なごやんのBCL史(12)巨大連邦の巨大放送局 | なごやん

なごやんのBCL史(12)巨大連邦の巨大放送局

 北京放送アメリカの声については既に書いていますので、今回はモスクワ放送にしました。


【背景】

 正確な記録としては残っていませんが、私が最初に外国の放送を聞いたのは小学校5年の時で、その局は北京放送でした。それから間もなくしてモスクワ放送を知りました。意識的に聴いたのは中学生になってからですが。


 モスクワロシア共和国の首都ですが、1917年にウラジーミル・イリィチ・レーニンの指導によりロシアで10月社会主義革命がおき、1922年にはソビエト社会主義共和国連邦(ソ連邦)が成立しました。当初はロシアウクライナベラルーシザカフカーズ連邦の4共和国でのスタートでしたが、その後、第二次世界大戦を経るなどして、15共和国の巨大連邦になりました。

10月革命50周年記念切手にみる15共和国

(日本語の国名は当時日本で呼ばれていたものを採用しました。)


 ロシア連邦共和国の首都モスクワはそのままソ連邦の首都となり、国際連合にはソ連邦として加入しました。(ベラルーシ、ウクライナについてはまたそのうちに・・・)


【こちらはモスクワ放送局です】

 ソ連邦の首都となったモスクワには大出力で世界に向かって発信するモスクワ放送がありました。

モスクワ放送局(モスクワ放送から送られてきた写真)


 モスクワ放送は1929年に放送を開始し、日本語放送は1942年4月に追加されました。私が聴いていた頃は毎日夕方から1日8回(ただし最初の5回はインターバルシグナルを挟んで連続)行われていました。インターバルシグナルはドナイェフスキーの「祖国の歌Широка страна моя родная)」(日本語歌詞で 「♪果てしなく続く大地」の部分)がチャイムで奏でられ、続いてグリンカの「愛国歌Патриотическая песня)」のメロディーが流される中、「こちらはモスクワ放送局です。」というアナウンスが響き渡りました。


 放送内容はニュース、解説、ソビエトの人々の生活等、固い番組が多かったのですが、「東側」からの情報があまり得られない中学生の私にとってはとても新鮮、かつ有益でした。


 この放送で得た話題を翌日学校でクラスメートに話す時は得意満面になったものです。なにしろ、世界情勢がモスクワ放送で得た情報の通り推移していましたし。

モスクワ放送の日本語放送番組表


 モスクワ放送でも受信報告に対しては受信証を送ってくれましたが、日本語放送にもかかわらず、受信証は日本語でもロシア語でもない、英語で書かれていました。

モスクワ放送の受信証


【記念グッズ】

 モスクワ放送には時折クイズ番組がありました。余程の「通」でないとわからないような難問が多く、全問正解は至難の業でした。ですから、全問に答えられなくても、なんとか入賞しました。手紙を読むと何かに関する映画名を複数答えなければならなかったのに、一つしか答えなかったようです。ソ連邦の映画は知りませんでしたから。

クイズ入選の知らせと質問への回答


 こんな(トレチャコフ美術館)画集を賞品にもらったのですが、ロシアの絵画にそれほどの関心がなく、ロシア語を知らなかった私はしばらくお蔵入りにしていました。

トレチャコフ美術館画集


 最近、そう、ごく最近になって、東京のトレチャコフ美術館展や浜松のレーピン展へ行ったりしたので、改めてみてみると、とても立派な画集じゃありませんか。

 ロシアの画家の作品が16点収められているB3版の豪華なものです。


 この放送のクイズはとにかく難しく、なかなか一等の「ソ連邦旅行」などは当たりませんでしたが、こんなLPレコードをいただいたこともあります。「イリィチ愛唱歌」とでもいうのでしょうか。全連邦ラジオ合唱団およびオーケストラХор и Оркестр Всесоюзного Радио)の奏でる「インターナショナル」はもの凄い迫力ですし、日本でもよく知られているドゥビヌーシカ(仕事の歌)も収められています。25cmLP両面2枚組みの箱入りです。

イリィチ(レーニン)愛唱歌(LP)


 1970年、レーニン生誕100周年を記念し、モスクワ放送ワルシャワ放送ラジオ・プラハラジオ・ブダペストラジオ・ソフィアラジオ・ベルリン・インターナショナルラジオ・ウラン・バートルの共同企画で作文コンテストが行われました。

 私もそのコンテストに応募しました。その時の作文が残っていないのが残念ですが、私自身はレーニン主義者ではありませんし、レーニン万歳と書いたわけでもなく、日本の農業政策をレーニン的に見るとどうかというようなことを思いつくまま書いたような気がします。


 すると、私はまさかの入賞を果たし、こんな賞品をいただきました。クレムリンを形どった銅板を木製の板に貼り付けた壁飾りです。上位入賞ではないのでしょうが(単なる参加賞かもしれません)、結構重くて立派なものです。(右上の琥珀のカフスボタンは別の機会にもらった賞品です。)

壁飾りと、ついでに貼り付けた琥珀のカフスボタン(上部右)


 モスクワ放送からも他の放送局と同じように、年末年始のあいさつが毎年送られてきました。

新年おめでとう


 モスクワ放送は私が最も頻繁に聴いた局のひとつです。受信証もたくさんあります。どの言語の報告に対しても何故か受信証は英語で書かれていました。

モスクワ放送受信証の例


 とにかく、いつでも聞こえる放送局でした。ソ連邦内の、西はベラルーシ、ウクライナから、否、旧東欧の一部から、東はシベリア、プリモルスキーまで、さらにキューバと、ありとあらゆる地点に中継所がありましたから。


 出力も、短波こそ100KWでしたが、長波、中波は1,000KWの送信機もあって、バンバン放送していましたから、モスクワ放送が聞こえない日はありませんでした。


 モスクワ放送は社会主義の優位性を説くソ連邦の情宣部といった放送局で、私は「社会主義の優位性というなら、もっと堂々と開放的になればいいのに」とか、「言論統制はやめろよ」などと思っていました。

 しかし、高校、大学と進むにつれ、権力者が国民を意のままに操ろうというのはイデオロギーの問題ではないことを思い知らされるようになりました。


 権力者なんて、どの国でもどんな社会制度でも共通しています。・・・ごくごく一部を除いては。


【モスクワ放送の今】

 モスクワ放送はソ連邦が崩壊した後、ロシア共和国に引き継がれ、一時的な中断を挟んで「ロシアの声」として続けられてきましたが、2014年からは「ラジオ・スプートニク」としてラジオおよびインターネットで情報を発信しています。


 私は特にラジオ・スプートニクになってから、重みがなくなったような気がして、今はほとんど聴いていません。中味も薄いですし。


 モスクワ放送は他のヨーロッパ局と比べれば決して大好きな放送局だったとは言えませんし、楽しい放送局でもありませんでしたが、情報は豊かで、日本語放送もあり、今となっては荘厳な響きが懐かしく思い出されます。


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