TODAY'S
 
エクモ治療で蘇生したコロナ患者に絶句した話

 

こんにちは!生チョコぽん酢です。

改めて言う事でもないのですが、私のブログで語る体験談は、主観ではありますが全てノーフィクションになります。

面白いこと、腹が立つ事、感慨深い事、毎日いろいろな事が起こりますが、今日もタイムリーな話題があるので書かせてもらおうと思います。

先日、三次救急A病院から遠方のB病院まで、コロナ患者さんの転院搬送がありました。

さっそくお迎えにあがってみると、酸素こそ使用しておりますが元気で、頭もしっかりしている中年男性です。

コロナということもあり、家族は来ずに本人だけを搬送したわけですが、先にも述べたように頭もしっかりした方なので、病室から車に向かう間、色々世間話をしていました。

私「ご入院は長かったんですか?

患者さん「あまり覚えてないんですよ。B病院からヘリコプターで運ばれて、エクモしました

私は驚き、詳しく聞いてみたところ、とても気の毒な内容でした。

経緯はこうです。

これから向かうB病院には元々簡単な外科手術の為に短期入院していたそう。

しかし、院内でコロナに罹患してしまい、みるみるうちに重症化。

あまりの急激な悪化にB病院が「これはまずい」となり、急いでドクターヘリを手配し、ここA病院に搬送されました。

A病院に到着する頃にはエクモ治療をしなければいけない程の状態で、その時点で生死の境だったのは間違いありません。

エクモは志村けんさんが行った治療法なのでご存知の方も多いと思いますが、Wikiで検索すると次のように説明されています。

心臓と肺が、生命を維持するのに十分な機能を失った際に、心臓と呼吸の補助をする治療法である。

ECMOは患者の体内から血液を抜き出し(脱血)、人工肺にて二酸化炭素を拡散により除去するとともに、赤血球に酸素を付加(酸素化)し、再び体内に戻す(送血)ことを行う。これにより、肺が本来行うべき酸素化と二酸化炭素除去を代替し、肺を全く使用しなくてもよい状況(Lung Rest)を作り出す。

最後の切り札のような治療法なのですね。
 
志村けんさんはそれでも駄目でしたが、今回の患者さんは酸素こそ必要なものの快方に向かい、現代の医療の凄さみたいなものを感じる事が出来たわけですが、

この後、私は大変ショックな会話をすることになります。

上記の経緯を聞いた私は、ふと気になることがあったので思い切って聞いてみる事にしました。

私「本当に、大変でしたね。ワクチンは打ってたのですか?

この質問に対して、患者さんも思うところがあったようで、聞いてと言わんばかりに声のトーンが大きくなり、少し早口で話始めました

患者さん「私は7回打ってます。全部コンプリートしてました。他にも×××(聞き取れなかったけど多分国推奨の何か)もしていました。全部やってたんです

私「それだけ打っているのに・・・ワクチン意味がなかったのでしょうか。

患者さん「私の免疫力が下がっていたせいでしょう。
 
本人的には"ワクチンではなく自分の免疫力が下がっていたせいだ"という結論のようです。
 
でも私のような未接種者から言わせれば、何のためにワクチンを打ったんだって。

7回打って、コロナに罹患して、周りが驚く程あっという間に重症化して。

重症化と言いますか、死んでいたわけです。

しかも、口ぶりでは1日2日くらいの出来事だったようで。
 
免疫力うんぬんの次元ではないように思えるのです。

何ともいたたまれない気持ちになり、かける言葉が見つからず、その後はほぼ無言でB病院に向け出発します。

無事にB病院の救急に到着するわけですが、待機を命じられ、B病院側はこの患者さんに対する恐怖心が植え付けられているのか、中々患者を迎えに来ません。

その後はびくついた看護師と看護師長らしき年配の偉そうな女性の2人が、完全防備で来ました。

偉そうな女性は、私の目を見て真剣な表情でこう言います。

私は患者には一切触れません。彼女(もう一人の看護師のこと)が全部対応します。

え?だから何?それ私に宣言してどうするの。

ってか、だったら何故に完全防備?

