従軍慰安婦問題を解決するために日韓外相会談が28日午後ソウル市内で開かれた。


そして、最終解決というか妥結したという。


結論を簡単に言うと、

元慰安婦支援をめぐり韓国政府が財団を設立し、日本政府が資金を一括拠出することで合意したという。


結論をややこしくいうと、

慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的な解決」だ。



 この会談の最大の成果として「最終的かつ不可逆的な解決」があるようだが、最終的になるとは思えないし、不可逆的な解決にいたっては、その意味も理解できない私は、この会談の持つ意味は、日韓両首脳の政治的な立場に左右された、単純に言ってしまえば政権の世論操作だとしか思えない。


 国民の耳目をひきつける政治的な業績を示す狙いで一致しただけのものだとしか評価できないのは、その会談で何かが進んだのではなく、逆もどろりして、元の場所近くにたどり着いただけのような気がするからだ。


元の場所は、村山政権が築いた日韓関係であり、河野談話で示された従軍慰安婦問題の近くだ。



さて、少し具体的に繰り返す。


日本政府は元慰安婦支援で韓国が設立する財団に10億円規模の拠出するのだ。

「当時の軍の関与のもとに、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している」と岸田外相が仰り、


安倍晋三首相は「慰安婦として多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」と仰ったのだ。




さて、さて、繰り返す。


「最終的かつ不可逆的な解決」がやっぱり私には理解できない。


「両国間の協議の加速化」の文言の意味もだ。




再度、繰り返す。

慰安婦問題は、
 「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。


そして、、安倍首相は、「慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省」を表明したのだ。


そして、日本政府が、「全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒す措置を講じる」のだが、
それは、韓国政府は元慰安婦支援財団を設立し、日本政府が資金を一括で拠出することだ。


両国政府は「全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心を傷の癒しのための事業を行う」のである。


これによって、従軍慰安婦問題は「最終的かつ不可逆的に解決」


でも、やっぱり、私には、

「最終的かつ不可逆的に解決」が理解できない。



さて、
 「国連等国際社会において、本問題について互いに非難・批判することは控える」らしい。控えるのであり、やらないのではない。控えるのであると強調したい。


両国政権の思惑だけで解決できるとは思わないから、評価などしないのが半無人的な思いだ。


今年の重大ニュースはと考えると、今年はいつもの年寄りも重大ニュースが多かったような気もするし、いやいや、何時も通りのことで、特に重大なニュースが多いわけでもないだろうと思ったりで、それも毎年のことで、つまりは何時も通りである。

 阪神淡路大震災や東日本大震災などの大惨事のあった年は別にしても、毎年毎年大惨事に近いような災害もあり、政治的な大事件もあるわけで、今年の漢字は「安」で、それも「安心」とか「安全」の「安」ではなく不安の「安」だというから、それな日の激動の年には違いないし、また、流行語大賞が「爆買」と「トリプルスリー」であり、慌ただしさと素晴らしさが見えるような感じでもあり、重大ニュースも、不安と素晴らしさの表裏をなす出来事が並びそうだ。もちろん個人的な見解が左右する個人的な重大ニュースであるから当然だ。



 国内の十大ではなく、重大ニュースを列挙する。


1位は、集団的自衛権の行使容認の閣議決定で続いて「安全保障関連法が成立」だ。

2位は、ラグビーワールドカップだ。

3位は、ノーベル賞の大村智さんと梶田隆章さんだ。

4位は、イスラム過激派組織「イスラム国」日本人男性2人殺害。

5位は、台風17号、関東、東北豪雨による。鬼怒川の堤防が決壊

6位は、大型マンションが傾いた杭打ちデーター改ざんだ。

位が、東京五輪・パラリンピック大会のエンブレムと新国立競技

     場の白紙撤回だ

8位は、「大阪府知事と大阪市長選挙のダブル選挙で維新圧勝」

9位は、川崎市で中1男子殺害と大阪府寝屋川市の中1男女殺害

10位は、芥川賞に又吉直樹の「火花」

11位は、漫画家・水木しげるさんと野坂昭如さんの死去

12位は、映画「海難1890」

13位は、安倍首相の「戦後70年談話」

14位は・・・・

これからは、スポーツ選手の輝かしいニュースが続くのだが・・・



さて、世界は、


パリ写真週刊誌テロ事件にパリ同時多発テロと、フランスの悲劇の年でもあった。


そして難民の問題だ。

 

