研修医のときの話・続報2 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、一昨日おととい すなわち 2月7日(水)の「研修医のときの話・続報」のブログ そして 去る 昨年の11月18日(土)の「研修医のときの話」のブログを記させて頂きました。

 ときに、去る 5年前の10月18日(金)の「郵便局員との会話・続報2(愛国・国益)」のブログの中段やや上に、

「(前略)去る 5年前の10月7日(火)の『ボランティア・地域医療』のブログの冒頭に、

『(前略)先輩から委託されて、学部生であった頃から関わっております、母校の医学部と某・看護の大学が主催しています地域医療研究会の新入生歓迎会に呼ばれまして、話すことを依頼されると、申していることの冒頭はじめを記させて頂きます。(^O^)

 【平静の心】ウィリアム・オスラー著・聖路加国際大学付属Hp.(hospital[ホスピタル]の略です)名誉院長訳監修のp198に,【人間社会の直接の代行者とも言うべき、われわれ医師と看護婦(御承知のように、現代では、看護師で御座ございますね)自らの感覚を鈍らせないために、永続的な矯正措置を一つだけとることができる。それは、孔子の言う人類の黄金律を患者に実践することである。子曰わく〖おのれの欲せざる所、人に施すことかれ〗と。…】と記されています。

 引用した後、つぎのように申しました。

 すなわち、

 【なんだ、自分の欲するところを人に施すわけではないのか、と お思いになられるかもしれません。

 原典を見ますと、孔子は、仁、仁愛という言葉がありますが、仁とは何かと弟子から説明を求められたときに、このことを言っている。孔子によると、仁とは相手のことを思いやることだよ、とのむねのことが、著書に書かれてあります。日本人の心情で云えば、相手のことを察することだよ、と言いたいようですね。】

と申しました。

 数年前、心身医学の某・医療系の学生サークルに委託されて、分科会を開催致しましたとき、この分科会の参加者の方々にも、この話しを致しましたら、参加していた、平成21年の実行委員長から、誠に有り難いことに、 【先生のお話からは終始メッセージをいただいたようで、そのメッセージを“相手を思いやる”という形で私は還元してゆけたらいいなぁ、と思います。】と話してくれました。

 

 このブログを御覧になられておられる お方々かたがたは、まさしく、相手のことを思いやることが お出来になられる、誠に素晴らしい お方々かたがたであらせられると存じ上げます。しかも、日本人の心情も大切に考えて下さる お方々かたがたであらせられると信じております。(^-^)

 

 また、某・大学看護学部・看護学科の地域医療研究会の1年生(当時)に伝えましたら、本人から、【〖仁〗,相手を思いやる気持ちは,看護をする上で欠かすことのできないものだと思っています。私も思いやりをもったナースになりたいです。】とのことで御座ございました。

 そこで、【詳しくは、分科会で話すことで御座ございますが、そこに お気付きになられたので御座ございますから、思った通りになる為には、更に、なりたい姿を思い続けることで御座ございますね。】と、伝えました。

 さらに、某・大学看護学部・看護学科3年生(当時)の、地域医療研究会の教え子によると、

 【先週をもちまして無事実習を終えることができました。実習の間には先生から励ましのメッセージをいただき本当に感謝しております。ありがとうございました。

 ことに相手を思いやる、といった基本的姿勢について先生からのメッセージで再認識することができました。

 思いやることは実習でも指導していただいた内容です。実際に患者さまから何を考えておられるのか教えていただくことで、より相手のことを思いやることができたのは実習ならではの大きな学びでした。

 来年度の実習や臨床においても常に心がけて参ります。】とのことで御座ございました。誠に有り難いことで御座ございます。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、家政婦たちにも 話すことですが、上記の『おのれの欲せざる所、人に施すことかれ』は 簡明であり、道徳律と致しましても すぐれていると思われます。日常の道徳に関しましては、これのみでも かなりの効果につながると考えられます。 ちなみに、去る 5年前の10月9日(木)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗しょうじょうから大乗だいじょうへ』のブログ の中段やや下から下段に、

