人間は自然界から学び続けた。
文明以前の長い狩猟採取の時代も、文明後もさらに学び続けた。
学び続けたから飛躍的な発展を成し、さらなる発展を続けている。
自然界から学んだ仕組みを応用することで恩恵を受けている。
半世紀ごとに暮らしを追えば、当時は考えられなかったような科学の進歩が見える。
車も船も飛行機も高速になり、電話は携帯に、辞書は電子機器化された。 炊飯も洗濯も全自動、熱を使わず電子による加熱調理、その逆の急冷却。
どの機械も初期のものに創意工夫が加わり、さらに進化を続けている。
機械文明に対して生命文明は比例していない。
機械と名が付く医療機器やその他生命関係機器はともかく、生命の仕組みそのものに対してはどうなのか。
ミクロの世界まで進出、仕組みや病状の詳細は明確にされたが、機械のような修理、改善、復元は生命に対してどうなのか。
まるで歯が立たないどころか新たな多くの病・不調を生み出しているのが現状だ。
機械文明と生命文明、どう見ても対極的だ。
生命文明の中でも事故や怪我の修復技術は飛躍的に進歩。
伝染病などの感染症に関してもほぼ解決。
単なる怪我・故障は問題なく、相手が見える感染症もほぼ完膚なきまでにやっつけて解決している。
しかし病不調に関しては相手も見えず原因もわからず、お手上げ状態だ。
完全と不完全、この差は何処にあるのかを考えて見るとよい。
物理的に判断すれば、前者は仕組みの理解に間違いはなく、後者は基本から間違えていると言うことではないのかな。
間違えていると言うことを基点に思考を進めれば活路も開けるだろうが、そうでなければ開けるはずがない。
最初が間違えばいくら努力研究しようが結果が出ないのは当然なのだから。
この当たり前の道理を世界の科学者の何人が気付いているのだろうか。 たとえ気付いてもどうにもならないのではなかろうか。
生命に関する壮大な物理的な仕組み。
自然、循環、それらの仕組みは最初から明確なのだが、物理的に明文化されていない。
だから個々の曖昧な解釈が横行、自然界の理?を生かした循環農法、自然農法など理とは程遠い手法が出て来る。
それで世界が抱える難問を解決出来るはずもない。
生命に関する世界の学問の仕組みが根底から変わらない限り解決することはないだろう、
世界共通の学問と言う巨大な城は誰も崩せない。
では、あきらめるしかないのか。
そんなことはない。
進め方次第で城は崩せるし難しくはない。
孫氏と違って独自に創り出した野人兵法・・
戦国時代ならどのような屈強な城でも容易に崩せるはずだが、今は無用の長物。
しかし世界学問の巨大な城なら相手に不足はなくお役に立てるだろう。
元は実体のない言葉のバブルの上に作られた脆い城・・
何十年もかかるはずがない。
戦国と違って多くの死者・負傷者も出ず平和だ。
どのように進めるのか、しっかり見ていなさいね。
わかったかい・・・ お蝶
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