量子場師&心屋カウンセラーのむかえです
(心屋マスター29期 かのマス卒業)
☆前者・後者って?
人間は実は、2つの人種に分かれているーー
それぞれはお互いに基本的な生態、世界観、機能が全く異なるが
それを知らない、気づいていないことが様々な場面で誤解やすれ違いを生んでいる。
これは「人間のOS」の発見と理解であり、世界を変えるかもしれない話である・・・。
元祖;by 心屋仁之助さん
『■【永久保存版・全体概要】前者後者は世界を救う?!前者後者ってなんだ?』
私の記事:【保存版】
⇒1.基本編、2.機能編、3.世界観・コミュニケーション編
(→『前者後者の過去記事一覧』)
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『「自分軸」のターン』続き
さて、本日の内容は
まだ確信あって主張するわけじゃない
私の仮説なので
こやつら は出番なしです~
そもそも私は前者じゃないんで
外から勝手なこと言うわけですが
それでもなんで書くかと言うと、
私には大事なことのようにみえるんですが
他に同じこと言ってる人が見当たらないからです。
※前者さんでそういうひと見かけたら教えてくださいな~。
すぐ参考リンク貼るので。
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わたしはいつも思うんですよ。
前者さんが「自分軸」て言うたんびに
大変じゃないのかなあ、と。
それが前者さんにとって大事な課題であることも、
ある種の切実さや必要性があることもわかるんですけど
それって、
要は後者が「他人視点」を意識するのといっしょでしょう?
誤解を恐れずに言えば・・・・
無理しなくていいんじゃないの?
て思うわけです。
いや、もちろん
後者にとっての「他人との関わり」と一緒で
前者にとっての「自分との関わり」って
大事なテーマですよ。
自分に意識を向ける。
自分の快不快、喜びを考える。
自分という「今」「ここ」にある。
誰か、じゃない、自分の感情や意思で世界に対する。
ナチュラルではあまりにできてないからこそ、
しかも時代的にはこういうことを
考えずにはいられなくなってるからこそ
(なんもせんでもみんな条件的には幸せだしね)
その訓練は前者さんの課題だし、
人生を考える上でもとても大切な話だろうと思います。
だからまずはやった方がいいだろうし
それはそれで付き合い続けていくテーマでしょう。
しかし( ̄▽ ̄)
痛々しいなー、て思う人
昔からたまに見かけるんですよね。
すっげー偏った情報ですが^^;
アメリカのビジネスドラマに出てくる前者さん達(特に女性)にも
そういうことを感じます。
で、私が思うに、
そういう人達って
「自分」の意識の持ち方を無理してるんじゃないかなあと。
どういうことかというと、
前者さんが自分軸を持とうとして「自分」を意識する時に
もしかしてここだけを見てませんか?という話で。
で、それを後者の「コレ」と比較してませんか?
※あ、球から上に線出てますけど
それは地上に出てる時のモードなんで実際の本体は「これ」のみです。
後者の「大丈夫」、そして存在としての強さを支えてる
この確固とした強力な「自分」。
それともしかして比べてませんか?
・・・・・もしそうなら、私は
それは違うんじゃないかと思うんですよ。
もちろんいわゆる物理的なというか、
感情や意思の主体としての”自分”というのは
そりゃここにしかありませんよ?
でも、
前者さんが本来意識するべき「自分」のカタチって
こうだと思うんです。
こう。
だから後者と比較するならこう。
どっちだって「人間」という共通のベースがあるけど
前者か後者かで
生物としての「存在形態の差」がある。
「自分」のカタチでいえば
集中してるか平面的に分散してるか
っていう違いがあるってことなんだと思うんです。
それをここだけで比較しようなんて
勝負になるわけがない。
というか、比較する対象が間違ってる。
で、確かに世の中には
正に「ここ」を鍛えていく方法もあって、
それをやってるのが欧米の教育ですよね、たぶん。
極端なのがアメリカなのかな?
「I」が強いというか。
境界を常にしっかり持って、
自分の意思を常に前面に出す訓練を
子供の頃から繰り返ししてる。
前の記事でも書きましたが
そういう強さって凄いし、
そういう中でしか生まれないものもあると思うけど、
・・・・・でもなー
なんかどこかで無理してないかなーと思うんですよ。
きついから
鎧も着るし、攻撃的にもなるんじゃないかしら。
以前はそれでもバランス取れてたのかもですが、
今みたいな時代だと
日本の後者の前者努力と同じで
努力に際限がない上に
あっちはあっちでナチュラルボーン後者がいて、
そういう「代表的理想像」の情報やノウハウが氾濫して
疲れちゃってないのかなと。
で、それができないことを
「病気」や「弱さ」や「未熟」、「努力(覚悟)不足」だと思ってたりしてね。
実際のとこは知りませんけど^^;
(まーでも、アメリカの映画見る度に、普通の人の普通の生活をないがしろにし過ぎじゃねーのかとよく思いますけどね)
私の提案はそうではなくて、
「自分」をこう捉えてはどうだろうかと。
全体が「自分」の範囲で、
その中心に司令塔というか主体としての自分がある。
こういう風に捉えてたら、
自分が迷子になったり
そんなに他人の一挙手一投足に
振られないんじゃないかと思うんですけど、どうですかね?
だって、この範囲の中で何かあっても、
全体の中の配置やパターンが
ちょっと変わっただけというか。
後者が体当たりしてきても
中央の脆弱な自分で受けるんじゃなくて、
全体をネットみたいにして受けられるというか。
中央の”自分”も、範囲の中で自由に動かせる。
こうしてると、
中央の自分があんまり武装する必要も
なくなってくる気がするんですけども。
心理界隈の外で見る、
自然体で余裕のある前者さんてそんなイメージなんですよね。
あ、もちろん繰り返しますが
感情や意思の主体としての自分はあくまで「ここ」ですよ。
司令塔としての自分を見失わないようにする、
主体である自分が
何が大事で、何を快あるいは不快と感じ
何を望み、どういしたいか。
それを意識することが大事なのは大前提ですからね。
で、更に言えば、
前者さんが「自分」をどう定義すればいいか。
性格という意味での個性というより
「存在としての個性」ていうんですかね。
現時点で私が思うのは
・範囲(広さ)
・密度
・速度(リズム)です。
※密度というのは関係性の線の密度です。
※速度というべきかリズムというべきかあるいは別の要素と考えるべきかは微妙なところですが・・・。
(でも前者さんの場合はイコールな気がする)
前者さん同士でも色々差があるわけですが、
私の観察では
こういう要素の差が言えるんじゃないかと思うんです。
それぞれの前者さんに、
この要素に沿った「自分」の「自然体」がある。
で、自分の「自然体」を外れたら
どんな変化であれ「頑張って」エネルギー使うわけです。
これを自覚して意識すると
前者さんももう少し自分のことがイメージとしてわかるんじゃないかと思うのです。
そしてそういう風に自分の「カタチ」を理解しながら
中央の「自分」を育てていけばいい。
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以上です
いかがでしょうか。
こうやって「自分」を捉えている方が
中央の小さな自分だけでどうこうしようとするより
遥かに「自分」が安定する気がするのですが
どんなもんでしょ?
・・・・・勝手につらつら書きましたが
異論でも批判でもなんかご意見いただけると嬉しいです~。
ちなみに後者の場合・・・・
後者の場合は
深度、濃度(エネルギー)、瞬発力、維持力・・・・
うーん、まだ決まり切らないなあ。
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