心と理の境界 2 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

野人理論は失敗と挫折を繰り返しながら修正され進化して来た。

ブログ開始から10年経ってもそれは変わらない。

微修正しながら前に進み、新たな理論が築かれる。

分野は多岐にわたるが、それぞれの分野・テーマの最新バージョンを参考にすればよい。

 

半世紀以上にわたる体験と思考から創り上げたのが野人理論であり、創った目的は地球復元・・環境と健康を元に戻すことだ。

 

心理学の「心と理」

何を思い考えるか自由な心の中の領域と、物理としての仕組みの領域。

その境界をはっきりさせ、わかりやすく解説する。

 

何故、心と理の境界をはっきりさせなければならないのか。

 

健康、環境の悪化など、生命、生態に関するすべての問題はここから始まり、間違った人間の道理が優先されたからだ。

それを前提に行動すれば結果もそのようになる。

因果応報という言葉があるがその通りになっている。

 

理論が間違っていなければ何の問題もなく幸せに暮らせているはずだが、理論にもなっていない。

特に苦しんでいるのは環境よりも自らの体調であり、病不調は一向に改善されない。

 

今回はこの不調について話すが、その原因は心と理の境界がわからず、心の中身はともかく、心の仕組みが理解されていないからだ。

仕組みとはすべての生き物に共通した仕組みだ。

 

意識・心について随分書き続けて来た。

「体が先か意識が先か」「生き物の意識とは」「意識の意思が有機を生み出す」など、100編を超えているだろう。 「心の仕組みが壊れる時」というテーマで講習会もやった。

 

心と理の境界・・この原論は1の記事に貼り付けた「心理と物理は同じもの」であり、詳しく書いてあるから何度も読み直すとよい。

協生理論を理解する上で最も重要な記事だ。

 

農法、健康法の基盤となる「生命エネルギー論」においても、食べる目的は体の維持に必要なカロリー、栄養ではなく「意識の維持」に必要な制御エネルギー。

成分が効こうが効くまいが、不調の原因はそれではないのだから本来の健康とは関係がない。

 

つまり、見えない意識が体の生長、機能制御のすべてを司っている。

少量であっても意識を制御出来るエネルギーが体に入れば、意識も体も機能し自然治癒力も働く。

自然治癒出来ないのが病不調であり、その主因は制御エネルギーの枯渇だ。

 

意識・心は見えないが、誰もが体感するように間違いなく存在する。

存在すれば「物理」であり、仕組みも存在する。

人間など動物は意識から生まれる「意思」によって体を動かせるが、意思が及ぶのは筋肉であり、臓器や血液や皮膚にまで意志は及ばない。

 

各部署が勝手に、偶然働くはずもないのだからそこには必ず意思が存在する。

各細胞には遺伝子が、意思には情報が組み込まれているから、自動的に働いているように見えるだけだ。

 

制御して修復するのは、それが出来る彼らであり、他の人間ではない。

だから病不調は病院の治療では完治出来ない。

 

この意識から発する意思伝達の仕組みが野人の言う「心の理」だ。

意識が何で出来ているのか、見た者はいないのだから誰にも分らないが、たしかに存在するなら名前など何でもよいではないか。

 

筋肉を動かす神経が電気によって筋肉を動かせるなら電線のようなもの。

伝わる意思は電気エネルギーの一種であり、その電気を帯びている発信元の意識も同じような電気質

わかる範囲で道理を繋いで組み立てればよい。

 

続く・・

 

 

意識の意思が有機を生み出す

https://ameblo.jp/muu8/entry-12292013282.html

生き物の意識とは

https://ameblo.jp/muu8/entry-12243730787.html

 

 

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