さて、いけだいさくいっとうは長い年月をかけて全がっかいいんほんもん戒壇かいだんだいほんぞんを捨てさせ、先般発刊された『そうがっかいきょうがく要綱ようこう』において、ついに日蓮にちれんだいしょうにんおん元初がんじょじゅゆうじんまっぽうしゅほんぶつにてましますことをも否定いたしました。
 これらの本質を仏法ぶっぽうまなこから見れば、仏法ぶっぽうを破壊せんとする第六天だいろくてんおうの所為であります。
 「魔は仏法ぶっぽうを憎む」という。第六天だいろくてんおうもっとも憎み、うしなわんとするものはほんもん戒壇かいだんだいほんぞんであります。天魔は全人類成仏じょうぶつの大法をもっとも憎むのであります。
 ゆえに、平成26年の教義条項改変と同様、今回のきょうがく要綱ようこうでもいけだいさくいっとうほんもん戒壇かいだんだいほんぞんを否定するために「広宣こうせん流布るふはば日蓮にちれん正宗しょうしゅうの総本山にある弘安こうあんねんほんぞんは受持の対象としない」と重ねて悪言を吐いた上で「ほんぞんはどれも同じ」などとたばかっているのであります。
 せんせいは、このたばかりについて文永ぶんねいけんほんぞん弘安こうあん年中のほんぞんの相違、なかんずく、弘安こうあんねんほんもん戒壇かいだんだいほんぞんこそきょうの中のきょうほんがいの中のほんがいにてましますことかつに拝することおそれ多さを覚えるほどのじゅうだいをもって次のごとく徹底てってい粉砕ふんさいしておられます。

