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2016年11月27日(日) 20時55分13秒

なごやんの続・鉄道日記(番外⑦)福井駅

テーマ:続・鉄道日記

 このカテにしようか、「ツマグロヒョウモン」というタイトルで「つぶやき」のカテにしようか迷ったのですが、福井へ出張した時のことなので「続・鉄道日記」にしました。(まっ、どうでもいいことですが。)


 この秋の北陸出張の旅程では出張1日目の午後と夜です。駅の滞在時間はごく短いです。1時間もありません。


【1日目】

名古屋(0750)==[しらさぎ1]==(0925)敦賀《食事等》(1044)==[小浜線]==(1121)十村《仕事》(1321)==[小浜線]==(1358)敦賀(1426)==[しらさぎ55]=(1458)福井(1525)==<えちぜん鉄道勝山永平寺線>==(1619)勝山《仕事》(1919)==<えちぜん鉄道勝山永平寺線>==(2012)福井(2038)==[サンダーバード41]==(2122)金沢(泊)


【2日目】

金沢(0910)--<北陸鉄道バススーパー特急>--(1105)輪島駅前《仕事→穴水へ》穴水(1433)==[のと鉄道]==(1513)和倉温泉(1520)==[能登かがり火8]==(1629)金沢(1648)==[しらさぎ14]==(1844→1854)米原(1858)==[ひかり532]==(1925)名古屋


 福井駅に着いたのが15時少し前でした。
JR福井駅


 早く来い来い新幹線ということで準備が着々と進んでいます。

歓迎新幹線


 工事の防御壁の近くを飛び回る(というか、フワッと飛んでいる)チョウに出くわしました。色と大きさ、飛び方から種類ははっきりしています。ツマグロヒョウモンです。飛んでいたのはオスでした。

飛翔するツマグロヒョウモン(♂)


 福井市はこれまで言われていたこのチョウの分布北限より北です。私の持っている古い図鑑では福井県でも敦賀付近まではいるこにになっているのですが・・・


 ただ、このチョウは愛知県では完全な土着種になってしまいました。30年程前、名古屋の名城公園付近で見つけた時はまだ迷蝶の部類だったのですが。


 温暖化・・・怖い怖い。


 福井駅をブラブラしていたらこんなものを見つけました。「タイムカプセル」だそうです。今の新幹線に対する思いを残しておき、福井まで新幹線が来た時に開けるのでしょう。

タイムカプセル


 駅の階段も「ラッピング」されています。
福井駅の階段


 恐竜の郷だけあって、こんな撮影スポットもありました。

撮影スポット


 続・鉄道日記は次で100回を迎えます。そろそろ卒業し、新たに「旅日記」カテを作り、それに統合しようかななどとも思っています。


 今年いっぱいは続・鉄道日記を続ける予定ですが。


こちらに過去記事をまとめておきましたのでご利用ください。

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2016年11月25日(金) 22時10分43秒

小倉遊亀 in 長久手

テーマ:美術館 / 博物館

 先日、小倉遊亀展のチケットをいただいたので行ってきました。

 小倉遊亀は滋賀県生まれの日本画家で、1980年には初の女性日本美術院理事長になられ、いわば日本画の頂点を極められた方です。

 上村松園、片岡球子と並び三大女流画家と呼ばれています。

本企画のリーフレットと鑑賞券


 場所は愛知県長久手市にある名都美術館で、いつものようにリニモで行きました。

杁ヶ池公園駅へのアプローチ


 下車駅の杁ヶ池公園からは瀬戸市にある万博記念公園の大観覧車がよく見えます。

万博記念公園の大観覧車


 この駅の階段の壁にある掲示板には本企画のポスターが貼ってありました。

杁ヶ池公園駅駅


 名都美術館へは杁ヶ池公園駅から歩いて5分はかかりません。秋晴れの日で楽に行けました。

名都美術館


 時代が違うせいでしょうが、上村松園と比べるとすっきりしている感じがしました。
  初夏の花(左,1962)、つかのま(右,1983)(リーフレットより)


 青巒(左,1976)、雪(右,1977)(リーフレットより)


