森の白いアネモネの花が本格的な春の訪れを知らせてくれています。
今朝のデンマークは、米国要人たちによるグリーンランド訪問が中止になったと言うニュースで盛り上がっていました。
当初の予定は、バンス米副大統領夫人と米代表団が、グリーンランドを訪問し、犬ぞりレースに参加すると言うものでしたが、代表団はバンス米副大統領自身が率いるものの小規模で、しかも、夫人と一緒にグリーンランドにある米軍のピトゥフィク宇宙基地を訪問するだけ、と変更されたそうです。
いや〜〜グリーンランドの人たちは、最近のトランプさんの発言に本当に怒っていますからね!
ピトゥフィク宇宙基地は米国領なのだからご自由にどうぞ!ですが、のこのこデンマーク自治領のグリーンランド内に踏み行って、しかも伝統行事の犬ぞりレースで領主ヅラでもしようものなら、ブーイングだけではなく、思いっきり卵か何か投げつけられていたかも知れませんからね〜!
何事も起きなくて、とりあえずホッとしたってところでしょうか?
さて、今日は、先週聴きに行った、デンマーク王立バレエ団元芸術監督、フランク・アンダーソンによる講演会について書きます。
フランク・アンダーソンは何年か前に、ローザンヌ国際バレエコンクールでも審査員長を務めていらしたこともあるし、日本でも、少なくともバレエ関係者の間ではある程度名前が知られている方なのかも知れません。
デンマークのバレエ界では、とても有名な人です。特に、昔を懐かしむシニアが多い「バレエ友の会」のメンバーたちの中には、彼が芸術監督だった時代を懐かしむ人が沢山います。
70年代にデンマーク王立バレエ団でプリンシパルとして活躍したダンサーでしたが、その後1985年から1994年まで芸術監督を務め、1995年から1999年までスウェーデン王立バレエ団で芸術監督を務め、その後2002年から2005年まで再びデンマーク王立バレエ団で芸術監督を務められた方です。
1992年と2005年に開催された、第2回、第3回ブルノンヴィル・フェスティバルを成功に導いた立役者です。
1976年のアメリカ遠征が大成功だったことが皮切りになって、ソリストたちによって「ブルノンヴィル・グループ」が結成されて、70年後半から、毎年のようにアメリカに旅立って、アメリカ各地、大小の劇場で、ブルノンヴィルを踊って、さらには世界にも飛び立ってブルノンヴィルを広める活動が行われました。
そして、その中心人物として大活躍したのがフランク・アンダーソンでした。
85年に初めて中国に渡り、95年から中国の北京を拠点とする、National Ballet of China(NBC)中国国立バレエ団で本格的にブルノンヴィルの指導を開始しました。
講演では、素晴らしい才能が溢れた中国で指導する喜び、文化の違いからマイムを指導する時の苦労話などなどを、昔を懐かしんで、それは楽しそうに語っていらっしゃいました。
1999年にはZhu Yan主演で『ラ・シルフィード』を中国ではじめて舞台に上げることに成功し、その後の再演にも尽力されました。
2000年には北京ダンスアカデミー(BDA)での指導も開始して、公認講師も務められました。
2019年までに幾度も中国に渡って、ブルノンヴィルの『コンセルヴァトワール』『ラ・ヴェンターナ』を舞台にあげました。
コンテンポラリー部門でも、Wang Yuan Yuanと出会い、友情を育み、北京ダンスシアター(BDT)の仕事にも情熱を注がれたようでした。
コロナが落ち着いて、中国にも自由に行けるようになったけれど、2019年以降の活動に関しては触れていませんでした。
もうすぐ72歳になるフランクさんですが、まだまだこれからやりたいことが山ほどあるし、しますので!と言った力強さが感じられる講演での話ぶりでした。
どうか頑張ってください。
2014年には『中国のデンマーク王立バレエ団』と言う本をBDAの教授と共同で編集し、出版して、その本の中で、ブルノンヴィルとそのバレエ人生、王立バレエ団の歴史を詳しく紹介しています。
「BDAには1600人の生徒、400人の教授人がいるんだ!」「しかも、逸材だらけなんだ!」と語ってらっしゃいました。
インターネットで検索すると、バレエ部門だけに本当にこれだけの数が当時BDAにいたのか?この数字はちょっと怪しく感じられるのですが、とにかく、デンマークでは(日本でも同じでしょうが)考えられない規模のバレエ教育が行われていた(いる)そうで、中国の規模の大きさには驚かされました。
しかも、当然、国立です。
卒業試験にも審査員として参加したことがあったようですが、何十人もの卒業生がいて、全員が就職を約束されていたそうですが、北京のバレエ団に就職できるのは、ほんの数人で、他の人が、どこでどんな仕事につけたのかは不明だそうです。
これまた、ダイナミックだけど、過酷な中国に、本当に驚かされました。
新しいもの、古いもの、これだ!と思ったら貪欲に取り入れて、物にして、必要ないものは容赦なく削って、前進する、中国には、これからも益々驚かされることがありそうです。
上にチラリと書いた本の原文ですが……実は日本語にも翻訳されています。
でも、日本では出版されませんでした。
読む人がいないって言うのが理由だったようです。
中国の本は、Daloonと言う、冷凍春巻きの生産元としてデンマークでは知らない人がいないほど有名な会社が、バーーンと資金を提供してくれて出版が実現されたそうです。ちなみにDaloonは中国人の移民が1960年代にはじめた会社です。
日本ではお金を出してくれる人がいなかったのでしょう。
とても残念です。