 一枚の写真が世界を震撼させた。海岸に打ち上げられた男児の写真が難民問題を浮き上がらせたが、シリアの内戦は難民を生み続け、ISへのアメリカを中心にした有志連合やロシアの空爆がさらなる難民を生み出している。現在の欧州は元より、世界の最大の問題は難民問題だろう。難民問題こそが、世界の最大の課題だ。





企業犯罪が次からつじと出てくる。


今年は特に多いわけではないと思うが、でも、多い気がする。


 タカタのエアーバックはアメリカでまずは発火した。そして、そのアメリカで爆発したといってもいいのがドイツの優良企業、国家経済も左右するほどの世界企業フォルクスワーゲンの不正だ。アメリカで販売されたデイーゼル車の排ガス規制誤魔化し問題だ。エアーバックは犠牲者が出たようなニュースもあったが、フォルクスワーゲンの排ガス排出量誤魔化しは、地球の温暖化などへの影響はあっても、人間個人へと直接的な被害はないから、その対象車数が何千万単位であっても、それこそ地球規模の問題ではあっても、私たちには現実味のないものだった。



 横浜のマンションの傾きが発見されて以後の問題は、日本の建設業界の暗部をさらけ出した。私たちはマンションの所有者に同情するしかない。そして、突拍子もない言い訳を聞き、究極の手抜き工事を見せつけられ、責任転嫁のスゴ技的な言い訳に驚かされた。一技術者の、一人の一級建築士の、一人の現場代理人の精神的な問題として片付けようとした業者の言い訳には愕然としたものだが、その後は、上へ上へと責任企業の謝罪が続いた。最底辺の杭打ち業者から、その上の下請け業者から元請け業者まで、責任の所在が上へ上へと上がり、一応は行き着くところまで行った。一応の謝罪はして責任を言いながらも、最終的な責任はどこにあるのかは未だにわからないようだ。現在も責任問題は、マンションの所有者への納得のいく説明などできていないだろう。責任の転嫁は、まだ続いているようである。


さて、企業犯罪の新たな大口の出現だ。


 それが直接多くの人に影響を及ぼす、特に子供たちのインフルエンザに特別の影響を及ぼすとなると、驚きよりも怒りが先立つ。血液製剤の不正というか誤魔化しは記憶にも新しい。そうです、薬害エイズ問題は記憶に新しい。またまた、出てきた血液製剤のデータ誤魔化しや、諸々の誤魔化しを重ねての製造販売だから、驚きよりも先に怒りを感じる人は多いだろう。なにしろ、被害を被る人間が身近にいるかもしれない切迫感のあるし、同時に自分もその血液製剤やワクチンのせわになっている人も多いだろう。



 一般財団法人「化学及血清療法研究所」で通称「化血研」が今回の主役である。化血研は日本を代表する血液製剤やワクチンの製造会社らしい。その化血研が、厚労省の承認を無視して別の方法で血液製剤を製造してたのだ。製造記録を偽造するなどして、驚くなかれ実に40年以上も不正製造を続けて来たというのだ。
 


当然だが、厚生労働省は化血研を行政処分するだろう。


第三者委の調査結果を報告によると、

化血研は1974年に一部の製剤について加温工程を変更して製造していた。


そして、90年に血液製剤製造過程で血液を固まりにくくする添加物を使用するというとんでもない不正製造も始まったという。



 医薬品メーカーは法令に基づき、国の承認書に従って薬品を製造し、記録を残す義務があるという。厚労省は定期的に記録を確認しているはずだが、化血研は虚偽の記録で検査をくぐり抜けてきたという。悪質とも言える誤魔化しの方法として、記録用紙を紫外線焼けにして変色させ、古い書類だといって、厚労省の検査をくぐり抜けていたという。


