タイミングの視点から | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

昨日の記事で、わたしの生が私の天職と巡り合えるというか

  わたしの就いた仕事を天職に昇華するのにジャスト・タイミングだったと思っています

  そして”子育てもこのタイミングでしかなかった!”と書いています

 

わたしは結婚自体が、人様より二周遅れくらいで

  そのうえ上の子が二重虹の子(Wレインボウベイビー)でした

  上の子はわたしと同じ干支、でも四周り違い(^O^;)

  通常なら子世代と言うよりも、孫世代といってもおかしくありません

 

そして前回のブログでは、こんなことも言っています

  ”本当に仕事に打ち込むのなら”家族は邪魔!”だと(^O^;)

もちろんこの考え方には、いろいろな考え方/意見があるとは思います

  でもわたしとしては、結婚して家族が出来たのなら

  ましてや子供が出来たのなら

  仕事にかまけて家庭を顧みない、なんてことはしたくないな、と思っています

 

わたしは71の誕生日にリタイアするまで現役SEをフルタイムでやり通しました

  わたしの子育て期間の基本は、50代から60代

  多くの人はもう子育てが終わって、場合によってはそろそろお孫さんが、なんて人も!

 

上の子が早生まれなので、下の子との学齢差は二年ありますが

  実際の生まれ年の差は一歳半です

  そして子供たちの産まれた病院は、名古屋の家の傍の総合病院でしたので

  下の子が産まれる時には

  お母さんが入院している数カ月間、こちらの彼女のご両親に預けていました

わたしはほぼ毎日、この地のお客様の処に仕事を作り

  お昼はお弁当を買って、上の子に会いに来ていました

  おかげで上の子はわたしを忘れることはなかったのですが

  下の子を産んで、数カ月ぶりに再会したお母さんは下の子に忘れられていて

  悲しかったと言っていました

 

うちの場合、上の子が小さい時にお外に出る時は

  上の子はいつも抱っこ紐で私の胸にいました(^O^)

  ですからこの世に出てからは、心臓の音も体臭も

  上の子はお母さんよりも、わたしの心音を聞き、匂いをたくさん嗅いでいるのです

そしてこれは過去記事で何回か書いているのですが

  わたしは現役SEにもかかわらず・・・というか多くのお父さん夕食に帰っていますか?

  週4日以上は夕食を家族と一緒に取っていました

  そしてお母さんが食後の片づけをしている間に

  わたしとこども達は一緒にお風呂に入って

  出てからは二階の寝室に上がって読み聞かせ

  その間お母さんがお風呂に入って、ゆっくりしてから

  寝室に上がってくると

  そこからの2~3時間がわたしの仕事時間(^O^;)

もちろん日々の生活だけでなく

  こども達の為に、ホームゲレンデを探しに北信のスキー場巡りをGWにしたり

  出来るだけいろいろな経験をさせたいとあちこちと旅しました

  そして授業参観はじめ、いろいろな学校行事にもほとんど参加もしてきました

 

その意味では、ず~っと現役のSEをやってきた割には

  それなりに一生懸命家族と触れ合ってきたと思います

  でもね、それは最初の会社でわたしのシステムの骨幹はほぼ出来上がっていたから!

もしこの創り上げようとしている時に結婚し、さらにはこどもも出来たとしたら

  わたしの性質として家族を振り返らないということはないので

  多分わたしのシステムは今の様には出来上がっていない

  結果として天職にはならなかっただろうと思っています

今の人との価値観や仕事の仕方からしたら

  必ずしも受け入れられるような働き方だったとは思いませんが

  独り身のわたしは、私の意思/決定のみで何でもできる

  必要であれば突然の休日出勤だって、徹夜でのお客様サポートだってやってきました

  現実的にわたしの時間でお仕事を占める時間が一番大きかったと思います

    ※でもお仕事と私的な時間を天秤にかけることも出来たので

      お客様も「今度の土日はスキー?予定が無かったら来てくれる?」と

      わたしの都合も気にかけてくれながらの要請だったりしていました

  その現場での積み重ねの上でシステムが熟されブラッシュアップされてきました

  その意味で”きっちりと仕事をするには、家族は邪魔だ!”と思ったのです

  わたしには家族と仕事の両立は難しいなぁ~と思っています

 

でも実際に結婚して、子育てしたのは

  わたしのシステムの骨幹が出来上がった後(^O^)

  子育て初期の腰痛には悩まされたものの

  そして学校を出て社会人になりたての頃に思った70まで

    ※当時の定年の多くは55歳くらいだったと思います

  実際にフルタイムで働き通したおかげで

  なんとか二人とも大学を出して、社会に送り出しました

わたしが結婚をして、子育てをして

  さらにはトランスまでしてしまえたのは

  このタイミングでしか出来なかったのだろうと思います(^O^)

そしてこの子育ての間

  特には自分の年齢が”歳だから”と思うことは

  ほとんどなかったですね・・・・腰痛以外は(^O^;)

 

 

そしてタイミングと言えば

  わたしの「二級ガソリン自動車整備士」の資格取得があります

今でこそ実際に一級整備士もいるようですが

  わたしが取得した当時には、まだ資格設定はあるものの試験がやっていなくて

  二級整備士が最上位ランクでした

 

それをどうして取ったのか?と言うと

  整備士の資格を受けるには実務経験の証明が必要なのですが

  わたしのガクチカで活動した自動車部は認証工場の傘下にあるという形だったので

  わたしが役員の時に同期仲間を誘って三級ガソリンエンジン整備士の資格を取りました

  続けていろいろと手を回して会社に入ってから二級整備士を取ったのですが

  一年遅れていたら転勤しちゃったので、もう取れませんでした

  やはりあの時に一人で継続してでも取ったのはよかったと思いました

そうは行っても、その資格が何かに役に立つということもなく

  単に自己満足の世界でしかないのですが

  そのことを思うと、ものすごく気分は盛り上がりますよ(^O^)

 

それに対して、いつまでもグジグジと引きずっているのが

  名古屋ウィメンズマラソンに参加しなかったこと

  なんとか抽選に通ってエントリーの権利も獲得したのに

  いつものわたしらしくなく、チョッと正攻法で攻めちゃったので

  事前の練習では関門もクリアする走りまで達したのに

  結局は参戦しませんでした

  そしてその直後にSRSを行い

  それから半年のドクターストップ

  ドクターストップが解除されても以前のモチベーションは取り戻せずに

  その後の転居もあって

  結局はティファニーのペンダントは手に入ることはなくなりました(^O^;)

もちろん参戦したからと言って

  必ず時間内に完走できる保証はないのですが

  本番のフラットコースに対して、10kmごとのup/down付きのコースで

  1時間の余裕での練習実績なので、何事もなければ完走できるはずで

  完走賞でもあるティファニーのペンダントが手に入ったかもと思うと

  取れる可能性にあったのは、あの時の一回のみ

  とっても残念な気持ちがず~っとくすぶっています

 

やっぱりタイミングを見逃してはいけないですね!