花今日の本はこちら📖

 

PC打ちながら、もう

わけわっかんないな~滝汗って

ずっと思ってますオエー

こういう時、意外にも大学からの学習の手引きがお役立ち👩‍💻

ちなみにこのレジュメ類、学生用画面にログインすると他学科のものまでダウンロードができて、リベラルアーツ(教養科目)含め、50科目分以上を入手しました。いつか何かの役に立つかしらキメてるムフフ


 
 
 
 

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花第4章     ロジャーズのパーソナリティ理論


1.パーソナリティへのアプローチ

花パーソナリティ理論:心理的存在としての人間をとらえようとするもの


・自分という主体が、どのような立場から、どのような方法を用いて相手に接近し、どのようなかかわりの中で、どのように相手をとらえ、自分の言葉で表現しようとするか

 

花ロジャーズの基本的な立場と態度

ロジャーズの理論:ロジャーズという個性が、治療者としての立場から、治療という場の中で、主観的に経験したものを基礎として、主観的経験という現象の意味を理解し、秩序づけ、構成したもの

=いわゆる「客観的科学」をめざすものとは違う。ある特定の領域にあてはまる方法が、他の領域にも適用されるとは限らない。どのような領域を探求するにしても、それぞれにふさわしい視点、尺度、方法が必要になってくる

 

花臨床心理学的パーソナリティ理論は、見るものの側から一方的に対象としての相手を見るのではなく、①見る者のパーソナリティ、②見られる者のパーソナリティ、③両者の関係という三者が見る者の視野の中に入っていなければならない

→見られる者との関わりの中での、見る者自身の体験を基盤に、そこでの実感を通して、見られる者を把握し理解していこうとする現象学的接近法を採用するようになった


・見られる者は単なる対象ではなく、見られる者は自らの課題(悩み、主訴)をもって彼なりの解決策を模索するために主体的に治療者を訪れている

→見られる者の独自性、全体性、主体性を尊重し、相手を信頼して彼独自の世界の中に、彼の案内に従って入っていく道を選んだ


花見る者は、「〇〇な人」という類型に見られる者を閉じ込めたり、見られる者の一部分を特性として彼の全体性と切り離してことさらに重視したりせずに、見られる者独自の世界の中で生起する動き、変化をともに確かめつつ、独自の世界を展開し、経験している主体としての彼に関わり、一緒にその世界を味わっていく

※この際、「あたかも自分が経験しているかのように」という認識が、見る者にとっては不可欠(この認識なしに相手の経験に没入していることは、「同一化」であり区別される)

簡単に読むならこちらでにっこり

 

花ロジャーズの人間理解の視点は、人間の変化の過程を見ることに据えられる

→個々人に独自の内的世界がどのように流れ、展開し、変化していくか、という変化の過程を見ようとする

 


2.ロジャーズのパーソナリティ理論

花自己の発達

ロジャーズの仮定:生まれたばかりの幼児の未分化で動き始めたばかりの内的な世界に関して、経験(現象の場)、実現傾向、価値づけの過程を仮定

・幼児は、自分の有機体を実現していくという生来の傾向(実現傾向)をもっている

・ロジャーズが人間の基本的な動因として仮定するのは、この実現傾向だけ。これはいわゆる動因や欲求の概念は異なる。それらの概念は一般に緊張の解消へと向かうもの(のどが乾いたら水を飲む)

↔️歩き始めた幼児の、転んでも、転んでも、なおかつ歩こうとして努力する行動なども含めて、有機体を維持し、強化していくものとして実現傾向を定義

 

・幼児は、彼独自の現象の場に外界の事象を反映させ、基本的実現傾向に照らして彼の経験を有機的に価値づけ、そのうえで肯定的に価値づけられる経験を求め、否定的な経験を避けるようになっていく。その過程の中で、彼の経験の一部は象徴化され、存在していること、機能していることを意識する状態になる

=自己経験(例:泣いている子どもが、泣いているということを意識する状態)


