ノーベル賞 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、御承知のことであらせられますように、一昨々日(さきおととい)はノーベル医学・生理学賞、そして、一昨日おとといはノーベル物理学賞を、それぞれ日本人が受賞したニュ-ス(英語:news)が入って来ました。同じ日本人として誠に嬉しく、誠に有り難いことで御座ございます。誠におめでとう御座ございます。後者は、中性の素粒子であるν(ニュートリノ)(英語: neutrino)の研究でノーベル物理学賞が決まりました。ν(ニュートリノ)いますと、大学受験のときに、素粒子物理学で初めて勉強しました。そのときは、βベータ崩壊(英語:beta decay)すると、電子(βベータ粒子)と反電子ν(ニュートリノ)を放出するという程度の内容でした。その後の勉強で、ν(ニュートリノ)には、電子ν(ニュートリノ)(英語:electron neutrino)μミューν(ニュートリノ)(英語:muon neutrino)、そして、τタウν(ニュートリノ)(英語:tauon neutrino)の3種類の型、さらに、それぞれの反粒子を合計わせた6種類の型があると考えられているとのことでした。昭和37年(1962年)、今は亡くなっている日本人三人によって、ν(ニュートリノ)が質量を持つこと、そして、ν(ニュートリノ)の上記の型の間で変化する「ν(ニュートリノ)振動」をすることが予測されました。なお、去る8月9日(日)の「長崎原爆の日」のブログ の中段やや上に、10年前、すなわち、平成17年暮れに、東京・上野の国立科学博物館で開催された、日本の科学者技術者展シリーズ 第2回「仁科にしな芳雄よしおと原子物理学のあけぼの」を観覧したむねを記させて頂きました。御承知のように、戦後、原子 理論物理学の分野では、日本人の業績が大きいです。米国に比べて、研究予算の少ない日本では、理論物理学がなされて来ました。


 ときに、去る4月12日(日)の「ピサ(イタリア)」のブログ の上段に、

「(前略) ガリレオは、実験により仮説を実証して理論化するという過程を現実化しました。ちなみに、学部生の頃、自然科学では実験が大事ということを学びました。(後略)」と記させて頂きました。今回は、観測により、「ν(ニュートリノ)振動」という物理現象を初めてとらえ、質量が無いとされていたν(ニュートリノ)に質量があることを実証したことにより、ノーベル物理学賞が決定しました。ν(ニュートリノ)の質量と致しまして、極めて小さな上限値(電子[英語:electron]の質量の百万分の1以下)が得られています。大きさは、1mm(ミリ・メートル)の千兆分の1以下とのことです。すなわち、実験物理学によって、証明されたのです。前述の理論物理学と実験物理学は、対比して使われる言葉です。勿論もちろん、前述致しましたように、両方大切です。但し、実験するためには、予算が必要です。採掘が中止されている神岡鉱山を利用しているとはいえ、岐阜県の地下千mにある装置「スーパー・カミオカンデ」を運営する為には、予算、そして、高度な技術力が必要であったことと存じます。今回のノーベル物理学賞・受賞者の恩師で、世界で初めて、約15万光年離れた大マゼラン星雲の超新星SN 1987Aからの電子ν(ニュートリノ)を観測し、去る平成14年(2002年)に同じくノーベル物理学賞を受賞したかたによりますと、「教え子が賞をもらってよかった。」とのことでした。

 前述の仁科にしな芳雄よしお博士は、以前、栄光なき天才として取り上げられたこともあり、ノーベル物理学賞は受賞していません。しかしながら、前述の、去る8月9日(日)の「長崎原爆の日」のブログ に記させて頂きましたように、理化学研究所(理研)の仁科にしな研究室の一員でありました朝永振一郎氏、そして、書簡によってはげましたとされる湯川秀樹氏は、御承知のように、ノーベル物理学賞を受賞しました。前述した恩師と同様に、「賞をもらってよかった。」と思われたことで御座ございましょう。ちなみに、去る平成11年(1999年)、今回のノーベル物理学賞・受賞者は、この仁科にしな記念賞も受賞しています。なお、前述の、去る8月9日(日)の「長崎原爆の日」のブログ の最後に、

