最も身近な投資用不動産
「不動産投資」と聞けば、最初に浮かぶのが「賃貸アパート」や「賃貸マンション」でしょう。学生時代に木賃アパートに下宿…というのは、昭和世代のイメージかもしれませんが、「アパートやマンション(アパマン)を借りて生活した経験が全くない」という人の方が「少数派」ではないかと思います。それだけ身近で、投資家にとっても分かりやすいのがアパマンです。
高度経済成長期には、「住宅すごろく」という言葉がありました。「地方から出てきて就職し、社宅やアパート住まいを経て、分譲マンションをローンで購入、最後は郊外の分譲地に夢の一戸建」というのがサラリーマン憧れの住宅キャリアでした。ところが、ニュータウンと言われた団地や戸建て分譲地は、今や高齢者の町となり、空き家も目立つようになってしまいました。
アパマン投資は、少子高齢社会となった日本の社会構造と密接につながっており、投資家にとっては、「分かりやすい」が「将来が不安」な投資対象でもあると言えます。現に賃貸管理の現場では、「高齢者の孤独死」は、珍しいことではなくなり、その処理を受託する「特殊清掃業」は成長産業といわれています。
ところが、この環境変化をどうとらえるのかという点にかんしては、人によってばらつきがあるようです。不動産投資セミナーで語られる内容にそれが現れています。
曰く、「単身世帯の増加を根拠に、単身者向けワンルームマンションに投資せよ」「地方の高利回り物件に勝るものなし」「ぼろ家投資こそ狙い目」と…。
さあ、「アパマン」投資家は、失敗しないために何を考え、どう行動していけばよいのでしょうか。
競争が激しくなる
アパマン経営に影響を及ぼすと考えられる「環境変化」を拾ってみたのが、次の図です。
アパマン投資を取り巻くマクロトレンド |
マクロトレンド |
顕在化 |
少子・高齢・多死社会、核家族化、東京一極集中・不動産需要の地域格差、観光(インバウンド)、多拠点生活、ICT、地球温暖化 |
不確実要因 |
外国人(移住・定住)、都市計画、企業誘致、学校、コンパクトシティ |
例えば、人口の最大ボリュームゾーンである団塊の世代は、いま、後期高齢者となり、この先お亡くなりになる人が増えることになります。
所有していた自宅は空き家になり、相続対策のために建築したアパートや、タワマンに代表される節税目的のマンションは、子供に引き継がれて行きます。不動産保有に消極的な子供は、(節税という)役割を終えたアパマンの売却を望み、その結果、大量のアパート・マンションが市場に供給されることになるでしょう。
そこに「人口減少」です。今までは、「世帯数の増加」が人口減少をカバーし、賃貸需要を支える役割を果たしてきましたが、この世帯数の増加も2030年の5773万世帯をピークに減少に転じます(国立社会保障・人口問題研究所による令和6年推計)。
どこをどうひっくり返してみても、この先の賃貸市場は「競争が激化する」と考えるのが自然ではないでしょうか。
変化対応で需要を見出す
この「人口減少」「世帯数減少」を背景にした競争激化に対し、アパマンオーナーにはどんな対応策が残されているでしょうか。「2030年までに売却、手じまい」「賃料値下げ」…、まあ、それも一つだと考えますが、積極的な取り組みとして「環境変化に対応した新たな価値を提供すること」が、基本戦略となるはずです。
コロナ禍の影響を受けたものの、インバウンド観光客の増加は、「民泊」という新たな需要をつくりだし、またコロナ禍によるライフスタイルの変化が、多拠点生活、ひいては地方の空き家再活用という需要も生み出しました。さらには、地球温暖化が引き起こす災害の数々は、賃貸住宅においても、環境負荷低減への対応を不可避のものとしています。
一方で、「就労歓迎、移民不可」という、いびつな入国管理制度の下で働く外国人に関しては、、明確な方向感が見えていません。熊本や宮城での半導体企業誘致が引き起こした、不動産市場へのインパクトは、まさに「現在進行形」ですが、大きな「賃貸需要の増減」を引き起こす、施設の移転や都市計画の見直しは、常に注意し続けなければなりません。
アパマン投資は、結局のところ「賃貸住宅経営」であり、経営者として「テナント」「入居者」のニーズを的確に受け止め、あるいは新たなニーズを掘り起こし、価値提供することによって家賃という報酬をいただくビジネスです。ならば、不確実要因も含めたマクロトレンドの中に、これからの賃貸経営のヒントが隠れているはずです。
競争激化への対策は? |
変化対応 |
①付加価値提供による差別化
②ニッチ分野への特化
③短期出口戦略(変化前に利益確定) |
事例紹介
このような中で、私が取り組んだ外国人向けシェアハウスと戸建賃貸の事例をご紹介したいと思います。
仙台市郊外にある一戸建住宅をリノベーションして、知り合いのフィリピン人(と、日本人も)が住むためのシェアハウスを用意しました。ポイントは、入居者全員を「知っている」ということです。
日本で働く外国人にとっては、何かと生活上の不安がつきまといます。私は、貸主であると同時に彼らの相談相手でもあります。彼らは、私を信頼し、何か問題が生じると助言を求めてきます。