・こうした経験は、環境、とくに幼児にとって重要な他者(一般的には親)との交互作用の中で、自己概念として明確になってくる

・自己を知覚するようになってくると、幼児は肯定的な配慮を求める欲求を発達させる=大人たちに愛情を求めるようになってくる

→相手の中に愛情があるか否かを推測しなければならない。相手の表情に、動作に、幼児は肯定的な配慮を相手が経験しているという兆候をみつけようとする

→相手からの肯定的な配慮に関する新たな経験の一つ一つが、幼児にとっては大きなものとなり、それが拒否されていると知覚すると、いっぺんに落胆するような行動を示すようになってくる

→こうして、肯定的な配慮を求める欲求は、次第に幼児自身が彼にとっての重要な他者になり、自己の内なる重要な他者に肯定的な配慮を求めるようになる=自己配慮


花こうして自己経験、自己概念の象徴化の過程が進み、幼児の経験の一部が自己として分化していくにつて、有機体の実現傾向から、自己を実現するものとしての自己実現の傾向も分化していき、また、有機体の価値づけの過程にかわるものとして価値の条件が発達していく

 

花重要なポイントは、いずれの肯定的な配慮にしても、それは相手の経験に向けられている、ということ

・親は、子どもの経験に対しては無条件の肯定的な配慮を示しても、実際の行動を止めることはできる

 

花自己の象徴化の過程にともない、自己配慮を求める欲求が発達してくる。人は、自己配慮を求める欲求を満足させるために、価値の条件に従って自分の経験を選択的に知覚するようになる。価値の条件に一致する経験は、意識のうえで正確に知覚され、象徴化される。しかし、価値の条件に一致しない経験は、あたかも価値の条件に一致しているかのように選択的に知覚される。また、その一部か全体が否定されて、意識されなくなる。こうして、価値の条件に従って選択的な知覚を始めたときから、自己と経験の間の不一致、心理的な不適応、傷つきやすさといった状態が出現するようになる(図2)


Ⅱ:経験が象徴化される際に価値の条件にあてはまるように歪曲されて知覚された現象の場

Ⅲ:自己概念と矛盾するために意識することを拒否された経験のある現象の場


にっこり難っしいけど、以下の例を読んだら少しはびっくりマーク

 

花失敗を繰り返す青年が両親から否定され続けた場合、まれに上手くいった場合も、こうした成功経験は自己概念にあてはまらないものであるため、意識にのぼることが許されず、たとえ意識する場合にもその前の段階で、自己概念に脅威を与えるものとして潜在知覚され、「まったく運がよかった」「二度とやれるわけがない」などと歪曲され、Ⅱの領域のものとして意識されることになる

 

花自己と経験の不一致の結果として、その人の行動にも、同様の不一致が起こる

・ある行動は自己概念と一致しており、その自己概念を維持し、実現し、強化する

右矢印このような行動は素直に意識にのぼる


・しかしある行動は、自己概念に同化されない有機体のある側面を維持し、強化し、実現する

右矢印これらの行動は、自己経験として知覚されないか、または、自己と一致するように歪められたり、また選択されたりして知覚される

 

花防衛の過程:自己概念に一致しない経験が意識のうえに正確に象徴化されると、自己概念は矛盾なく一貫したゲシュタルトではなくなり、価値の条件は乱され、自己配慮を求める欲求は満たされなくなってしまうので、このようなことが起こらないように予防する反応(その経験を選択的に知覚したり、歪曲したり、またはその一部か全部を拒否したりすることで、その経験の知覚を自己の構造を一致するように保つ)


右矢印その結果、知覚を歪めるために、柔軟性のない固い知覚の仕方をするようになり、現実を不正確に知覚するようになる、さらに、事実を見るよりは理屈っぽいつじつま合わせに終始したりするようになる

 

花特殊な状況下で起こる過程

(解体・崩壊の過程と再統合の過程)


・自己と経験の不一致の度合いが大きくなり、しかも、この不一致をはっきりさせる経験が突然起きたり、あまりに明白に起きてしまったりした場合では、防衛の過程は十分に機能しなくなり、そのためその不一致が潜在知覚されるにつれて不安が経験されるようになる