 国も誤魔化し医者や病院などの医療機関を誤魔化し、そして、多くの患者を誤魔化し、多くの命への影響も考えられる不正が延々と続いていたわけでだが、さらに驚き怒りも増してくるのは、不正行為は会社のトップが認識していた事実である。



第三者委も怒りを顕にしての報告だ。

「常軌を逸した隠蔽体質が根付いていた」
「研究者としてのおごりが不整合(不正)や隠蔽の原因となった」と指摘したという。
 

厚労省は5月に化血研立ち入り調査。
血液製剤製造の不正を確認。
6月に血液製剤の出荷を差し止め。
他のワクチンなどについても調査。
化血研も9月に第三者委員会を設置し調査開始。
幸いなことに、まだ、健康被害は確認されていないという。



化血研は薬害エイズ訴訟の被告企業の一つだ。


 化血研理事長は記者会で自身も長年にわたり不正を認識していたと認め、「化血研の風土として積極的に対応できなかった。私もその一人だ」と訳のわからないいい訳だ。
さらに驚く発言は、血液製剤の供給がストップしてしまうことを懸念して、誤魔化しを改めることができなかった旨の発言だ。

 
 厚生労働省は化血研に対し、血液製剤の出荷差し止めに続き、ワクチンの出荷自粛を要請した。日本を代表する血液製剤メーカーの出荷差止めの影響は大きいという。代わりの血液製剤もワクチンも足りなくなる。

日本脳炎、A型肝炎、B型肝炎のワクチン不足は深刻な問題になる。

各地で予防接種の予約を中止する病院が出始めている。
 


 医薬品関係企業の誤魔化しなどの不正の社会的な影響は大きい。どんな企業犯罪でも社会的な影響は大きいが、特に医薬品などの企業不正となると、直接患者さんに影響し、また、多くの人の身内や友人知人など周辺の人々への直接的な被害があるわけであるから自分に影響する問題でもある。多くの善良な市民の健康被害へとつながる危険を孕んでいるだけに、個人個人が自分を被害者と考えることのできる問題となるである。


 マンションや高層建築物の不正も信じがたいが、薬剤などの不正はなお信じがたい。

 誤魔化し、不正のない健全な企業が当然の社会であって欲しい。
  

 「帝国の慰安婦」は大日本帝国軍の慰安婦というわけで、韓国の女性学者の著書だという。女性学者は朴裕河(パクユハ)世宗大教授である。大学教授の書いた本としては奇抜さも感じないわけでもない題名の本は当然従軍慰安婦問題への提言だろうと想像がつく。その「帝国の慰安婦が」が、韓国の検察当局によって起訴されたという。基礎理由は元慰安婦の名誉を傷つけたというものらしいが罪名はわからない。



 「帝国の慰安婦」の著者である女性学者の基礎は韓国の民主度の尺度にもなりそうだ。日本でも慰安婦問題は世論を二分する問題だと単純に気にの関与があったのかなかったのかとか、強制があったのかなかったのかの二つ分かれての賛否だけで判断できないが、加害者である日本の世論は概して真剣に問題の解決を迫りはしないが、元慰安婦がいる強い韓国社会は被害者意識が強いのは当然だが、その韓国でも学者的な視点、感情に突き動かされることなく歴史的な事実を重ねて慰安婦問題を別の角度からみる学者の考えを受け入れる社会的な寛容さに韓国社会だと言えば、何らかのおしかり儲けることになるのかもしれないが、窮屈になった日本社会以上に韓国社会は窮屈のようだ。民主化は進んでも、完全に自由が保障される民主化社会になってない韓国の一面だ。日本は民主化が後退しつつあるが、韓国社会の現実を見れば、日本社会の窮屈さの先に何があるかわるような気がする。




