◆簡単なプロフィール

夫と娘と3人で暮らしています。(2022年9月現在、48歳)

 

幼少期から複雑な家庭環境で育ち、10代後半で精神疾患を発症して重度の人間不信に。

 

複雑なトラウマの影響で、人と話すことや人と同じ空間にいることが極端に苦手になり、対人関係を築くことが困難になりました。

 

26歳で結婚して娘を出産。夫の借金、私の病気(化学物質過敏症、精神疾患ともに完治)娘の不登校…と色々ありましたが、現在は穏やかに暮らしています。

 

 小さな頃から人が怖く、周囲の顔色を伺って自分の気持ちを言えない子どもでしたが、いまは自分軸になり、自分の意見も気持ちも言えます。

 

我慢しすぎて自分の気持ちがわからなかった私ですが、楽しいこと・やりたいことに集中できるようになりました。

 

 ※このブログは2008年から個人的に書いていたもので、私の体験や変化を綴っています。途中から仕事のことも書くようになりました。


 

◆詳細なプロフィール・経緯

父、母、兄の4人家族の末っ子として生まれました。小さい頃は近所の子どもたちと遊んだり、隣のお宅にお邪魔したりと、よく遊んでいました。

 

私が幼稚園生の頃に母と父の仲が悪くなり、夫婦喧嘩の場面に遭遇してしまったこともありました。

 

母はいつも機嫌が悪く、私が話しかけても何も答えてもらえないことがよくあり、「明日から、幼稚園バスのバス停から一人で行き帰りしなさい」と言われ、放りだされたように感じたことも…。

 

父は私にはとても優しかったけど、ひとつの所にじっとしているのが苦手な人で、家をあけることがよくありました。

 

「私のことをわかってくれのは父だけ」そう感じていた私は、いつも父が帰ってくるのを待っていた気がします。

 

私が小学校1年生の12 月に両親は離婚。母が家を出ていったため、父と兄と3人で暮らすようになりました。

 

父は料理がてきなかったけど、できないなりに頑張っていて、仕事から帰るとお鍋でインスタントラーメンを作って、私達に食べさせてくれたりしました。

 

大好きだった父との時間が増えたのもつかの間、父は徐々に家に寄り付かなくなり、家に帰ってこなくなります。

 

1年生の春休み。私と兄は近くに住んでいた祖父母にいったん引き取られ、数カ月後に母に引き取られました。

 

父とはそのあと数回会いましたが、しばらくしてまた連絡がとれなくなり、そのあと数十年間、音信不通に。

 

もともと2歳年上の兄に意地悪されたりいじめられることはありましたが、家庭環境の変化がストレス になったのかいじめがエスカレート。

 

母は夜働いていたので、仕事でいないときは兄の虐めから逃げることができず、私は小学校3年生の頃から「死にたい」と思うようになったのです。

 

母と私の関係は相変わらずで、いつも不機嫌そうな母を怖いと感じ、母の顔色を伺っていました。

 

父とは連絡が取れず、頼る人も相談する人もいないし、他の人に相談するという発想もありません。

 

中学生の終わり頃には不登校がちになり、高校に進学したものの中退。この頃は生きていく気力がない状態…。

 

その後、仲が良い友達と夜の街に遊びにいくようになり、家に何日も帰らないことがよくありました。夜の街で出会った、Aさんという男性と付き合うようになりました。このころは色んな人と出会いましたが、自由を感じたし楽しかったです。

 

Aさんはとても優しくて、頭の回転が早い人でした。「この人は私のことをわかってくれる」と感じ、どんどん彼に惹かれていきました。

 

今になってみると、この時はAさんに父を重ね合わせていたと思います。

 

付き合い始めてから1~2か月たった頃、Aさんにレイプされました。

 

Aさんに「なぜあんなことをしたの?」と質問したことはないのですが、

当時処女だった私はセックスについて抵抗があったので、Aさんにとっては「1回やっちゃえば気にしなくなるだろう」とか、独占欲などが理由じゃないかなと考えています。

 

