また、いけだいさくいっとう戒壇かいだんだいほんぞんを憎むゆえにおん元初がんじょさんぼうも改変するに至りました。
 日寛にっかんしょうにんおん元初がんじょさんぼうについて

おん元初がんじょぶっぽうそうすなわまっぽうしゅつげんしてわれやくたまう。
 さんぼう御力おんちからあらずんば、ごくあくぜんわれいかでかそくしんじょうぶつん。
 ゆえまさおん元初がんじょさんぼうしんたてまつるべし」

なんくだされております。
 すなわち、まっぽうにはおん元初がんじょぶっぽうそうが出現してまっぽうの全人類をやくしてくださる。
 もしこのさんぼうのお力でなければ、ごくあくぜんいっさいしゅじょうはどうしてそくしん成仏じょうぶつことができようか。
 ゆえに、おん元初がんじょさんぼうしんたてまつるべきであるとおおせになっておられます。
 そして日寛にっかんしょうにんはこのおん元初がんじょさんぼうについて

おん元初がんじょぶっぽうあにことひとならんや。すなわれ、れんだいしょうにんなり。
 おん元初がんじょほうぼうすなわれ、ほんもんだいほんぞんれなり。
 おん元初がんじょそうぼうすなわかいさんしょうにんなり」

とてぶっぽう日蓮にちれんだいしょうにんほうぼうほんもん戒壇かいだんだいほんぞんそうぼう日興にっこうしょうにんなんくだされております。
 これまでがっかいにおいてもおん元初がんじょさんぼう日寛にっかんしょうにんなんをそのまま用いておりました。
 しかるに今般、いけだいさくいっとうそうがっかいさんぼうなるものを策定さくていし「ぶっぽう日蓮にちれんだいしょうにんほうぼう南無なむみょうほうれんきょうそうぼうそうがっかい」と改変したのであります。
 日蓮にちれんだいしょうにんを一応ぶっぽうとはしているものの、いけだいさくいっとうだいしょうにんさまおん元初がんじょじゅゆうじんにてましますことを否定し、ほんぶつの定義を変えたので建前上このようにしているだけであります。
 また、ほんもん戒壇かいだんだいほんぞんを捨てたてまつったがっかいおのずとほうぼうを改変せざるをなくなり、今般単なる南無なむみょうほうれんきょうに変えました。
 これだけを見たら、その法体ほったいが分からぬゆえに新興のじゃきょうが唱える南無なむみょうほうれんきょうなのか、天台等の理の一念三千の南無なむみょうほうれんきょうなのか、だいしょうにんさまもんていじんの大法・おん元初がんじょみょうの妙法・の一念三千の南無なむみょうほうれんきょうなのかまった判然はんぜんとしません。
 そして、そうぼう日興にっこうしょうにんから何とそうがっかいに改変したことには愕然がくぜんといたしました。
 いけだいさくいっとうは一応表向きは日興にっこうしょうにんことを「だいしょうにん仏法ぶっぽうを正しく継承・伝授した」と記してはいるものの、日興にっこうしょうにんまっぽうしゅそうぼうとするとだいしょうにんさまの御法魂ましますせいけいもんたいせきせいとうせいが際立ってしまうため、あえて今般これを改変したのであります。
 そもそもいけだいさくいっとうは、ぶっぽうにてまします日蓮にちれんだいしょうにんの一期の遺命ゆいめいを破壊せんとした上に、だいしょうにんさまおん元初がんじょじゅゆうじんまっぽうしゅほんぶつにてましますことをも否定し、さらには、ほうぼうにてまします戒壇かいだんだいほんぞんを捨てたてまつったのであります。
 かかるさんだいほう破壊のそうがっかいが何故そうぼうとなるのか、悪い冗談じょうだんでしかありません。
 そうぼうのお徳を一言でえば「仏法ぶっぽうを正しく伝えてくださるお徳」であります。
 日寛にっかんしょうにんまっぽうしゅそうぼうの御恩徳について

ぶっとんじんじんにして法恩ほうおんりょうなり。
 しかりといえども、これつたえずんばすなわまつだいこんわれしゅじょうなんだいほうしんじゅすることんや」

おおせになっておられます。
 すなわち、ほんぶつ日蓮にちれんだいしょうにんの御恩徳は甚深じんじんりょうであられる。
 そして、戒壇かいだんだいほんぞんさまの御恩徳もまたりょうへんであられる。
 しかし、もしこの仏法ぶっぽうを後世に伝えてくださるお方がおられなかったら、どうして私達が今このさんだいほうを受持することができようかとなんくださっておられます。
 だいしょうにんさまに多くのましますといえども、日興にっこうしょうにんただいちにんだいしょうにんさま甚深じんじんの御法門をとくりょうせられて、まっぽう万年にこれをお伝えくだされたのであります。
 いけだいさくいっとうそうぼう日興にっこうしょうにんからそうがっかいに改変したよこしま魂胆こんたんこそ、先程申した通りにせいけいもんたいせきせいとうせいを否定するため、すなわち、戒壇かいだんだいほんぞんさまに対したてまつる異常なまでの憎しみ、強い怨嫉心に他なりません。
 日興にっこうしょうにんが御入滅の三月前にしたためられた『にっこうあと条条事じょうじょうのこと』という日目にちもくしょうにんへの御ぞく状があります。
 そこにある

にっこうたまわるところこうあんねんだいほんぞんにちもくこれそうでんす。ほんもんたてまつるべし」

おおせこそ法体ほったいぞく戒壇かいだんだいほんぞんほんもんたてまつるべし」すなわち広宣こうせん流布るふあかつき国立こくりつ戒壇かいだんに安置したてまつるべし」とお示しくだされたものにほかなりません。
 要するに、日興にっこうしょうにんそうぼうとすると、おのずと戒壇かいだんだいほんぞん法体ほったいぞくが出てきてしまうので、がっかいにとってはいかにもごうなのであります。
 だから、そうぼう日興にっこうしょうにんからそうがっかいに改変したのであります。
 まさしくこれ、第六天だいろくてんおうの所業であり、ざんの極みであります。


令和6年 2月24日 2月度 総幹部会 浅井会長指導

令和6年 2月26日 2月度 男子部班長会 行成総男子部長指導