入籍日に今彼さんが、私が長年欲しかったレディディオールを買ってくれるという前代未聞なビッグサプライズが起きましたが、




なぜこの現実が起きたのか?




潜在意識の面からの考察を今日は記事にします。






あの日、DIORで私がこのバッグを買おうと担当の方に自分のカードを渡そうとした瞬間に

今彼さんが「俺が払うよ」といってスッとカードを出してくれました。





予想だにしなかったことで驚きはもちろんありましたが、咄嗟に感じたことは






‥あぁ、彼は私の男性性そのものなんだな」 






という実感と確信でした。





実はあの日の前夜(独身最後の夜真顔

1人で部屋で過ごしながら




「宇宙一大切な自分にプレゼントを贈ろう✨」




と固く決意していました。







レディディオールは長年ずっと欲しいなと思っていたものの、お値段からなかなか買うことの踏ん切りがつかなかったのですが





(私はどちらかというとこれまでは“体験(コトや学び)”に価値を置いてきた人間で、毎年海外旅行に行ったり心理学の勉強にお金を使ってきたものの、高い“モノ”やブランド品はあまりポンポン買ったりせず、「ここぞ」というときだけ買ってきたタイプでした。欲しくても“贅沢”という謎の思い込みがあったのですね笑い泣き

しかし、この思い込みも自由に変えることができましたし、それにつれ現実も大きく変わりました。)







私が私を幸せにする






根底にあるその気持ちは変わりなく

せっかくなら“入籍”という新たな人生のステージへの特別な切り替えのタイミングで、

ずっと欲しかった最高のものを私に贈ってあげたい✨





揺るぎなくそう思い、そして実際店頭でもカード💳を出して自分で払おうとしました。





今彼さんに買ってもらおうという期待を一切していなかったですし、




ただ自分の中の男性性が自分を妥協なく幸せにしようと行動した結果、今彼さんという現実に映された男性性がその通りに行動したのだな





と、目に映る現実を見て冷静に理解している自分がいました。







これは一元の仕組み(他人=自分)が腑に落ちてる方であればすんなり理解いただける話だと思います。








彼がお金を掛けてくれない。

彼が高いものを買ってくれない。

あの子はあんなにハイブランドのものを買ってもらってるのに。

私は女としてのそれだけの価値がないのか?







過去(特に20代の頃)の私は

そういった妬みや僻み、欠乏感を強く持ってる人間でした。




しかし今となってはよくわかります。

外側に向けて持っていた不満と欠乏感自体が的外れだったということを。







改めて大事なことを書かせていただくと、






今回結果的にレディディオールを今彼さんに買ってもらえたのは

私(の男性性)が本気で自分にエネルギーを掛けた(掛けようとした)からに他なりません。






これが例えば私が

自分は70万支払う気もなくて、

彼に払ってもらえたらいいな

彼が買ってくれないかな





‥と【与えてもらうことを期待】していたらどうなっていたでしょうか。







前提意識は「高いものを買ってもらえないと私は女としての価値がない」

真の意図「私は出したくない。人から与えられたい=人から奪いたい」




現実は前提と真の意図通りに展開していきますので

ますます【私は女としての価値がない】と“欠乏感”を感じる現実に展開していきます。


つまり、期待通りに買ってもらえなくてさらに不満と欠乏感を募らせることになっていたでしょう。






過去の私がまさにこれでした。






今回今彼さんが行動してくれましたが、

私が予定通り自分で買っていたとしても

変わらない幸福感と自分の男性性への誇らしさを強く感じ、ますます幸せを噛み締めていたと断言できます。

喜んでこのブログに“買いました”と報告していたと思います😊






彼(夫)に買ってもらえたら凄いのか?

自分で買ったら惨めなのか?





その価値基準自体、全部自分が作り出した幻でしかなく、行為者・ルートが誰(どれ)であれ





自分が幸せを感じ満たされる状態になれていることそのものこそが本当に得たいゴールであり、何にも代え難い幸せなのではないでしょうか😊





大事なことなので何度でも書きますが、

この世界は全て、自己完結です。





自分を幸せに出来るのは自分しかいません。






【溺愛】という言葉が一人歩きして、誤解されてるふしもありますが

【溺愛】というのは自分が自分を愛し抜く覚悟を持つこと。自分を大切にするために行動してあげることと私は捉えています。






私が私を愛し抜くと決めて、大切にするからこそ

世界(周り)に愛し大切にされる。





心の奥底に持つ「前提」と「意図」が変わったことで起きる現実もこんなにも変わるのだなとさらに確信しました。






外側に愛を与えろ、金品を与えろ、と要求しそれを得ることが【溺愛】ではありません。


(高スペックの男性と付き合ったり結婚することで、肩書きやステータスを得たい、というのも“与えろ”と要求してるのと同じですね。)





アメンバー限定記事:溺愛論


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読んでくださってる全ての方に自分を幸せにしていける力が必ずあります😊





なお、「彼が“してくれない”ことに対して違和感を感じること」に関してご相談をいただくことがあります。


●そもそも愛されてないのか、離れるべき相手なのか

●ちゃんと愛してはくれてるのに、自分が不満に感じてしまっているだけなのか。


この2つはあまりに大きな違いがあり、本来自分の感じていることの本心を問えば違いはわかるはずです。違いを見極めて対応する必要がありますが、また別記事かお茶会・個別相談などでお話できたらと思います😊




(お知らせ)

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赤薔薇アメトピ掲載記事赤薔薇