”ガクチカ”とは、学生時代にチカラ(力)を入れていたことを表す略語で
近年のコロナ禍でのリアル通学できない学生を読んだ
東京の就活情報会社が新卒採用の人事担当者から募集した川柳です
わたしの”ガクチカ”は?
それは迷わずにクラブ活動です
当然、”ガクチカ”なんて言葉のなかった頃
最後の学生紛争だった70年安保闘争に、がっちりと組み込まれた世代
一年の冬にストライキに入り
それから8カ月の学生による学校封鎖
その後、学校側からの2か月間のロックアウト
結局10カ月間、学生と言う身分は保証されていたものの
授業の全くない期間がありました
※この翌年は、初めて東大入試がなくなり、目指す大学の学生になれない方もいました
全国で最後まで残った我が分校(学部前の一年生の教養課程)自治会のストライキも解除され
授業が始まったのですが、通常の四年生三月の卒業に間に合わせるために
一講時90分だったのが110分に延長され
一日も最大5時限授業となって、一日フルにとれば8時から19時みっちりでした(>_<)
それでも経営学部はそんなもので卒業して行けたからよかった?のですが
工学部はそれでも3月には必要な履修時間が足らずに
正規でも5月7月卒業に延びていました
※企業側も、それで卒業できればOKという特例配慮はありましたが
そんな学生時代でしたが、バイトのない日はほぼ毎日車庫に出かけていました
その意味では、今のコロナ禍の学生と違い
車庫?? リアルで友人には会えていたのですがね!
そうなんです、わたしのクラブは自動車部
元々わたしはリケジョを目指していたのですが(^O^;)
高校三年の県下一斉テストで、数学をメチャクチャな点にしっちゃったので
理系から120度方針変更して
ブルー(カラー)とホワイト(カラー)の架け橋を目指して経営学部に進んだのでした
ですから元々機械が好きなのですが、授業では触れることはないので
クラブでは、というと自動車部しかありませんでした
そんなんでわたしの運転免許証は自動車学校ではなく試験場での直免ですし
部長先生ではなく直接わたし達の面倒見ていたおやっさんのおかげで
整備工場の傘下扱いになっていたので
わたし達が役員の時に自動車整備士の資格も取っちゃいました
そしてわたしのクラブ活動の集大成として、2台の車から1台を復元したりりしていました
それは学生紛争で学校が封鎖されている時にも、自動車部の車庫は工学部運動場脇にあったので
どんな時でも、行きさえすれば、いつでも車庫を開けて活動できたのでした
そういうわけで、わたしの就活は最初の会社一社のみだったのですが
その三次選考(雅叙園に一泊の合宿選考でした)の集団自己紹介で
「□大自動車部卒です。余暇に経営学をやってきました」と言ったので
その後の人事部長面接では一切学業のことは聞かれずに採用していただきました(^O^)/
その後会社に入ってから二級ガソリン自動車整備士も取ったのですが
この地に転勤で流れてきて
自動車関連協力工場の生産管理システムに携わるようになりました
その時、協力工場で扱う品目は、車の中の見えない部分で使われる品目ばかりなのですが
品名はもちろんのこと、大体どこでどのように機能しているのかもわかるのですよネ!
本来そのような知識は、生産管理システムそのものとは直には関係ないものなのですが
お客様からすると
普通は知られていない部品のことについて、わたしが知っているものだから
「さすがにいろいろと知ってられるのですね」と、信頼されてしまうのです(^O^)/
ある意味、私にとって学校で授業で習ったことよりも、仕事で直に役にたったことは
自動車部での活動を通して培ったものでした
三次選考で言った「自動車部卒です」という言葉は
本当にそうだったのだと思います
PS.履修票を出さずにに、もぐりで受けていた「統計学」の先生が
==>翌年、先生の指示で履修票を出すだけで単位をいただきました(^O^)/
最初の会社のコンピュータのお守りをしていて
そのコンピュータを使わせてっもらって
最初の会社の講座で習ったプログラムを書いて、「ラリーチャート」を作っていました