 当然韓国でも世論を二分する問題となっているのだろう。「帝国の慰安婦」の著者朴裕河(パクユハ)世宗大教授擁護の意見と、その反対の意見があるのも当然だ。問題は検察の関与であり、擁護派は検察を批判し、反対派は検察を支持する。




 再度書くと韓国の社会的な寛容の尺度となりそうだ。そして、民主度の尺度になりそうだ。韓国の社会的寛容さも民主度も、日本社会への警告のような気もする。マスコミへの明らかな圧力が見え始めた日本の、様々な国の制約が見え始めた日本への警告だ。
 


 在宅起訴になった朴裕河(パクユハ)世宗大教授が反論する。
「元慰安婦を批判したり、おとしめたりする本を書く理由がない」と。


 従軍慰安婦の存在を否定した日本側の関係者は従軍慰安婦は一般的な売春婦と判断する。でも、韓国側の元慰安婦支援者や団体は、少女をイメージするしさせたい。単なる少女というより、幼さの残る純真な少女をイメージする。アメリカの複数の慰安婦像を見てもわかるように、純粋無垢な聖少女的なイメージを強調するのだ。少々オーバーな表現だが、売春婦と聖少女である。

 


朴裕河(パクユハ)世宗大教授への批判へとつながるワードを報道から探すと、


「自発的な売春婦」
「売春婦であれば被害者ではない」
「売春婦であっても苦痛は奴隷と変わらない」
「日本軍と同志的な関係」
「日本による植民地支配」
「日本帝国の一員として動員」
「日本に謝罪と補償を求める理由がさらに明確になるためだ」



さて、韓国の賛否を見ると、

 擁護派は、金哲・延世大教授ら約190人による「『帝国の慰安婦』の刑事起訴に対する知識人声明」を発表したという。
 「学者の主張の是非を司法判断の対象にしようとする発想はあまりにも時代錯誤的だ」



 検察支持派は、
 一応は、「研究者の著作に対して、刑事責任を問うのは適切ではない」としながらも、「『帝国の慰安婦』は、十分に学問的な支えがない記述で被害者に痛みを与える」というものだという。
 


 賛否両論はあって当然だが、学者の研究本が検察起訴の対象になる社会的な寛容さのなさがなんとも嘆かわしい韓国ということだが、何度も言う日本も発言の自由も言論の自由も制約され始め、やがて、学者の著作も司法当局の手のひらに乗せられそうだと、警告を受けているかのようだ。



またまた、アメリカ銃社会の悲劇だ。決して無くならない銃社会の悲劇だ。銃さえなければ起きない悲劇だ。誰でもどこでも銃が持てる社会の持つ危険性は、銃の規制が厳しい社会では想像もできないほど大きいだろう。


銃社会アメリカの悲劇は次々と起きる。


今度は、カリフォルニア州サンバーナーディーノの障害者施設で乱射事件が起きた。銃の欄者は無差別大量殺人となる。銃乱射があったのは。2日午前11時ごろのことだと報じられる。正確な情報かどうかの確認はないが、14人が死亡し、17人が負傷したと報じられる。犯人は複数で、3人の可能性があるという。銃乱射事件は一人の犯人の独りよがりな精神模様で起きることが多いともうが、今回の銃乱射事件の犯人は3人かそれともそれ以上のようだ。複数の犯人なら、これはもう単なる銃乱射事件ではなく、組織的なテロと言えるかもしれない。



 テロと思えるのは、


「作戦を実行するかのように準備万端でやってきた」という捜査当局の発表からも判断できそうだが、果たしてテロと呼べるかどうかはわからないが、私の個人t系な見解で

 今年も終わるのかと実感する年末のイベントの一つ流行語大賞が決まった。今年最も語られた言葉として流行語大賞であるから、誰もが納得する言葉だ。その誰もが納得する言葉が爆買だという。なるほど、これほど流行語大賞にふさわしい言葉は納得する。



