今日は11月30日。

11月も今日で終わる。


 11月はフランスの同時多発テロによって世界に戦争の言葉が氾濫し始めた。フランスのテロは許しがたいことだ。同時に中東やアフリカで起きているテロ的な事件も許してはならないことだ。そして、イスラム過激派テロ集団ISのテロも許しがたいのは当然だ。そして、アメリカと中心に他有志連合のISの拠点付近への空爆も、シリアの政府軍と自由シリア軍双方の殺戮合戦的な内戦も、アサド政権を支持するロシアの自由シリア軍やその他の反政府組織の拠点へと空爆も許しがたい。複雑に絡み合う大国の代理戦争的な現実が展開するシリアは、大国のエゴ的な野望による空爆により、国土が焦土と化し、国家存亡の危機の中で、多くの国民が難民になっている。その難民をヨーロッパの国々は受け入れることができない。ある程度の受け入れはしても、多くの難民が、はじき出される現実に、世界の国々は批判さえできない。



 領空侵犯のロシア戦闘機をトルコが撃墜したことで戦争の言葉さえ迫って来る危機感もある11月は今日で終わる。11月が終わっても世界の戦争への危機感は消えはしない。戦争が大好きとは言わないが、戦争を引き起こす可能性を常に秘めているかのような仏頂面のプーチン大統領は、トルコ批判の言葉は、歯に衣も着せない。何時でも宣戦布告の用意があると言わんばかりの強気である。友好国としてのトルコの裏切りを強調する。対するトルコも負けてはいない。いつでも受けて立つ的な気概を感じさせる強気の発言は、オスマン帝国のDNAさえ感じる。




 フランスもトルコもロシアもイギリスも、そしてアメリカも、戦争を前提にした国家戦略を持っていると思われる11月だ。そんな11月に日本の国内で最も気になったニュースは幼児のも残無な死のニュースだった。もちろん個人的に最も気になったニュースだ。



 その一つに、糖尿病の男児へのインシュリン注射をしないで死なせた事件は、同じ糖尿病患者の私には腹立たしい事件だ。腹立たしいというよりは怒りさえか感じる。医者の「注射をしないと死んでしまう」の進言に耳も貸さず、祈祷師を名乗る男に子供の命をあずけた親が腹立たしいが、祈祷師なる悪魔的な人間の存在が許しがたい。子供命を根拠のない世迷言を並べる祈祷師なるもに預ける愚かさもさる事ながら、祈祷師なるものがいることが信じ難いと厳重注意していたことが分かった。7歳の子供が死ぬ理由などありえない。インシュリンさえ注射していれば生きていける糖尿病だ。私は食事療法と薬で糖尿病と向き合うが、インシュリン注射の子供には感心している。ある少年は、実に見事に注射すると褒めると、将来は糖尿病専門の医者になると自信を見せた。そんな少年が、死んだ7歳の幼児と重なる。


 その二つ目は、愛知県春日井市のアパートで起きた事件だ。生後10か月の乳児の浴室での死だ。母親が風呂を入れていて幼児が溺れ死んだのだ。1歳の男の子と生後10ヶ月の女の子をお風呂に入れて、母親は買い物に出かけたという。なんとも情けないというか納得できない話であるが、それが真実のようだ。短い事件であっても、生後10か月の赤ちゃんだ。現最日本の暗部の一部を垣間見たような事件でもある。母親への負担が問題の根源にあると思える事件だ。隣近所にちょっとでも見てくれる人が居ればなどの言葉も虚しい現実である。

 


 その三つ目は、生後16日の女の子の赤ちゃんをごみ箱に押し込み、さらに蓋をした事件だ。事件が起きたのは山形県米沢市で、赤ちゃんを殺した動機は「ゲームがしたかった」らしい。社会の闇を垣間見たような事件だ。生後16日の赤ゃんだ。どんな表現があるのか知らないのが、生後16日の赤ちゃんをゴミ箱に捨て両親の心模様だ。狂気以外には表現できないが、赤ちゃんを人間と、自分の子供と、思ってないのは間違いない。若い夫婦に生まれた赤ちゃんを保護するシステムが必要でも、仮にあったとしても、救済の網の目から抜け落ちる類の事件である。誰が生後16日の赤ん坊をゴミ箱に捨てると考えるかと、どこからともなく声が聞こえてきそうだ。熊本のある病院の救済へ取り組みが話題になったこともあったが、若い両親がそこに救済を求めることもないと断言できるような気もする。 せめてのも救いは、母親が救急車を呼んだことだ。救急車で病院に搬送され、赤ちゃんは窒息死と診断されたという。



 世界戦争への危機感と幼児の無残死に、関連性はないが、どっちも神に背く人間の行為には違いない。小さな命の死と、大量虐殺の戦争が、不思議な符号で何かを訴えているような気がする11月30日だ。