コロコロの雀
モスクワで暮らし始めて驚いたことのひとつに、雀がコロッコロにデブなことと、食いしん坊なことがある。
「こんなに気候が違っても、同じ種類の雀がいるのね~」と、微笑ましく思ったのもつかの間、近寄ってみると、とんでもなく太っている。
さらに食いしん坊ぶりもタダモノではない。
マクドナルドで屋外のテーブルに座ると、必ずと言ってよいほど寄ってきた。ポテトやパンを与えてみるとものすごい奪い合いになる。・・・雀って闘争心のある生き物だったんだっと新発見をした気分だった。
雀が食いしん坊で丸々と太っているのは、寒い冬を乗り越えるためであろう。が、今考えると、皮下脂肪が厚いだけではなく、毛も長めだったのではないだろうか。
というのも。
ブログを始めてから他の皆さんの猫たちの体重を知るようになり、ムルカは実際よりもずっと太って見えることがわかった。よくよく比べてみると、ムルカの毛は日本猫たちよりも太くて長い、そしてぼわっと立っている。
今まで、ムルカのこうした毛の性質は雑種だからだと思い込んでいたが、この雀たちの写真を見つけ、これも「寒冷地仕様」の一種かもしれないと思うようになった。
そういえば、モスクワ時代、ムルカの名前を「ブルカ」と勘違いしていた人がいた。(お別れの色紙にそう書かれていたので、その人には最後まで訂正できなかったのだが。) 「デブ・ブルカ」と呼びたいほど、丸々と太って見えたのか・・・。
一応、レディなんだけど・・・。
首輪のまわりの盛り上がりもよく見てみると、お肉はなくって毛がフサフサなんです。
テリトリー ~オトナの猫にゃっ~
2,3日の放浪生活を経て、ムルカがベッドに戻ってきた。
といっても、夜、寝るときはあくまでも別々だ。クローゼットや飾り棚の上に寝ていて、何度ベッドに連れて行っても、戻ってしまう。でも、朝目を覚ますと何気ない顔をして、私の枕元に置かれたクッションの上で寝ている。
すんなり2人+1匹でベッドをシェアすることに難色を示し、「ここはあたしのテリトリーよっ」と主張し・・・
オジサンが寝た直後、もっともイビキと歯ぎしりがひどい時間帯は避けて、何が嫌なのかも示した・・・。
一応、意思表示はきっちりしたので、オトナの猫としては、これ以上よけいな意地は張らず、この時季、一番寝心地のよい場所で寝ることにしたのだろうか。
日中はテリトリーを主張するかのように、ベッドの真ん中でわざと寝てみせることが増えた。それにしても、女の子なのになんって格好!!
「オリガ・モリソヴナの反語法」
- 米原 万里
- オリガ・モリソヴナの反語法
読んでよかった~っと心から思える1冊だった。
チェコのプラハ・ソビエト学校で1960年代を過ごした主人公が、30数年の時を経て、当時の名物舞踊教師オリガ・モリソヴナの半生を辿るというストーリーの長編小説。
はじめは、以前ご紹介した「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」
の続編かと思ったが、それ以上に味わい深い作品だった。
「嘘つき・・・」には、30数年の時を経て、当時各国から集まっていた同級生3人の消息を辿り再会する、というノンフィクションが3編収録されていたが、今回は再会した同級生とともに、当時の名物教師オリガ・モリソヴナの半生に関する謎を解明していくというストーリーだ。主人公が元ダンサーという設定になっており、物語自体は事実に基づいたフィクションらしい。
革命や粛清、そしてソ連崩壊。ロシア国民は本当に様々な試練を乗り越えてきた。いつの時代にも、いくつもの判断を迫られ、自分で考えて生き延びる手立てを探し続けなくてはならない。そのたくましさには感動を覚える。
そして。
舞台は1930年代から50年代にかけての不安定な時代。ラーゲリ(強制収容所)を含む粛清当時の様子が生々しく語られているのに、この物語は少しも重たくないのだ。米原万理さん特有のテンポのよいユーモアあふれる語り口、そしてロシア人に対する愛情に満ちた目線で書かれた文章にはすっかり引き込まれ、今回も一気に読んでしまった。
オジサン VS ムルカ
数日前から夫は家庭内ジプシーを仮終了し、ベッドで寝ている。最近、あまり疲れていないのか、イビキも歯ぎしりもあまりひどくなくなったからだ。2人揃って寝室を使うのは、春を迎えて以来のことだ。
実は、かなり前から、あまりうるさくなかったのだが、夫が寝室で寝ることになると、せっかくの1つのベッドはクッションでムルカ、もう1つのベッドはきてぃ、という幸せな定位置が崩されることになるので、気が付かないフリをしていたのだ。夫が寝室に戻り、ベッドが2つともふさがるとムルカと一緒に寝ることができない。人間がふたり寝ていても、枕元にクッションを置いておけばいつも通りそこで寝てくれないかと、淡い期待を抱いたのだがまったく無視された。
最初の夜は、夫の方が私よりもずっと先に休んだ。ムルカは案の定、というか、私と一緒にリビングに残って寝、私が寝るころには、どこへともなく姿をくらましていた。(おそらくベッドの下か)
私が先に寝てみて、私の枕元にムルカのクッションを置いてもやはりダメだ。掛け布団が2組置いてあるのを見た時点で逃げ出してしまう。
オジサンって、そんなに寝相が悪いのだろうか?![]()
それとも、オジサンのイビキや歯ぎしりは、ムルカにとって私が感じているよりずっと大きなキョウフ
なのだろうか?
