こんな処に昔のわたしが居ました! | わたしの夢はどこに・・・

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私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

今週末は元々日月と二日間で弟と母の事後処理で役所や金融機関を回る予定だったのですが

  先週始めに元の山小屋の仲間から連絡があり○○さんが亡くなられて

  金曜日がお通夜で、土曜日が告別式とのことでした

彼は、わたしが遠くだから無理してこなくても良いから、と言ってはくれたのですが

  ちょうど日月で横浜に行く予定があったので、一日早く三鷹に行けばよいだけなのと

  それ以上にその当時はいろいろとお世話になったので

  そうでなくてもお通夜は無理としても、せめて告別式には是非とも出席したいと思ったのです

 

それで今朝は告別式の10時半には間に合うように、というか一時間は余裕を持って6時に出ました

  今日は途中小雨にも降られながらだったので、当然富士山も顔を出してくれませんでした

ナビは圏央道から中央道に入るかと思ったのですが、東名を走り切って環八経由でした

  斎場には予定通りちょうど一時間前に着きました(^O^)

会場は既に受付の準備は出来ていて、記帳して会場とその隣の待合室に入りました

  そこには故人の世界各地を巡った写真や著した書籍のいくつかが展示してあって

  「ご自由にお持ちください」とのことなので、いくつかをいただいてきました

まだまだ若かったわたしがこんな処に居ました(^O^)

  このお写真はわたしが参加しだしたころで、まだ二十代かな!

  このあといろいろとありましたが、結婚したあとも回数は落ちましたが何回か通い

  その内数回は(元)奥さんも連れて行ったり、別働の片品ダルセーニョにも行きましたが

  何度も行きたいと言っていた館山瓢々亭には結局いけませんでした

 

待っている間に奥様ともご挨拶できたし、先ほどの瓢々亭のオーナーである□□さんとも

  何十年ぶりにお会いしてご挨拶できたのでとってもよかったです

ただお二人とも年賀状等でカムしているので

  違和感のある状態ならすぐに気づいてもらえると思うのですが

  ご挨拶するまで分からなかったようなので、取り敢えずは周りに溶け込んでいられたのかな(^o^;)

 

出棺したあと山小屋の仲間四名でお食事しながら少し歓談しようとしたのですが

  土曜日のお昼時、どこも一杯でまた改めて、と言うことで今日はここでお別れしました

 

次は母のこれからの入所の段取りの打ち合わせに担当のケアマネさんと連絡を取ったのですが

  三時までなら事務所にいるとのことで、ケアプラザに向かうことにしました

今日はそれが終わったら予定は終わりなので、近所の日帰り湯にでも行こうかな、と思った瞬間

  ”あれっ!”今回の本来の目的の手続きのために集めた戸籍謄本/除籍簿持ってきたかしら???

  どうも喪服やら数珠やバッグ等の小物の準備やらで持ってくる荷物にそろえておくのを

  忘れてしまったみたい・・・・・(;^_^A

 

今更どうしようもなく、この資料が無ければ月曜の予定は何もできないので

  今日はケアマネさんとのお話合いが終わったら、一度帰らないとなりません(ノ_-。)

ま、なげていても、なんともしようがないので、ケアマネさんの処には二時に着くように頑張ります

  ナビは一度中央道に上がって、首都高経由湾岸線で誘導していますが

  距離的には第三京浜経由のが近いはずなのとそちらの方が安いはずなので

  久しぶりの第三京浜です(^O^)/

 

ケアプラザには予定通り二時に着きました(^O^)

  母の取り敢えずのショートステイとしての入所手続きをお願いし

  併せてそれまでの入所継続をお願いしてきました

 

これでやっとお昼です

  最初に出てきたファミレスに入ってなごみ和膳をいただきました

これで今日は仕方なくお帰りです

  この時間帯なので、ICまでのバイパスもスムーズに、高速も順調でした

こちらに戻って、明日の為にGASの補給で行きつけのスタンドに寄ったのですが

  ちょうどいつもの彼女がいて、わたしの格好を見て「どうされたのですか?」と言うので

  「昔お世話になった方の葬儀で三鷹まで行って来たけれど、明日また横浜に向かうので!」

  と返すと、「それはたいへん! お気を付けてくださいね!」と言ってくださいました