 円安効果で外国人観光客が増加の一途をたどっている。そんな中で特に経済発展にブレーキが掛かり気味とは言え中国国民の経済力にブレーキは掛からない。マナーや社会的に非常識とさえ批判される。他人の迷惑を考えない自分勝手な行動力学で突っ走るかのような態度に多くの人は眉をひそめる。でも、爆買いによって経済的な効果は絶大なるから、歓迎を通り越して大歓迎である。中国的に表現すると熱烈歓迎である。その熱烈歓迎の基である爆買いは連日報じられた。まさに流行語大賞のための言葉とさえ言えるかも知れない。



 もう一つのトリプルスリーは、なるほどとは思えるが、流行語としては、インパクトがない。プロ野球の記録としては素晴らしく、しかもセパ両リーグで達成されるという特別の年でもあったから、話題性もあり報道される頻度も多かったには違いないが、流行語としてはどうかと、関係ない人間の意見だ。意見である。そんな意見は置いておくとして、確かにすごい記録を達成した二人をたたえたい思いだ。プロ野球人気の復活も、野球賭博問題で水を差された格好となっただけに、トリプルスリーの記録を来年も目指してプロ野球人気の復活へと結びつけて欲しいと期待する。とにかく、流行語大賞にも選ばれたトリプルスリーを来年もである



「爆買い」である。

日本人が忘れていた感覚だろう。


観光地や観光施設などでは、至極迷惑なことも多い中国人観光課客でも、
デパートや電気などの量販店や免税店では、

まさに金の卵を運んでくる人々だ。

少々のマナー違反など問題外だという業界人もいるから、

中国人観光客さまさまだ。


願わくば来年もまた流行語大賞になるだけの方が来て欲しいと、

観光業者に変わって願い祈りたい。

今日は11月30日。

11月も今日で終わる。


 11月はフランスの同時多発テロによって世界に戦争の言葉が氾濫し始めた。フランスのテロは許しがたいことだ。同時に中東やアフリカで起きているテロ的な事件も許してはならないことだ。そして、イスラム過激派テロ集団ISのテロも許しがたいのは当然だ。そして、アメリカと中心に他有志連合のISの拠点付近への空爆も、シリアの政府軍と自由シリア軍双方の殺戮合戦的な内戦も、アサド政権を支持するロシアの自由シリア軍やその他の反政府組織の拠点へと空爆も許しがたい。複雑に絡み合う大国の代理戦争的な現実が展開するシリアは、大国のエゴ的な野望による空爆により、国土が焦土と化し、国家存亡の危機の中で、多くの国民が難民になっている。その難民をヨーロッパの国々は受け入れることができない。ある程度の受け入れはしても、多くの難民が、はじき出される現実に、世界の国々は批判さえできない。



 領空侵犯のロシア戦闘機をトルコが撃墜したことで戦争の言葉さえ迫って来る危機感もある11月は今日で終わる。11月が終わっても世界の戦争への危機感は消えはしない。戦争が大好きとは言わないが、戦争を引き起こす可能性を常に秘めているかのような仏頂面のプーチン大統領は、トルコ批判の言葉は、歯に衣も着せない。何時でも宣戦布告の用意があると言わんばかりの強気である。友好国としてのトルコの裏切りを強調する。対するトルコも負けてはいない。いつでも受けて立つ的な気概を感じさせる強気の発言は、オスマン帝国のDNAさえ感じる。




 フランスもトルコもロシアもイギリスも、そしてアメリカも、戦争を前提にした国家戦略を持っていると思われる11月だ。そんな11月に日本の国内で最も気になったニュースは幼児のも残無な死のニュースだった。もちろん個人的に最も気になったニュースだ。