(このブログはもともと私が個人的に書いていたものなので、その頃の話は↓この記事に書いています。)

 転機① 

 

 

 

 普通はここで彼氏と別れると思いますが、私の場合は違っていました。

 

 

自分のことをわかってくれる人が誰もいないと感じた環境で育った私は、Aさんに対して依存や恋愛感情もあったので「レイプをなかったことにして、このまま付き合い続ける」という選択をします。

 

 

レイプは魂の殺人とも呼ばれ、トラウマとしては大きな部類に入ります。

 

人は大きなトラウマを受けると、衝撃から自分を守るために自分の一部をを隔離することがあります。この状態になると記憶はあるけど感覚が薄くなったり、辛い出来事が思い出せなくなったりします。

 

こちらの記事でも紹介していますが、

 

大きなトラウマ体験は、日常生活で普通に起こる体験とは違い、自分の中で咀嚼することができません。大きすぎるし衝撃が強すぎるのです。

 

そこで、自分の心が壊れないように守るため、普段は使わない場所に隔離して冷凍保存します。

(トラウマを受けたその瞬間のまま冷凍保存された記憶が時々出てくるのがフラッシュバック。)

 

私もトラウマを冷凍保存状態したので、レイプは覚えているけど、たいしたことではなかったと感じるようになってしまいました。

 

だからそのままAさんと付き合うことができたのです。でもトラウマを感じなくなったからといって、トラウマがなくなるわけではありません。

 

Aさんは私に色々なことを隠していたので、不信感から私の心は徐々に壊れていきました。

 

結局2年くらい付き合っていましたが、別れるころには私はもう精神的にボロボロで、自分で自分を支えられなくなっていたのです。

 

確かに嘘はついているけど、Aさんが私に対して愛情を持っていたのも本当なので、信じられない気持ちと信じたい気持ちの間で大きく揺れ動き、苦しみました。

 

あまりに苦しかったので、感情を持たないように捨てるようになりました。

 

(このへんはもともとのトラウマとも連動していて、離人症になりました。同時期に複雑性PTSDと内在性解離を発症していたと思われますが、自分の症状を話すことができなかったので、診断はされていません。)

 

Aさんと別れてからは人を信用できなくなり、心を許したらまた騙されるのでは…という恐怖や対人トラウマから、人と同じ空間にいることが困難になりました。もちろん挨拶程度の会話も無理でした。

 

例えば、溺れたことがある人が海やプールに近づくと、身体が動かなくなったり、震えが止まらなかったり、頭の中が真っ白になったりします。

 

私の場合は、このトラウマ反応が対人関係において特に強く出るようになり、社会生活が困難になりました。

 

自分の気持ちも相手の気持もわからないし、思考は砂のようにどんどんこぼれていくし、毎日生きるだけで大変でした。

 

そこから少しづつ回復させていき、2018年にエモーションフリーに出会います。

 

私の場合は問題が複雑化していたり、こだわりや自己防御が強かったりしたので、ちょっと時間がかかりました。

 

でも他のツールでは、ここまでのスピードは望めなかったとも感じています。

 

自分の気持ちも、やりたいことも分からなかった私が、楽しいことや自分がやりたいことに、ワクワクしながら向きあえるようになりました。

 

あきらめが強くて「どうせ無理」「やっても無駄」と自分を信じることができませんでしたが、いまは目標を立てて行動できるようになりました。

 

 

自分ではあまり感じてないのですが、人に私の過去を話すと「壮絶ですね。」といわれます。その私でもここまで変わることができるのです。

 

 

変わりたいと願い、行動し続けていれば、必ず人は変わることができる。と私は信じています。

 

 

↓私がどのくらい重症だったかは、こちらに書いています。

 

 

 

ちなみに精神科医には「診断名はつけないほうが良い」と言われ、最後まで私の症状と合致する診断名はつきませんでした。