また、池田大作一党は戒壇の大御本尊を憎むゆえに久遠元初の三宝も改変するに至りました。
日寛上人は久遠元初の三宝について
「久遠元初の仏法僧則ち末法に出現して我等を利益し給う。
若し此の三宝の御力に非ずんば、極悪不全の我等いかでか即身成仏を得ん。
故に当に久遠元初の三宝を信じ奉るべし」
と御指南下されております。
すなわち、末法には久遠元初の仏法僧が出現して末法の全人類を利益して下さる。
もしこの三宝のお力でなければ、極悪不全の一切衆生はどうして即身成仏を得る事ができようか。
ゆえに、久遠元初の三宝を信じ奉るべきであると仰せになっておられます。
そして日寛上人はこの久遠元初の三宝について
「久遠元初の仏宝豈異人ならんや。則ち是れ、蓮祖大聖人なり。
久遠元初の法宝、則ち是れ、本門の大本尊是れなり。
久遠元初の僧宝、則ち是れ開山上人なり」
とて仏宝は日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は日興上人と御指南下されております。
これまで学会においても久遠元初の三宝は日寛上人の御指南をそのまま用いておりました。
しかるに今般、池田大作一党は創価学会の三宝なるものを策定し「仏宝は日蓮大聖人、法宝は南無妙法蓮華経、僧宝は創価学会」と改変したのであります。
日蓮大聖人を一応仏宝とはしているものの、池田大作一党は大聖人様が久遠元初の自受用身にてまします事を否定し、御本仏の定義を変えたので建前上このようにしているだけであります。
また、本門戒壇の大御本尊を捨て奉った学会は自ずと法宝を改変せざるを得なくなり、今般単なる南無妙法蓮華経に変えました。
これだけを見たら、その法体が分からぬゆえに新興の邪教が唱える南無妙法蓮華経なのか、天台等の理の一念三千の南無妙法蓮華経なのか、大聖人様の文底深秘の大法・久遠元初の名字の妙法・事の一念三千の南無妙法蓮華経なのか全く判然としません。
そして、僧宝を日興上人から何と創価学会に改変した事には愕然といたしました。
池田大作一党は一応表向きは日興上人の事を「大聖人の仏法を正しく継承・伝授した」と記してはいるものの、日興上人を末法下種の僧宝とすると大聖人様の御法魂まします正系門家富士大石寺の正統性が際立ってしまうため、あえて今般これを改変したのであります。
そもそも池田大作一党は、仏宝にてまします日蓮大聖人の一期の御遺命を破壊せんとした上に、大聖人様が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてまします事をも否定し、さらには、法宝にてまします戒壇の大御本尊を捨て奉ったのであります。
かかる三大秘法破壊の創価学会が何故僧宝となるのか、悪い冗談でしかありません。
僧宝のお徳を一言で言えば「仏法を正しく伝えて下さるお徳」であります。
日寛上人は末法下種の僧宝の御恩徳について
「仏恩甚深にして法恩も無量なり。
然りと雖も、若し之を伝えずんば則ち末代今時の我等衆生、曷ぞ此の大法を信受する事を得んや」
と仰せになっておられます。
すなわち、御本仏日蓮大聖人の御恩徳は甚深無量であられる。
そして、戒壇の大御本尊様の御恩徳もまた無量無辺であられる。
しかし、もしこの仏法を後世に伝えて下さるお方がおられなかったら、どうして私達が今この三大秘法を受持する事ができようかと御指南下さっておられます。
大聖人様に多くの御弟子ましますといえども、日興上人ただ御一人が大聖人様の甚深の御法門を会得了解せられて、末法万年にこれをお伝え下されたのであります。
池田大作一党が僧宝を日興上人から創価学会に改変した邪な魂胆こそ、先程申した通りに正系門家富士大石寺の正統性を否定するため、すなわち、戒壇の大御本尊様に対し奉る異常なまでの憎しみ、強い怨嫉心に他なりません。
日興上人が御入滅の三月前にしたためられた『日興跡条条事』という日目上人への御付嘱状があります。
そこにある
「日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊は日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」
の仰せこそ法体付嘱の戒壇の大御本尊を「本門寺に懸け奉るべし」すなわち「広宣流布の暁の国立戒壇に安置し奉るべし」とお示し下されたものに他なりません。
要するに、日興上人を僧宝とすると、自ずと戒壇の大御本尊の法体付嘱が出てきてしまうので、学会にとってはいかにも不都合なのであります。
だから、僧宝を日興上人から創価学会に改変したのであります。
まさしくこれ、第六天の魔王の所業であり、無慚の極みであります。
令和6年 2月24日 2月度 総幹部会 浅井会長指導
令和6年 2月26日 2月度 男子部班長会 行成総男子部長指導