 その一つに、糖尿病の男児へのインシュリン注射をしないで死なせた事件は、同じ糖尿病患者の私には腹立たしい事件だ。腹立たしいというよりは怒りさえか感じる。医者の「注射をしないと死んでしまう」の進言に耳も貸さず、祈祷師を名乗る男に子供の命をあずけた親が腹立たしいが、祈祷師なる悪魔的な人間の存在が許しがたい。子供命を根拠のない世迷言を並べる祈祷師なるもに預ける愚かさもさる事ながら、祈祷師なるものがいることが信じ難いと厳重注意していたことが分かった。7歳の子供が死ぬ理由などありえない。インシュリンさえ注射していれば生きていける糖尿病だ。私は食事療法と薬で糖尿病と向き合うが、インシュリン注射の子供には感心している。ある少年は、実に見事に注射すると褒めると、将来は糖尿病専門の医者になると自信を見せた。そんな少年が、死んだ7歳の幼児と重なる。


 その二つ目は、愛知県春日井市のアパートで起きた事件だ。生後10か月の乳児の浴室での死だ。母親が風呂を入れていて幼児が溺れ死んだのだ。1歳の男の子と生後10ヶ月の女の子をお風呂に入れて、母親は買い物に出かけたという。なんとも情けないというか納得できない話であるが、それが真実のようだ。短い事件であっても、生後10か月の赤ちゃんだ。現最日本の暗部の一部を垣間見たような事件でもある。母親への負担が問題の根源にあると思える事件だ。隣近所にちょっとでも見てくれる人が居ればなどの言葉も虚しい現実である。

 


 その三つ目は、生後16日の女の子の赤ちゃんをごみ箱に押し込み、さらに蓋をした事件だ。事件が起きたのは山形県米沢市で、赤ちゃんを殺した動機は「ゲームがしたかった」らしい。社会の闇を垣間見たような事件だ。生後16日の赤ゃんだ。どんな表現があるのか知らないのが、生後16日の赤ちゃんをゴミ箱に捨て両親の心模様だ。狂気以外には表現できないが、赤ちゃんを人間と、自分の子供と、思ってないのは間違いない。若い夫婦に生まれた赤ちゃんを保護するシステムが必要でも、仮にあったとしても、救済の網の目から抜け落ちる類の事件である。誰が生後16日の赤ん坊をゴミ箱に捨てると考えるかと、どこからともなく声が聞こえてきそうだ。熊本のある病院の救済へ取り組みが話題になったこともあったが、若い両親がそこに救済を求めることもないと断言できるような気もする。 せめてのも救いは、母親が救急車を呼んだことだ。救急車で病院に搬送され、赤ちゃんは窒息死と診断されたという。



 世界戦争への危機感と幼児の無残死に、関連性はないが、どっちも神に背く人間の行為には違いない。小さな命の死と、大量虐殺の戦争が、不思議な符号で何かを訴えているような気がする11月30日だ。

 民主主義の尊さを知らされる思いだ。


 スパイ容疑で逮捕され死刑の判決を受ける。独裁政権には珍しくもないスパイ容疑の犠牲者と言えば、語弊があるが、独裁政治には付いて回るのがスパイの監視であるから、当然のように無実のスパイ容疑者が逮捕拘留され、裁判も形式的なもので、政権に都合にいい判決となる。独裁政治の秘密主義が生み出すのがスパイ事件である。
 

 

 独裁政権下のスパイ監視者たちは、ある意味ノルマが課されるのかもしれない。だから、スパイ容疑者を常につくり、監視しているのだろう。そして、ノルマ達成のために、ある日突然監視対象者を逮捕拘留し、有無も言わさぬ強制的な取り調べで、スパイ容疑を認めさせられる。そして、形式的な裁判で、重い刑が言い渡される。控訴は認められてても、控訴したら、さらに罪が重なることもあるのだ。



 ソビエト連邦でシベリアの刑務所で過ごしたスパイ容疑者が控訴して、罪が重くなった話が、ソルジェニーツィンの作品にあったが、まさに、そんなことがまかり通るのが独裁政治だ。
 

 さて、(そんな言い方をすると韓国の人に怒られるかもしれないが)現在は一応民主国家である韓国で、北朝鮮のスパイとして死刑判決を受けた在日韓国人李哲(イチョル)の再審裁判判決。韓国大法院(最高裁)で無罪が確定したと報じられる。



