NHKラジオ講座「漢詩をよむ」第30回です。


<鎌倉時代から南北朝へ>「動乱の中で」です。

今回は、政治的に有名な人物もとりあげられました。


まずは、児島高徳(こじまたかのり、生没年不詳)。

実在否定説や、『太平記』作者説のある、謎の多い人物です。

尋常小学唱歌にも採用された漢詩だそうで、捕らえられた後醍醐天皇へ、桜の木の幹に彫り付けて伝えたといわれています。

短いので載せてみます。


 「白桜十字詩」

 天莫空勾践 時非無范蠡

 天、勾践を空しうすることなかれ 時に范蠡なきにしもあらず


中国戦国時代の越王・勾践を後醍醐に、おそらく自らを忠臣・范蠡に託して詠んだ詩です。


次に、細川頼之(1329-92)。足利尊氏・義詮に仕えて信任され、義詮の遺言で幼い3代将軍・義満の補佐にあたった人物です。

知名度はいまひとつかもしれませんが、有能な人物だったようで、管領家の祖といえます。

この人については、楽しく読ませていただいたサイトがありました。

勝手に大河ドラマ 室町太平記  (徹夜城様)

 (ちなみに、本物の大河「太平記」をまとめたコーナーもあります。)


今回採り上げられた頼之の詩は、「海南行」(七言絶句)。

義満からいったん遠ざけられた頼之が、職を辞して讃岐に下る際に詠んだものといいます。

51歳になっていた頼之は「人生五十愧無功」とうたい始め、心境を述べています。3句目に「満室蒼蠅掃難去」とありますが、「蠅」というのはしばしば“つまらない小人物”をあらわす語として用いられ、この場合は義満の周りにいるよこしまな臣下たちを指していると思われます。


ほかに、僧侶の詩が3つ。

「答大明皇帝問日本風俗」(如瑤)、「客夜」(龍湫周沢)、「三月二日夜聴雨」(愚中周及)。