4年前の今日、野人は誓いを立て記事を書いた。
ブログのマイページに何時も出ている「昨年の今日 あなたが書いた記事があります」の表示・・
済んだことであり特に参考にしたことはなかったが、「4年前の今日」とあり、何で昨年や2年前だけでなく4年前?まで今日が出て来るのかよくわからん。
つい、「むー母の検査結果」の記事タイトルにつられて開いてみた。
むー母に近々訪れる死の宣告を聞いても驚かず、お笑いで神妙な顔の先生を慰める母子。
先生も初めての体験だったろうな。
「母ちゃん 医学で治せなければ俺が治してやる 」
お野人は誓いを立て、母に告げた。
潰れた母の肺を必ず元に戻すと。
それまでは・・
母の好きにさせ、野人流健康法は押しつけなかった。
塩、茶、協生野菜も、自分はいいから必要とする人に分けてあげなさいと母は言い、食べようとしなかった。
ヤマハ時代にあげた数百万のお金には手を付けず、野人に戻し、本はあげるからと言うのに12年間も書店で野人の連載エッセイが載った雑誌を買い続けた。
発行社がその連載をまとめたのが「野人の食卓」だ。
母には母の信念があるのだから無理にあげなかった。
たとえ母であろうが説得は出来ない。
生き方は自ら決めることであり、口出しは出来ない。
この記事を紹介した理由は、それを伝えたかったからだ。
野人を頼りに伊勢まで来れば言葉で示すが、多くはブログを見て自分で判断しなさいと言い続けている。
親、息子、親族、友人を説得して欲しいと頼まれることは多いが、不可能なのだからすべてお断りしている。
本人が判断して実践するか、全面任せるかしかないが、野人は医師ではなく理論を教えるだけ。
母は信頼する医学に見放され、野人に任せたから復元出来たのであり、そうでなければ手出しは出来なかった。
友人に何度か理論で説得を試みたが通じず、数人の友人をガンで失くした。
野人に出来ることは、このブログに連れて来るか、むー塩、むー茶、スープなどを差し上げて、後はどうするか本人が判断するしかない。
むー母最強列伝は61編で野人珍話列伝
の41編より多く、
2010年から書き始め、2015年に末期がん宣告、遺言も済ませ葬式の手配も自分でしていた。
むー母は数か月で末期ガンから完全復元出来たが、翌年老衰により自宅で眠るように自然死。
体力と体重の消耗が激しく、約束した百歳まで寿命を延ばすことが出来なかった。
むー母から教わったことは膨大で、退院してからも、自宅で寝たきり息を引き取る1週間前まで野人は教わり続けた。 最後は短歌に託した野人への遺言。
93歳まで野人のお特訓を続けたのだから本望だろう。
野人はむー母を旅行にも食べに連れていったこともなく、母の日や誕生日に何かプレゼントしたこともない。
熱望する芥川賞や直木賞もとってやれなかった。
母からの電話はうるさいほどだったが、野人からは急用以外電話したことがなく「元気か?」の一言もかけたことがない。
土地や家だけでなく高価なものも買ってやれず、渡したお金も全額戻して来た。
それだけでなく会社の窮地には生命保険などすべて解約して数百万のお金を作り野人にくれた。
一般的には子としての義務さえ果たせず親不孝の極みだろう。
母が望んだこととはいえ申し訳なく、感謝もしている。
野人は母を敬い、息を引き取る直前まで師と仰ぎ教わり続けた。
ボケることもなく楽しそうに・・「ああ面白かった思い残すことはない」・・が、ベッドでの口癖だったな。
頭が上がらなかった母の人生の最後にやっと出番が訪れ、肺がんの苦しさから救い出し、自宅で安らかに眠らせることが出来た。
最後まで素直に教わり続け、苦しさから解放・・
その二つが野人の親孝行だな。
恩返しはこれから、まだ始まったばかり。
どのように世界が変わるのか、飢餓と争いと病が無くなるのか、見せてあげないとな。
すげ~な 母ちゃん・・ 絶妙なバランスと逆手持ちの使い方
ひょひょいの ヒョイ カンフー映画に出れそうだな
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一ヶ月後・・
旅支度に多忙なむー母
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むー母のお笑いセンス
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短歌に託した母の遺言
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「何で自分が」 ガンに・・
https://ameblo.jp/muu8/entry-12451749844.html