明日から4月、東京では桜の見頃のピークを超えたと言うのに、ここデンマークは気温が5度まで上がらない、異常に寒い毎日です。
でも明日は復活祭!気持ちは再生に向かっています。
昨日の聖金曜日は、キリストの受難と死を記念する荘厳な儀式とミサに行ってきました。
それで、と繋げるのは無理があるかもしれませんが、ブログ再開第1回の今日は、キリスト教のクリスチャン・ネームと仏教の戒名について書きます。
例えばカトリック教会では、通常、生まれると直ぐに洗礼の秘跡を受けます。そして洗礼名/クリスチャン・ネームを授かります。
洗礼名は、聖人の名前から選ばれます。カトリック・カレンダーには、毎日その日の聖人が決まっているので、生まれた日や、その日に近い日の聖人の名を頂いたり、好きな聖人の名を頂いたりします。
その聖人の日は、誕生日と同様「名前の日」として、特別なお祝いの日になります。
名前を頂いた聖人は、その人の守護聖人となり、無意識のうちにその人の人生に影響を与えます。
日本人の多くは、仏教徒で、亡くなると戒名を授かります。それで戒名は亡くなったら授かるものと思っている人が多いようですが、戒名というのもクリスチャン・ネームと同じで、本来、仏教徒になろうと思った時、つまり、生きているうちに授かるものだそうです。
人間の死亡率は100%。
いずれ仏教徒になるのなら、何故もっと自然に早くから授戒して、仏の道を真剣に学ばないのかな?と不思議に思います。
デンマークでは、クリスチャンでないと教会の墓地に埋葬や納骨される事は許されません。洗礼の秘跡を受け聖別されていないと、聖地である教会内の地には属せないというのが理由です。(こう書いた後で調べたら、クリスチャンでなければいけないのは、教会で葬儀を行う事、牧師を呼ぶ事で、教会墓地に埋葬されるは、誰でも大丈夫、ただ国民教会のメンバーでないと値段がより高い、と書いてあったので、訂正します)
デンマーク国民は、外国人以外、90%がプロテスタントの国民教会に属しています。中にはお墓の問題があるので、宗教心は浅く、礼拝にも殆ど行かないけれど、教会税を払い続けていると言う人もいるそうです。
それは、寺院が管理する墓に納骨するのに戒名が必要なので、亡くなったらお布施して故人に戒名を授ける、と言う日本の戒名システムにどこか似ています。
これは現代人の非宗教化が原因で、いつクリスチャン・ネームを授かっても、戒名を授かっても、それは文化の一種で、信仰とは関係ないので、結局同じと言うことなのかもしれません。
私は24歳の時に自分でカトリックになる決心をしました。
宗教と信仰を無視して幸せにはなれないと思ったからです。
私はそれが良かったので、皆んなにいいと言いたいけれど、はっきり言って、わかりません。
どう生きるか死ぬかは全て一人一人の選択です。
でも最期は必ずそして突然やって来るので、いつも準備しておく必要はあるとだけは、はっきり言う事が出来ます。