先週、母が亡くなりました。
希望通り自宅で、父に看取られて逝きました。
4月の初めに退院して来た時は、おそらく後2週間の命だろうと言われていたのに、鼻と脚に付けられていた人工的な管を外してしまったら、不自然に浮腫んでいた体が引き締まり、少しだけれど口から食べることもできるようになって、約3ヶ月、父と娘たちに母らしい細やかな気遣をしながら、患者ではなく母として穏やかに過ごすことが出来ました。
いつお迎えが来ても不思議ではない状態だったにも関わらず、あの日がその日だとは誰も思っていませんでした。
その日の午前中、父はいつも通り、母に「いってらっしゃい」と見送られ、週2回のお楽しみとなっているグランドゴルフに出かけました。そして、午後はいつもそうしていたように、母のベットの横に座って、母の手をさすりながら、話しかけたり、うとうとしたりして過ごしていました。
母の魂が体から去って行ったのは、そんな日常の流れの中でした。
父に呼ばれて妹が台所から駆けつけた時、母はすでに旅立った後でした。
苦しみのない、静かで美しい最期でした。
母の訃報を私が受け取ったのは外出先でした。
4月、5月、母の側で過ごし、6月上旬にデンマークに戻っていました。
母の最期に立ち会えないことは、38年前結婚した時から覚悟していました。
出先から急いで帰宅して、ビデオ通話で母のエンゼルケアに立ち会うことが出来ました。
いい時代になりました。
翌々日のフライトで再び日本にやって来ました。
しっかりものの母が段取りを全て整えてくれていたので、葬儀はスムーズに執り行われました。
母は白木位牌となって家に戻ってきました。遺骨は母の好きな桃色の骨壷カバーにおさめられています。
私が1ヶ月しか滞在できないことを知った住職さまのご配慮で、納骨を早めていただくことができました。
月命日を待つことなく納骨をする予定です。
在宅終末介護に関わってくださった全ての皆さまに心から感謝します。
そして、誰よりも、最後の最後まで自分よりも周りの人に心配りを絶やさなかった母へ……
ただいま〜、とドアを開けても
おかえりなさ〜い
か細い声が聞こえてくることはもうありません。
覚悟していたはずなのに、寂しさはジワジワとつのるばかりです。