エネルギーと成分の関係 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

5月2日の記事「完全な生命エネルギーとは」の補足解説だ。

 

生命エネルギーとは生命維持の常識では何に当たるか

 

常識では動物の動力はカロリー 維持制御は栄養・ビタミン・ミネラル。

この生命維持制御の栄養・ビタミン・ミネラルに当たるのが生命エネルギー。

生命エネルギーを必要とするのは同じ生命エネルギー体である意識なのだから、意識に栄養ビタミンなどの成分は関係がない。

 

体に良いと言われるものも完全な体調復元とは関係がない。酵素、ミネラル、ビタミン、善玉菌、発酵菌、繊維質、有機栽培、発芽玄米、水素、電子、他何とか水、何とか成分・・

そもそもそれらが足りないから不調になったわけではない。

 

 

「健康と成分は直接関係がなく、それらが足りないから不調になったわけではない」

 

関係がない理由はこれでも十分だろうが、補足する。

エネルギーに関しては一言では解説出来ないから関連記事を参考に。

エネルギーと成分との関係を解説する。

 

生命に関する学問は「成分」を基盤に組み立てられているが、協生理論は「生命エネルギー」が基盤で、最初から全く異なる。

 

心身と言う言葉は常識として使われ、生き物は心身で構成される。

身は見ることが出来る細胞だが、心は見えないのだから細胞ではない。

心は意識であり、意識が意思決定して身である体は動く。

指揮官である意識と指揮系統なくして体を動かすことは出来ない。

 

意識が体の指揮系統を司っているが、指揮が及ぶのは筋肉だけであり他には及ばない。

及ばずとも臓器や血液や皮膚は独自の活動で維持制御しているのだからそれぞれに指揮系統が存在する。

 

意識と指揮系統は生物にとって体と並ぶ重要な機能。

現在の学問は意識の仕組みが完全に抜けている。

成分とは細胞を構成する元素・化合物などで、意識とは全く関係がない。

 

体の機能はほぼ同じでも意識は異なり、指揮の仕方も体の使い方も能力も皆異なる。

しかし、人にとっても動物達にとっても最も大切なものは意識ではないのかな。

 

「人は成分を見て生命を見ず」

成分ばかり見て生命が理解出来るはずもない。

だから病不調の原因すらわからず、わからないから治すことも出来ない。

 

電気は見えずとも科学の中心であり、電気なくして文明もあり得ない。

意識も同じで、意識の解明無くして人体の解明などあり得ない。

科学者は誰もやろうとしないから野人がやっている。

参考文献も世界にはないから基盤から組み立てている。

 

意識は何で構成され、どのように維持制御されているのか。

体同様に、意識も活動するには動力が必要であり、制御にもエネルギーが必要。

 

体に成分が必要と言うのも道理に無理があるが、意識も同じ。

「本来」の仕組みがわからなければ、成分が効くかどうかなど関係がないことだな。

頭痛薬、風邪薬など、効けば重宝するが、健康とは関係がないのと同じ。

 

成分は薬にも毒にもなるが、何故そうなるのか。

成分が持つエネルギーのベクトルが作用すると考えたほうがわかりやすい。

ベクトルとは作用する力の方向と力の大きさだ。

エネルギーの質は・・誰もわからんのだから電気でも何でもよい。

 

協生理論の基盤は生命エネルギーであり、成分は細胞を構成する一物質であり、いわば材料のようなもので「生命」は持たない。

生命の最小単位を細胞と考えれば、細胞が持つエネルギーが生命に作用、必要と考えればよい。

 

地球が生み出す生命・細胞はどれも完全であり、完全だからこれまでそれぞれが種を繋いで来た。

つまり何も考えず、生まれながら求めるものを食べていれば何の問題もない。

 

人間が作る食べ物が不完全だから問題がこじれるのだ。

 

こんなことを考える必要は全くない。

すべての動物は例外なくそうではないかな。

 

間違えたのは人間だけであり、その間違いを修正する為に協生理論は生まれたようなもの。本来は理論も必要ない。

 

間違いに気付けば、他の生き物のように難しいこと考えず不調もなく生きて行ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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