知っていること と 知らないこと | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

 リンクを らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)


 さて、普通の常識では、「わるいと知らずにおかした罪は、わるいことだと知っていておかした罪よりも軽い」と思われるものです。ところが、以下のような問答があります。

師:「知っておかす罪と、知らずにおかす罪と、どちらが重いだろうか。」

弟子:「当然 知っておかす罪業のほうが重いかと…。」

師:「一組ひとくみの焼けた火箸ひばしが有ったとする。知って握ると、知らずに握ると、どちらが重い火傷やけどうか。」

弟子:「知らずに握るほうが、重い火傷やけどいます。」

師:「すなわち、知っておかす罪よりも、知らずにおかす罪は重いのである。」

 

 ときに、昨日 すなわち 4月8日(月)の「釈尊の御生誕日(うなぎ蒲焼かばやき・289[スパゲッティ・父親の食事])」のブログ去る 昨年の4月8日(日)の「釈尊の御生誕日(うなぎ蒲焼かばやき・95[父親の食事])」のブログ去る 一昨年おととしの4月8日(土)の「釈尊の御生誕日・仏花ぶっか(両親の食事)」のブログ去る 一昨々年さきおととしの4月8日(金)の「釈尊の御生誕日(「日本万国博覧会」)」のブログ そして 去る 4年前の4月8日(水)の「 南瓜かぼちゃ」のブログの冒頭に、「本日は 釈尊(お釈迦様の尊称)の御生誕日ですね。(後略)」と記させて頂きました。なお、上記の問答の出典であります。

 すなわち、阿難尊者があるとき、釈尊(お釈迦様の尊称)に 「知っておかす罪と、知らないでおかす罪とどちらがおそろしいのでしょうか」と、質問したことが 「ミリンダ王所問経」の中に出ております。

 そのとき 釈尊は、「それは知らないでおかした罪のほうが 重くておそろしい」と、キッパリと答えられています。阿難尊者が その理由を尋ねると、「おまえは 焼け火箸ひばしを 焼け火箸ひばしだ と知って握る人と、焼け火箸ひばしだと知らないで握る人と、どちらが重いおそろしい火傷やけどをすると思うか」と反問されました。阿難尊者は 即座に、「それはもちろん、焼け火箸ひばしと知らないで握ったほうが、よりひど火傷やけどを致します」と答えると、釈尊は、「その通りである。人は自分のしていることが罪悪だと知らないために、いつもその罪を重ねることになるから、一層 罪が重く おそろしいのだ」とおさとしになっています。つまり、それは まさしく 「無知」のせる「罪」のことであったのです。

 

 ところで、ここで、考察してみますと、知っておかすということは 本当には 分かっていなかったとも考えられます。何故なぜならば、本当に 分かっていれば おかさないと思われるからです。すなわち、本当には あついと 分かっていない 火箸ひばしを握れば、やはり 重い火傷やけどうと考えられるのです。 ちな みに、このことは、去る 5年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ また 去る 5年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログ のそれぞれ共に中段やや上 そして 去る 4年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩に よくして」のブログの中段やや下に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の勉強会で、20数年前 発表したことであります。また、本日 ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)に話しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)