つぎ一条いちじょう

 「いまこうせんせざるあいだしんみょうててずいりきづういたすべきこと

 このおおせこそ、だい聖人しょうにんさまが竜の口のざいを前にして全門下に下し給うた広宣こうせん流布るふ仏勅ぶっちょく大教令だいきょうれい、すなわち

ぶつめつせんひゃくじゅうねんあいだないなんがくてんだいみょうらくでんぎょうだにもいまひろたまわぬきょうかんじんしょぶつげんもくたるみょうほうれんきょうまっぽうはじめいちえんだいひろまらせたまうべきずいそうにちれんさきがけしたり。
 とうどもじんさんじんつづきて、しょうなんにもすぐれ、てんだいでんぎょうにもへよかし」

との仏勅ぶっちょく大教令だいきょうれいに断じてこたたてまつれとの日興にっこう上人しょうにんの御遺誡であります。
 だが、信心しんじんが薄れればこの本仏ほんぶつ仏勅ぶっちょくも、日興にっこう上人しょうにん遺誡ゆいかいも耳にはいらないです。
 見てごらんなさい、学会は政治野心に燃えて国立こくりつ戒壇かいだんを否定し、正本堂のたばかりをしてから折伏しゃくぶくがピタッとまったではないか。
 今や世間にへつらって、薄汚れたせんきょかつどうだけになってしまった。
 宗門もこの学会にへつらって同じく国立こくりつ戒壇かいだんを否定して、今や供養ばかりをむさぼどうちてしまった。
 このような濁乱の中で、顕正会には日興にっこう上人しょうにん日目にちもく上人しょうにん御時おんときのごとく広宣こうせん流布るふ朝夕近し」の情熱がたぎっている事何とも有難ありがたいですね。
 顕正会はおおせのままの信心しんじんをして、おおせのままの功徳をいただき、良き臨終りんじゅうげさせていただく。
 この報告を私は至る所で聞いておりますが、これを耳にするたびに私は『何と有難ありがたことか』とのだい聖人しょうにんさまだいだいがいつも胸にげてまいります。
 次の一条いちじょう

 「ときかんたりといえども、ぶっぽうそうしてかまえば、これもちうべからざること

 「たとえ時のかんことであっても、もしだい聖人しょうにんさまおおせにそむいて自分勝手なせつ主張しゅちょうすたならば、絶対ぜったいにこれをもちいてはいけない」とこう日興にっこう上人しょうにんおおせであります。

 またつぎ一条いちじょう

 「しゅうたりといえども、ぶっぽうそうらば、かんこれくだくべきこと

 たとえ多数の意見であったとしても、それがだい聖人しょうにんさまこころそむく物であったならば、時のかんは断固としてこれを打ちくだかなければいけない。
 以上のじょうだい聖人しょうにん仏法ぶっぽうを守護したてまつるにおいてきわめて重大な条目じょうもくであります。
 第五十九世の堀日亨ほりにちこう上人しょうにんはこの二箇にかじょうについて以前次のごとくおおせられておりました。

 「このじょうはいかにかんがえても偶然にまれに起こるべきしょうであるとしか私にはおもえる」

とこう『富士ふじ日興にっこう上人しょうにん詳伝しょうでん』とおおせになっておられます。当たり前ですね。
 血脈けちみゃく相承そうじょうを受けた時のかん上人しょうにんがどうしてみだりにだい聖人しょうにんに背く言動をしようか。
 また、一分いちぶんでも信心しんじんがあるならば、多数の信徒が、僧侶が数を頼んで仏法ぶっぽうに相違するあくをどうして強行しようか。
 まことに、このようなこと堀日亨ほりにちこう上人しょうにんおおせのごとくいかにかんがえても偶然にまれに起こるべきしょうであります。
 だが、日興にっこう上人しょうにんがわざわざ二十六箇条の中に不必要なことを御遺誡されるわけがない。
 これまさしく、広宣こうせん流布るふぜんに一度だけ起こるしょうであります。
 どういうことか、広宣こうせん流布るふぜんには必ず第六天の魔王が打ち下って、本仏ほんぶつ遺命ゆいめいを破壊せんとするんです。
 この天魔は正系門家の中の最大実力者たる池田大作の身にった。
 彼はたちまち本仏ほんぶつの唯一の遺命ゆいめいたる国立こくりつ戒壇かいだんを否定して、にせ戒壇かいだん正本堂を建てた。
 そして、これを時のかんに「遺命ゆいめい戒壇かいだん」として承認させようとした。
 二代に渡る時のかんはこの大悪をくだくどころか、池田大作の強大なるけんりょくと財力にへつらって、唯々いい諾々だくだくとして遺命ゆいめい破壊に協力してしまった。
 かくて、正系門家から国立こくりつ戒壇かいだん遺命ゆいめいは消滅してしまったのであります。
 このような仏法ぶっぽう破壊が広宣こうせん流布るふぜんには必ず起こる。
 このこと日興にっこう上人しょうにんは兼ねて知り給い、この厳格なるじょうを留めくだされたのであります。
 日興にっこう上人しょうにんの厳格なこの御定おんさだめあればこそ、私は遺命ゆいめい守護に立つことができたのであります。だい聖人しょうにんさま忠誠ちゅうせいつらぬことができたんです。
 そして、だい聖人しょうにんさま絶大ぜつだいとくによってついににせ戒壇かいだん正本堂は崩壊したのであります。
 いいですか、こうぜんに一度だけ起きる大悪はすでに起きた。
 そして、そのたばかりはすでにくだかれました。破邪の次には必ず立正りっしょうがあるんです。
 その立正りっしょうとは、やがて日本にっぽん一同いちどう日蓮にちれんだい聖人しょうにんを信じて南無なむ妙法みょうほうれんきょうと唱えたてまつり、一国の総意に基づいて国立こくりつ戒壇かいだん建立こんりゅうされるその金剛こんごうほう日蓮にちれんだい聖人しょうにん当体とうたいたる本門ほんもん戒壇かいだんだい本尊ほんぞんがお出ましあそばす。この時こそが立正りっしょうの成就であります。
 すべては、諸天しょてんに申し付け給うだい聖人しょうにんさま絶大ぜつだいとくによって必ず成るのであります。
 ゆえに『うえしょう』には

「ただをかせたまへ、梵天ぼんてん帝釈たいしゃくはからいとして、本国ほんごくいちしんずることあるべし」

おおせであります。
 このこう最終段階に奉公ほうこうが叶うとは、顕正会は何と有難ありがた宿縁しゅくえんでありましょうか。
 顕正会こそ富士大石寺の源流たる日興にっこう上人しょうにん日目にちもく上人しょうにん上代じょうだいに立ち還って戦わねばなりません。
 ゆえに今「冨士大石寺顕正会」と名乗なのって戦っているのであります。
 三百万こそ広宣こうせん流布るふの重大関門であります。
 さあ、早く三百万を成し遂げ、やがて亡国におびえる全日本人ぜんにっぽんじんに対して、全顕正会一結いっけつして日蓮にちれんによりてほんこく有無うむはあるべし」とのじゅうだいを教えて一国を開目かいもくさせ、何としてもだい聖人しょうにんさまこたたてまつろうではありませんか。


令和5年 2月7日 日興上人御報恩勤行会 浅井先生指導