とにかくオジサンが帰還して以来、ムルカは夜眠くなると、どこへともなくふらりと姿を消すようになった。
さみしい・・・。![]()
考えてみると、夫とムルカは、ベッドだけではなく様々な面でライバル
だ。
日中、ムルカの相手ですることが終わっていないと、夫が帰ってから話相手をしなかったりテレビの音に文句を言ってしまったりする。一方、夫が帰るまでに、するべきことを全部済ませておこうとすると、ムルカにどんなにせがまれても、放っておくしかない。
ネコとダンナを天秤にかけるな・・・とおっしゃる方も多いと思う。
・・・でも。
平和な我が家においては、結構、深刻な問題だったりする。![]()
ここはあたしのベッドにゃっ?
あ、悪いねえ、元々はオジサンのだったんだよ。
気に入ってたのに・・・。
昼間は空いてるにゃ~?
昼間は使っていいよっ
あたしのテリトリーだったのに・・・。
人間って勝手にゃよっ。
トーポリの季節
長い長い冬の後に来る待望の春。
けれども、モスクワの春は決して「美しく」はない。
まず、雪解け。冬の間、モスクワに降り積もった雪はずっと凍っているので、雪解けの季節、外気温が零度前後まで上昇したときの道の汚さと言ったら、とんでもない。しかも、ペット大好きなロシア人たちには、散歩のときに犬たちがしたウ○チを拾うという習慣がないため、雪解けの季節は、そこいら中で数ヶ月間凍っていたウ○チも解凍されてしまうのだ。
この時季、洗っても洗っても、10分も運転すればドロドロになってしまうので、自家用車を汚れっぱなしにする人が多く、それがさらに街全体をみすぼらしくする。ある年などは、「パパ、車を洗おうよ」というキャッチフレーズで、かわいらしい男の子が泥んこになった車のおもちゃを洗っているポスターが、政府により、バスの車両や街角に大々的に貼られたこともあったくらいだ。
そんな2月、3月を経て迎える遅い春。
それは美しいか。
確かに、行政が手配する中央分離帯や公共の公園の花壇はすばらしい。幹線道路には、すでに開花したパンジーやチューリップなどが突貫工事(?) で植えつけられるので、文字通り、一夜にして、春はやってくる。
けれども、別の問題がある。
トーポリだ。
トーポリは、ポプラ科の背の高い樹木。第二次世界大戦後、街の緑化政策の折、モスクワの気候に適した最も成長の速い樹木、ということで白羽の矢が立てられたのが、このトーポリだ。行政により政策として植樹されたので、街のいたるところにこのトーポリがある。
このトーポリが、初夏、5月末頃からだろうか、巨大たんぽぽのような綿帽子に包まれた種を放出し始めるのだ。そのサイズは、空中分解しなければ、おとなのゲンコツ程度もある。これが、毎日毎日飛ぶ。せっかく雪が無くなった路上は、今度はこのトーポリの綿帽子で真っ白になるし、この時季、窓を開けて過ごす時間が長くなるので、部屋の中にもかなり入ってくる。また、これにアレルギー反応して花粉症に苦しむ人もいるようだ。
誰でも、長い冬の後の春の訪れは嬉しく感じるものだ。だが、汚い街並み、それからトーポリの綿帽子、と、モスクワでは春の訪れも手放しでは喜べない。