「(前略)去る2月14日(土)の『絵本の影響』のブログ の中段やや上に、

『(前略)子供達の将来の進路の参考になるように、主に、日本の偉人伝のぉ話です。(後略)』と記させて頂きましたが、仁科にしな 芳雄よしお博士の話を致しました。同・博士は日本の偉人として尊敬するかた一人ひとりです。同・博士の存在を知ったのは、小学生高学年のときでした。


 ちなみに、去る5月15日(金)の『記銘された氏名』のブログ の上段に、

『(前略)患者さんも驚いてくれ、周囲の方々(かたがた)に告げてくれ、記銘されましたことは、自分と同姓同名の患者さんが見えたことでした。それ位、珍しい氏名なので御座ございます。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。同・博士の影響もあり、将来の進路を決める高校生のときに、物理学を専攻しようと思ったこともありました。その頃、間接的に同年代の高校生から、東大理科一類に入学するのは現役合格でなければならないと伺いました。数学や理論物理学の分野は、20歳代が勝負と言われています。とても現役合格はかなわなかったということも、物理学をあきらめた一因で御座ございます。このことを、医学部に入学したときに、教養課程の数学講師に話しましたら、けっしてそのようなことはないとのことでした。この数学講師のように、教養課程の教育に携わるのであれば、大丈夫のようです。前述致しましたように20歳代が勝負と言われていますのは、研究のことで御座ございます。そこで、趣味と致しまして物理学を勉強して来ました。

 去る10月7日(火)の「ボランティア・地域医療」のブログ去る1月25日(日)の「ボランティア・地域医療・その2」のブログ去る1月29日(木)の「ボランティア・地域医療・その3」のブログ 、そして、去る8月8日(土)の「ボランティア・地域医療・その4」のブログ に、

「(前略) 先輩から委託されて学部生であった頃から関わっております、母校の医学部と某・看護の大学が主催しています地域医療研究会(後略)」と記させて頂きました地域医療研究会の追いコン(送別会)に呼ばれまして、話すことを依頼されると、申していることの話のさわりを、前述の 去る1月25日(日)の「ボランティア・地域医療・その2」のブログ の上段に記させて頂きました。その話のさわりの一部を引用させて頂きますと、

「(前略)御承知のように、卒業生の方々(かたがた)がこれから迎える、また、迎えられた方々(かたがた)もおられますが、24歳位の年齢は、経験と頭脳の働きの曲線が交叉(こうさ)する年齢です。

 ノーベル物理学賞でいえば、受賞した日本人の某・理論物理学者(去る1月8日【木】の『ひらめきとインスピレーション[inspiration]』のブログ の中段で言及させて頂きました)がπパイ中間子の存在を着想したのも、某・理論物理学者(去る10月25日(土)の『右脳記憶とインスピレーション[inspiration]』のブログ の上段で言及させて頂きました)が特殊相対性理論を構想したのも、24歳位の年齢のときと言われています。

 医学とか、人文科学系はもっと(あと)でも大丈夫と言われていますので、どうぞ御安心下さい。

 兎も角ともかく、若いちからは素晴らしい。こういう若いちからを評価してくれる、しかも、人間性の優れた、皆さんにとって尊敬できる、そういうトップ(英語:top)のもとに付かれて、はげまれますことを心より願っています。(後略)」で御座ございます。


 ところで、去る昨年の10月10日(金)の「青色発光ダイオード(エレクトロニクス)」のブログ の上段に、

「(前略)理研の元・所長(物理学者)と同じ氏名ということもあり、物理を志望したことも御座ございました。(^O^)(中略)今回、青色発光ダイオードで、日本人がノーベル物理学賞を受賞したこと、誠に素晴らしいです。(後略)」と記させて頂きました。2年連続で、誠に有り難いことに、日本人がノーベル物理学賞を受賞したことになりますね。


 本日も、最後(まで)ぉ読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)