現在の主食副食・ほぼすべての食材の何がおかしいのか。
そう考えるのは当然であり、おかしくなければがんや他の病不調にはならない。
何かを「間違えた」と理解・確信しない限り思考は進まない。
これまでわからなかったのだから同じ順路で考えてもわかるはずもない。
他の動物、日本では人類に近いニホンザルと食材を比べればよい。
猿は木の実、昆虫、小動物、草花など食べ、人は穀物、果物、野菜、大動物、小動物、魚介類などを食べる。
猿も人間も動物性、植物性の食材、雑食、人間はそれらの加工品。 食域は大差なく同じようなもの。
次に、山菜と野菜、木や草の種とナッツ・穀物、野生肉と畜産肉などは何が違うのか。 大きさは多少違っても色や形は似たようなもの、
ほんのり甘酸っぱい木の実と酸味がなく強烈に甘い果物、アクが強い山菜とまったくアクがなく大きな葉でも生食出来る野菜、スッキリした野生肉の脂肪と過ぎれば胃がもたれる畜産肉の脂肪・・差はいくらでもある。
味が異なるのだから当然成分も異なり、主成分は同じでも微量成分に差があり、食べた結果、体調においても大差が出る。
これらのことから猿が食べる野山の食材と人間が作った食材は似てはいても「まったく別物」と考えるのが前提だな。
養殖ブリやタイと、天然ブリやタイとの違い、豚肉と猪肉の違いなど、誰でもわかるはずなのだが、栄養学上では同じものらしい。
だからそれ以上探求が進まない、いや・・進めないのだろうな。
進むには、学問の基盤から変えるしかない。
天然のブリやタイやシマアジが好物の野人は、養殖されたそれらは食べられず、間違えて食べた瞬間に吐き出す。
現常識・学問がどうであろうと別物には変わりないのだから、さらに思考を進めればよい。
そもそも誰もが疑いすら持たない「生物に成分・養分が効く・作用する」と言うことに無理があり、無理がなければ、現健康学・栄養学、サプリなどで健康は保てるはず。
半世紀以上そう言い続け、実践してきたのだから。
顕微鏡での観察・化学実験からの思考であり、成分が効いているのだろうという推測に過ぎず道理はない。
結果も出ないのだからそれらはすべて関係がない。
単純明瞭だな。
では、見える成分養分でなければ何が関係するのか。
顕微鏡で見えるものが関係なければ、その逆、見えないものが関係ある。
コインの表でなければ裏しかなく、それと同じだ
見えないものとは「意識」であり、生物なら当然のことで、意識など存在しないという人もいない。
現実に存在するのだから解明すべきだが、人知ではわからないから放置している。
心身の活動に働かない意識などなく、不可欠な力なのだから立派なエネルギーであり、意識からの指揮なくして筋肉は動かない。
意識本体、心身各部の機能維持、指揮系統を内容がやや異なる「エネルギー」として考えればよい。
「ビタミン・ミネラルや酵素」が色んな働きを・・と言うが、生物として明確な意思を持たずしてそれらが働けるはずもなく、単なる化学反応と言うならだれがそれをお膳立てして結果を出しているのか、それなくして理論とは言えない。
科学・学問にはないこのエネルギーは野人なりに解明しているが、まだ探求中だ。
意識は有機でも無機でもないのだから、成分養分とは最初から関係がない。
では、何が関係するのか。
続く・・ 次回終章
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