3匹の父ちゃん☆彡さんが
私の記事『「山小屋を作ろう会」の思い出!』にコメントをしていただき
わたしが40年ほどの昔に通っていた山小屋の現況を撮った
YouTybeno『トゥモローランド共和国訪問』というコンテンツがあるのを
教えていただきました
早速拝見させていただきましたが、懐かしくもあるのですが
誰も使っていない空間は、やはり物悲しいですね
オーナーであり、トゥモローランド共和国の首相のボスももういない!
このコンテンツの撮影者のシケタ公さんは
TV番組と同じようにGoogleMapで見つけたのかな、と思っていたのですが
国土地理院の地図を見て、とのことですが
よく見つけたなぁ~!
中の赤丸が母屋の寂尚苑で、左の赤丸が合宿小屋の梁山泊
そして右の黄丸の場所が、もう跡形もなくなっていましたが
わたしが参加することになった囲炉裏小屋寂憬庵を立てていました
お水は上の沢からパイプで引いていましたし
電気は発発とバッテリーによるインバータの併用でした
お風呂は母屋の中に、薪で沸かす五右衛門ぶろがありましたが
梁山泊を整備してからは、映像にも捉えられていましたが
大釜で沸かした露天のドラム缶風呂もありました
囲炉裏小屋を造っていた1982年は毎月一回土日に集まっていました
各地からお昼くらいに集まって、日のある間作業を行い
夜は宴会です
わたしの誕生日は九月で、ちょうどその時キノコパーティだったので
松茸一本いただいちゃいました(^O^)
翌日は午前中作業して
わたしは遠隔地なので早めに引き上げさせていただいていました
ボスは顔の広い人で、単に他地域から集まるだけでなく
地元の車屋さんや酒屋さんともつながり
その人たちも混ざって、子豚一頭の丸焼きパーティを開いたり
寂尚ラベルのワインを造ったりしていました
※ほぼ40年モノのワインですが・・・
「山小屋を造ろう会」は
西新宿で開かれていた異業種交流サロンである「都市小屋集」のメンバーが主体で
ある時にリアルな山小屋を造ろうということになったそうです
次にあげる記念誌の中でわたしも書かせていただいていますが
山小屋作りが始まって、会員募集をある雑誌に載せて、それで参加することになりました
この往復の時に、途中の街のランジェリーショップの娘さんとの交流もあったりして
二度ほど日帰りですが二人でスキーにも行きました(^O^)
※この記事は、私の参加のキッカケとなったものではなく
たまたま彼女(元奥さん)と一緒に訪れた時のモノで
右の写真は子豚の丸焼きです(^O^;)
最後に20年の記念誌に寄港したわたしの文章をUPしておきます
※冒頭で、”職業不詳・年齢不詳・性別は、わかっているか”となっていますが
”性別も不詳”でしたね(^O^;)
この記念誌にも書いていますが、わたしの20代後半から40台前半までの
”人としてのわたし”を確立していくにあたって、山小屋を訪れる人々との交流は
とても影響を受けていたと思います
その時にお付き合いいただいた人の中には
一晩二人きりで山小屋に泊まらせられて、わたしの初ディズニーのお相手だった方や
病気だったり、飛行機事故で亡くなった方もいらっしゃいます
そして年賀状や新茶でのお付き合いですが
まだ続いている方も何人かいらっしゃいます
==>当然年賀状を見ていらっしゃるので、わたしのことは伝わっていますし
ボスの葬儀の時には奥様はじめ、何人かのメンバーともお会いしてきました
ただボスからも何回となく
”一度会いたいから(東京に)出てこい!”と連絡はあったのですが
結局はお会いできませんでした!
無理にでもお時間を造って、お会いしておけばよかったな
と後で思いました・・・
わたしもまた一度訪れてみようかしら・・・
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