 この展覧会は60点が前期45点、後期40点に一部入れ替えで展示されています。現在は後期で、12月11日まで開催されています。


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2016年11月24日(木) 21時21分21秒

なごやんのBCL史(55)氷河広がるキリマンジャロ

テーマ:短波 / ラジオ

 今日は「番外」を挟む予定で、ドラフトもできていたのですが、「番外」を後に回し、第55回をアップします。


 アフリカの放送局は総じて受信状態があまりよくなく、熱心に聴いていたのは数局に過ぎませんが、その中では苦労しながらよく聴いた局のひとつがタンザニアの放送です。


【背景】

 アフリカ東部、赤道のやや南に位置する「東アフリカ」は19世紀終わり頃にはドイツの植民地でしたが、20世紀に入ると北西部のルアンダ=ウルンジはベルギー領になり、東アフリカの大部分を占めるケニアタンガニーカウガンダと島嶼のザンジバルは英国が支配していました。


 この地域が大きく動くのは第二次世界大戦後のことであり、特にアフリカで独立機運の高まった1960年からはその動きが活発化し、1961年、大陸部のタンガニーカが、そして1963年にはザンジバルが独立しました。

 ザンジバルでは独立後に政変が起き、結局、タンガニーカと併合して、「タンザニア連合共和国」が成立しました。この併合に大きな役割を演じたのがタンガニーカ首相のジュリウス・ニエレレで、タンザニアの初代大統領になりました。

学校地図にみるタンザニア


 タンザニアは他のアフリカ諸国の多くがヨーロッパ宗主国の言語(フランス語、ポルトガル語等)を公用語とする中で、現地のスワヒリ語を国語とし、国のアイデンティティを保持しました。


 現在の首都は内陸部のドドマですが、最大都市は海岸部のダルエスサラームです。

タンザニアの位置


 北部、ケニアとの国境にあるキリマンジャロ山は日本の富士山同様、どの山脈にも属さない独立峰で、多くの登山客が訪れ、タンザニアの観光産業を支えています。


 キリマンジャロ山は赤道に近いところにあるにもかかわらず、標高が高いため山頂には氷河がみられます。ただ、地球温暖化に伴い、氷河の面積は減ってきているようです。


 キリマンジャロ山麓で栽培されるコーヒーは独特のコクと酸味で、とりわけ日本では人気があり、私の好きなコーヒーでもあります。

新幹線のコーヒー「キリマンジャロ」


【タンザニアの声】

 そのタンザニアには「ラジオ・タンザニア」という放送局がありました。当時の首都、ダルエスサラームから指向性なく送信していました。一部は周辺諸国へビームを向けていたようですが。


 最初に聴いた時には使用言語が特定できませんでした。しかし、アナウンスで「Radio Tanzania」と言っていて、局名はわかりました。数日後、スワヒリ語放送であることを確認し、受信報告を送りました。

受信ログ(?→結局スワヒリ語)


 5月31日(日本時間6月1日)の受信レポートでしたが、送られてきた受信証の消印は7月22日です。なんと、2か月近く経ってからの返事でした。


 出力はわずか50KWです。短波とは言え、よくぞ良好な状態(SINPO-44444)で受信できたものです。

 RT(Radio Tanzania)の文字はありますが、局名は「Sauti ya Tanzania(英:Voice of Tanzania,タンザニアの声)」です。図案はヤシの木(?)に囲まれた局舎でしょうか。

「タンザニアの声」受信証


 日によって受信状態にムラがあるものの、セレステで奏でられるインターバスシグナルは独特で、それがよく聞こえる時には多少受信状態が悪くても耳を傾けたものです。


 この放送局がその後どうなったのかはよくわかりません。


このテーマの過去記事はこのページをご覧ください。


相互リンク⇒アクティブなごやん(ゴートク、ブンデス、HSV)

基本的には暑い国だよタンザニア⇒
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2016年11月23日(水) 18時53分47秒