『(前略)薬物療法のように一旦導入されると、減薬し、さらに、止めることに根気が必要である(中略)同・理事長のもとで、心療内科の診療に携わりました、と お伝え申し上げました。この診療をしているとき、不思議と沢山たくさんの薬剤処方をされている患者さんが見えました。慢性的な症状に対して、長く投与されている お薬を、慎重に(精神科で処方されている お薬は、さらに 慎重に少しずつ減薬する必要があります)少しずつ減薬致しましたら、誠に有り難いことに、副作用として現われている症状が よくなっていきました。お薬を減薬するためには、さらに、お薬(薬理学)の勉強をする必要がある、と思われました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、医師は、誰よりも お薬の副作用について 知っています。さらに、お薬を処方する 内科医は、患者さんからの副作用をの当たりにしているわけでありますから、尚更なおさら 分かっているはずであります。このような内科医 や 前述の財務省には、上記の『おのれの欲せざる所、人に施すことかれ』を実践してもらいたいものであります。なお、前述の 去る 5年前の10月9日(木)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ』のブログの下段に、

『(前略)心療内科の学会の理事長の、2回に渡る依頼により、大学を辞して、同・理事長のもとで、心療内科の診療に携わりました。このとき、理事長から、以前、ここで診療していた心療内科医は お薬を処方する前に、必ず自分で服用してみてから、患者さんに処方していた、とのことで御座ございました。当然のことながら、通常の人が心療内科で処方される お薬を服用するので御座ございますから、フラフラになっていたとのことで御座ございました。仮に、お薬を処方するのであれば、【かくありたい!】と思い、さらに 菜食療法の生体実験への思いを深く致しました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、このような稀有けうな例外を除いて 大抵たいていの内科医は、患者さんの処方する お薬のすべてを 自分では 服用していません。 ちなみに、去る3月22日(金)の『義理の兄 と 姉の来訪・28・前編』のブログの中段やや上に、

『(前略)去る 一昨々年さきおととしの1月5日(火)の【母親の新年会】のブログの上段に、

【(前略)御承知のように、体温が下がりますと 免疫が低下します。(後略)】と記させて頂きました。cold(英語)(上記の理由で、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。感冒(俗に、風邪)のことで御座ございます。以下、英語で coldと示させて頂きます)のとき 自然治癒力で 生体が熱を出して 免疫力を向上させ ウィルス や 細菌の生育に 不適当な環境を つくり出していましたのに、仮に 内科に coldで 受診して 解熱剤を処方されますと、体温が下がりますので 上記のように 免疫力が低下します。すると、肺の予防のために、えて 疾患名は 挙げませんが、抗生物質が使用されなければならなくなります。そして、抗生物質は 胃に さわりますので、胃薬が使われなければならなくなります。すなわち、解熱剤が用いられますと、3種類の薬が用いられなければならなくなります。なお、この抗生物質にちなませて頂きますと、去る 4年前の3月16日(月)の【納豆】のブログの冒頭に、

【(前略)母校の、某・理事長に勧められた内科学教室に入局・・・(後略)】と記させて頂きました。それで、この内科学教室の研修中のことであります。すなわち、内科外来で 先輩の医師が 話していたことです。つまり、cold すなわち 局所的な上気道炎で 服薬により 全身に 抗生物質を流すのは 如何いかなものか とのむねでした。ついながら、この話は、少なくても 平成19年7月4日以前から、様々な機会に話してきている内容であります。今回も、話しました。(後略)』と記させて頂きました。この先輩の医師は、こう言いながら cold すなわち 局所的な上気道炎に対して、抗生物質を処方していました。ちなみに、去る4月10日(水)の『知っていること と 知らないこと』のブログの冒頭に、

『(前略)普通の常識では、【わるいと知らずにおかした罪は、わるいことだと知っていておかした罪よりも軽い】と思われるものです。ところが、以下のような問答があります。

師:【知っておかす罪と、知らずにおかす罪と、どちらが重いだろうか。】

弟子:【当然 知っておかす罪業のほうが重いかと…。】

師:【一組ひとくみの焼けた火箸ひばしが有ったとする。知って握ると、知らずに握ると、どちらが重い火傷やけどうか。】

弟子:【知らずに握るほうが、重い火傷やけどいます。】

師:【すなわち、知っておかす罪よりも、知らずにおかす罪は重いのである。】

 

