勝海舟の紹介で働いていた

高杉晋作やハリスも訪れた

【さくらや】

安藤広重の東海道五十三次に描かれた「さくらや」は田中屋の前身の旅籠である

【謎の岩と住宅】

謎の岩の上に無理やり立てられた住宅

【袖ケ浦見晴所  神奈川関門跡】

開港後に外国人が、何人も殺傷され、イギリス領事のオールコックを始め、各国の領事たちに幕府が非難された

幕府は1859年(安政5年)横浜各地に関門や番所を置き警備強化にあたった

神奈川宿の東西に置かれた2つの関門のうち西側が神奈川台の関門である

【浅間神社】

東海道線ではお馴染みの木花咲耶姫命を祀る「浅間神社」

創祀は1080年(承歴4年)

源頼朝の平家討滅や先勝奉賽を祈念して建てられたとされる

ここには富士山のミニチュアもカエルの置物も溶岩もはないが、神社が置かれている高台自体が富士山を象徴しているようだ


【芝生の追分(分岐点)】

帷子川に沿って伸びる八王子道との追分(分岐点)

1859年(安政6年)横浜開港後は八王子から絹が運ばれるようになり、「絹の道」と呼ばれるようになった

日本のシルクロードだ


【横浜 洪福寺 松原商店街】

洪福寺松原商店街 

横浜区西区(神奈川宿)と保土ケ谷区(保土ケ谷宿)をまたがる、2024年の神奈川県人気商店街ランキング第1位に輝く商店街だ
 
東海道筋に発展した商店街の賑わいを今も残している貴重な商店街だ

【洪福寺松原商店街 ハマのアメ横】

「 ハマのアメ横」とも呼ばれるだけあって物凄い人混み

活きの良い魚や新鮮な肉、乾物、衣料品などが揃う

昔はこんな商店街が日本中どこでもあったものだが、今ではほとんど見かけなくなった 

ここから先は保土ケ谷宿に入り、昼食を取って東海道最初の難所「権太坂」へ向かうが、それは次のブログで