右矢印防衛の過程が機能せず、この経験が意識のうえに正確に象徴化されてしまうと、自己の構造は崩壊する(解体)


・解体の状態に陥ると、人は時に、それまでは拒否しようとしたり歪曲しようとしたりしていた経験とはっきり一致した行動をとる。また、時に、自己が支配的な立場に戻ることもある。いずれにしろ、緊張関係が表面化し、統制のとれない混乱した状態(急性の精神病的状態)となる

→このゆるやかな形は、心理療法の中で起きている。治療の自由さの中で自分自身を表現していくと、今までは自己概念に一致しないために、意識にすらのぼらずにいた経験に自分自身で気づき始める。それにともなって不安が生じるが、適切な治療関係の中では、そうした不安自体も表現され、そのことを通じて、経験を規制していた価値の条件が検討されていく(解体の状態に至る前の段階で、自己の中に、今までは打ち棄てられていた経験が統合される建設的な過程が生じてくる)


※ただし、治療の中でも、適切な条件が存在しないとき(自分自身が対処できる以上の拒否された経験に直面させられてしまうと)、解体の状況へと移行してしまう(治療が急ぎすぎた場合や、何種かの療法を同時に並行して受けている場合などに見られる現象)

 

花解体の状態にいる個人の行動は、周囲から理解できないとされるものであることが多いが、こうした行動の多くは、今まで拒否していた経験に一致する。したがって、それ以前のその人とはまったく相いれない、対極的な行動となる。このような行動に走っているとき、人は自らを保護するために、それまでもっていた自己概念に気づくことから、自らを防衛している

 

花再統合:解体の状態から回復していく過程

習慣的に脅威となっている経験が意識のうえに正確に象徴化され、自己構造の中に同化されていく過程。このためには、価値の条件が減少し、無条件の自己配慮が増加しなければならない。このことを達成する一つの道は、その人にとって重要な他者から無条件な肯定的な配慮を感情移入的な文脈の中で伝えられ、その人自身がそのことを知覚すること

 

3.まとめ

・ロジャーズは、心理療法家として、治療の場における、自らの主観的経験をありのままに見つめようとした。その中で、人格の変化、人間の経験の過程そのものに取り組み、自らの経験をそのままに象徴化しようとしてきた。こうした努力によって、人間が治療という場の中で変化していく過程に、直接的に生のかたちで取り組むことが可能になり、その取り組みにふさわしい視点、方法、尺度が開発されてきた

・ロジャーズ自身の不十分性を超えるもののひとつとして、ジェンドリンの体験過程論などが挙げられる


にっこりこれ昨日の学びの場でも出てきたにやり



にっこり沈黙は金なり、意識を体験過程に向けているのね。聴き手が沈黙に慣れることも大事だけど、私は自分が話し手の時も、沈黙を恐れて矢継ぎ早に話してしまうわ笑い泣き

花解説はこちらのHPからお借りしました🙇‍♀️


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花第5章    クライエント中心療法の研究


1.ロジャーズの科学観

花実証的研究への消極派に対し、クライエント中心療法の立場では、きわめて積極的に実証的研究に取り組んできている⬅️ロジャーズの科学観が深く関与している

 

・ロジャーズは、クライエント中心療法の理論を、たしかな真理として唱えているのではなく、仮説、すなわち私たちがもっている知識を発展させていくための道具であると考えている

・ロジャーズはフロイトの不安定な弟子たちの姿勢を残念に思っていた。不安定な弟子たちはかなり長い間、フロイトの理論を真理であり修正すべきでないとみなしていた。理論は、固定化して独断に陥ってしまう危険を常に秘めているため、そうならないように配慮する必要がある

→ロジャーズはあえて理論を仮説であるとし、その仮説は実証的研究によって検証されるべきであると信じている

 

花ロジャーズは、科学的研究というものがどのような段階においても始めることができると考えており、また、主幹が根本的に優位であるという信念がある。科学者であろうがだれであろうが人間は自分の主観的世界に生きているのであり、科学がどれほど客観的に研究されようとも、それは人間の主観的な目的と選択の結果

