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「自己受容とはなにか?」「どうしたら自己受容できるのか?」について考えてみました。
 
まず気が付いたのは、自分自身に向けていた言葉や態度が厳しすぎたということです。他人に置き換えて考えてみると相手を傷つけてしまうような言葉がけを、自分に対しては平気でやっていました。
 
「自分が悪いことをしたり考えたりしないように、常に気をつけていなければならない」と思いこみ、自分を監視しなればと考え、自分を信頼していませんでした。
 
 
では、自分自身に対してどういう言葉を使えばいいのでしょう。
もし、イライラした娘が、私の目の前にいたとすると、「話を聞いて、整理や共感をする。見守る。」を心がけます。
 
娘のイライラを止めようとしたり、叱ったり、娘に怒りをぶつけたり、否定してしまったら、娘との信頼関係にヒビが入ります。
 
ところが自分相手になると、イライラを消そうとしたり、考え方を変えようとしたり、感情を抑え込んだり、「何かをさせよう。変えよう」としていました。
 
これだと、まず自分を受け入れることができていませんよね。自分の気持ちを無視し、気持ちを変えようとして頭から否定してしまっています。
 
 
思考しているのは意識(顕在意識)です。私はたった数%しかない顕在意識が「心=意識だ」と思っていました。反対に無意識(潜在意識)は90%以上あります。
 
「顕在意識は私自身ではなく、私の一部である。」そう捉えてみると、心を全部コントロールするのは無理があります。私はずっと、自分の気持を尊重せず、顕在意識で自分を支配しているつもりで過ごしてきました。
 
これでは自分を攻撃して戦っている状態なので、自己受容とは正反対です。攻撃する自分と守ろうとする自分の間で争いが起きますよね。
 
自分の感情でも他人の感情でもそうですが、感情を否定してしまうと、理解されない苦しさが、元々持っている苦しさに上乗せされてますます苦しくなります。
 
 
ここまでをまとめると…
他人に向けると相手を傷つけてしまう言動を自分自身に向けると、自らを傷つけてしまうということになります。
 
自己受容とは
 
・自分と仲良くなる
・他人に置き換えて考えて、自分も尊重する
・自分自身に寄り添う
・自分を責めない。戦わない。
・自分を優しい目で見る
 
ことだと、私は考えています。
 
 
身体が「ノー」と言うときで出てきた「無条件の思いやりをもって自分を見つめる」というのはそういうことではないでしょうか。

 
ここまで考えたので、試しに自分自身に対して、娘に接する時に心がけているような態度で接してみました。
 
他人が相手なら、接し方をかえてもわだかまりが残りやすいけど、自分相手なら残りません。すぐに変化に答えてくれると思います。
 
 
 
■やりたくないことはどうする?
・本当に今、やらなければならない事なのか考えてみる。やらなければならないと思い込んでいないか振り返ってみる
・面倒だよね。大変だね。など、自分に共感する
・自分の本心に聞いてみる
・どこまでならできるか、どれならできるか自分と相談して、それを実行する
 
こんな感じで考えて自分と接するようになってから、自分を責めなくなったので気持ちが楽になりました。
 
「やらなきゃ…」と葛藤している状態は、気力を使うので良くありません。自分を責めている状態でもあります。
 
最近はやりたくないと思うことが減ったし、逆にやろうと思うことが増えました。やる気が溜まりやすくなったような感じがします。
 
あんなに掃除嫌いだった私が(笑)掃除が楽しいと感じるようになって、以前よりも積極的に掃除するようになりました。
マットを干すためにベランダの手すりをちょっと拭くだけのつもりが、なぜかベランダの大きい窓も無心で掃除してたりします。
 
やりたくないことでも、本当に必要なことならやりますし、何もしていない時でも、自分を責めたりしないでその状況を楽しみます。
 
■困難な状況にどう向き合う?
もし娘が困難な状況になったらどうするか?↓こんな感じで気をつけます。
 
・話をきく
・状況と娘の話を整理する
・共感する
・コンプリメントする
 
(コンプリメントするというのは、この場合は少しでもできているところ、やろうとしていることをみつける。娘の存在そのものを喜ぶ。ことです。)
 
困難なときは辛いと感じている自分に寄り添い、自分が自分の一番の理解者であり、味方であること」が必要だと思いました。
 
「人に話を聞いてもらったり、人とふれ合ったりする」というのも大事なのですが、私の場合はまだハードルが高いです。
 
(ちなみに、コンプリメントトレーニングでは「ピンチはチャンス」と考えます。ピンチの時こそ大きく成長することができるし、失敗しても成功しても得られるものがあります。)
 
■「頑張らなければならない」と思うときはどうする?
そもそも、「なぜ頑張らなければならないと思っているか」を考えてみます。
 
・本当にその頑張りは必要なのか?
・なんのために頑張るのか?
・頑張ったら何が起きるのか。
・何を得られるのか
 
もちろん自分が頑張りたい、あるいは頑張らなければならないと思ったら頑張ります。でも意外と「本当に必要なこと」って少ないのです。
 
対人関係でも、相手の気持ちや状況を無視して人を物理的・精神的に動かそうとするのは無理があります。
 
子どもの怪我や命に関わるような状況を除けば、「人に言うことをきかせる」ことはできません。
 
表面上はできたように見えたとしても、それは「相手を力でねじ伏せたから」にすぎないから。
 
同じように、自分の気持ちや状況を無視して力づくでねじ伏せようとすれば無理が生じるはずです。自分が最も、自分を大事にしていことに気がつきました。
 
この記事でも受容について気づきがあったのですが、これは主に身体に対しての考え方の変化が大きかったです。
 
今回は精神的な意味で大きく考え方が変化したということで、この記事に書いた気づきがあったから、いま書いている記事があると思います。
 
 
自己受容するために、何らかのボディワークをするのも良いと思います。
 
あとは、自分ができてないところを気にしてしまうと自分を責めることにつながるので「ここまでできた」「大丈夫、大丈夫」「すごいね」などと認める。温かい目で見る。「時には反省することがあっても、自分を責めずに失敗を次に活かす」
 
対人関係でも、誰かにいつも一方的に責められたり批判されたりしていると、苦しいし辛いです。それと同じかなと思います。
 
 
今のところはこんな感じで過ごしています。「受容」としか表現できないのですが、そういうものが自分の中心に据えられた感覚があると同時に、ゆったりした気持ちになれることが増えてきています。
 
 
ただ…昨日、1つ人格を統合したのですが(意図的に統合した)まだ統合する必要が何回かあることに気づきました。
 
いまのところ、今回はフラッシュバックはないです。感情の感じ方がクリアになるなどの変化はあります。
 
「人と関わらなくても全く寂しくない、嫌われても平気」というのは、明らかに不自然で、解離している可能性が非常に高いです。
 
「辛かったはずなのに辛さがない…。」この状態は人格解離させていると思うので、統合しようと試みています。
 
この人格が自己受容とは正反対のことをしていて、私を「上から押さえつけよう、孤立させよう。」としているので、自己受容の継続が難しいのです。もちろん、私を守るためにしているのですが、もう守られなくても大丈夫なのです。
 
色々とスッキリしてくると、自分の中でなにがおきてるのか、少し構造がわかるようになってきました。統合できたら人とのコミュニケーション能力が向上すると思います。
 
この話は統合できた時に、昨日の統合も含めて記事にします。
 
【追記】
↓現在は完治しています。
 
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