平法と兵法 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

 

 

古代中国の軍師「諸葛孔明」は戦いで兵法を駆使したが、野人兵法は平法であり丸く治める平和法。

 

兵法とは戦いにおける用兵・戦法であり、有史以来人類は兵法を駆使して戦争を繰り返して来た。

世界の文明・国家間の攻防然り、今この瞬間も大勢の人達が戦争で命を落とし、国内でも覇権を目指して戦いは繰り返された。

 

戦いのすべては農業の定着から始まり、持つ者と持たない者、土地の所有権が生まれ、食料や資源の奪い合いを繰り返している。

動物もまた縄張りを持ち、食料を奪い合う本能を持っているが、人間は分かち合い助け合う優しさも持っているはず。

 

争いの元は人間独特の価値観から生まれる欲と思想。

脳の構造は同じでも個々の思いや考えは異なり、個人同士の争いは部族同士・国家同士の争いにまで広がって行った。

 

価値観・思いの違いの最たるものは宗教であり、宗教間の争いだけでなく主観の違いから生じる内部紛争は熾烈を極め、大勢の人達がその犠牲になった。

慈悲をもって人を救うのが宗教のはずだが、何故こうなるのか。

宗派・思想を超えて人を救うことは不可能なのか。

人間の価値観と宗教が穏やかな方向に向かえば争いは絶える。

 

学校での歴史の学び方では肝心なことがわからない。

学ぶ目的は過去を知ることではなく、温故知新、過去から学び過ちを繰り返さないことなのだが、教科書からは学ぶべきこと、進むべき道が見当たらない。

 

本格的に歴史の探究を始めたのは30過ぎてからであり、購読を続けた歴史読本などの文献や歴史資料を漁りながら、世界・国内の戦いの理由、勝因敗因などを調べ尽くした。

史跡には関心がなく、国内の合戦の原因、勝因、敗因をすべて頭の中に入れたが、些細なことで歴史は変わり、その度に多くの人が犠牲になった。 「孫氏の兵法」は野人には不要だった。

原因が解決出来なければ争いが待っている。

 

探究は一般的な歴史学の領域をはるかに超え生命の進化の歴史を融合させた、生命の誕生から、植物・動物の仕組みまで。

「求める理論が存在しないと15歳で放棄した現生物学」ではなく、自然界から学び続け独自の理論を組み立てた。

 

観察中心の現生物学とはまったく異なり、すべては成るべくして成る道理が明確、野人は生物学と歴史学に長年培った単純な野人物理学を持ち込んだ。 そうすることで現学問の間違いから生まれた問題、争いの原因も見えて来た。

原因が明確になれば解決法への道も開ける。

 

物理的視点で見る意識中心の生物学・生物史と人類史を融合させた生命歴史学」、これがなくして野人理論は生まれなかっただろう。 意識と指揮系統の解明なくして生命は語れない。

これが加わることにより、自然界のあらゆる災い・毒物・病から身を守る「水流護身術」も磨きがかかったが、完成にはもう少し時間がかかる。

 

兵法は日常の暮らし、仕事にも応用されている。

こうすれば漁や狩りが出来る、こうすれば結果が出るという思考。

営業戦略と言う言葉も使われているが、戦いではなく計画だな。

 

間違いと原因を特定、こうすれば問題は解決、争いも治まる。

これが野人平法であり哲学、伊勢に集結した大勢の人達と共に近々世界に向けて始動する。

 

目立たず、争うことなく水のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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