・客観的な真理がたとえ存在するとしても、人間がそれに対して客観的な真理としての資格があると主観的に感じるのであり、このような意味で主観が何よりも優位

→どのような研究の成果であれ、それを認める主観が根本的に優位とするなら、研究の限界がはっきりし、それを恐れる必要はなくなる。その枠内で素朴な水準から研究を進めていき、柔軟に理論を修正し、実際のセラピーに関する示唆を得てきたことが、クライエント中心療法の大きな特徴

 

2.『サイコセラピーとパーソナリティの変化』


花クライエント中心療法によって、クライエントに建設的なパーソナリティ変化が起こるかどうかを確かめようとした研究。自分からセラピーを求めてやってくる人々についてのクライエント中心療法の効果を、自己概念などの測定によって実証しようとした研究

 

花自己概念の変化

「自己概念」は、クライエント中心療法の理論において、もっとも重要な概念の一つ

定義:意識に許容しうる自己(知覚する自己または知覚される自己)およびその概念に付着している価値の特質に関する、流動的であるが統一性のある、体制下された概念のパターン


・自分自身に対して不満足感を抱いていると、彼らの自己概念は、他の人々に比べると、そうありたいと彼らが望んでいる理想的自己概念とは異なっている

・しかし、セラピーを通じて彼らの自己概念と理想的自己概念は解体され、やがて二つの自己概念の差異が減った形で再体制化されると考えられる

 

花行動の変化:ウィロビー情緒成熟尺度で日常の行動を測定


花他者への態度の変化:自己他者尺度を用いて測定


花研究の意義:治療群であるからといって、必ずしも等質の条件にあるとは言えないことが示唆された。パーソナリティ変化が一様ではないことを示している

 

3.『治療的関係とそのインパクト』

花統合失調症の人々に、それがどれほど有効かを確かめようとしたもの

 

花セラピストの態度の測定

クライエントのパーソナリティ変化を促すセラピストの態度的条件:一致性、正確な共感的理解、無条件の肯定的関心の3点

①一致性:セラピストは「このクライエントが恐い」というような体験をするかもしれない。この感情を認め、自由にそうあることができるならば、彼は一致しているといえる

②正確な共感的理解:クライエントが表現する怒りや恐怖をあたかも自分自身の者であるかのように感じ、しかもその怒りや恐怖に巻き込まれないようにする態度

③無条件の肯定的関心:クライエントを一人の人間として尊重するという態度、クライエントが体験している全ての側面を、彼の一部としてあたたかく受容するという態度

 

花これらの態度を測定したところ、第三者の評定、クライエントの評定はよく似ていたが、セラピスト自身の評定は全く異なっていた

右矢印セラピストが、自分が一致していて、正確な共感的理解をしていて、無条件の肯定的関心を示していると感じていても、統合失調症のクライエントの方では、それらをわずかしか認めていない

→パーソナリティ変化の必要にして十分な条件が満たされていない

 

花セラピストの態度とクライエントのプロセス


仮説のうち、最も重要なのは、治療関係の中にセラピストとしてふさわしい態度が存在すればするほど、クライエントのプロセスの変化が多く生じるであろうという仮説

→結果は否定的なものであった、両者の有意な関係を見出すことはできなかった。態度とプロセスの関係はもっと相互作用的と考えられる(セラピストの態度がクライエントの体験過程の水準を決めるというわけにいかない、むしろクライエントのプロセスの水準にセラピストの態度の方が影響されることも十分にありそう)

 

花研究の意義:統合失調症の人々の心理療法について楽天的になれるほどの確かな結果はもたらされなかった。セラピストの態度がクライエントのプロセスを決めるとは言えなかったことが最も厳しい結果

 

花セラピストの体験過程が重視されてきている変化

セラピストの態度としては、正確な共感的理解や無条件の肯定的関心よりも、セラピストが自己自身であるという一致性をもっとも根本的な態度であるとみなす変化

 

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長かった、まだ2章残ってるから

あと1回かな😇

お読み頂きありがとうございますほっこり