私の思考はいつもながら追いつきません。

びくついたもう一人の看護師は、震えるような声で患者さんに話しかけています。
 
仕方がないからトランスや酸素の設定は私がやってあげました。
 
これも一種の医療現場でのパワハラでしょうね。
 
病棟内の不均衡さが容易に想像できます。
 
しかし、新型コロナがスタートして約5年。

A病院はそうでもないのですが、その他ほぼ全ての病院はこんな感じです。

もう一般病院では次の感染症対応は無理ですよ。


すみません、脱線しましたので話を戻します。

その後、患者さんと再び2人きりになったタイミングで、最後に1つ質問をしてみました。
 
どうしても聞きたいことがあったのです。
 
私「秋からレプリコンワクチン?という新しいワクチンが出るみたいですけど、どうしますか?
 
するとあっさりこう答えました。

患者さん「そうですか。打ちます。」(即答)
 
・・・・・
 
私「7回打って今回の事があったのにまだ打つんですか?
 
患者さんは満面の笑みでこう答えました。

患者さん「だって罹ったら怖いじゃないですか



・・・・・



もう言葉になりませんでした
 
罹ったら怖いって、それはまだ罹患したことがない人なら分かりますが、

この人は既に7回打った揚げ句、コロナで死にかけた経験をした直後なのですよ。

ワクチンを打たないと怖いって。
 
あの満面の笑みが今でも脳裏を離れません。

まだ前回の記事で載せたはじめしゃちょーのように、ほぼ無症状だったからワクチンに効果があった、という解釈をしたならまだしも、

コンプリートして死にかけた人から出た言葉がこれです。
 
書きながらなんとなく既視感があったのですけど、この時の人も満面の笑みで全く同じ事を言っていた事に今気付きました。
 
マジのマジ話ですからね。
 
怖すぎです。
 
でもこれが全てを物語っていますよね。

何をって?
 
1)選択肢が存在しない
 
つまりもう彼らには、生きている間はワクチンを打ち続ける選択しか無いのです。
 
ワクチンを打って駄目だったなら、また別のワクチンを打つ、ただそれだけ。

 

だから必ずレプリコンワクチンも、一定数の人は無条件で打ちに行きます
 
一定数どころか、1年単位で見たら国民の半数くらい行くかもしれません。
 
2)そういう次元ではない
 
自分が歩く生物兵器になる可能性があるとか無いとか、
 
レプリコンワクチンが体に害がある可能性があるとか無いとか、
 
コロナワクチンを打つと免疫不全になる可能性があるとか無いとか、
 
そういうレベルの話ではないのがこの一件からもよく分かりました。
 
もはや次元が違うのです。

以下の記事で書いたように、もうみんな病気なのです。

 

しかし人間社会では多数派が病気になれば、それはもう病気ではなく正常となり

 

そしてそれを病気と思う少数派が逆に病的になってしまう世界。

 

まさしく戦時中と同じですね。

 

年を追うごとに、伊丹万作さんの気持ちが痛い程分かってきてしまいます。

 

 

■要するに変える事など最初からできなかった

 

未接種者の多くは大切な人への説得を試みた経験がありますよね。

 

しかし全体で見たらその説得が実らなかったケースの方が圧倒的に多いでしょう。

 

そのことで「あの時に別の言い方をしておけば」「あの時にもっと勇気があれば」などと、少なからず後悔を抱いている人もいると思います。

 

ですが、この件から考えてみると、何をどう言っても無駄だったのです、決してあなたのせいではありません。

 

そして私は、"オカシイ"と気づき始めた接種者がいるのも知っています

 

このブログを読んでくれていることも知っています。

 

でもそれらの人の殆どは、既にワクチンをやめられている、もしくは嫌々周りに合わせて打っていた人で、根本的に?ここで書いた層の人とは別なわけです。

 

つまり、未接種者と同様に全体で見たらごくひと握りでしかありません。

 

その他大勢の思考は、ここで書いてきたようなものだという事は間違いないと思うのですよ。

 

それこそ天皇陛下が玉音放送でもしない限り、誰が何をどう言っても無駄なのでしょう。

 

ですから、最初から仕方がない事だったし、この先も時が来るまでは変わらないものだと理解することで、

 

我々の今後の立ち振る舞いもより柔軟になるのかもしれませんね。

 

レプリコンは止められそうにありませんが、自分を責めずに、肩の力を抜いて生きていきましょう。

 

良い意味でも悪い意味でも、レプリコンの影響がどの程度なのかは分かりませんからね。

 

 

おわり

 

 

↓本日の裏記事では、とある事件の当事者と直接お話して気付いた、自分の意思に反してコントロールされていると思わせる事象について書きます(やや陰謀論よりですし主観が多めですが必見です、過去一衝撃的で鳥肌が立ちました)。