心眼と理眼と本眼の使い分け | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

           三角関数・・・

 

心眼は文字転換で出て来るが、他の2つは出て来ない。

いつもの野人用語と考えればよい。

心の目、理性の目、本能の目の使い分けについてだ。

 

野生動物にとって本能イコール理性。

それが生きる上で最も重要な機能。

脳機能と意識が最も発達した人間にとって最も大切なものは心の目。

善悪、慈悲、苦悩、煩悩、すべて併せ持つのが人間。

 

本能の大半を失った人間にとって理性は重要。

現実の行動において大きく結果が左右されるからだ。

野生の動植物が間違えることはほとんどないが人類史は過ちの歴史だ。

 

子供の頃は難しいことを考えず強い本能のままに生きて来た。

友人達が親や先生の言うことを聞いてお利巧さんになってもそれを貫いた。 あらためて振り返れば、それらはことごとく理に適っていた。

「あれだけは間違っていたな」というものは一つもない。

木から落ちて、海に飛び込んで失神したのは本能と言うより単に理性の欠如。

 

理性とは個々の感性でもなく、言葉だけで物事を判断出来るのものではない。  それを混同したことが現状を招いた。

 

しかし積み重ねた思考回路がそう簡単に変わるはずもなく、理解の妨げになっている。

ブログだけでなく10年間もの講習会でも手ごたえを感じなかった野人は、講習会の方針も基礎理論から個人のニーズに応える内容に変えた。 わざわざ遠くからここまで満身創痍でやって来るのだから。

基礎から理論のお特訓を望む人には春から別のコースを組む。

 

心眼はその人の感性そのもの、人を見る目やアートなど他のことに使えばよい。

既に本能は失せているのだから、生きる上で大切なものは「理眼」だ。

現実に起こることはすべてに理があり、原因・主因もはっきりしている。

そこに感性の違いなどはあり得ない。 物理と同じなのだ。

 

世界に存在する生命に関する理論、説、常識、それらすべてを完全に消去して組み立てたのが野人理論・協生理論。

成分には毒があれば薬もあるのだから効くのは間違いないが、それらは本来の健康とは関係がないと最初から消去している。

しかし効くか効かないかが判断の主流になっている。

 

病不調の主因は、悪いものとされる特定の成分ではなく、動物にとって最も必要なエネルギーの不足と断定、いくら悪いものを避け、良いものを摂ろうが主因とは関係がないのだから完全な結果は出ない。

 

講習会で話を聞き、熱心な読者の記事も拝見するが、成分・効能論や常識へのこだわりは残り、すべて削除して考える人はほとんどいない。

熱心に勉強して来た人ほど、現学問や情報からの引用が多い。

それらを重要な判断に持ち込んでいると言うことだが、それらは自ら調べて判断したものではないはず。

いくらそこから持論を広げようが、間違っていればすべて崩れ去る。

これまでの情報や理論が正しければ、世の中は何の問題もないのだから野人が出る幕でもない。

 

数学物理がそうであるように、理論に曖昧な表現は一切ない。

心理の理はともかく、心を現実の判断に持ち込むなと言うほうが無理なのかも知れない。

 

野人の理眼の磨き方の基本は消去から始まる。

役に立たないもの、結果が明らかなもの、理論にもなってない言葉の羅列は最初から消去して考える。

「考える前に考える」ことが重要だな。

 

消去と反対に、余計な情報を抱え込んだ人ほどこの理論の理解は困難で、その情報に野人理論を加えようとすれば支離滅裂になってしまう。 野人理論に何かを付け加えようとするのは理解が間違っているからだ。  野人ブログに書いてないことは理論と一切関係がない。

 

本能の目・本眼、これから磨くのにこればかりは困難。

しかし、理を踏まえて自然界の中に身を置いていれば磨かれるはず。

急ぐなら野人ブログ参考にした方が早いだろう。

知性のかけらもなく本能で生きる野獣みたいな記事もある。

 

心眼は自分だけの大切な目。

本眼は徐々に磨けばよい。

理眼・・現実の難問を解くにはこれしかなく、単純なのだから余計な雑念を捨てて集中すれば必ず理解出来るはず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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