 「いけだいさくいっとう戒壇かいだんだいほんぞんを捨てさせる手口はこういったものである。
 『だいしょうにんの図顕されたほんぞんはどれも同じである。従って、弘安こうあんねんほんぞんを唯一絶対ぜったいとする証拠はない。出世のほんがいとする文証はない』と『ほんぞんはどれも同じ』とこうって戒壇かいだんだいほんぞんを捨てさせるのである。
 しゃ仏法ぶっぽうにおけるほうぼうの者達が『きょうも爾前経も同じだ』とってきょうを捨てさせたのと同じ。
 いや、戒壇かいだんだいほんぞんを捨てさせるのであるからその罪はひゃくせんまんのくばい、これを『極限きょくげんだいほうぼう』というのである。
 このようなだいほうぼうをする者はまさにひとみょうじゅうしてごくらん』の大罰を受けるのである。
 いいですか、いけだいさくいっとうにはだいしょうにんさまが顕わされたほんぞんにおいて文永ぶんねいけんほんぞん弘安こうあん年間のほんぞんちがいのあることが分からない。
 また、一機一縁のほんぞんいちえんだいそうほんぞんの相違が分からない。
 だいしょうにんさまは竜の口以後多くのほんぞんを顕わしておられる。その数は現存するもので百数十幅にも及んでいる。
 その中で、文永ぶんねいけんの六年数ヶ月の間に顕わされたほんぞん弘安こうあんがんねんより五年に至るまで顕わされたほんぞんには大きな相違がある。
 このことについて日寛にっかんしょうにんは『かんじんのほんぞんしょうもんだん』にう、文永ぶんねいけんほんぞんほんがいじんするや。こたう、文永ぶんねいけんほんぞんおおぶんしんおよぜんとくぶつぐ。これそうでんり。あるいなおもんじょうたいするか』と。
 文永ぶんねいけんほんぞんには多く十方分身の諸仏及びとうほうぜんとくぶつげられている。その所以ゆえんについては相伝がある。あるいはなおもんじょうびているのかと。
 ほんぞんことおそれ多いが少し説明せつめいする。
 中央に『南無なむみょうほうれんきょう』とおしたためがあり、その左右の成仏じょうぶつしゃほうじょうぎょう安立あんりゅうぎょうじょうぎょうへんぎょうとある。
 ところが、文永ぶんねいけんほんぞんにはしゃほうの左右に十方分身の諸仏、とうほうぜんとくぶつ等のおしたためがある。
 このことについて日寛にっかんしょうにんあるいなおもんじょうたいするか』なんくだされている。
 文底しゅほんぞんではあるが、なおもんじょうびるかと。
 そしてさらにう、弘安こうあんほんぞんほんがいじんするや。こたう、じつ諸問しょもんごとし。すなわれ、しゅうぐうきょうごくせつなり』と。
 『弘安こうあん年中のほんぞんこそほんがいが極めつくされた最終さいしゅう・究極のほんぞんである』とおおせられている。
 文永ぶんねいけんほんぞん弘安こうあん年中のほんぞんの相違について、日寛にっかんしょうにんはこのように十方分身の諸仏及びぜんとくぶつことだけをげられ、他のことは省略されているが、今その省略されている部分を拝推はいすいたてまつればさらにこういうことが分かる。
 だいしょうにんの『日蓮にちれん』という御名みな及びはんぎょうの位置が文永ぶんねいけんほんぞん弘安こうあん年中のほんぞんではまったく異なる。
 すなわち、文永ぶんねいけんほんぞんにおいては『日蓮にちれん』の御名みなはんぎょうも中央の南無なむみょうほうれんきょうから離れて、脇におしたためあそばされている。
 さらに重大なことは、はんぎょう相貌そうみょう弘安こうあんがんねん7月のほんぞん以降変貌へんぼうされているのである。
 真蹟しんせきしょにおいては、弘安こうあんがんねん6月25日の『にちにょへん』から変貌へんぼうされている。
 はんぎょうというのは、平たくえばだいしょうにんさまの実印でもっとも重大なものである。
 なぜこのように文永ぶんねいけんほんぞん弘安こうあん年中のほんぞんのお姿に相違があるのか。
 つつしんでこれを案ずるに『文永ぶんねいけんほんぞんぶっちょくじょうぎょうさつのお立場でけんし給い、弘安こうあん年中のほんぞんこそまさしくおん元初がんじょじゅゆうじんまっぽうしゅの本仏としてけんあそばされたもの』と私は拝したてまつっている。ゆえに、はんぎょうのお姿も変わるのである。
 文永ぶんねいけんほんぞんじょうぎょうさつのお立場でけんされている証拠は、文永ぶんねい11年12月に顕わされた『まんねんほんぞん』に明らかである。
 このほんぞんは第一回蒙古襲来の2ヶ月後に顕わされたもので、文永ぶんねいけんほんぞんを代表するだいほんぞんである。
 この『まんねんほんぞん』の讃文にはひゃくさいときじょうぎょうさつしゅつげんし、はじめてれをせんす』おおせられている。
 文永ぶんねいけんほんぞんじょうぎょうさつのお立場で顕わし給うておられることはこれで明らかである。
 そして、弘安こうあん年中のほんぞんを拝見すれば、中央の『南無なむみょうほうれんきょう』の直下に接続して『日蓮にちれん』の御名みながましまし、蓮の字を覆って左右いっぱいに広がる大いなるはんぎょうがまします。
 このはんぎょうこそおん元初がんじょじゅゆうじんまっぽうしゅほんぶつはんぎょうである。
 まさしく、弘安こうあん年中のほんぞんこそおん元初がんじょじゅゆうじんたる日蓮にちれんだいしょうにんの一身の御当体であられる。これしゅうぐうきょうごくせつである。
 そして日寛にっかんしょうにん弘安こうあんがんねんきょうごくせつなり、就中なかんずく弘安こうあんねんほんもん戒壇かいだんだいほんぞんきょうなかきょうほんがいなかほんがいなり。すでれ、さんだいほうずいいちなり。いわんいちえんだいそうたいほんぞんなるゆえなり』おおせられている。
 弘安こうあんがんねん以後はすでにきょうごくせつであるが、その中でも、弘安こうあんねんほんもん戒壇かいだんだいほんぞんこそきょうの中のきょうほんがいの中のほんがいである。すでにさんだいほうの随一である。
 いわんや『いちえんだいそう』すなわち、まっぽうの全人類に総じて授与してくださっただいほんぞんであられるゆえである。
 だからこそ、大いなるはんぎょうの真下に『ほんもん戒壇かいだんなり』の重大なる金文こんもんがまします。このようなだいほんぞんは日本国中どこにもない。
 ただたいせきに七百年来秘蔵され、広宣こうせん流布るふの時を待っておられるのである。
 もしこのだいほんぞんを否定する者あらば、宗の内外を問わずその者はほんぶつに背くの逆賊、天魔その身に入るの大悪人である」

とこのようにおおくださいました。
 極限きょくげんだいほうぼうを徹底してしゃくされるせんせいの護法の御気魄に圧倒されると共に「何と甚深じんじん、そして重大な御教示か」たましいが激しく打ち震えるおもいであります。
 いけだいさくいっとうはこれでも「ほんぞんはどれも同じ」などとえるのかといたい。
 日寛にっかんしょうにん御坐ござはいに約して文永ぶんねいけんほんぞん弘安こうあんがんねん以降のほんぞんきょうきょうを立て分けられました。
 今せんせいに置かれては日寛にっかんしょうにんが略された「日蓮にちれん」という御名みなはんぎょうの位置とはんぎょう相貌そうみょうをもってきょうきょうを立て分けられ弘安こうあんねんほんもん戒壇かいだんだいほんぞんこそがきょうの中のきょうほんがいの中のほんがいさんだいほうの随一、いちえんだいそうだいほんぞんにてましまし、唯一絶対ぜったいである」ことを顕わしたてまつられ、そのこうかがやかしめられたのであります。
 これせんせいならではの割釈かっしゃくであり、せんせいだいしょうにんさまないしょうじんを如実に拝したてまつられているあかしえ、およそ今生のみのべんがくによるものに非ずとおそれながらつつしんで拝するものであります。


令和6年 2月24日 2月度 総幹部会 浅井会長指導

令和6年 2月26日 2月度 男子部班長会 行成総男子部長指導