「山小屋を作ろう会」の思い出! | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

 

今日お仕事から帰ると郵便受けに一通のはがきが入っていました

先日送ったお茶のボスからのお礼状でした

  このボスは以前の会社の上司というのではなく

  「山小屋を作ろう会」という異業種交流会の代表で

  それこそお相手の紹介をしてくれたりして、いろいろとお世話になった方です

ただ昨年あたりからお身体を崩して、今は施設に入られているそうで

  今回お礼状を頂いたのは奥様からですが

  彼女とも何回かは山小屋でお会いしたことがありました

そしてわたしのことはボスから聞いていたのか

  年賀状を見ていて知っているのかはわかりませんが

  女性として対応していただきました(^O^)

  とっても感謝ですね!

ボス自身からも、もう一人の方と共に

  わたしのトランスに関してはいろいろと心配していただき

  何回となく東京に出てきた時には一度連絡してこい、と言われていたのですが

  結局はお会いしないで過ぎてきてしまいました(^o^;)

 

山小屋を作っている時は二年間くらいの工期があって

  わたしが参加したのは始まって数カ月経ったころ

  週刊誌に載った会員募集の案内を見て連絡してからで

  その後一年半くらい作業を行い

  既に立っていた母屋を拠点に茶室を作っていったのでした

 

場所は山梨県大月市近辺の高速バス停から歩いて行けるところで

  多くの会員が住んでいる東京地区のメンバーも必ずしも車ではなくても

  新宿からバスで来られるところでした

山小屋を作っている時には毎月一回土曜日のお昼に集まり

  午後一杯働いて、その夜は当然宴会です

  そして翌日、人に寄ってお昼までだったり、夕方までだったり作業して帰りました

わたしは当然車でこの地から通っていましたが

  帰りはお昼で上げさせていただいて

  途中浅間大社近くのランジェリーショップに立ち寄っていました

  このショップの店長さんはオーナーの娘さんで

  何回かはお酒を飲んだり

  日帰りでしたが近くのスキー場に行ったりしてしていましたが

  いつしか疎遠になってしまいました(^o^;)

たまには会員の家族を連れてくることもあって、その時はお子さんも来られますが

  会員としてはわたしが一番若いくらいだったので

  皆さんにかわいがっていただきました(^O^)

 

あれからン十年の月日が経ちましたが

  今でも上のお二人に、もう一人仙台に帰られた方との三人とは

  連絡を取らせていただいています

たしかにある時期大月の山小屋はわたしのかなりの部分をしめていて

  結婚してからも(元)奥さんを連れて二回ほど

  さらには上の子がまだ幼児の頃に一回一行きました

 

なんとなく懐かしくなって

  「山小屋を作ろう会」の記事がなにかないかなぁと思ってググってみました

  一件だけですが下記の記事が見つかりました

  週刊ヤマケイ 2015/04/30の記事です 

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巻頭インタビュー 人と山

○○ ●さん

山行の思い出を絵画で表現。

 

爺ヶ岳方面から鹿島槍ヶ岳、冷池山荘を望む

 

※○○さんの写真がこの場所にあったのですが削除しました

剱・立山連峰と種池山荘を背に

 

東京調布市の○○●さんから『週刊ヤマケイ』にお寄せいただける山行記には、いつも情緒あふれる絵が添えられています。山の思い出を写真に残す人、短歌や俳句に綴る人と、さまざまな方がいらっしゃいますが、今週は○○さんに絵の魅力を聞きました。

(聞き手=久保田賢次/『週刊ヤマケイ』編集長)

 

久保田:いつも、情景がほのぼのと表現された絵を添えていただきまして、ありがとうございます。○○さんが山で描かれるきっかけは、どんなことからでしたのですか。私どもとのお付き合いの始まりは、月刊『山と溪谷』に読者紀行文をお寄せいただいてからとうかがいましたが。

○○:本格的に山で描き始めたのは、30年ほど前に□□■■さんという方に出会ってからです。氏は会社の重役をしながら、ご家族で山に登り絵を描いて、『山と溪谷』に毎月絵と文を寄稿し、それを1冊の本にした方でした。

私は□□さんに「どうやって、こんなに上手く描けるのですか」とお聞きしたことがあります。氏は「何事も、トライだよ」と答えてくださり、その言葉がきっかけで山に行き、絵を描き始めました。

***

久保田:□□■■さんは、私もご挨拶させていただいたことがありましたが、日航機の御巣鷹山の事故で亡くなられた『子連れ山旅日記』(小社刊)の著者の方ですよね。

○○:はい、□□さんとは「山小屋を作ろう会」という異業種交流会でお会いしました。毎月1回、笹子の山の中で、様々な年齢の人々が集まって夜遅くまで語り明かし、翌日早朝から土木・大工作業をするという会でした。

私は氏の話に感銘を受け、お礼状を出したことがあります。そうしたら間髪を置かず、なんと出張先のドイツで書いてくれた手紙が届いたのです。忙しい仕事をしながら、私に手紙を書いてくれたことに、とても感動したことを思い出します。

***

久保田:これから、山で絵を描きたいという人に、アドバイスなどいただけますか。

○○:やはり、まず「トライ!」ですね。そして絵を描くエネルギーは、感動です。山を見て花を見て、美しいと思ったその気持ちを描いてみるのです。上手に描こうとする必要はありません。

ひとつ秘密の方法があります。少し高価な額に入れてみることです。そうすると、自分で描いたとは思えぬほど、上手な絵に見えてきますよ。

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