最近、毎日のように母の枕元で話しかけている。
喉が渇いたと言えば「ハイハイ」とベッドを少し起こして飲ませている。
「たまに記憶が横道に逸れちゃうのよね~」
と・・・笑わせる。
ベッドの足もとには母が作った短歌が貼られているのだが、関心がない野人でも連日見ていれば覚える。
「母ちゃん・・こりゃどう言う意味だ」
野人が読むと・・
「字も下手だけど相変わらず国語力がないねえ・・
それに、ハナムレではなくハ・ナ・ム・ロ」
母は目を閉じたまますらすらと歌を詠んだ。
降る雨に 桜の幹のくろぐろと
重き花群 空にかかげつ
これには母独特の視点と、野人に託す願いが込められていた。
桜は日本の花の象徴、桜前線に国中が浮かれ、花見と言えば昔から桜。
これほど大量の花を咲かせる木も他に見当たらず、それが雨に濡れればさらに重くなる。
自ら雨に濡れながらも多くの花を支え続ける幹を母は褒め称えているのだ。
桜の花は称賛されるが、幹に声をかける人も褒める人も、そのような目で見る人もいない。
母は野人が桜の木の幹になることを望んでいる。
目立たず、慢心せず、報われなくとも褒められなくとも自らの使命を果たしなさい・・
それが母の望みなのだろう。
昔も今も頂上志向はまったくなく、地位も名誉も財産も老後も保険も関心がない。
そのように・・仕込まれたのかもしれんな。
母のおかげで・・む~の境地になれ、先入観念の入らない独特の立体思考が磨かれた。
他に甲斐性もなく、商才もなく相変わらず徒手空拳・・
街川を 桜吹雪は越え来たり
犬をつつめり われをつつめり
満開の桜の花びらは、人にも他の生き物にも平等に降り注いで微笑みと安らぎをもたらす。
2つの歌を並べて張り付けた母の気持ちがわかった。
母ちゃん・・ありがとう。
母の漢詩とグレープフルーツ
http://ameblo.jp/muu8/entry-11106549365.html
人生の花