 死刑から無罪への長い道のりを考えると、労をねぎらいたい思いになる。支援運動などにも参加したこともないし、第一そんな事件への興味もなかったのだ。なぜかは知らないが、そんな事件があったことさえ知らなかった自分の愚かさを思うことになる。
 

 李さんがスパイ容疑で拘束されたのは韓国に留学中の1975年だという。独裁政権下の中央情報部(KCIA)の仕業だ。そして、当然のように国家保安法違反容疑で死刑判決だった。死刑が執行されることなく、民主化の進む政治的要素が減刑と繋がり、1988年には釈放された。



 そして、李哲さんの新たな戦いが始まった。無罪を訴えての戦いである。無罪を勝ち取るのための再審請求の戦いも、険しく長い戦いだったのだと、単純に言うが、傍観者の理解できる範囲を超えたものに違いない。そして、ついに、李哲さんは無罪を勝ち取ったのだ。



 「当然無罪なのに、これを聞くのに40年かかった」は実感のこもった言葉だ。

 「韓国にはこのような悔しい気持ちで亡くなった方がどれほど大勢いた。私の無罪判決が亡くなった方々

に対する慰めになれば」と語ったという。


 「韓国にはこのような悔しい気持ちで亡くなった方が大勢いた」のだ。



 独裁政権が生み出す疫病的なものだ。


 民主国家になった韓国では現在はそんなことはないだろう。



 ど独裁政権下の犠牲者の方々の冥福を祈りたい思いになる。



 自分たちの知り合いや、また友人と呼べる人もいたかも知れないと思うと胸が苦しくなる。次第に秘密主義色彩が濃くなってきたこの国の行方に、よもやそんなスパイ容疑の逮捕拘束などの事件はないとは思うが、秘密主義が民主主義の毒であると、改めて考える、「韓国にはこのような悔しい気持ちで亡くなった方が大勢いた」という李哲さんの言葉だ。


少し詳しく、
李さんは熊本出身だ。

人吉高から中央大へと進んだ。

大学卒業後母国韓国に留学した。
高麗大学大学院在学中の1975年12月11日、スパイ容疑で韓国中央情報部(KCIA)に逮捕拘束された。


77年3月に韓国大法院(最高裁)で死刑判決。

懲役20年に減刑。

民主化後の88年に釈放さてた。

2013年に再審決定。

2015年2月ソウル中央地裁で無罪。


 


伝説の女優原節子さんが亡くなった。


 伝説の女優だから、名前は知っていても顔は知らず、名前は聞いたことがあるが映画は見たことがないと、言いたいが、それでは伝説の女優に失礼に当たるから、顔は写真で見知っているけど、姿は見たことがなく、映画も伝説的な名場面などは、テレビニュースで見ているけど、全体を観たことがない。小津安二郎監督の作品への出演とか、伝説の断片は知っているが、姿は見たこともないというのは、現在のテレビ文化からの表現であり、有名人知名人は必ずテレビで動く姿見るし声も聴けるという意味での、姿を見たことがないである。テレビで訃報を聞いた知人は、まだ生きていたとは驚きだと感想を述べたが、それくらいに、伝説的であったのだ。一般社会と隔絶した生活などというのは、常識的な判断ではありえないような気もするが、マスコミに登場することがなく、そんな生活をやってのけたから伝説である。伝説になるには、覚悟が要るだろう。宇宙空間からの監視もあるし、あらゆる場所に監視カメラとかパパラッチ的なカメラが目を光らせ、また、誰でもどこでも、スマートホンでパパラッチ的になれ、即座にネットに映像が流れる現在では考えられないような伝説であるが、でも、いかに現在でも覚悟一つで伝説にもなれると思いながら、訃報の報道から伝説の女優原節子さんのことを、あれこれ考える。