なごやんの続・鉄道日記(99)恐竜の街へ

テーマ:続・鉄道日記

 続・鐡道日記(98)の続きです。北陸出張1日目の後半は福井県勝山市です。旅程は以下のようで、青字部分が今回の記事です。


【1日目】

名古屋(0750)==[しらさぎ1]==(0925)敦賀《食事等》(1044)==[小浜線]==(1121)十村《仕事》(1321)==[小浜線]==(1358)敦賀(1426)==[しらさぎ55]==(1458)福井(1525)==<えちぜん鉄道勝山永平寺線>==(1619)勝山《仕事》(1919)==<えちぜん鉄道勝山永平寺線>==(2012)福井(2038)==[サンダーバード41]==(2122)金沢(泊)


【2日目】

金沢(0910)--<北陸鉄道バススーパー特急>--(1105)輪島駅前《仕事→穴水へ》穴水(1433)==[のと鉄道]==(1513)和倉温泉(1520)==[能登かがり火8]==(1629)金沢(1648)==[しらさぎ14]==(1844-遅延→1854)米原(1858)==[ひかり532]==(1925)名古屋


 若狭町から14時少し前に敦賀に着いた私は14時26分の特急でまずは福井へ行きました。えちぜん市、鯖江市といったところを抜けていきます。

メガネの街、鯖江


 そして福井駅に着きました。すぐ横にえちぜん鉄道の福井駅があります。使うのはこの鉄道の勝山永平寺線です。そう、あの有名な永平寺へ行く時の路線です。

えち鉄福井駅


 ここで15時25分発の勝山行きに乗り込みました。残念ながら(笑)私が乗った電車にはアテンダントさんはいませんでした。

えち鉄6101形車両


 電車は九頭竜川に沿って進みますが、「森の中の電車」という感じでしばらく、水面は見えてきません。途中いくつかのスノーシェルターを通過します。

 そして小舟渡に近づくと滔々流れる九頭竜川が目に入ってきます。

電車は進む


 電車は九頭竜川をさかのぼるように進みます。

九頭竜川


 発坂付近からは大きな橋がよく見えますし、もう少し勝山寄りの場所では勝山インター線バイパスの新設工事が行われていました。

もうすぐ勝山


 そして勝山です。勝山には恐竜博物館があります。行ってみたいのですが、そんな余裕はありません。

勝山駅


 駅舎の外にはえちぜん鉄道の前身、京都電燈が使っていたテキ6型蒸気機関車が展示されていました。


SL展示


 勝山駅から目的地までの移動手段は私らしくレンタサイクルです。約7km、標高差60mということで、電動アシスト付き自転車にしました。

 これで勝山橋を渡り、恐竜博物館の奥までまっしぐらです。

レンタサイクルで渡る勝山橋から見た九頭竜川上流


 帰りは19時近くになりました。山でのこの時間帯は太陽がどこかへ隠れ真っ暗です。下り坂でルンルンと思っていましたが、真っ暗闇の道を自転車で走るのは危険が多く、そうスピードが出せません。下り坂にもかかわらず20分近くかかって駅に戻りました。


 それでも予定通り19時19分発のえちぜん鉄道に乗り、福井からはサンダーバードで金沢へ行き、とりあえずこの日の日程を終了したのでした。

次の目的地、金沢へ


 明日は輪島へ行かなければなりません。天気がよければ「のと里山海道」の旅を楽しめるはずです。


 次回は第100回です。金沢から能登半島へ行きます。


鉄道日記/続・鉄道日記の過去記事はこちらをご覧ください。


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2016年11月21日(月) 21時23分01秒

なごやんのBCL史(54)世界平和のために

テーマ:短波 / ラジオ

 今回は「その他」の順番で、放送局自体は米国にあるものの、どの国にも属していない、否、加盟国全てに属するとも言える連合国(UN)*の放送局です。

 *連合国:日本では「国際連合」、「国連」と呼ばれています。しかし、英語のUnited Nations に「国際」と言う意味合いは一切ありません。フランス語、スペイン語、ロシア語でも同様で、中国語ではそのまま「联合国」です。そもそも第二次世界大戦戦勝国が、それまでの「連合国(United Nations)」をそのままスライドしたのですから。


 私のブログでは無理に和訳せずUN とします。


【UNのこと】

 そのUNは国際平和・安全の維持、国家間の友好の発展、経済・社会・文化・人道的な国際問題の解決等を目的として(その意味ではinternational organisation ですが)、1945年10月24日に発足しました。本部は米国のニューヨークにあります。


