思考の起点 現在と本来 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

この10年間、多くの読者が伊勢を訪れ野人講習会に参加した。

講習会で必ず念を押すことは、「常識」「学んだ知識」を持ち込まないこと。

 

しかし、ほぼ全員が持ち込むのは現状の思考回路がそのように出来上がっているからであり、考えようとすれば必ずそれが登場、疑問も湧いて来る。

比較すれば判断出来ず、当然質問も出て来る。

仕方ないと言えば仕方ないのだが、それでは理論の理解が困難となり、前には進まない。

 

現状が問題ないのなら伊勢へ来る必要もないのだが、わざわざ遠くから来るのは学んだ現在の知識で結果が出ないからであり、新たな思考を学びに来るのだ。

 

新たな学問・野人理論とは、現存する学問を前提にせず基盤から異なるのだから、そこに常識や学んだ知識理論が交わることはない。

 

現学問は分野が縦割りに細かく分かれ、生命に関する学問もそのようになっている。

医学も細分化、健康学、生理学、生物学、生態学、農学などもまた同じように専門分野が分かれている。

機械はともかく、生命の仕組みはどれも同じであり、細かく分けるのは間違っている。

 

野人理論において、農法、健康、物理、自然など、生命に関する理論はすべて蜘蛛の巣のように繋がり、関連しているのだから分けることは出来ない。

持ち込む知識は全く参考にも前提にもならない余計な知識であり、学びの妨げにしかならない。

 

理論は暮らしの中の仕組み、物理(ものごとのことわり)であり、物理である以上理解に集中するしかない。

限られた時間を無駄に使わず、野人理論と現状との比較は持ち帰ってから自分でやればよい。

 

物理の理解度は数学同様に、学びに費やした時間や努力に比例しない。

これまでの「そのまま覚える学び方」を変えなければ理解は遠のくばかりだ。

 

世界中の人々は現状の学問知識を前提に考え判断する。

学校で習うことは世界共通なのだから知識は共有している。 これらの思考の起点は・・

「現状」であり、「本来」ではない。

 

現状とはこれまで積み重ねた学問だが、本来はそれとは無縁。 本来とは自然界が示す仕組み。

個々の解釈は異なっても森羅万象の仕組みは普遍。

道理を間違えば間違った結果が出る。

判断を誤れば猿も人間も木から落っこちる。

 

落っこちて・・間違った結果が出ているのが現状なのだから、間違いの修正は自然界にまで遡り、本来の道理を見つけ出せばよいのだ。

だから野人は、農業、健康、栄養など、現状の生命に関連する学問はまったく参考にしていない。

 

そもそも「理論」にもなっていないのだから仕組み解明の参考にもならない。

それを野人原人は、身近な「生命関連の学問」には物理学がまったく介入していないと断言している。

根拠ある道理からはっきりした答えを導くのが理論であり、それがないから望む答えが出ない。

 

実験方法も自然界ではなく人間の道理の実験室。

「こうなっています」と現状を伝えるだけで「何故」が抜けている。

「だろう」や「思われる」などの言葉でまとめた論文が常識の現状だ。

 

現在と本来・・思考の起点を何処に置くかで結果も異なり、運命も異なる。

どの道を選ぶかは自ら決めればよいが、生き物は自らの判断と力で生き抜くのが本来の姿でありそれが宿命。

 

本を読み、聞いて学び、安易に答えを求める・・

人は最も大切なことを忘れているのではないだろうか。

 

野人本・・本と言う字が付くように

本来はあまり役に立たないものなんだよ

むーさんも読んだことないし 眠くなるばかりで・・

 

 

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