歌川広重 in 福山
今年の7月に福山へ行く機会がありました。新幹線福山駅からはすぐ北にある福山城が望めます。
その福山城の「ふもと」に福山市立の「ふくやま美術館」があります。
ここでやっていたのは「広重」展、原安三郎コレクションです。
広重、広重・・・ということで手許の"グッズ"を探してみると、ありました。切手です。
今年は市制施行100周年ということで、美術館には多くの人が間断なく入っていました。
今回の目玉は初公開の「六十余州名所図会」で、歌川広重のこのシリーズ70点が前後期に分けて展示され、私が行ったのは開催直後の前期で、37点が並べられていました。
出展数で圧倒していたのは「名所江戸百景」で、120点が前後期に分けられていました。「下谷広小路」は現在松坂屋のある場所です。
広重にとって、江戸は格好のネタだったようです。
名所江戸百景「深川萬年橋」(左),「亀戸梅屋舗」(右)
この展示会では「幻のシリーズ」として葛飾北斎の「千絵の海」、名所円の名品として北斎、歌川国芳なども数点ずつ展示されていました。
主として子供向けのワークシートもあり、私のレベルにはぴったりでした。
この企画は4月から6月までのサントリー美術館で始まり、ふくやま美術館では9月4日まで開催されています。この後、大阪高島屋(9月28日~10月17日)、福島県立美術館(10月29日~12月11日)、新潟市美術館(2017年3月18日~5月21日)、北九州市立美術館(9月16日~12月29日)と巡回する予定です。
相互リンク⇒アクティブなごやん(ゴートク、ブンデス、HSV;夏眠中)
なごやんのBCL史(31)メープルリーフの北の国
【背景】
カナダは今でこそ世界でも最も安定している国家のひとつですが、歴史的には動乱の連続でした。
カナダは先史的にはイヌィットたちの土地だったのでしょうが、ヨーロッパ目線での歴史の舞台に登場するのは11世紀以降ではないかと思われます。
フランス領だったり、イギリスとフランスの争いの場だったりして、とりあえず、イギリスの自治領として「国」の形をなしたのが1867年のことです。
第一次世界大戦には英国と一体的にカナダも参戦しています。
英国の自治領としてではなく、対等の立場でカナダが独立したのは1931年のことでした。
現在も英連邦の構成員であり、立憲君主国で、君主は英国王(女王)です。

国旗は英連邦であることを反映して、オーストラリアやニュージーランドと同様、ユニオンジャックを左上部(カントン)に入れていましたが、1965年、現在の「赤いカエデ」の旗になりました。英語ではThe Maple leaf flag(メープルリーフ旗)、フランス語ではL'Unifolié(一葉旗)と呼ばれています。
【中部日本放送ではないCBC】
カナダにはNHKと類似のカナダ放送協会(CBC)があり、私がBCLを行っていた頃は短波による国外向け放送もありました。しかし、その規模は小さく、使用言語は英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、チェコ語、スロヴァキア語、ロシア語、ウクライナ語、ポーランド語、ハンガリー語の11言語で、ヨーロッパ、アフリカ、南米、カリブ海、それに太平洋地域に向けられていました。
日本方面への英語放送はなく、方向としてはオーストラリア、ニュージーランド向けが一応、近似のものでした。しかも出力は50KWですから、私の5球スーパーではなかなかキャッチできませんでした。

代わりに私が聴いたのは、真の国際放送というより、モントリオールから北部カナダへ向けた「北部サービス(Northern Service)」と言われる放送でした。これも短波で送信していました。
インターバルシグナルはカナダ国歌「O,Canada」*の冒頭、「♪ O,Canada」の部分が使われ、放送終了時にはカナダ国歌に続いて英国国歌が奏でられました。

*O,Canadaがカナダ国歌として正式に決定されたのは1980年のことですが、私がCBCを聴いていた1960年代後半には既に国歌の扱いをされていました。
受信証にはイヌィット(当時の呼称はエスキモー)の彫刻品が描かれていました。

パンフレットも入っていました。

受信報告書の用紙はエアログラムです。

総合情報、技術情報、ラジオ・カナダDXクラブの紹介なども送られてきました。DXクラブへの参加は見送りましたが、聴取者はメイリングリストに登録され、時々いろいろな情報が郵送されてきました。

【CBCのその後】
CBCの国際放送はその後、ラジオ・カナダ・インターナショナルとして発展し、日本語放送も行っていたようです。ただし、その頃になると私はBCLから遠ざかっていました。
現在ではウェブが中心で、短波による国際放送はなさそうです。
BCL、DXing、SWLのアーカイブはこちらです。
相互リンク⇒アクティブなごやん(ゴートク、ブンデス、HSV;休息中)
カナダの国章はカエデ⇒

