「戦争状態にある」と宣言したフランスのオランド大統領、129人の犠牲者を出したテロは人権宣言の国フランスの崇高な精神を傷つけた。自由と平等と博愛の精神が失われることはないし、テロに屈することはしないと国家の決意を表明するフランスに世界が寄り添うのは当然だ。テロがフランスを恐怖の坩堝に突き落としたとは誰も思わないが、テロの恐怖は日常の中に入り込んでいるのは確かだろう。



 「戦争状態」を宣言したオランド大統領は、ISへの空爆を強化し、米国と歩調を合わせ、ロシアとも協力して、ISへの報復にでる。誰もおランド大統領の決定に、ISへの報復に異を唱える人もいないだろう。誰もテロを憎む気持ちは同じで、テロに正当化できる論理などない。テロはあってはならない最悪の犯罪であり、国家の威厳をかけた戦争とはやはり違うだろう。「戦争状態」には違いないが、戦争ではない。



 如何なる理屈を並べても、どんな歴史的な事実を並べ立てても、テロを正当化できるはずはない。テロに対する報復は当然だろう。確かに国家の威厳をかけての報復も当然だろう。フランスと、アメリカと、そして有志連合の空爆で、ISは力を削がれ、やがて壊滅的になっていくだろう。それでもシリアは政府軍と自由シリア軍の戦闘は続き、ロシアの空爆も続く。政府軍と自由シリア軍、それにISが絡む。政府軍にロシアが、自由シリア軍にアメリカが、そして、アメリカにはフランスはじめ有志連合が加わり、ISへの戦闘ではクルド人の部隊が活躍する。



 シリアは完全に焦土と化すまで戦争が続くのだろう。戦争の隙間で生きるシリアの国民の多くは国を出るしかい。国を戦争によって追い出される難民の向かう先はヨーロッパの国々だ。テロによってヨーロッパの国々は難民排除へと動き出すことになる。難民は戦争の犠牲者であり、戦争の原因であるテロの犠牲者である。直接的にも間接的にも難民はテロの犠牲者だ。その難民に対しての思いが、テロによって変わることがあってはならない。



 テロは許しがたい犯罪である。難民もテロの犠牲者である。その思いを捨てないで欲しいと願う。難民の中に紛れ込んだテロリストがいたからといって、難民がテロリストと関係あるかのような捉え方、難民とテロリストを結びつける考え方があってはならない多くの人は思うだろう。フランスは傷つき、世界の多くの人々の心はフランスと共にある。どうじに、多くの難民と共にあり、なすすべもなく身を潜めて戦闘の隙間で暮らすシリアの人々と共にある。