 ときに、昨日 すなわち 4月8日(月)の【釈尊の御生誕日(うなぎ蒲焼かばやき・289[スパゲッティ・父親の食事])】のブログ去る 昨年の4月8日(日)の【釈尊の御生誕日(うなぎ蒲焼かばやき・95[父親の食事])】のブログ去る 一昨年おととしの4月8日(土)の【釈尊の御生誕日・仏花ぶっか(両親の食事)】のブログ去る 一昨々年さきおととしの4月8日(金)の【釈尊の御生誕日(「日本万国博覧会」)】のブログ そして 去る 4年前の4月8日(水)の【 南瓜かぼちゃ】のブログの冒頭に、【本日は 釈尊(お釈迦様の尊称)の御生誕日ですね。(後略)】と記させて頂きました。なお、上記の問答の出典であります。

 すなわち、阿難尊者があるとき、釈尊(お釈迦様の尊称)に 【知っておかす罪と、知らないでおかす罪とどちらがおそろしいのでしょうか】と、質問したことが 【ミリンダ王所問経】の中に出ております。

 そのとき 釈尊は、【それは知らないでおかした罪のほうが 重くておそろしい】と、キッパリと答えられています。阿難尊者が その理由を尋ねると、【おまえは 焼け火箸ひばしを 焼け火箸ひばしだ と知って握る人と、焼け火箸ひばしだと知らないで握る人と、どちらが重いおそろしい火傷やけどをすると思うか】と反問されました。阿難尊者は 即座に、【それはもちろん、焼け火箸ひばしと知らないで握ったほうが、よりひど火傷やけどを致します】と答えると、釈尊は、【その通りである。人は自分のしていることが罪悪だと知らないために、いつもその罪を重ねることになるから、一層 罪が重く おそろしいのだ】とおさとしになっています。つまり、それは まさしく 【無知】のせる【罪】のことであったのです。

 

 ところで、ここで、考察してみますと、知っておかすということは 本当には 分かっていなかったとも考えられます。何故なぜならば、本当に 分かっていれば おかさないと思われるからです。すなわち、本当には あついと 分かっていない 火箸ひばしを握れば、やはり 重い火傷やけどうと考えられるのです。 ちなみに、このことは、去る 5年前の10月8日(水)の【親の受診に付き添っていること・1】のブログ また 去る 5年前の11月9日(日)の【親の受診に付き添っていること ・2】のブログ のそれぞれ共に中段やや上 そして 去る 4年前の2月23日(月)の【天皇陛下行幸の君恩に よくして】のブログの中段やや下に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の勉強会で、20数年前 発表したことであります。また、本日 ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)に話しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。(後略)』と記させて頂きました。上記のように 知っておかすということは 本当には 分かっていなかったとも考えられるのです。但し、前述致しましたように、上記のように 誰よりも お薬の副作用について 知っているはずである 内科医 や 前述のように 立場上 日本の景気のことは 一番 分かっているはずである財務省には、日本人にっぽんじんために いては 日本の国益のために、上記の『おのれの欲せざる所、人に施すことかれ』を実践してもらいたいものであります。なお、これらのことは、家政婦たち、前述の 去る9月27日(金)の『信用金庫の営業・続報6・前編』のブログ と 去る9月27日(金)の『信用金庫の営業・続報6・後編』のブログなどに記させて頂きました 信用金庫の営業のかた、そして、本日 すなわち 10月1日(火)の『訪問看護(父親)・37・前編』のブログ と 本日 すなわち 10月1日(火)の『訪問看護(父親)・37・後編』のブログなどに記させて頂きました 訪問看護師のかた(所長)などには伝えました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、上記の 「平静の心」ウィリアム・オスラー著のp198には、

「(前略)われわれのなかには、次々つぎつぎに展開する 苦しみをの当たりにして 当初 いだいていた 共感の鋭いやいばを徐々に鈍らせてしまう者もいる。(用いられている漢字 そして 送り仮名がなも含めて、原文通り)(後略)」と書かれてあります。

 つぎに、去る 9年前の3月16日(月)の「納豆」のブログの冒頭に、

「(前略)母校の、某・理事長に勧められた内科学教室に入局・・・(後略)」と記させて頂きました。それで、この内科学教室での研修医の頃、その内科に 同期で入局した男性医師によりますと、研修医になって 涙が出なくなった とのことでありました。すなわち、研修医の環境を経験して、上記のごとく 共感することが かなわなくなったのでありますね。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)