竜馬が来た!
第2ステージ第7節 ホーム 神戸戦
アルビレックス新潟 1-0 ヴィッセル神戸
ベンチ入り選手を見てびっくりだ。DFは4バック+ベンチ1だけ。あとは攻撃陣とGKだけで試合に臨んだアルビだった。その先発DFの一人が西村竜馬。初先発というか初出場じゃないか?
初先発とは言え、落ち着いていた。神戸の攻撃をしっかり封じていた。
それに比して攻撃陣、もっとあわてずゴールを決めてほしい。今日の流れだったら、例えば・・・例えばだよ、広島のあいつとか、川崎のこいつとかならしっかり決めていただろうな。あっ、もっとも、神戸の点取り屋はウチが今日、しっかり抑えたけどね。
ラファエル・シルバの決勝点は技ありだった。これぞエースストライカーだ。
残留争いをしている下位チームがウチをのぞいてことごとく敗れてくれたのは、正直、よかった。降格圏のチームとはわずかだが差を広げることができた。とはいえ、ようやく勝ち点が試合数に並んだだけだ。後半だけ見れば、7試合で勝ち点はまだ6だ。次、勝利してしっかり上が見える位置にいこう。
頼むよ、特に攻撃陣。
応援の皆さん、お疲れさまでした。
私は今、「新潟限定ビイル」を飲みながら書いています。
相互リンク⇒アクティブなごやん(ゴートク、ブンデス、HSV)
武蔵ゴールも・・・
五輪予選リーグ第1試合 ナイジェリア戦
日本 4-5 ナイジェリア
リオデジャネイロ五輪の開会式を前に、サッカーの予選リーグが始まった。グループBの日本は第1試合でナイジェリアと対戦した。
私は今日、東京出張で結果を知る術がなかった。帰宅後新聞(夕刊)やネットて結果を知った。
アルビレックス新潟の鈴木武蔵は後半交代でピッチに入り、アディショナルタイムに1点差に追い着くゴールを挙げていたが、時すでに遅しだったようだ。PKも含め4点取った攻撃陣に報いられなかった守備陣、しっかりせいというところだろう。
あと2試合勝てば勝ち点6。それなら予選突破可能だ。次の試合、出番があるかどうかだが、出場したら今日のようにゴール頼むぞ、武蔵。
※五輪サッカーについては原則として鈴木武蔵が出場した場合や他に特別の出来事があった場合に記事を書きます。五輪にはあまり関心がないので。
相互リンク⇒アクティブなごやん(ゴートク、ブンデス、HSV)
なごやんのBCL史(30)廃墟の中からよみがえる
(20)ドイチェ・ヴェレ(DW)と対をなします。
【背景】
第二次世界大戦で敗戦国となったドイツは1949年、西側陣営のドイツ連邦共和国(西ドイツ)と東側のドイツ民主共和国(東ドイツ)に別れ、それぞれの道を歩むことになりました。首都ベルリンも英、仏、米が統治する西ベルリンとソ連邦が影響力を持つ東ベルリンに分断されました。東ベルリンは東ドイツの首都になりますが、西ドイツは西ベルリンを実質的にコントロールしながらも首都はボンに置きました。
東ドイツでは東西分裂前の1946年にドイツ共産党(KPD)とドイツ社会民主党(SPD)が併合してドイツ社会主義統一党(SED)を作り、復興の道を歩こうとしていました。最初はSPD党員で、後にKPDに移ったヴァルター・ウルブリヒトが1950年に第一書記になると、東ドイツの復興を強力に牽引し、当時の東ヨーロッパ全体に影響を及ぼす工業国として発展していきました。

【廃墟からの復興】
東ドイツでは1945年にドイツ民主放送(Deutscher Demokratischer Rundfunk)が設立され、1959年にはラジオ・ベルリン・インターナショナル(RBI)が短波で世界に向けて発信していました。最大出力500KWのこの局はドイチェ・ヴェレと並び世界中で多くの聴取者を得ていました。何といっても、ニュースや解説を理詰めで報道する姿勢が支持を集めていたのです。
当時の東ドイツ国歌の冒頭「♪ Auferstanden aus Ruinen (廃墟から甦る)」をインターバルシグナルに使っているため、すぐに局名を同定できた放送です。
私がこの放送を聴き始めたのはドイチェ・ヴェレより少し遅かったのですが、それでも熱心に聴いていました。

私が聴いていたのは主として東南アジア向け英語放送でした。

受信報告に対してはもちろん受信証が送られてきました。

この局はグラフなどの様々な資料や書籍を送ってくれたのですが、私の引っ越し等のためか紛失してしまいました。ペナントはペナントとして別にファイルしてあるため健在です。

ビニール袋入りRBI ペナント
季節のあいさつも普通に毎年送られてきました。

引っ越し用段ボール箱にこんな絵葉書が残っていました。

【レーニン生誕100年記念作文コンテスト】
以前、(12)モスクワ放送の記事でも触れましたが、1970年、レーニン生誕100周年を記念し、当時の社会主義国の放送局合同で作文コンテストが行われ、レーニン主義者ではない私もそれに応募しました。日本語ではモスクワ放送へ、英語ではラジオ・プラハへ送りました。
すると、秋になってRBI からLPレコードが届き、中にはラジオ・プラハから「特別賞」のお知らせが入っていたのです。レコードの内容は世界的なソプラノ歌手、マリア・カラスが主演するオペラ「椿姫」の全曲で、東ドイツ国営レコード会社のクラシック部門、「エテルナ」からリリースさてれいて、3枚セット、箱入りの立派なものです。

いきさつがよくわからなかった私ははがきでRBI に問い合わせました。「あのレコードはとても気に入りましたが、レーニン作文コンテストの賞品なのでしょうか?」
そして返事をもらいました。やはり、その通りでした。

【RBIの終焉】
RBI へはその後もたびたび受信報告を送りました。受信証もたくさんあります。

しかし、1989年、ベルリンの壁が破壊されると、東西ドイツ再統一の機運が一挙に高まり、1990年に実現します。
東西ドイツ再統一の前日、RBI はDW に吸収される形で30余年の幕を閉じました。最後の英語放送では、RBI がDW に「乗っ取られた」いきさつとこれまでRBI が果たしてきた役割が誇り高く語られました。
ドイツの放送の話題はまだいくつかあります。追々小出しにしていきます。
31回はどこへ行きましょうか。北米?アフリカ?
BCL史の過去記事はこちらをご覧ください。
相互リンク⇒アクティブなごやん(ゴートク、ブンデス、HSV)
今はひとつのドイツ⇒
