なごやんのBCL史(31)メープルリーフの北の国
第31回のBCL史は久しぶりの北米です。というか、(9)VOA に次いでようやく2回目です。
【背景】
カナダは今でこそ世界でも最も安定している国家のひとつですが、歴史的には動乱の連続でした。
カナダは先史的にはイヌィットたちの土地だったのでしょうが、ヨーロッパ目線での歴史の舞台に登場するのは11世紀以降ではないかと思われます。
フランス領だったり、イギリスとフランスの争いの場だったりして、とりあえず、イギリスの自治領として「国」の形をなしたのが1867年のことです。
第一次世界大戦には英国と一体的にカナダも参戦しています。
英国の自治領としてではなく、対等の立場でカナダが独立したのは1931年のことでした。
現在も英連邦の構成員であり、立憲君主国で、君主は英国王(女王)です。
カナダの切手より
国旗は英連邦であることを反映して、オーストラリアやニュージーランドと同様、ユニオンジャックを左上部(カントン)に入れていましたが、1965年、現在の「赤いカエデ」の旗になりました。英語ではThe Maple leaf flag(メープルリーフ旗)、フランス語ではL'Unifolié(一葉旗)と呼ばれています。
【中部日本放送ではないCBC】
カナダにはNHKと類似のカナダ放送協会(CBC)があり、私がBCLを行っていた頃は短波による国外向け放送もありました。しかし、その規模は小さく、使用言語は英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、チェコ語、スロヴァキア語、ロシア語、ウクライナ語、ポーランド語、ハンガリー語の11言語で、ヨーロッパ、アフリカ、南米、カリブ海、それに太平洋地域に向けられていました。
日本方面への英語放送はなく、方向としてはオーストラリア、ニュージーランド向けが一応、近似のものでした。しかも出力は50KWですから、私の5球スーパーではなかなかキャッチできませんでした。
英語放送プログラム
代わりに私が聴いたのは、真の国際放送というより、モントリオールから北部カナダへ向けた「北部サービス(Northern Service)」と言われる放送でした。これも短波で送信していました。
インターバルシグナルはカナダ国歌「O,Canada」*の冒頭、「♪ O,Canada」の部分が使われ、放送終了時にはカナダ国歌に続いて英国国歌が奏でられました。
CBCノーザン・サービスのログ
*O,Canadaがカナダ国歌として正式に決定されたのは1980年のことですが、私がCBCを聴いていた1960年代後半には既に国歌の扱いをされていました。
受信証にはイヌィット(当時の呼称はエスキモー)の彫刻品が描かれていました。
CBCノーザン・サービスの受信証
パンフレットも入っていました。
CBCの案内
受信報告書の用紙はエアログラムです。
エアログラムの受信報告用紙
総合情報、技術情報、ラジオ・カナダDXクラブの紹介なども送られてきました。DXクラブへの参加は見送りましたが、聴取者はメイリングリストに登録され、時々いろいろな情報が郵送されてきました。
CBC情報いろいろ
【CBCのその後】
CBCの国際放送はその後、ラジオ・カナダ・インターナショナルとして発展し、日本語放送も行っていたようです。ただし、その頃になると私はBCLから遠ざかっていました。
現在ではウェブが中心で、短波による国際放送はなさそうです。
BCL、DXing、SWLのアーカイブはこちらです。
相互リンク⇒アクティブなごやん(ゴートク、ブンデス、HSV;休息中)
カナダの国章はカエデ⇒
【背景】
カナダは今でこそ世界でも最も安定している国家のひとつですが、歴史的には動乱の連続でした。
カナダは先史的にはイヌィットたちの土地だったのでしょうが、ヨーロッパ目線での歴史の舞台に登場するのは11世紀以降ではないかと思われます。
フランス領だったり、イギリスとフランスの争いの場だったりして、とりあえず、イギリスの自治領として「国」の形をなしたのが1867年のことです。
第一次世界大戦には英国と一体的にカナダも参戦しています。
英国の自治領としてではなく、対等の立場でカナダが独立したのは1931年のことでした。
現在も英連邦の構成員であり、立憲君主国で、君主は英国王(女王)です。
カナダの切手より国旗は英連邦であることを反映して、オーストラリアやニュージーランドと同様、ユニオンジャックを左上部(カントン)に入れていましたが、1965年、現在の「赤いカエデ」の旗になりました。英語ではThe Maple leaf flag(メープルリーフ旗)、フランス語ではL'Unifolié(一葉旗)と呼ばれています。
【中部日本放送ではないCBC】
カナダにはNHKと類似のカナダ放送協会(CBC)があり、私がBCLを行っていた頃は短波による国外向け放送もありました。しかし、その規模は小さく、使用言語は英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、チェコ語、スロヴァキア語、ロシア語、ウクライナ語、ポーランド語、ハンガリー語の11言語で、ヨーロッパ、アフリカ、南米、カリブ海、それに太平洋地域に向けられていました。
日本方面への英語放送はなく、方向としてはオーストラリア、ニュージーランド向けが一応、近似のものでした。しかも出力は50KWですから、私の5球スーパーではなかなかキャッチできませんでした。
英語放送プログラム代わりに私が聴いたのは、真の国際放送というより、モントリオールから北部カナダへ向けた「北部サービス(Northern Service)」と言われる放送でした。これも短波で送信していました。
インターバルシグナルはカナダ国歌「O,Canada」*の冒頭、「♪ O,Canada」の部分が使われ、放送終了時にはカナダ国歌に続いて英国国歌が奏でられました。
CBCノーザン・サービスのログ*O,Canadaがカナダ国歌として正式に決定されたのは1980年のことですが、私がCBCを聴いていた1960年代後半には既に国歌の扱いをされていました。
受信証にはイヌィット(当時の呼称はエスキモー)の彫刻品が描かれていました。
CBCノーザン・サービスの受信証パンフレットも入っていました。
CBCの案内受信報告書の用紙はエアログラムです。
エアログラムの受信報告用紙総合情報、技術情報、ラジオ・カナダDXクラブの紹介なども送られてきました。DXクラブへの参加は見送りましたが、聴取者はメイリングリストに登録され、時々いろいろな情報が郵送されてきました。
CBC情報いろいろ【CBCのその後】
CBCの国際放送はその後、ラジオ・カナダ・インターナショナルとして発展し、日本語放送も行っていたようです。ただし、その頃になると私はBCLから遠ざかっていました。
現在ではウェブが中心で、短波による国際放送はなさそうです。
BCL、DXing、SWLのアーカイブはこちらです。
相互リンク⇒アクティブなごやん(ゴートク、ブンデス、HSV;休息中)
カナダの国章はカエデ⇒
