お早うございます。 永松昌泰です。
つづきです。
ものごとの半分をばっさり切り捨てると、
しばらくは気分はいいかもしれません。
しかし、その半分の現実が、
やがて容赦なく襲いかかってきます。
あるものを「亡きもの」にされていたわけなので、
「亡きもの」にされたマイナス・ネガティブは、
「恨み骨髄」で、
猛烈な勢いで、その存在を強烈にアピールするようになります。
そして、プラスとマイナス、
ポジティブとネガティブの間を激しく往復するようになる。
または、猛烈に迷惑を撒き散らしながら、
しばらくの間、仮の成功をし、
やがて「現実に」裏切られて凋落する。
もちろん自分が作りだした「現実」に。
結局のところ、
ものごとは、プラスとマイナス、
ポジティブとネガティブに分かれているのではありません。
人間は、どうしても、
ものごとを最初からありのままに捉えることができないので、
二つに分けてしか認識することができません。
右と左、上と下、良い悪い、正しい間違っている・・・
というように。
でもそれは人間の認識の都合であって、
ものごと自体がそうなっているわけではありません。
全ては、分断されず渾然一体です。
結局のところ、ありのままから出発するしかありません。
ありのままに立脚するしかありません。
「プラス」の面しか見ず、
「ポジティブ」というか、都合の良いことだけを見て、
都合の悪いことは全て切り捨てて生きようとすると、
その都合の悪いことが、
完全に反乱、反逆します。
もともと、ものごとにはプラスとかマイナスというものはありません。
認識の都合で、勝手にそう分けているだけです。
それ自体は仕方がないのですが、
認識のためにいったん分けたものを、
再統合して、
本来の「ありのまま」の姿に近づいていかなければなりません。
自分ではない自分から出発することはできません。
現実ではないところから出発することはできません。
これは、全てに通じることです。