ところが、けんの人々は分からない。そのような通力つうりきなどいかにもとうとげなるたばかりを見てみんな有難ありがたがる。
 あるいは「とうかなった。かなった」とかそういうことでごまかされて法門ほうもんからないんですね。
 「いずれがじょうぶつ大法だいほうであるか」とこのことに対するりょ分別ふんべつ一般いっぱんの人にはない。
 そこに、比べるのも恐れ多いことでありまするが、けん一般いっぱんじゃしゅうの者どもはこのような通力つうりきをもってけんりょくしゃに近づいて「けんりょくしゃもちいられよう」「庶民しょみんから仰がれていろんなみょうを求めよう」ということ目的もくてきなんです。
 比べるのも恐れ多いことでありまするが、だいしょうにんさまじょうぶつ大法だいほうを「これを知る者はほんごくにただ日蓮にちれんいちにん」とおおせられた。
 きょう本門ほんもん寿じゅりょうほん文底もんていに沈められたおん元初がんじょみょう法蓮ほうれんきょうだけがじょうぶつ大法だいほうであるということをおりになった。
 しかし、このことをもし弘めるならばじゃしゅうの者の怨嫉おんしつによりくにじゅう迫害はくがいが起きてしんみょうに及ぶであろう。
 それを恐れてわなければがないのである。
 ここに、だいしょうにんさまざいざいをお受けになってもそれをしのばれてなお三大さんだいほうをお弘めになる。これがほとけさまのお姿ですよ。
 じゃきょうの者は皆通力つうりきをもってけんりょくしゃ庇護ひごけてみょうむさぼるんですね。
 ですから、ことにしんごんしゅうというのはとうを売り物にしてけんりょくしゃに近づいた。
 じょうこうもここでだまされて、ほうじょう義時よしとき戦争せんそうを起こして『必ず勝てる』とおもっておった。
 しんごんしゅうとうを二度・三度とほんごくに渡って来た最大のとうしんごんでもって叡山えいざんにおいてやったんですね。
 ところが、あえなく負けてしまってじょうこうだけじゃない。じゅんとくじょうこうつちかどじょうこうと御自身を含む三人のじょうこうが島流しに遭って、あえなくにっぽん皇室こうしつはそこで滅ぶところであった。
 そこで、だいしょうにんさまが「しんごん亡国ぼうこく」とおおせになられるんですね。
 あるいは、日目にちもくしょうにんが最後の天奏てんそうをあそばした。
 あの時のてんのうだいてんのうですが、この人もまたしんごんねっちゅうしておって、せっかくのけんちゅうこうが3年でもっておかしくなっちゃったでしょう。
 このように、しんごん亡国ぼうこく原因げんいんであります。


平成25年 4月7日 浅井先生指導