仕事上の相談のこともありますし、シェアハウス内のちょっとした問題のときもあります。後者に関しては、最初は、私がルール作りをして説明していましたが、今は、住民同士の交流が進み、互いに話し合いながら、全員が心地よく過ごせるよう、自分たちでルールを改定し、私には同意を求めるだけになっています。
東京で所有する戸建賃貸物件は、大手管理会社に長く管理をゆだねていましたが、あるトラブルがきっかけで、自ら管理するようにしました。
管理といってもほとんどは設備の不具合、修繕です。以前は、「入居者と顔を合わせることが、煩わしいのではないか」と考えて、管理を委託していましたが、入居者と直接やり取りする方が、むしろ関係は良好で、しかも効率的です。
もちろん、賃貸借契約前に入居予定者と顔合わせをし、連絡先を交換し、「何かあればすぐに連絡下さい。」と伝えた訳ですが、互いに挨拶したことで、理不尽なクレーム的なものは一切なく、SMSによるやり取りは、(管理会社という介在が無い分)スピーディーな対応が可能で、互いにストレスもありません。
この経験から、学んだことは「大家と店子」関係への回帰が「貸家における価値を提供する」ということです。そうです、あの落語に登場する長屋の大家さんと、熊さん、八っつぁんの関係です。
入居者は、長年「マンションはカギ1本で出かけれられる、煩わしい付き合いをしなくてもよい」と信じ込んできました。賃貸オーナーも「面倒なことは管理会社に任せるのがよい」という固定観念を持ち続けてきたのではないでしょうか。
しかし、人は社会的な動物です。互いに「知っている」ということが、賃借人には「気持ちの上での安心感」を、オーナー側には、クレームやトラブルの防止(もちろんしっかり対応すればということですが)という、大きなメリットをもたらしてくれるのです。
私のシェアハウス、貸家は一つの例にすぎませんし、「付加価値」の提供は、これに限ったことではありません。ただ、何の特色もない「one of them」の物件が行きつくところは「価格競争」ということだと思います。
外国人に注目中!!
話がそれてしまいますが、私は、住宅弱者となりやすい外国人やシングルマザー、障がい者向け賃貸住宅に注目しています。今の自分の力量で、多くの展開はとても無理ですが、社会的な意義も大きく、チャンスがあれば取り組んでいきたい分野です。
そう考えるようになったのは、フィリピン人との交流を通じて得たものが大きく影響しています。
皆さんは、「ジャパゆきさん」という言葉をご存じでしょうか。
日本経済が絶好調だった83年頃の造語で、日本に出稼ぎにきて風俗営業等に従事した、貧しいフィリピン人等の女性のことを指す言葉です。私は、その言葉の中に「日本は先進国で、アジアの国々より上」という「上から目線」の意識が現れていたとみています。
あれから40年が経ちましたが、その意識は今も「外国人の雇用と住まい」に受け継がれていると私は思います。
「技能実習生」としての就労は、日本人が敬遠する農業や介護、建設等をはじめ、飲食、観光業界などに拡がっています。それらの中には、単に人手不足を補う「労働力」として、しかも低賃金であることを期待した雇用で、劣悪な住環境な住まいをあてがわれていることも珍しくないと聞けば、とても悲しい気持になっています。
実際には、外国人の能力は日本人に劣るどころか、とっくに追い越していると考えるべきでしょう。例えば、急激な発展を遂げた中国は言うに及ばず、IT分野におけるインドやパキスタンは、その好例です。
しかも、日本を除く多くのアジア人は、英語でのコミュニケーションに支障がありません。仙台のシェアハウスに入居するフィリピン人も、その一人、起業経験もあり経営の勉強を積んできた優秀な人財です。もちろん、教育機会に恵まれず、貧しい生活を送っている人たちが存在することも事実ですが、それは、彼らの能力の問題ではなく、政治的、経済的な状況が教育を受ける機会を奪っているということにすぎません。そして、同じ問題が日本においても存在します。
つまり、どの国にもいろいろな才能、能力を持った人がいて、できるだけ楽をして稼ぎたい怠け者もいて、とても優秀な人もいる、「なーんだ、日本人も外国人も同じじゃん‼」ということなのです。
では、1ドル160円まで進んだ円安の中で、迎える側の「日本のセールスポイント」はといえば、今や治安と、サブカルチャーに代表される文化や歴史が頼りとなりつつあります。いつまでも、上から目線では、日本が「選ばれない国」になっていくことは避けられないのではないでしょうか。
「住まい」は「建物」というハードだけでは機能せず、「安全、安心、人との繋がり」といった、ソフトと一体となってはじめて機能するものだと思います。遠く故郷を離れてやってきた外国人にとっては、とりわけ大切な要素だと思います。
だから、私は「単なる貸家業」ではなく、彼らと「直接かかわりを持つこと」で、日本と日本人の良さを知ってもらい、いち早く溶け込んでもらえるような住宅を、そんな「住まい=居場所」を提供できたらと、夢を描いているところです。