 UNの公用語は英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語の5言語でしたが、1973年にアラビア語が加えられ、今は6言語です。


 尚、UN公用語の英語は英国の英語(Queen's English)であり、断じて米語ではありません。

 ちなみに、国際短波連盟(I SWL)の英語も米語ではなく、本家の英語です。

 ⇒こういうことにこだわるのが私らしいところです。(どうでもいいことかもしれませんが、実はどうでもいいこではありません。)

 

 ただし、米国内で発行されているUNの郵便物に押される消印の日付は米国式の書き方です。

UN切手の初日カバー(軍縮)

 切手にある「beat swords into ploughshares(軍を民に転換する)」の ploughshares は米語ではplowshares になります。一方、消印の日付の書き方は米国式です。(英国では 24 OCT )


 そのUN に日本が加入できたのは1956年のことです。


 UN はこれまで世界平和に一定の役割を演じてきたとは思うのですが、ロシア、中国、英国、フランス、米国の5か国を旧来通り強力な常任理事国にとどめ置いていることもあって、それらの国々の利権が絡む時などは重要事項を決定できず迷走することもしばしばあるのは日常経験しています。


 さりとて、日本が常任理事国に加われば解決するという話でもないでしょうが。


【連合国(UN)放送】

 そのUN にも放送局があり、英語では「United Nations Radio」と呼ばれています。


 日本語放送があった時代もあるようですが、私はその時代には出くわしてなく、アジア向けの英語放送をほぼ毎日聴いていました。

 タガログ語、タイ語、中国語、インドネシア語と続く中での英語放送です。


 私が聴いていた放送は米国のVOAの送信機を使って発信されていたようで、ログを振り返ると、下図最下段の「S/off with Yankee Doodle(ヤンキー・ドゥードゥルで放送終了)」にそれが現れています。ヤンキー・ドゥードゥルはVOAのインターバルシグナルのひとつですから。

多言語によるUNアジア向け放送ログ


 UN放送も受信報告に対しては受信証を送ってくれました。

UN放送の受信証(日付の表記は英国式)


 私が聴いていた時代、中国を代表する国は中華民国(台湾)でしたから、中国語の漢字は繁体文字でした。また、この時代、アラビア語はまだUN公用語ではありませんでした。


 UN放送は受信報告に対して、受信証だけでなく様々なUN 資料を送ってくれました。当時、第三世界をリードする国のひとつとして頑張っていたインドのネルー首相のUN 総会における演説内容や軍縮に関する各国首脳の意見などは、私の好奇心を満たしてくれました。


 それらの資料の多くを紛失してしまい、今はこの封筒と、その中に入っていた番組表しか残っていません。

UNのポストマーク(日付の表記は米国式)


 番組表は、ヨーロッパ、アフリカ、米大陸向けのもので、それだけでも結構多くの時間放送されています。

番組表(日付の表記は英国式)


 総会や安全保障理事会が開かれている時には番組が強化され、それはそれで聴きごたえがありました。


 とにかく多くの資料を送ってくれたので、それらを読みながら、「大学入試の英語でこれが題材に採用されるといいなぁ。」なんて勝手な空想をしていたことを思い出します。


 UN 放送は最も多い時で33言語で放送していましたが、1980年代以降は縮小されています。


 現在はインターネットのホームページが充実していて、ロシア語、中国語、アラビア語、英語、フランス語、スペイン語の公用6言語に加え、ウルドゥー語、スワヒリ語、ヒンディー語、ベンガル語、ポルトガル語で書かれていますし、それらの言語でネットラジオを聴くことができます。


 ドイツ語、イタリア語、日本語が入っていないのは、UN 憲章にいわゆる「敵国条項」が残っているためでしょうか?(敵国:イタリア、ドイツ、日本、ハンガリー、フィンランド、ブルガリア、ルーマニア)


 次回はアフリカの予定ですが、その前に「番外」を入れるかもしれません。


BCL史の過去記事はインデックスページをご覧ください。


相互リンク⇒アクティブなごやん(ゴートク新キャプテン、初陣は引き分け)


世界平和を目指して⇒  
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