民主主義の尊さを知らされる思いだ。


 スパイ容疑で逮捕され死刑の判決を受ける。独裁政権には珍しくもないスパイ容疑の犠牲者と言えば、語弊があるが、独裁政治には付いて回るのがスパイの監視であるから、当然のように無実のスパイ容疑者が逮捕拘留され、裁判も形式的なもので、政権に都合にいい判決となる。独裁政治の秘密主義が生み出すのがスパイ事件である。
 

 

 独裁政権下のスパイ監視者たちは、ある意味ノルマが課されるのかもしれない。だから、スパイ容疑者を常につくり、監視しているのだろう。そして、ノルマ達成のために、ある日突然監視対象者を逮捕拘留し、有無も言わさぬ強制的な取り調べで、スパイ容疑を認めさせられる。そして、形式的な裁判で、重い刑が言い渡される。控訴は認められてても、控訴したら、さらに罪が重なることもあるのだ。



 ソビエト連邦でシベリアの刑務所で過ごしたスパイ容疑者が控訴して、罪が重くなった話が、ソルジェニーツィンの作品にあったが、まさに、そんなことがまかり通るのが独裁政治だ。
 

 さて、(そんな言い方をすると韓国の人に怒られるかもしれないが)現在は一応民主国家である韓国で、北朝鮮のスパイとして死刑判決を受けた在日韓国人李哲(イチョル)の再審裁判判決。韓国大法院(最高裁)で無罪が確定したと報じられる。



 死刑から無罪への長い道のりを考えると、労をねぎらいたい思いになる。支援運動などにも参加したこともないし、第一そんな事件への興味もなかったのだ。なぜかは知らないが、そんな事件があったことさえ知らなかった自分の愚かさを思うことになる。
 

 李さんがスパイ容疑で拘束されたのは韓国に留学中の1975年だという。独裁政権下の中央情報部(KCIA)の仕業だ。そして、当然のように国家保安法違反容疑で死刑判決だった。死刑が執行されることなく、民主化の進む政治的要素が減刑と繋がり、1988年には釈放された。



 そして、李哲さんの新たな戦いが始まった。無罪を訴えての戦いである。無罪を勝ち取るのための再審請求の戦いも、険しく長い戦いだったのだと、単純に言うが、傍観者の理解できる範囲を超えたものに違いない。そして、ついに、李哲さんは無罪を勝ち取ったのだ。



 「当然無罪なのに、これを聞くのに40年かかった」は実感のこもった言葉だ。

 「韓国にはこのような悔しい気持ちで亡くなった方がどれほど大勢いた。私の無罪判決が亡くなった方々

に対する慰めになれば」と語ったという。


 「韓国にはこのような悔しい気持ちで亡くなった方が大勢いた」のだ。



 独裁政権が生み出す疫病的なものだ。


 民主国家になった韓国では現在はそんなことはないだろう。



 ど独裁政権下の犠牲者の方々の冥福を祈りたい思いになる。



 自分たちの知り合いや、また友人と呼べる人もいたかも知れないと思うと胸が苦しくなる。次第に秘密主義色彩が濃くなってきたこの国の行方に、よもやそんなスパイ容疑の逮捕拘束などの事件はないとは思うが、秘密主義が民主主義の毒であると、改めて考える、「韓国にはこのような悔しい気持ちで亡くなった方が大勢いた」という李哲さんの言葉だ。


少し詳しく、
李さんは熊本出身だ。

人吉高から中央大へと進んだ。

大学卒業後母国韓国に留学した。
高麗大学大学院在学中の1975年12月11日、スパイ容疑で韓国中央情報部(KCIA)に逮捕拘束された。


77年3月に韓国大法院(最高裁)で死刑判決。

懲役20年に減刑。

民主化後の88年に釈放さてた。

2013年に再審決定。

2015年2月ソウル中央地裁で無罪。