情報を報道から拾うと、享年95歳であった。

亡くなったのは9月5日であった。

引退後は鎌倉の身内の家で余生を送った。



デビュー作は「ためらふ勿(なか)れ若人よ」
デビュー作の役名が芸名になったという。



その後、


小津安二郎監督作品に出演して大女優への道を歩む。

重ねて言うと、小津安二郎監督の作品に多く出演した大女優だった。



独身を通したから永遠の処女と呼ばれた異色の女優だ。

異色の女優とは変な表現になるが、伝説は伝説を産むということか。


 1962年11月公開の101本目の出演後に引退したという。42歳の大女優の引退は様々な憶測を呼ぶのは当然だが、現在のようにテレビワイドショーや写真週刊誌なども煩くなかった時代であった。


1963年12月12日、小津監督の通夜に参列して姿を消した。
 
 伝説は得てして人為的に作られることが多いが、原節子さんの場合はそうでもないようだ。彼女の生活そのものが伝説であったから、作る必要もなかった。誰にも知られずなどは、それほどの意味もなかったかもしれない。ただ、自分の信念としての生活を貫いただけかも知れないが、その信念が伝説を生む最大のものと言う事だろうか。そんなことをあれこれ考えるのも、伝説が生む憶測であるから、伝説はさらなる伝説を生むのだ。私たちの想像力を駆り立てる伝説である。想像がさらなる伝説へとつながるのだろう。また伝説から生まれる想像は、在りし日の大女優への思慕(?)とも思える感情を生み出すことになるのだろう。



伝説の大女優原節子さんのご冥福を祈ります。

出演作品を可能な限りみたいと思います。
 

 「戦争状態にある」と宣言したフランスのオランド大統領、129人の犠牲者を出したテロは人権宣言の国フランスの崇高な精神を傷つけた。自由と平等と博愛の精神が失われることはないし、テロに屈することはしないと国家の決意を表明するフランスに世界が寄り添うのは当然だ。テロがフランスを恐怖の坩堝に突き落としたとは誰も思わないが、テロの恐怖は日常の中に入り込んでいるのは確かだろう。



 「戦争状態」を宣言したオランド大統領は、ISへの空爆を強化し、米国と歩調を合わせ、ロシアとも協力して、ISへの報復にでる。誰もおランド大統領の決定に、ISへの報復に異を唱える人もいないだろう。誰もテロを憎む気持ちは同じで、テロに正当化できる論理などない。テロはあってはならない最悪の犯罪であり、国家の威厳をかけた戦争とはやはり違うだろう。「戦争状態」には違いないが、戦争ではない。



 如何なる理屈を並べても、どんな歴史的な事実を並べ立てても、テロを正当化できるはずはない。テロに対する報復は当然だろう。確かに国家の威厳をかけての報復も当然だろう。フランスと、アメリカと、そして有志連合の空爆で、ISは力を削がれ、やがて壊滅的になっていくだろう。それでもシリアは政府軍と自由シリア軍の戦闘は続き、ロシアの空爆も続く。政府軍と自由シリア軍、それにISが絡む。政府軍にロシアが、自由シリア軍にアメリカが、そして、アメリカにはフランスはじめ有志連合が加わり、ISへの戦闘ではクルド人の部隊が活躍する。



 シリアは完全に焦土と化すまで戦争が続くのだろう。戦争の隙間で生きるシリアの国民の多くは国を出るしかい。国を戦争によって追い出される難民の向かう先はヨーロッパの国々だ。テロによってヨーロッパの国々は難民排除へと動き出すことになる。難民は戦争の犠牲者であり、戦争の原因であるテロの犠牲者である。直接的にも間接的にも難民はテロの犠牲者だ。その難民に対しての思いが、テロによって変わることがあってはならない。



 テロは許しがたい犯罪である。難民もテロの犠牲者である。その思いを捨てないで欲しいと願う。難民の中に紛れ込んだテロリストがいたからといって、難民がテロリストと関係あるかのような捉え方、難民とテロリストを結びつける考え方があってはならない多くの人は思うだろう。フランスは傷つき、世界の多くの人々の心はフランスと共にある。どうじに、多くの難民と共にあり、なすすべもなく身を潜めて戦闘の隙間で暮らすシリアの人々と共にある。